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Smash The Silence

お世辞にも、清掃が行き届いたトイレとは言えなかった。 壁に大きく貼られた「汚したら出禁」の張り紙は無意味なようで、そこかしこに注射器と酒瓶と煙草の吸殻とコンドームが散乱している。鏡はすべて殴り割られていて、ポケットティッシュの自動販売機は大穴を開けられて壊れていた。 しかし、このトイレを汚している一番の原因は逆流している汚物にあった。個室のうち一つから本来あるべき便器が消失しており、力づくに引きちぎられた排水管から下水が溢れかえっているのだ。換気扇が壊れた空間で悪臭は行き場もなく漂っていて、ここがどういう場所なのかがうかがえる。 そう、まさに。 少なくともドブネズミが死ぬにはふさわしいだろう。 だから、ここで死ぬ人間などドブネズミと等しい存在価値しかないのだと言える。ちょうどこの男のように。 「た、頼むスタック!もうやめてくれぇ!」 「うるせぇーよ、ボボ。誰が、オカマの黒んぼ野郎だってんだ?ぁあコラ!てめえの発言に責任持ちな」 鼻血をたらして歯もほとんどへし折られた男がへなへなと、広がる汚水の上に座り込んだ。少しは、相手にも慈悲があるのだろうか?少なくとも失言を黙って優しく見逃してくれるぐらいの。 いや、あるわけはない。ボボは泣きじゃくりながら贅肉でダブダブした腹を揺らす。もう何十発も殴られているが相手は許してくれそうにもない。 ボボに対するスタックは、まさに暴力の申し子と言って差し支えない。黒人とインディアンの混血という出生からなる褐色の肌の下で発達した筋肉が全身を大きく膨らませており、肩幅は広く手足も筋肉で極太だ。そして、その両手には振り上げられた便器が挟まれており、道具もなしにこの人物がセラミックのそれをもぎ取ったことがわかる。滴る汚水をイコンのジーザスのような、ゆたかでウェーブした黒髪で流しながら無慈悲な狩人の顔を相手に向けている。 「あたしがブラジャー着けてんのは、きちんと神さんから子宮をもらったからだよボケ!あたしゃ男じゃねえっつの、まぁだ広まってねえのか!」 「だ、だから……あれはおれが仕事ミスったやけ酒の勢いでうっかり……」 「じゃあてめえは鼻くそほじっててよそ見してるうちに人を車で轢き殺してもうちの優秀な法務部に許してもらえるってか?」 「た、頼むよスタック……知らない仲じゃないじゃないか……ここは穏便に、な!?」 「これがジャップRPGなら許してやるまで”はい”のコマンドを選ばにゃあならんのだろうが、そうは猿の金玉よ。安心しろ、三日ぐらい昏睡してもらうだけだ。それで許したる」 「ぐ、ぐ……ちくしょう!お前が悪いんだ!女のくせにそんな筋肉ばっかつけてやることと言ったら喧嘩と人殺しだけじゃねえか!お前みたいなやつにチンコが勃つ男がいりゃ見てみたいもんだぜ!この雌ゴリラがっ……」 「わかった。お前は死ぬ。今から。完全に生命を絶つ」 「わっ!やめれ、やめてくれ!」 「往生際が悪いな、ボケが!あたしゃ吐いたゲロは飲み込まねえ主義なんでよ!」 ボボはもう一度”やめろ”と言おうとしたようだがそれは完遂できなかった。スタックが便器を振り下ろしてボボの頭をかち割ったからだ。太った男は白目を剥いて倒れそうになるが、スタックはさらに頭蓋骨とぶつかって砕けた便器の破片で相手を何度も殴りつけた。白いセラミックが血と汚物で汚く染まる。 「はあい、そこまで。お金取るよ」 「なんだコラぁ!」と言いながらスタックは振り返ったが、相手を見、舌打ちをして残忍な暴行をやめた。店の主であるグレシア・ハートマンが今にも人を殺しそうな顔でスタックと下水まみれのトイレを交互に見ているのだ。 「これでいくらかかるかしらね」 「経費で落とせ」 スタックはいくらかバツが悪そうな顔で、セラミックの破片を気を失ったボボに投げつけてから言った。しかしグレシアにその気はないようだ。 