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第7話

「子供だってのかよ!」”女の子? あれが?”  蒸気の薄れゆく湖面を思わず凝視する一つの体の二人。リュークもガルドの目を通じ、炎が消えた周囲の闇を見通せた。けれどそこには砕けた氷塊が湖水に浮かぶばかりで、声の主の姿はもう見えなかった。湖に相手を落として炎を消す作戦は成功したが、それはその方法をひたすら考え続けてようやく捻り出せた際どい内容のものであり、それが暴くはずの相手の正体を彼らは考える余裕すらなかったのだ。だからそれが招いたこの事態に、二人は完全に虚を突かれていた。  炎魔を呑み込んだ湖の上を若き龍神族は旋回していたが、炎はおろか泡ひとつ浮いてくる様子はなかった。だが相手は吸血鬼、あれで死んだりするはずがない。意を決し、リュークはガルドに声をかけた。 ”潜ろうガルド。あれがどうなったのか確かめなければ” 「あ、ああ……」  ためらうような口調にリュークが違和感を覚えたとき、龍神族の少年は湖面へと降下しはじめた。  夜の湖の中でも視界が失われることはなく、リュークは今更のようにガルドが水の龍神族であることを実感した。けれども湖は思いのほか深く、人影はおろか底も見えなかった。そして深みへ潜るにつれて、周囲の闇もいっそう色濃くなっていった。やがて龍神族の目でも見通しがきかなくなりかけたとき、ようやく湖底が、そして人形のように横たわる人影が見えてきた。  まだ十にもならぬような娘だった。目を閉じた顔も細い手足も全く血の気がなく、痩せた体に纏った衣と髪の黒さが蝋のような肌の白さをいっそう際だたせていた。  そしてその小さなやつれた顔は表情を、少なくともその名残を留めていた。もちろん驚愕も、そして苦悶も。けれどそれらよりもっと根深く刻まれた表情、リュークはそれに見覚えがあった。だがそのことを思い出すより早く、ガルドが話しかけてきた。 「死んじまったんだろ? なあ、そうなんだろ?」  リュークが改めて見つめようとすると、ガルドの鱗に覆われた手が小さな体を掴み上げた。娘は反応しなかったが、短い指から伸びた爪が、僅かに開く口元の牙が、その正体を思い出させずにおかなかった。だから返事もおのずと慎重になった。 ”……活動は停止しているみたいだな。寒がりというのは意外に当たってたのかもしれない。理由はわからないが、炎に包まれていないと動けないんだろう。でもこれで死ぬことはないと思う。水から出せばきっと動き出す” 「そんなの聞きたくねえよ!」  リュークは驚いた。怒鳴られたからというよりガルドの声に、涙声とさえいえそうなその声音に。 「……だってよ、それじゃここから出れねえんだろ? ずうっと冷てえ水に封じられてよ。まるで、まるでオレみてえに」  錬金術師の若者は悟った。龍神族の少年が湖に封じられていた自分の境遇を、人外と化したこの少女に重ねていることに。 「わかってるさ、親父や長老がオレを守るつもりだったことぐらいはよ。でも、オレが眠らされていた間に仲間は誰もいなくなってよ。リュークが来てくれるまで湖から出ることもできなかったんだぜ。けれどこいつはこんな宙ぶらりのままでよ。誰も出してなんかくれねえだろ?」 ”しかたがないじゃないか! 出せばまた暴れるんだから” 「必死で生きてただけなんだろ? 炎が消えただけでこうなっちまうんだぜ。前にも見たじゃねえか! 日照りの村でもよ」  いわれてリュークも思い出した。まだこの大陸に渡る前、砂漠のほとりの村での出来事を。  それは無慈悲に照りつける太陽の下、見捨てられた村だった。草木は枯れ果て大地はひび割れ、無人となった家々もいまや荒廃に帰そうとしていた。そんな中でただ一軒、病に伏す息子に寄り添う母だけが残っていたのだ。そして痩せ衰えた母に縋られて、リュークはその子を治療しようとした。  だが、もはや手遅れだった。食物どころか水さえろくに口にできずにいた小さな体に、病に抗う力は残されていなかったのだ。そして男の子がリュークの目の前で力つきたとき、その死に顔は打ちひしがれた錬金術師の目に焼きついた。表情と呼べるだけのものを浮かべる力もないほど肉の削げた顔に、それでも留められずにいなかった諦めと無念の微かな痕跡。それは運命が己に抗い屈した者に勝ち誇りつつ押した無惨な烙印に他ならなかった。  それは同じ徴だった。目の前の少女に刻まれたものと。  かたや無慈悲な死の爪に捕らわれた少年。かたや永劫の不死に呪われた少女。正反対のように思える二人の子らに、だが酷薄な運命は平等に接した。彼らは持てる力を振り絞って運命に抗い、そして敗れていったのだ。  しかたがなかったのだと思おうとした。この国の、ひいては大陸全土の人間たちの危機だったのだと。だが、いまや若き錬金術師の目には視えていた。外からは窺いようのなかった炎の中で、この娘がどれほど必死に戦っていたか。いや、猛吹雪にも津波にさえも抗い奮い立つように燃え続けたあの炎こそ、人外の少女の姿だったのだ。だがあのとき少年を救おうとした自分は、運命に呪われたのかここでは我知らず執行者として加担してしまった。そんな思いを振り払えぬリュークの耳に、すがるようなガルドの声が届いた。 「なんとかならねえのかよ、なあ……」  一つの体に宿る二人は、だがもはや言葉を見いだすこともできぬまま、湖水に凍えた娘を抱えただ立ちつくすばかりだった。 ---------- 「よもや水が決め手とは、まこと盲点としかいえぬ話だ」  頷く砦の長に、リュークは机を見つめたまま答えた。 「あの炎さえ消せれば、なにか打開策が見いだせるのではと私は考えただけでした。それがこんなことになるなんて……」 「どうした? 浮かぬ顔をしておるではないか」  言葉を返せぬ若者を老人はしばし見つめていたが、やがて立ち上がるとこういった。 「とはいえあの湖からも川が流れ出ておる以上、そのままにしておくわけにもゆかぬ。もしも流れ出て岸辺に打ち上げられれば、たちまち人の世は災いに見舞われよう。明朝、手だてを講じるとしよう」 「策がおありなのですか?」  思わず顔を上げたリュークに、砦の長はしたり顔で返した。 「異邦人とはいえ、このたびの働きを思えばそなたにはこの件の顛末を見届ける権利がある。特別に立ち会うことを許そう。その目で見るものを決して口外せぬと誓えるのであればだが」  しばし相手の顔を見つめた後、リュークは意を決し頷いた。
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