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序話:術を使えない仙人

 巨大な牙と長い爪。  耳近くまで開く目と口、反して鼻は妙に小さい。デザインの狂ったような顔つきは、生理的な嫌悪感を感じさせるつくり。  体型は人に近いにも関わらず、四つん這いでにじり寄る様もまた、いかにも不気味だ。  牙をぎちぎちと軋らせて、こちらを警戒するかのように威嚇してくる。 「キチキチキチキチ……」  生物の感情を貪る怪物、邪妖(じゃよう)である。  彼の怪物が、理知に富み強い感情を持つ人間に目をつけたのは当然と言える。 「ど、道士様!き、きき来ましたよ!」 「ええ、分かっていますよ。何、ご心配なく。知能は低そうです」  鳴らす鳴き声は蟲のようだ。  灯耶(とうや)は杖を構えた。 「ギチッ!」  跳ね上がり、飛びかかってくる邪妖。  だが灯耶は慌てず騒がず、その横面を杖で殴り飛ばした。 「ギィッ!?」  叩き落とされた邪妖は、だがその程度で諦める心算はなかったようだ。逃げに出る訳でもなく、再度飛びかかってくる。  ただし、先程より速い。 「果たしてこいつは人なのか獣なのか蟲なのか……っと」  杖を持つ手を後ろに引き、突っ込んで来るその鼻面に向けて突き出す。 「ぶぎゅっ」  貫くというよりは、撃ち砕いて吹き飛ばすといった勢いで。  杖は邪妖の顔面を粉砕してもいささかも欠ける事はなく、灯耶は頭を失い地面に落ちた邪妖の背中に投げ下ろす。 「!」  邪妖に常識は通用しない。地面を掴むや否や逃げようと両手足を動かし始めたところに、地面に亀裂が入るほどの威力で杖が突き刺さる。 「ひぃ!?」  背を貫通されてもなおがさがさと蠢く姿に、上がる悲鳴。 「蟲だな、間違いない」  灯耶は杖を再び掴むと、邪妖ごと軽々と持ち上げた。  姿のおぞましさに民衆が抱いた負の感情を妖が吸い上げようとしているのが見える。  大量に感情を喰われてしまった人は虚脱してしまい、回復には長い時間を要する。 「強かなものだ。……いや、生きる為に必死なだけか」  蟲の邪妖は総じてしぶとい。  弾け飛んだ頭部は塵となって飛散したので、全身飛散するまでは安心できないという事だ。 「せいや!」  ぐるんと頭上で一回転させて、地面に叩きつける。  その反動を利用して、反対側に叩きつける。  更に反動を利用して、反対側に。  更に。  更に。  邪妖が力尽きてすべて塵と化すまで、灯耶は機械のように反復を続けた。 「道士様、この度は誠にありがとうございました」  深々と頭を下げてくる、村長を名乗る老人。  邪妖が一体でも村に入れば、程なく村は活力を失う。町には十分な備えがしてあるものだが、村の規模では備えがある方が稀だ。 「構いませんよ。俺も目的があっての事ですから」 「それでもありがとうございます」 「助かりましたよ、道士様!」 「ありがとうございました、道士様!」  笑顔を浮かべた村人が、口ぐちに感謝を述べて頭を下げる。  頷いて返すと、ふと村長が灯耶の腰を見て疑問符を浮かべた。 「そういえば道士様、先程はそちらはお使いになられなかったので?」 「ああ、これですか」  腰に佩いた刀を抜く。杖の動きの邪魔にならないように、背部に結びつけていたものだ。 「細い刀ですね」 「ええ。こちらでは珍しいかもしれません」  鞘代わりの布から抜くと、村長は魅入られたように刀身に目を奪われた。  普通は目の前で刀を抜かれれば引きつるだろうものだが、笑顔が曇らないのはこちらに対する信頼ゆえか。 「よろしいかな?」 「ありがとうございます。しかし、先程の邪妖を叩いて殺す様は、何と言いますか、豪快でしたな」 「術を使う事が出来ませんのでね」 「ほう? そうなのでしたか」 「普通は見習いでも術くらいは修めているのですけどね。どうにも理屈が理解できませんで」  刀を納め、ばつが悪いとばかりに頭を掻くと、村長も苦笑して頷いた。 「これは、悪い事を聞いてしまいましたかな」 「いやいや」 「ま、積もる話は後にしましょう。今日はせめてもの御礼に宴席をご用意致します。是非」 「おお、それは嬉しい」  笑顔の村人は、灯耶を囲むようにして宴を喜ぶ声を上げている。  村を護った英雄を歓待するのは、彼らにとっても名誉なのだろう。 「ああ、そういえば。村長殿」 「なんでしょう?」 「何故俺の事を道士と思われたのです?」 「はい?」 「俺は先程から術は一度も使っていないわけですが」 「ああ、それはですな――」 「それと……」  灯耶は自然な動作で刀を背中に括り直すように体を捻り。 