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第151話

 玄関扉が控えめに叩かれ、名を呼ばれる。桃花褐を起こさないように足音を抑えて脇を通る。磨りガラスの奥には珊瑚が立っていた。顔を出すと途端に白い眉間に皺が寄る。 「おひとりですか」  辺りには蘇芳もいなかった。頷かれ、目線がわずかに高くなった三公子へ違和感を抱きながら中へ迎えた。だが三和土で靴を脱ぐ背中を見てから外で用件も聞かずに中へ入れたことを悔やんだ。(かまち)を曲がれば大きな図体が横たわっているのが目に入ってしまう。案の定、珊瑚は突然立ち止まり、その背中にぶつかる。吊り気味の目が丸くなる。桃花褐を差しながら、誰だよアイツ、と叫ばんばかりだった。低く小さな(いびき)が聞こえる。 「友人です。ご無礼を承知で、後程機会があれば紹介させていただきたく」 「いや…いいけど…つか先客いるなら言えよ。帰るし…」 「何か込み入ったお話が?」  珊瑚は唇を舐めた。常に不機嫌な白い顔は実際に不機嫌なようだった。 「何もねぇよ」  来たばかりだが帰るらしい。引き留める理由もなかった。 「兄上と何かあったのか」  何かあったことはすでに前提とした語調で、特に「兄上」を強めた。 「いいえ、何も」 「泣いた跡あんだけど」  返答に困り、目を逸らす。肯定したも同然だった。 「兄上か?」 「何もわたしは、二公子のみと関わりがあるわけでは…」 「じゃあ縹?群青?さっき会った…」  聞くまで迫るつもりか、一歩近付かれる。そのたびに後退せねばならなかった。 「泣きたくなることだって、たまには…」 「――なら、よかった。また我慢してんじゃねぇかって思ったから。俺もあんたの知り合いにひどいことして傷付けたのに、何言ってんだって話だけど」 「三公子は紅とお知り合いなのですか」  珊瑚は口を開いたはいいがすぐには言葉を発さなかった。 「紅って名前なのも、今知った。その程度」  跛行(はこう)しながら框を降りようとしたため、肩を貸す。 「悪ぃ。なぁ、牢屋で俺のこと助けてくれたの、あんた?」  助けた覚えはなかった。むしろ暴行に及んだくらいだ。何の話か分からず、いいえと返した。は?と威嚇される。 「夢ではありませんか」 「どっちが夢だかよく分からなかったけどな。俺は大風邪ひいて、崖っぷちに立たされるんだ。色んな奴等がそれ見て笑っててさ、兄上が俺を突き落とすんだ。もうひとりだって言われて。苦しくて、怖くて、すげぇ寒くて、でもあんたが来てくれて、助けてくれっ、」  両手が発育途上にある少年の首を絞めた。 「こんな風に?」  極彩はけらけら笑い、玄関の壁へ三公子を押し付ける。冷たい手が極彩の両手首へ添えられた。肌に減り込む湿布の感触で我に返る。壁を伝って三和土へ座り込む身体を大慌てで確認した。彼は咳をして、笑う。呼吸を整えながら極彩の手を自身の首元を当てた。 「それであんたが、前のあんたに戻れるなら…」 「前のわたしって何さ!」 「あんたの捌け口になりたいんだ」 「何が出来るのさ?こんな柔らかな手でさ!」  珊瑚の手を振り払い、自らの意思で首を絞める。目を剥いて締め上げた。極彩に反して真っ赤に染まっていく彼の口は開いたままで、わずかに口角は上がっていた。薄く開いた目が長い睫毛の奥でちかちかしていた。鈴が鳴る。病の影がやっと消えたくせ、また嗄れた声が途切れ途切れに細く漏れていく。