「いんや、それじゃポッケに入れられる額が減る。あんたからむしることにするよ」 「悪いのはこいつだぜ?陰口言いやがってよ」 「あんたが言われるようなことばっかしてるからでしょお?どっちにしたって経費で落とそうがあんたから取り立てようが会社からお金もらうわけだしあたしからしたら些細な違いもないわけ」 「それだったら、もう少し部下を大切にしろよな」 「上司がまかされてる店でこれほどの器物損壊と暴行起こして?」 しかし、スタックとグレシアは必死に弁明して金銭トラブルを無責任に避けようとしている相手を見て怒りを感じながらもどこか楽しそうに見える。上司と部下……と言っている当人同士の関係はその通りなのではあるが、どこか違うところもある。 「なぁ、頼むぜ……友達に免じてくれよ」 「じゃあ、これからは人んちの牛乳パックにオシッコするような真似はやめることね。マブダチさん」 「何してほしい」 「ちょうどあんたに頼みたい仕事があるのよ。事務所まで来てくれる」 「タダ働きか?そりゃないぜ」 「それでこの大破壊をなかったことにしてもらえることに感謝してちょうだい」 スタックはちらり、と後ろの自らの狼藉の後を見てみた。排水溝からあふれた汚水の中に大量出血しながら倒れる無法者たちを見てまたグレシアの方へ振り返ってから「仕事ならチンコもしゃぶってやるよ」と頭を搔きながら言った。 「悪いね、そっちの仕事はもうちょっと犯しがいのある子にさせてるんだ。あんたはゴツゴツで抱き心地悪すぎ、つまりマーケティング学上の需要がないってことね」 「ゼロってこたぁねえぞ!……んまぁ、1は……」 「のろけ話は聞いてる暇ないから。ほら、行くよ」 踵を返したグレシアに続こうとしたスタックは、もう一度だけ倒れているボボを見て「なぁ、どっちにしろお前の懐に金が入ることは変わりねえんだろ?」とスタックは聞いた。 「まぁ、それはそうだけど」 「おら忘れもんだ!豚野郎!」 スタックは汚物まみれになって気絶しているボボを引き起こすと喉に割れた便器の破片を突き刺して、そのままスロップシンクに押し込んだ。グレシアはそれを見て(プラス、遺体処理料。あと三案件はタダ働きね)と考えた。 スタックはグレシアに続いてトイレを出て、その先に出た。そこはパブになっており、くたびれた汚い内装がガラの悪い客層によって引き立っている。 客は、大半が堅気の人間ではあった。一応は。近所中の肉体労働者や生活保護受給者など、否応なしに目つきが悪くなるようなすさんだ生活をしている者たちが店の入り口側で固まっていて、安酒で安い食べ物を流し込んで皆現実逃避に憧れていた。 しかし、グレシアとスタックはくだらない連中を無視して店の奥へと進んでいった。そちらは客層がガラリと変わり、同じようなみすぼらしさはあるものの目つきは明らかに違った。ガラが悪い、と言うレベルではない。野良犬と変わらない、飢えた、暴力的な目を皆している。 「みんな、ちょっといいかな」 グレシアの言葉に野良犬たちは反応し、顔を向けた。しかし、グレシアはそんな連中慣れっこという感じで淡々と言葉をすすめる。 「トイレ、しばらく使えないからね。ウンコまみれになっていいなら別に構わないけど。レジでビニール袋配るからみんなそれにひり出してね。このバカがトイレぶっ壊して今大惨事だからさ」 スタックがいたずらな表情で皆に手を振った。相手方も、また何かやらかしたのかお前はという雰囲気でやれやれと食事に戻っていった。この程度のこと、日常茶飯事なのである。 「ほら、行くよ」 そして、スタックはグレシアに連れられて店の奥の事務所へ入っていった。 店の裏側は散らかっていたが、どうやらそれを片付ける余裕も、そしてその気もグレシアにはなかったようだ。しかし、どちらにせよ入るのは自分だけ、自分が認めない他人を入れるつもりもない。スタックがなにかをブーツのつま先で蹴り飛ばしたと下を見てみたら、よくわからない生き物の頭蓋骨だった。わざとらしく「ゲー」と言ったがグレシアは取り合わない。 