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1-35.野営地跡での戦い(2)「───何故、こうなった?」

   ───ここからの話は、俺がうっすらと覚えていることと、その後になって聞かされたこととを合わせて、あの場で何が起き何があったのかの「記録」になる。  まずは、そう───曰わく『呪いの指輪』が、熱く発熱し始めたそのときから、だ。    意識が白熱し、自分の腹の───いや、魂に絡みついた黒く禍々しい何かが、大きく膨らんで来た。  熱い。身体の奥底からの、どうしようもない感情。  それらが渦巻きとぐろを巻いて、俺の中で暴れ出す。  怒りか? そうかもしれない。  悲しみか? そうでもあった。  その怒りは、悲しみは何に対してだ?  レイフを、ダークエルフ達を傷つけ苛むゴブリン達へ?  それとも、己の無力さ不甲斐なさや、この状況この世界そのもの?  或いは単純に、何もかも自分の思い通りにならないことに対して?    いや、違う。そんなことではない。  いや、そうだ。しかしそれだけではない。  あらゆる全てへの、怒りと悲しみ。      奥底に湧き上がるこの熱に対して、何者かが低く轟くような声で囁き話し掛け、甘い甘美な殺戮へと誘う。  そうだ、お前には力がある。  殺し、壊し、あらゆる者、あらゆる獲物を血に染め上げるだけの、絶大な力がある。    それは真っ赤に染まり滴る血の心臓、その甘く蠱惑的な香り。  それは絶叫と嗚咽と断末魔の、心地良い響き。  それは───今、この戦場の全てを蹂躙し尽くすだけの───咆哮。      意識が───遠のき───    ───そしてまた、動き出す。     ◆ ◇ ◆    そのときのその変化を、しかと見定めて居た者はその場には居なかったらしい。  誰もが、「気が付けば」そのようになっていたのだ、と言う。    白銀の毛並み。大きく開いた口。漆黒の闇を溶かした瞳の奥の、金色の光。  それ、は、鋭く尖った爪の生えた太い腕で、武器を持ち動き回る骸骨戦士たちをそのままに粉砕した。  それから左手に居たミスリル銀の鎧を身につけた尊大なゴブリンを掴み挙げると、くるりと回転させ地に打ち倒した。  その様を呆気にとられ見ていたエヴリンドは、何も反応出来ずしばし棒立ちになってしまったと言う。    右手、セロンの向かう先へと疾走して追い抜くと、瞬く間に押し寄せていた伏兵の中へと突っ込んで行く。  咆哮がまた放たれて、ゴブリン達は恐慌状態に陥り四散した。    地下より現れ死霊術で骸骨戦士を操り、また上空のダークエルフ呪術師ガヤンとの魔法戦に興じていた黒髪の女ゴブリンは、そこで初めて周囲の異変に気付いたかに見回すが、それはあまりに遅すぎて、何ら反応する間もなく意識を失刈り取られる。    それは再び咆哮を上げて野営地跡の荒れた地を駆け抜ける。  エミリが率いる森からの援軍へと殺到していたゴブリン伏兵の一団に追い付くと、咆哮を浴びた群れはやはり恐慌状態に。  その群れを率いていた雄牛兜は、追撃してきた背後からの敵に気が付くと反撃しようと大斧を振るうが、それは左手の僅かな動きで逸らされる。そのまま半身になると腰を落として懐へと入り、その伸びきった腕を取ると素早く持ち上げ投げ飛ばす。  ゴキリという鈍い音と共に雄牛兜の右肩は外されており、普段無口な巨漢も大声で悲鳴を上げた。    その反対。左手からダークエルフ援軍を押さえに回っていたゴブリン伏兵の一団は、その咆哮と雄牛兜の絶叫に驚き動きが止まる。  最中へと白銀の影が駆け寄ると、率いていた焦げ茶色の短い髪をした女ゴブリン共々完全な混乱状態になり、数人が打ち倒された後にやはり四散して散り散りになる。      そして最後に───戦場をぐるりと一回りした後に、ナナイとユリウスの対峙する場所へと辿り着いた。   ◆ ◇ ◆    曰わく───ナナイはその姿を視界におさめても尚、まだそれが現実目の前に居るものだとは感じられなかったという。  まるで現実味のない、ある種の御伽噺か絵空事のような、そんなふわふわとした光景に思えていた。  そう感じていた理由の一つは、少女の腰ほどの太さのある蛇……その形同様の腕により首を締められ意識が遠のきかけていたからでもあるが、しかし何よりも、「何故、今、目の前でそんなことが起きているのか」が、あまりにも分からなかったからだ。    白銀に輝く毛並みが、未だ中天近くに輝く日の光にきらめいていた。  大きく盛り上がった上腕、胸筋、僧帽筋に、耳まで裂けた口。  