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第152話

「珊、」 「琥珀な」  目を瞑ったままで素早く訂正が入る。ああそうだ、琥珀くん。琥珀、琥珀と復唱した。 「そんなに名前覚えるの苦手なの」 「どうも響きで覚えてるみてェでね」  他人事のように彼は言った。覚えられないのなら仕方が無かった。珊瑚に対する無礼を恐れながらも、どこか気が休まっていた。 「ああそうそう、それで、だから今13とか14。幼妻(おさなづま)ってやつ」 「生粋の兄貴分てことだ?」  身に覚えのない弟が膝をくすぐる。だが先に反応を示したのは極彩ではなかった。 「おうおう、姉ちゃん取っちゃって悪かったな、たまには俺とも遊ぼうや」  いつ冗談だと明かそうか機が読めない。 「遊びついでに稽古でもつけてやろうか。その年でチャンバラ遊びってのもなんだかな」  ふと真面目な顔をして桃花褐は言った。 「あんさんと長男、やたらと武闘派だろ?末弟だけ随分と生っ(ちろ)い手ってのもな」  珊瑚はゆっくりと起き上がって極彩を見てから桃花褐へと首を上げた。 「稽古って、なんの」 「護身術なんてどうですかい。まずは。ゆくゆくは…まぁ」  珊瑚と話していた桃花褐から機嫌を窺う視線を受ける。 「そういうものは、彼には…」 「やるよ」  言葉を遮られる。それを聞いて輝く豪放な笑顔が暑苦しかった。 「やっりぃ。これで遊べんな。いやぁ、もう弟分みんなでっかくなっちまってよ」  まるで捨て犬を飼うことの許しを得たみたいな喜び方だった。 「ちょっと健康のために身体でも動かそうって程度でさ。あんさんともしたろ、水遊び」 「あれは…」 「水遊び?あんた、肌晒したの」  珊瑚の半目に捉えられ、首を振って否定する。 「そんなんじゃねェよな。いや、そうなら俺としても喜ばしかったんだけどよ」 「ちょっと…」  弟は気に入らなそうに2人を睨むように見遣った。桃花褐は面白がっていた。 「そら置いといて。じゃ、まずは足の治療からだわな。冷やさず(あった)めるこったな。ここに来るときに揉んでやるよ。自分でやりなさんなな。筋傷めると厄介なんでさ。梅雨と冬場に痛むんだわ」  あれやこれやが目の前で進んでいく。天藍に知れたらどうなるのだろう。関与しないかも知れない。もともと放任の傾向がある。だが陥れるとなるとあの青年は執着をみせるのだ。 「桃花褐さん…」  予感に寒気がした。腹の奥が引き攣るように痛み、喉が圧迫されるようだった。 「何か不安な材料でもあるんですかい」  無邪気に訊ねられると返す言葉はなかった。彼の楽しそうな雰囲気を地の底に叩き付けたくはなかった。弟の前で蒸し返したい話でもなかった。 「別に、ないけど…」 「刃物持たせたりはさせねェさ」 「彼のことは、周りの者が守ってくれるし…」  兄たちには似なかった目が偽姉(あね)と巨躯を力強く穿つ。怒りさえ滲んでいた。 「それが嫌なんだよ」  垂れ目が特徴的な男と互いに顔を見合わせてしまう。 「いつでも俺は守られてばっかりだろ。大兄上も兄上も鍛錬ばっかでさ、俺は部屋に引き籠ってればいいってなんだよ。城の奴等が守ってくれる、緊急時は護衛が付くって何だよ。俺ってこの国にとっての何なんだ?」  場が鎮まり、桃花褐は厚みのある唇を舐めてから、ふざけたように歯を立てた。 「話の腰折って悪ィんだけどよ、結局ンところ、何人兄弟なん?」  珊瑚には見えづらいように口を半開きにしている桃花褐へ寄せて意味ありげに小指だけ立てる。「ああ、なるほどな」と彼は言った。だがどこか納得していないような低く、ただ返事をしたという感じだった。嘘に嘘が上塗りされていく。どこまでは冗談で済むのかもう分からなくなっていた。自棄になり、率直に桃花褐へ向き直った。 「彼だけ護身術も体得していないというのは、わたしも正直気掛かりではありました」  苦笑を浮かばせ始めた犬のような男は混乱しながらも引き気味に相槌を打つ。