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一話:異界転生書

「辻崎君!」 「はい?ああ、どうかされましたか教授」  東河大学キャンパス構内。  灯耶はゼミの担当をしている教授に呼び止められて足を止めた。 「君だけまだ夏期休暇中の課題を選んでいないからな。明日から休みだぞ、まったくもう」 「あ、そう言えばそうでした。ごめんなさい」 「まあ、君だからな。それで、試験はどうだったのかな」 「まあまあですね」 「やれやれ、最近の若い者は将来への展望も評価への執着も薄くて困る」 「教授だって若いじゃないですか」 「世辞は要らないよ。さ、取りに来てくれ」  軽い世間話をしながら、灯耶は教授の後に続く。  神秘考古学、という妙に胡散臭い学問を研究しているこのゼミに灯耶が参加しようと思ったのは、単純に面白そうだったからだ。  自分同様、ゼミに参加しているのはどことなく『こじらせている』連中で、灯耶自身も自分がこじらせている自覚を持って所属している。  自覚がある身としては、何故大学という組織がこんなトンデモな学問を許容・容認しているのかがいまいち分からなかったが。 「君に言うまでもないとは思うが、この中から一つ選んでくれたまえよ」 「いつ見ても、とんでもない数の蔵書ですね、教授」 「それが自慢だからね」  研究室の巨大な書棚に保管されているのは、洋の東西を問わない儀式書の数々だ。宗教的な理由で焚書にされたものという触れ込みやら嘘か真か魔術書の類やら、特に分別もされずに並べられている。  それもその筈、これらは全て写本、あるいは偽書として確認が取られた書物ばかりだからだ。  棚に貼り付けられた『危険なし』の文字は教授曰く、演出ではないそうだ。 「だいぶ減っていますね」 「そりゃね、本物を使わせる訳にはいかないさ。我々専門家だってひとつ間違えれば体の一部を失いかねない危険物ばかりだからねえ。君達のように前途ある若者……あと、本格的にこの手の研究をする気のない連中に使わせる心算はない」 「はあ、そうですか」 「その点、君は望めば専門家としてやっていけるだけの力があると思うよ。どうかね、前にした話……考えてもらえたかな」 「教授の助手になる件ですか」 「うん」  請われて助手になるという事は、この就職難の時期には悪くない選択肢だ。  正直とても魅力的な話なのだが、何となく踏みとどまっている理由は『こじらせた』自分をそのまま続ける事への気恥ずかしさやら怖さやら。  どうやら教授は何の根拠があるのか分からないが、灯耶は向いていると決めてかかっている。  危険なしの蔵書管理などを任されるといった作業は、便利に使われているのか目をかけられてもらっているのかは判断が分かれると思うが。 「それは夏休みの間にじっくり考えてみますよ」 「そうか! 返答を楽しみにしているぞ」 「ええ。……っと、おや?」  と、灯耶が目を留めたのは見慣れない一冊だった。  繊維だか皮製だか分からない緑色の表紙。試験前にはなかったから、ついこの数日で仕入れられたものだろうか。 「……教授、これ」 「おお、やはり気付いたかい。これがかの有名な奇書『異界転生書』だとも」 「いや、知りませんが」  テンションの高い教授に対して、灯耶の反応は鈍い。  胡散臭い書物なのは仕方ないにしても、研究者の常識を学生に求めないでくれとも思う。 「この研究室の現在のテーマは知っているね?」 「ええ。『古代東洋の超人の行方』でしょう?」 「そうさ。かつて神仙と呼ばれた超常的能力の持ち主。実は彼らの活動については時代背景が比較的はっきりしているものが多いのが特徴だ。無論その全てが事実を描いているなどとは思わないが」  神仙と聞くと如何にも大陸的な印象を受けるが、逆に彼らの伝承を見るとその住処として東方の海の彼方、『瀛州(えいしゅう)方丈(ほうじょう)蓬莱(ほうらい)』という場所が伝えられている。  瀛州は転じて日本の事を指すようになったようなのだが。 「だが、彼らはある頃を境にふっつりとその存在が観測されなくなっている。勿論民間伝承程度であればぽつぽつと出てはいるが、その数は激減している。そういった超常存在を人々が望まなくなったのか、あるいは事実姿を消したのか……」 「神仙の間で争いがあった、という仮説もありましたっけね」 「ふむ、話したかね。神仙同士の争いという仮説は古今東西の神話を見れば少なくない。それもあるかもしれないが……」  と、教授の顔が輝く。この話をする時には本当に楽しそうだ。 「ここからが私の仮説だ。彼らは何らかの理由でこの世界に見切りをつけて、別の世界へと渡って行ったのではないかというものだ」 「ええ、そうでしたね。それで――」 「それでなのだよ!」  こちらの相槌も聞こえていないらしい。  ヒートアップした調子で両手を振り回しながら、振るわれる熱弁の熱量は増すばかり。 「民間伝承では少ないながらも観測されていた神仙。という事は、少ないながらこちらに残った神仙も居たのではないかと思われるのだ!私の仮説には、別の世界から戻る手段、あるいは仲間を別の世界に招く手段も残していっただろうというものも含まれているんだ!」 「……ほほう」 「ようやく見つけたんだ、これを!私の仮説を裏付ける、異界転生書!」 「で、これはその偽物と……」 「……うむ」  一瞬でクールダウンしてしまう教授。 「それにしても、いつもだったら検証に一月以上かけているでしょうに、何でこんなにすぐ偽物だと」 「ああ、それはだね!」  