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第3話

 リュークが目を開けると、そこは色彩なき世界だった。  低い雪雲の垂れ込める空は灰色一色に染まりきり、その色を映した氷をすり下ろしたかのようなきめの細かい粉雪がいつ果てるともなく降り続いている。その粉雪の帳から見え隠れする山脈も氷の色の濃淡としか目に映らず、溶けることのない雪が積もった大地はどこまでも平らで、どこが岸辺でどこが湖だったのかさえ見当もつかない。人工の永久凍土としかいいようのない光景に思わず立ち尽くす若き錬金術師の脳裏に、柄の悪さの中にもどこか子供っぽさを残す声が響く。 ”結構ムチャクチャするよな人間って。真夏だぜ?” 「ああガルド。いくら大陸北部のこの国でも、本来なら雪も氷もない季節のはずだ」  答えたリュークが、ふと問いかける。 「そういえば君も湖で暮らしていただろう? この場所のどこが湖か、底まで凍りついているかどうかはわかるかい?」 ”あの雪原の真ん中、ここから五十メートルほど先からが湖だ。結構深いから底までは凍っちゃいねえが、それでも半分以上凍ってやがる。半端じゃねえ氷の厚さだぜ” 「だったら少々のことでは割れたりしないな。なるべく遠くから見つけられるよう、真ん中の方に出ようか」  龍神族を身に宿す青年は歩き始めたが、それは修行や苦行ともいうべき難事だった。転移の呪文で運ばれた場所から踏み出したとたん、彼の体はさらさらの雪に膝まではまり込み、もう一歩で腰まで埋まってしまった。 「ひどいじゃないか、ガルド」  正面の雪を泳ぐようにして掻き分けながら、リュークは脳裏に響く笑い声に文句をいった。 ”すまねえ、つい笑っちまった。でも飛べねえってのは不便だよな” 「ああ、これじゃどうにもならない。もし向こうが炎の熱で雪を蹴散らせるなら、たちまち餌食になってしまう」 ”昼のうちに来ておいて正解だったってわけか?” 「ただごとならぬ相手だから周囲の様子も掴んでおきたいと思ったんだが、やはりこの雪と氷はやっかいだな」  苦心惨憺しながら氷結した湖面に出てきたリュークだったが、足元の感触には全く違いが感じられない。ガルドのいうとおり、よほど分厚い氷なのだろう。どうにか目指した位置にたどり着いたときには、午後もかなり過ぎていた。 ”この様子、あの爺さんも視てるってわけか?” 「なにしろ普段から夜通し起きてるって話だから、今夜に備えて眠ってる時間じゃないかな」 ”……なあ、本当によかったのか? あの爺さんにオレのことバラシちまってよ” 「どうせこんな状況だろうと予測はついたから、いざというとき驚かせてタイミングが狂っても困ると思ったんだ。人間も建物も焼き尽くす吸血鬼なんて君でもそうそう倒せないだろ?」 ”でもよ爺さんいってたじゃねえか。そなたらに死なれても我が国の得にはならんって。あれってオレたちより国が大事ってことだろ?” 「だから信頼できるんじゃないか。利害が一致さえしていれば、裏切らないということになるから」 ”ややこしいんだな、人間ってよ” 「そんなに彼が嫌いかい?」 ”苦手なんだよああいうタイプ、口じゃ絶対勝てそうになくて。オレが戦いたいっつっても聞き入れてくれなかった長老そっくりでよ……”  ガルドの沈黙にリュークは察した。龍神族の少年が昔のことを思い出しているのを。  太古の昔、人間がいまだ獣の尾を持ち炎に怯える種族にすぎなかったころ、闇の神々が光の神々に戦を挑み、両陣営のほとんどが姿を消すほどの大戦争になったのだという。龍神族も例外ではなく、姿を見かけることもない伝説上の存在として吟遊詩人に謡い継がれているほどだ。そんな戦いに加わろうとする少年を父は長老の元へ連れてゆき、とある湖で魔法の眠りに就かせたのだ。そして長い長い年月の果てに少年が目覚めたとき、彼は独りぼっちになっていた。訪れたリュークが一心同体になるまで、少年は守護結界に囚われたままだった。誰かがやってくるのをただ待つことしかできぬ身で。  肉体的には二メートルを超える天性の戦士というべき姿でも、一族の中では子供にすぎぬ青き鱗の龍神族。その魂は長大な寿命ゆえかはたまた魔法の眠りのせいなのか、無限にも近い時を経てなお少年の域を脱していないのだ。そんな感慨にリュークもまた陥りかけたとき、にわかに辺りが暗くなった。雪雲の彼方の太陽がついに没し去ったのだ。  そのとき背後から射す紅蓮の光。振り返った一つの体の二人のまなざしのはるか先で、山裾を背に燃えさかる十メートルを優に超える長大な火柱! 瞬間、それが雪原から朦々と蒸気を巻き上げながら竜巻のごとく疾ってくる!
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