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第8話

 未だ溶け切らぬ氷の上に転移してきたそれは、夏空を背に聳え立っていた。トロルさえ遙かに凌ぐ見上げるような巨体。魔法的な意匠を施された石造りの体躯には、だがいたるところに欠けた部分やひび割れが目立ち、地に届かんばかりの巨腕は右しか残されていなかった。その剛腕を支える逆三角形の胸部の上の小さな頭部には宝玉が一つはめ込まれていて、砦の長が持つこれも大きな宝玉に呼応するように赤い光をうっすらと明滅させていた。 「これはかの炎魔が姿を現す百年余り前、あの洞窟の底から出土したものだ。今では伝説に語られるばかりの魔法文明期のものであろうが、動かせる状態のものはこれしか見いだせなかったとも伝えられておる」  砦の長の話を聞きながら、リュークはこの巌の巨人がいかなる目的で作られたのかと訝らざるを得なかった。人間が操る武器はおろか、よほどの威力がなければ呪文さえ寄せ付けるとは思えぬ巨体。破城槌さながらの恐るべき剛腕。城攻めの戦いで城の中に転移させれば、わずか一体で陥落させることも可能に違いない。いまや人造のサイクロップスは若き錬金術師の目に、水に沈んだ炎魔以上の恐るべき怪物とさえ映るのだった。  そんな青年を老人はじっと見つめていたが、やがて巌の巨人に視線を移すと呟くように話し始めた。まるでリュークに聞かせるつもりではないとでもいわんばかりに。 「これが出土してからずっとこの地に留め置かれたわけでは無論ない。すぐに王宮に運ばれ、宮廷魔術師を筆頭に総力を挙げての調査が行われた。わしが今これを動かせるのもそのおかげというわけだが、炎魔が姿を現す百年前にその災いを誰も予測せなんだ以上は、なぜ王宮がこれを復活させようとしたか、理由も察しがつくというもの……」  思わず老人の横顔に視線を移したリュークを、けれど砦の長は一瞥もしなかった。 「炎魔の到来は確かに災いだったが、それは一方でこやつがもたらすであろう災いを封じることにもなったのだ。この地を冷気で封じるため、これを動かせるだけの力のある宝珠は全てこの地に集められたのみならず、こやつ自体も炎魔を捕らえることが試みられた機会にここへ移されたのだから。無論その試みは失敗だった。これの動きは開けた場所で素早い相手を捕まえるには至らなんだ。それでもこやつはここに留め置かれた。あれが峠を越えた場合、砦の中に誘い込めれば狭い場所に追い込み捕まえる当ても見込めたゆえ。だが……」 「……なにかいってきたのですか? 王宮が」  ほんの僅か顔を向けた老人が、目だけで頷いた。 「国内の宝玉が尽きつつある今、王宮はこやつを回収すると通告してきた。古来より魔法が盛んなことで知られる東の強国イーリアに奇襲をかけるべく」 「そんな、わけを話して援助を得る道もあるはずでは!」 「野心がそれを阻んだのだ。王城リガンの物見の塔は昔からより豊かな南方や東方を望みしゆえにな。だが、わしは砦の責任者として通告を拒んだ。今これを失えば炎魔に抗する最後の切り札を失うことになると。そして遠見の術ゆえに夜ごとの戦いに臨める者がわししかおらぬ以上、王宮もそれ以上強く出れなんだのだ。だが炎魔の脅威がなくなった以上、いずれわしも任を解かれる。だから今こそ封じねばならぬ。母国に、そしてこの大陸に災いをもたらすものを。見届けるがいい若人らよ!」  砦の長の呪文を受け湖面に踏み入る巌の巨人。凄まじい飛沫に呑まれたその巨体を、だが砦の長は目を閉じ心眼で追い続けつつ口の中で呪文を唱えていた。やがて長が沈黙し目を開いたとき、光を失った宝珠が音を立ててひび割れた。老魔術師が感慨深げに呟いた。 「ああ、かつては古のアルデガンの結界を支え、そしてこの地で炎魔を阻みし北の宝珠よ。願わくば互いに封じあう二つの災いを永く永く見守り給え……」  長は宝珠を湖に委ね、リュークたちも見送った。全てを秘めた水面の、いつ果てるとも知れぬゆらぎを見つめて。
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