だがそれも束の間。灯耶の質問に再びテンションを高めると、自らの机の後ろ、厳重に固定してある金庫の元へ向かう。 「これは本当に危険なので、私の個人的な書斎に保管して然るべき時に使う予定なのだが……」 「こちらと同じく緑色の表紙……。もしかして……!」 「そう。本物も、あるのだよ」  翌日、灯耶は部屋で『異界転生書』を開いていた。 「見るからに胡散臭いなぁ……」  記号のような文字の羅列が並んでいるが、どうやらひどく達筆な漢字であるらしい。  どうやら教授は灯耶に元々これを預ける心算だったようで、詳細な訳を書いた紙がびっしりと挟み込まれていた。試験期間で灯耶が研究室に寄らなかったのは二週間程だから、ほぼ全ての作業を中断してこちらにかかっていたのではないだろうか。  成程、教授の勧誘はかなり本気であると見える。 『辻崎くん。先日この手の書物を取り扱う業者の人物から、本物と偽物を併売してもらったのだ。どのように起動するのか、あるいは起動しないのかを分かるようにする為、何らかの理由で起動しない写本を用意するのは彼らの常套手段なのだが』  嬉々として解説する教授の顔を思い出して、頬が緩むのを感じる。  何とも憎めない人物なのだ。 『今回は元々本物と写本を業者が同じ場所から買い受けたそうなのだ。実は両方とも、事前にラットを使って目の前で実験してもらっているので間違いない』 『実験した……という事は、転生の?』 『異界に転生するというものだから、実際に転生したかどうかまでは分からないがね。本物の方は、青い光がラットを飲み込んでそのまま消えた。本当に転生しなければ書物による殺害だね』 『何と危険な』 『本物は禁書として幾つかの図書館に死蔵されているのを確認しているけど、それも納得の結果だったね。まあ、事故でもない限り、本物は私が人生の終わり間際に使う心算だから気にしないでくれ』 『あ、教授が使う用なんですね』 『戻れる確証はないからねえ。ただの殺人書物だったとしてもそもそも死ぬ前なら悔いもないだろうし』 『その辺り、自分にはよく分かりませんけど』 『君が持っている方は業者が同じ手続きをしても一切反応がなかったから、間違いなく偽物だよ。今回の課題は実際に記載されている儀式を実践してみて、何も起こらないとは言え当時の人々の願いや雰囲気を身近に体験すること。それで少しでも神秘的な伝承に対して興味を持って欲しいという企画だね』  再び視線を書物に戻す。  ページは最初の方に転生に伴う事態の説明。現在見ている項目は『転生後の待遇と生活の仕方』という部分だ。 「単なる読み物として見るだけでも面白いな。転生先は『癸亥山』。……何て読むんだこれ?みずのといやま?」  訳は教授なのでそれなりに意訳が入っているのだろうが、妙に砕けた文体だ。 「『この書物を使う事が出来るのは、仙人かその才能がある人物に限ります。ですから転生した後は、仙人としての修業をする事になります。これは今読んでいるあなたが仙人の場合は体が若返るので修行をし直す必要があり、才能があるけれど仙人ではない方は一から修行を体験する事になります』……親切なんだか不親切なんだか分からない解説だなこれ」  取り敢えず一通り最後まで読み進め、最後のページ。  墨で細かく書き込まれた、文字で出来た魔法陣のような図形があるだけ。  一番上に書いてある文の訳は、 「『ここに手を当てて念じて下さい』……ここだけ随分雑だな!」  最後の最後で偽物らしいところが来たというか、何というか。  ここまで必死に書いてきた設定に筆者が力尽きて本文まで書く余力がなくなった……という感じか。 「ま、いいや。偽物と分かっているんだから気楽にいこう」  教授がその目で確認していると太鼓判を押していたから、間違いはないだろう。  少なくとも灯耶は恩師として、その眼力と判断力を万に一つも疑ってはいなかったのである。 「さて、遠藤と小宮はまだかな……」  課題を実践する際は、数人一組のグループを組んで、互いに相互確認の上で行う事が義務付けられていた。  万が一に何かが起こった時にすぐに対応できるように、との事だ。  さっさと終わらせて三人分のレポートを書けば終わり。終えてしまえば後は気楽に夏休みを満喫できる。  この時点では、灯耶はそれを疑っていなかった。  視界がはっきりしない。  意識も何となく靄がかかっているようだ。 「ふぁ……」  微睡みを楽しみながら、ふと自分はいつの間に眠ってしまっていたのかと思う。  はて、先程まで自分は何をしていたのか。  確か、書かれていた通りに掌を置いて、意識をそこに集中したような―― 「だぁうあぅ(そうだ)、ばあぶっ(かだい)!?」  慌てて跳び起きようとして、そして口から出た言葉に固まる。 「ふぁ(ふぁ)!?」  体を起こそうとして、しかし力が入らない。両手足を動かそうとじたばたするが、どうにも上手く動かせない。  伸ばした手――見慣れた自分の手より、随分と柔らかそうな短いそれ――が目に入り。  動かしてみた足の指が、なんともぷにぷにした感触を返してくるに至り。  何ともリアルな感触に、夢ではないなと自覚してしばし。 「おぎゃあああああああああっ(なんじゃこりゃあああああっ)!?」  辻崎灯耶だった彼は、取り敢えず赤ん坊らしく絶叫した。  別に漏らした訳ではない。
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