打ち合わせもない芝居の矛盾や違和感を彼はすぐに悟っていたようだった。そして釈明を求めはしないが、警告のように態度に出している。 「お願いします」  探り合う姉と訪問者の空気が割られた。珊瑚は頭を下げる。桃花褐の、ヤベェな、とばかりの面白さを隠せていない目配せを喰らう。 「報酬は姉ちゃんからもらうぞ」 「なっ…」  2つの顔面に捕まる。ひとつは愉快に満ち、ひとつは動揺を持っていた。金じゃねェから安心して。笑いかけられる。 「それは構わないけれど…」 「妙な要求じゃないよな。脱げとか、添い寝しろとか…」 「助平ガキか」 「あんた…」  縋るような秘めた熱を真正面に翳されているようだった。軟禁生活に彼なりに思う所があるのは以前から感じていることだった。亡き師に迫った、帰らない日々がそこにある。反対することはできなかった。 「桃花褐さん。わたしからもお願い」 「俺ァ別に。むしろありがてェくらい。最近身体動かしてなかったからな」  冷静な部分は半笑いだった。二公子の癪に障ったらどうなるのだろう。何を言われるのだろう。苦痛の時間が再び訪れるのかも知れない。そうなったら従うしかない。 「二公子には、言わないで」 「二公子?ああ、城にお住まいだもんな。あ~なるほどね。下の弟まで徴兵されたら困りもんでさ」  何か思い当たる節でもあったのか、点と点が繋がったとばかりの響きを持って桃花褐は言った。 「ここの庭でやってくれたらいいから」 「分かった」  大きな掌が頭に乗り、虚構の弟が警戒する。その光景がどこか遠くに感じられた。  別れ際に桃花褐は「弟の事で話がある」と耳元で囁いた。接近に限定的な末弟が2人を引き離す。後でな。意地悪く少年を揶揄い、意味深長に笑んで帰っていった。城門で背中で消えるまで見つめていたが珊瑚に腕を引かれ、離れ家へ戻った。間に入る者がいなくなると、途端に頭を抱えたくなるほどの憂鬱が襲った。 「三公子」 「ありがとうな」 「いいえ…三公子」 「頑張るよ、俺。今まで何も努力なんてしてこなかったから…」 「三公子」 「あの人とは本当に何もないんだよな」  珊瑚は話を聞こうとしなかった。何度か目にしたことのある仲の良い姉弟のように振る舞われ、自己憐憫とも自己嫌悪とも激烈的な敵意とも分からない異常な感覚に支配された。珊瑚は何か喋り続けている。鬱陶しく、厄介で、煩わしい。 「極彩?」  臍の曲がった姿が懐かしい。素直にあどけない、けれど確かに成長している男の目に恐怖する。 「もう2人きりでは、会わないでいただけますか」  白い首に生唾を溢れる。絞め殺してしまう。本当に。 「は…?」 「警戒心を持ってください。前の貴方様ならわたしをすぐさま懲罰房に送っていたでしょう」 「でもそれは、前の話だろ。あんただって変わった。俺だって変わる…」  痛いところを突いたらしかった。傷付いた表情で目を逸らされる。 「兄上がお帰りになったからですか」 「違う…」 「桃花褐さんがいらっしゃった時だけになさってください。でないとわたしは、あなたを…」  珊瑚は立ち止まった。三公子を追い抜かしてしまい、極彩は振り向く。 「俺は、あんたになら…いいと思ってる。あんたの気が済むなら…」 「三公子、貴方様の命はご自身だけのものではありませんよ。三公子なんですからね。お忘れなく」  言っていることとやっていることが滅裂だった。だがもうおそらく、次があれば本当に制御は利かない。そのような気がしてならなかった。 「俺は俺だけのために生きられないっていうのか」 「はい。だからこそわたしも桃花褐さんにお願いしました。貴方様は三公子です。全てを許されますが、たったひとつ、ご自身のために生きることだけは許されません」  痛々しく見えた。しかし彼を置いていく。
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