その口に見える牙も、太く武骨な腕と指の先に生えた爪も、ほんの一咬み、ほんの一凪で、この世のすべてを破壊し粉砕するに足る力を秘めているかに見える。  それ、はその内なる強大な力を吐き出すかのように、ナナイの眼前で大きく深く息を吸い込み───再び、吼えた。    ビリビリと空気が振動したかに感じ、その感覚こそがこの光景が確たる現実なのだと知らしめる。  けれどもそうと知れても尚、やはりナナイはこれをまだ受け入れられては居なかった。  しかしそのとき、その咆哮と振動を感じたであろうもう一人の───“怪物”。  ゴブリンロードのユリウスを名乗り、そして実は、闇の主トゥエン・ディンの創り出した人造生命の実験体であったと指摘されたそれが、かつては顔であったと思われる面を後ろへと向けその姿を確認したことで、まさにそれが今ここで起きている現実なのだと思い知らされる。   「なン……だ、デ……エェ……あ?」  ───何だてめェは?  度重なるダメージもあり、嗄れてまともに発声もままならぬ程に姿形の変わったユリウス……であった者は、それに向かってそう誰何した。  返答は唸り声。  膨らむ双方の殺気は、お互いがお互いを“敵”と認識しているであろうことを現している。  ほんの数秒、或いは十数秒。吐息のかかる程の距離での睨み合い。  それからユリウスであった“怪物”が、その蛇の形の腕でからめ取り締め上げていたナナイを、そのまま身体を反転させぶんと振り回し“それ”へとぶつける。  その勢いを利して後方へと跳び距離を開けようとし───天地がひっくり返った。   ◆ ◇ ◆    “俺”は、そのとき既に意識は戻っていた。  戻っていた、というのはまた微妙な言い回しで、なかなかにそのときの実感を表す言葉としては難しいものがある。  意識そのものはとっくに戻っている。  最初に、曰わく『呪いの指輪』と、俺の身体───いや、魂の奥底に絡み付いた禍々しい感情の渦がせめぎ合い白熱化したその数瞬、その僅かな時間だけは、本当に文字通りに俺の意識は飛んでいた。  しかしそのあとには直ぐに、俺はちゃんと意識を取り戻してはいたのだ。  だが───それは何というか奇妙な夢の中に居るかの感覚で、自分の意識と身体が巧く繋がらないというか……或いは、自分が自分で無いというか……そんなふわふわとした感覚がしばらくの間続いて居たのだ。    だから、その最中に自分がしたことも全て覚えている。覚えてはいるが、他人の夢を回想するかのような非現実感を持ってしか思い出すことは出来ない。    エヴリンドに相対していた銀ピカさんの振るう剣を掴み取り、半身になって腕を回してそのままくるりと反転させ、背中から地面に叩きつけたこと。  途中途中で骸骨戦士を粉砕しつつ、セロンの背を追い越し、幻獣の背に跨がったガヤンとの魔法戦を繰り広げていた黒髪ロングさんの首根っこを掴み、頸動脈を決めて失神させたこと。  咆哮でゴブリンの群れを四散させ、前方の援軍の足止めをしていた二部隊へと追撃し、雄牛兜の戦斧を逸らしてつかみかかり地に倒し、そのまま肩を外すと、頭を兜ごと頭を何度も打ちつけて同様に無力化。  ヤンゴブさんに至っては、闘うことすらなく咆哮だけで戦意喪失させたこと。    そして───満身創痍で血塗れのナナイに対して、もはや人型の面影をやや残しているに過ぎないという程に損傷を負い、また変化を繰り返していたユリウスさんであった“怪物”が、巨大な蛇の形状をした右腕で締め上げからめ取り、命の最後の一滴を搾り取ろうとしたところへと駆け付けたのも、きちんと認識していた。    その過程において、俺の中にある二つの異なる声が、繰り返しせめぎ合い、また反発し争って居るのを感じていた。  血と、殺戮と、狩りを求める凶暴な雄叫び。  密やかなる計略と、苛烈な復讐へと誘う蠱惑的な囁き。  その双方が、実のところ同じ結末への道標であることを俺は気づいて居た。    目の前にある真っ直ぐな───白く輝く、暖かな日溜まりの道。  曲がりくねり歪な木々の中を行く暗い森の中で、囁きと誘惑の黒い手の数々が俺を絡め捕り雁字搦めにしようとする中、その明るい道の先を見ていた。  その先に居たのは、戦乙女クリスティナであり、レイフでもあり、また向こうの世界の前世での友人───“ゴータ”君であったりもした。  道を行く一歩、その一歩ごとに、痛みと苦しみが伴っていた。  この身この魂を、纏わりつく黒い手の何れかに委ねてしまえば、どれほど楽であろうか───。    その甘美な誘惑は、本来ならば容易く俺を支配しただろう。  ただ存分にその力を振るい、意に添わぬ全てを粉砕すれば。  