「貴方の口から立つ、その鬼の臭いは何事ですかな」 「きさ……ッ!」  村長が獰猛な本性を露わそうとする直前に、抜き放って首を刎ねた。  ぷつりと糸が切れたかのように倒れ臥す村人達。 「いつ気付いた!?」  刀身の上に乗った村長――に化けた鬼――の首が声を上げる。  邪妖の身上はしぶとさにあると思っている灯耶に動揺はない。  隠す必要もないのか生えた角が顔の皮を引っ張っているのか、老いて皺だらけだった形相が一気におぞましく張りつめている。 「そりゃあんた、最初からだよ」 「く、嵌められたのは俺の方だったか」 「まあ、こちらには専門家がついているからね」 「専門家、だと?」  と、灯耶と鬼の間から声が響いた。 『あたしだよ、『首噛み』』 「なに?……その声は、まさかっ」 『ああ、そうさ。覚えているだろう?』  鬼の首はとうとう戦慄したような表情を見せた。  刀から響いてきた女性の声。それが意味するところを知ったからだろう。 「何故刀からあんたの声が……。いや、それより、馬鹿な、あんたが俺を売ったのか!?」 『そうだよぉ。あたしは耶坊(やぼう)の為ならかつての手下だろうと売り飛ばすのさ』 「銘伏(なぶせり)。その話は長引くかな?」 『悪い悪い。耶坊、こいつはこのまま食ってしまって構わないかね?』 「役に立つ?」 『あたしが最初の餌食に選ぶくらいにはね』 「了解。頼むよ」  灯耶の声と共に、みぢりと生の肉が千切られるような音がした。 「ぎ、ぎぃぃっ!? な、何故だ! 何故俺を喰う!?」 『耶坊の役に立つ為さ。耶坊はあたしの最期の坊や。そう縁を結んだからには、あたしは何でもするのさね』  刀が首に癒着するようにへばりつく。  灯耶は無言で刀身を鬼の――血の一滴も出ない――首から下の傷口に当てる。  同じようにへばりついた刀身が、ぼりぼりと音を立てて鬼の体を吸収し始めた。 「がっ、ぎゃああっ! あんたは、曲がりなりにも『八首(はっしゅ)』と呼ばれた大妖だろう? 何故仙人どもの肩を持つんだッ!?」 『仙人どもではなくて、耶坊一人だよ。……それはそれとしてね、お前達に対しては他にもわけがあるのさ』 「わ、わけ……?」 『憎いからさ。あたしの坊や達を密かに食い殺したお前達がねぇッ!!』 「嘘だ、上手く隠したんだぞ!? あ、いや、し……知ってたのかよ!?」 『耶坊たちがね、教えてくれたのさ。今のあたしは仙人よりもずっとずっと、お前達の事が憎い』 「たすけ、助けてくれよ!? 言ってくれたろ? あんた、人の子ども達が死んだあと、俺達こそが自分の子供だって!」  鬼の命乞いにも一切の躊躇なく、銘伏と呼ばれた刀はその体を貪っていく。 『そうだったかねえ。あたしは今は歯牙ない妖刀、殺鬼丸(そぎまる)銘伏に過ぎないからねえ。昔の事は忘れちまったよ』 「こ、この――」 『もう黙りな『首噛み』。お前はあたしにきっちり消化されて、耶坊の役に立つんだよ』  ただ喰われて消えるよりかは、よっぽど良いだろう? と。  銘伏の声が止めと言う訳ではなかったのだろうが、鬼の体は程なく全て刀身に吸い尽くされて消えた。 『ふう、ごちそうさん』 「お粗末さん。……この村はもう手遅れだったようだね」  沈んだ様子で声を上げる灯耶。  倒れた村人達は、『首噛み』の消滅と同時、瞬く間に干からびて朽ち果ててしまった。 「心を食い尽くした連中を操って、次の獲物を誘っていた訳だ」 『村の方もひどいね、見た目だけは取り繕っているが、中は廃屋のようだ』 「幻術の類かね」 『だろうねえ。『首噛み』が居なくなったから、すぐに建物も本来の姿に戻る事になるだろうよ』 「そっか。……帰ろう」  顔を空に向ける。  中空に浮かぶ巨大な山。今の住処のある癸亥山が目に映る。 『……故郷が気になるかい?』 「そうだね。気になるさ。向こうの父さんや母さんがどうしているか……」  悲しんでいるだろうか。立ち直っただろうか。  確かめる術は今はない。帰りたいとも思う。  しかし、こちらにもまた、新しい絆があるのも確かなのだ。 「俺は贅沢ものだね」 『ん?』 「あっちに二人、こちらには三人。親が居るんだから」 『そうだな!なあに、あたしはお前があちらに行けるようになってもついていくからな』 「ありがとう、銘伏」  暖かい言葉に笑みを浮かべつつ。  道士・灯耶は自らが辻崎(つじさき)灯耶であった頃の事に思いを馳せていた。
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