そして、奥の部屋に案内された。こちらは彼女の住まいも兼ねているので、廊下や店内とは違ってこじんまりとした清潔な空間だった。狭いが、居心地の良さそうな部屋だ。六畳のスペースにはベッドと小さなキッチン、それに本棚やその他生活感を表すものが置かれている。 「ストップ、あんた、椅子に座っちゃダメよ」 「んだよ、パワハラか?」 「あんた便器水被った服で洗ったばっかの座布団に触れる気?」 「ダメなのかよ」 「ダメね」 グレシアはため息をつくと椅子に腰掛け、煙草を吸い始めた。スタックは一本ねだったが、にべもなく断られる。 「じゃあ、せめて飲み物くらいは出せよ。ペプシかなんかないのか?」 「あのね、ここは本来下戸の居場所はない店なの」 グレシアは面倒臭そうに首を横に振った。この前、誰かがふざけて一杯のビールをスタックに飲ませたらそれは完全にこの女の正気を吹き飛ばして重軽傷者20名の大惨事になったのだ。 「そんならなんで、“会社”は窓口を飲み屋とくっつけてんだよ」 「知らない。モンスターハンターのファンなんじゃない?この国はPSPで世代止まってるけど……今はもう体感ゲームの時代らしいから、自分の手でモンスター殺してる気分になれるらしいよ」 「バカバカしい現実逃避だ、|ここ《アメリカ》に来ればモンスターも人もいくらでも殺せるじゃねえか」 「ま、普通の人は殺される危険はなるべく排除して一方的に殺す方が好きみたいだからね。あんたみたいなバイオレンスジャンキーとは違ってさ。殴るのも殴られるのも大好きなアドレナリン中毒」 「お前が人のこと言えるかよ、“蒼い悪魔”」 「今度その名前で呼んだら後ろからヒ素を注射するからね……もう前線は退いたんだから」 「死に場所を探すより、人に見つけてやる方が性に合うってか?」 「この話は終わり、仕事紹介してやるんだからありがたく聞きなね」 「ああ、そうだったな」 スタックはゴミ箱の中をゴソゴソと探りながら話を聞く。 「んで?ちったあ|殺《や》りがいのある仕事なんだろうね?雑魚相手はやりたくねえぞ」 「便器代になるまではあんたはあたしの犬よ。あたしが靴を舐めてって言ったらそうしなきゃいけないし、パンツを下ろせって言ったら口答えなしに下ろさなきゃダメ……てか、なんでゴミいじってんの?」 「うっせえバカ、シケモクくらいねえのかよ」 「ちょっと、やめてよ。あたしのゴミ箱に手ェ突っ込む権利があんたにあるとでも……」 「わ!バカ、てめえコンドーム直に入れんなよ、誰の精液だこれ!手についちまった!」 「人んちのゴミ箱にケチをつけないように……ほら、負けたよ!一箱もってきな」 スタックは薄汚れたコートで手を拭くと、グレシアが投げてよこした未開封のキャメル・メンソールをポケットに素早く突っ込んでニヤリと笑った。 「あんたニューポートしか吸わないんじゃないの?」 「ケッ、長モンのタバコならなんでもいいよ」 コジキかあんたは、とグレシアは呆れ顔をすると戸棚に掛けているバッグからファイルを取り出した。書類をスタックが立っている足元にバラバラと落とす。 「ったく、感じわりーな」 スタックは足元の書類を拾い上げて、目を細めて読み始めた。読み方はどうもたどたどしく、単語も飛ばし飛ばしで読んでいる。 「読んだげようか」 「いらん、アホ」 スタックは活字を読むのに飽きたようで、書類をめくってはゴミ箱に入れめくってはゴミ箱に入れた。「あんた、それで内容わかるの?毎度聞くけど……」とグレシアが聞くと。 「今まであたしから逃れられたやつがいるか?」 「ふん、いないわね。それはわかってるわよ」 「つまらなさそうな仕事だな、クソッ、ガキをシバくだけかよ」 「んや、あんた次第でもっと面白い相手と戦えるよ」 グレシアは自分が吐き出した煙草の煙が目に染みて、若干涙を浮かべながらニヤリと笑う。 「まずは、あんたがどれだけ末端のクズから搾り取れるかになるね」
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