自分に害する者、傷つけ苛む者への血の復讐に酔いしれれば。  それはとてもとても、甘い誘惑。  けれども、引き裂かれるかの痛みと苦しみを越えて、なお真っ直ぐな白い道をのたうち這い回り足掻きつつ進み続けられたのは、やはりその先に感じる彼ら、彼女らの存在だった。      ───そしてまた、動き出す。    俺は、掴み取ったその蛇の如き腕を離さず、前に出した右足を振り子の勢いで引き戻すと、ユリウスさんであった者の足を“刈り取る”。  後方へと逃げようとしていたそのままに、仰向けに倒れるユリウスさん。  大地から引っこ抜かれた巨木が倒れるかの地響き。  直前まで捕らえられ、またそのまま投げつけられたナナイもその近くに倒れ臥していたが、それ自体ではさほどのダメージを受けてはいないようだった。    俺はそのまま、倒れた相手の首の後ろへと右腕を回し、蛇となっている上腕部分を掴む。  全体重を相手の上体に乗せ、両腕の力でぐい、と締め上げて固定。  この一連の流れは何か。  現代日本に居るものであれば、ある程度は分かる。  専門に習った者、詳しい者ならより明確に分かる。    大外刈りからの袈裟固め。  「鬼の木村」の得意技、である。    倒れた状態から息を整えつつ体を起こし、すぐ側で起きていることを確認するため意識を向けたナナイは、その奇っ怪な光景に再び茫然自失とした。  戦場に置いては致命的とも言えることだが、そうはならない。  何故ならもう既に、野営地跡で戦意を持ち動いているのはその二者のみ。  ユリウスさんであった怪物と、白銀の毛並みに覆われた、人型の狼───つまり、人狼へと変化したオークの俺───だけであったからだ。    ユリウスさんであった怪物はもがきながらも身体を変化させる。左右の手は再び鋭利な爪先を作り、上にのし掛かる人狼を切り裂こうと蠢くが、上体そのものが拘束され身動きがとれない上に、少ない稼働域で攻撃をしようにも、その度に身体の位置を動かされ狙いが巧く定まらない。  身体の表皮自体を硬質化し、鋭い棘の生えた殻で覆うと、確かにそれらは俺の表面を刺すのだが、白銀の毛並みに覆われたその皮膚は柔らかくも弾力があり、それらは血を滲ませる程度のことは出来ても、決して致命的な損傷を与える程にはならない。  ではその棘を密集させ長く鋭いものにすればどうかと変化をさせていくと、崩れ袈裟固め、上四方固め等々、棘を鋭く伸ばし始めた位置との身体接触の無い型へと攻めの形が変化をする。    “怪物”の能力としての身体形状の変化を、人狼である俺が柔道技の変化で無効化しているという、不思議な状況。    無力化され、或いは四散したユリウス率いていたゴブリン軍は、既に軍としての体をなしていない。  残されたナナイ、エヴリンド、セロン、エイミ、ガヤン他、動けるダークエルフ達はそんな奇妙に絡み合う俺とユリウスさん───いや、二体の“怪物”の攻防を遠巻きに囲んで、呆然と眺めていた。    ユリウスさんだったその“怪物”が、身体形状の変化以外の能力で俺を引き剥がそうと試みるも、それらは集まったダークエルフの誰かによって無効化される。  死霊術で新たな骸骨戦士を呼び出しても破壊され、体内で生成した毒を俺に撃ち込めば回復魔法で毒を中和される。    そうして、どれほどの時間が経ったのか。  決して長くない───しかし短くも無いその攻防の末に、ユリウスさんだった“怪物”の身体が、最後の変化を遂げる。  偉丈夫の巨体がさらに大きくなっていたものが、ここに来て小さく萎んでいく。  小さくなることでこの締め付けから逃れようとしているのか? ナナイ達はそう考え、各々に武器や魔法を準備して構えたのだが、それは違ったようだった。  小さくなったユリウスさんだった“怪物”は、そのまま力無くうなだれ、失神したのか、精魂尽き果てたのか、指一本動かせずにただそこに横たわっていた。  そしてそれとほぼ同時に、その上にのし掛かり絡み付いていた人狼も、その膨らんだ体躯が小さくなり───元の“小さくて丸い、変わり者のオーク”であるガンボン───俺、の姿へと戻っていた。    そこには、ただの痩せこけた小さなゴブリンと、丸く太った豚面肥満体のオークが残されている。  半裸で。    後に聞くところによると、そのときその場に居合わせた者達の殆どが、何とも複雑な表情でほぼ同様にこう思っていたのだという。 「───何故、こうなった?」    ……うん、俺もそう思う。    
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