(うがい)のように喉元が轟く。公子が着るには粗末な衣類の下で薄い腹が引き攣っている。睫毛の奥の潤んだ目が瞼の裏へ隠れながら震えていた。ぶるぶると細い体躯が波打った。 「嬢ちゃん?」  気怠そうに体格のいい男は髪を掻き乱しながら玄関へ現れる。三和土の出来事に眠気の残った表情が一気に冴えた。 「何してんだ?」  桃花褐は何度か動きかけ、そして止まったが框を降りて極彩の頭部を掴む。くらくらと首を回るように揺らし、額に指先を突き立てる。彼女は芯をなくし、逞しい腕に身を委ねる。解放された三公子は激しく息を求め、その音で一瞬爆ぜた意識が戻ってきた。しなやかな筋肉に弾かれたみたいに珊瑚へ前のめりになった。 「三公子…!」  少年の口から零れる唾液を拭う。 「大、丈夫…ッ」  忙しなく腹が上下する。話すのもやっとといった感じだった。 「弟?3人姉弟(きょうだい)かい」  桃花褐は腰に手を当て2人を見下ろす。否定を口にする前に珊瑚に親しげに触れられた。 「姉ちゃんがお世話になってマース」  咳払いをしてから珊瑚は立ち上がり、桃花褐の前に立った。下からでも身長差と体格差が瞭然としていた。 「長男?次男?」  まだ座り込んでいる極彩へ問う。珊瑚もまた話を合わせろといったふうな妙な視線を送り付けている。 「次男…」 「よろしくな」  緩やかにうねる髪に無遠慮な太い指が入っていく。内心ぎょっとした。 「立てよ、姉ちゃん」  白い手を差し伸べられ、狼狽えながら手を乗せる。 「仲良いんだな」  桃花褐は朗らかに笑う。冗談を信じているようだった。 「いくつになるんですかい」 「今15」 「ほぉ。姉ちゃんにお世話になっとります、あ~、桃花褐(つきそめ)でさ。弟くんは?」  珊瑚は極彩を一瞥する。 「琥珀。よろしく、桃花褐兄さん」  挑発的に笑み、まだ掠れた声で珊瑚は偽名を口にした。 「琥珀。琥珀な。甘蕉(ばなな)好きか?牛乳あんだ、飲んだらいいや」  大男は珊瑚の肩を抱き、室内へ連れていった。 「桃花褐さん…」 「ほら、嬢ちゃんも」  豪快に笑い、甘蕉(かんしょう)の色味を帯びた牛乳瓶を2つ差し出した。 「アンタ、姉ちゃんの何」  桃花褐の前に座った珊瑚は牛乳瓶の蓋を開けながら鋭い眼差しを向けた。 「ありがとう、桃花褐さん。いただきます」  瓶を受け取り、偽弟(おとうと)に代わり礼を言う。 「何ってほどの関係でもねェさ。さすがに人妻には言い寄らねェって。安心してくれや」 「人妻?誰が」  珊瑚がきつく問い、極彩は垂れ目へ視線で牽制する。相手はびっくりして精悍な眉を下げた。 「いや。俺の勘違い。積極的に言い寄ってんだけど、なかなか相手にされねェってわけでさ」  苦しい誤魔化しに新たな選択肢が生まれたが、珊瑚は深く問い詰めることもなかった。口を曲げ、隣に座る極彩の膝へ寝転がる。 「姉ちゃん。俺、眠くなっちゃった」  わざとらしく目を擦り、目蓋を閉じた。 「身体を痛くします…わ」  姉弟のやり取りを眺め、巨躯は面白がっているようではあったが引き攣ったような固い笑みを浮かべていた。傍に乱れている掛布を一度畳み直してから極彩へ手渡す。彼女は礼を言いながら受け取ると爆誕した弟の薄い胴を覆う。 「ここン()、床、(あった)けェからつい寝ちまうな」  仕方ねェよ、と苦々しく言った。珊瑚が膝に寝転んでからのぎこちなさが引っ掛かった。 「しっかし弟か。いいねェ」 「桃花褐さんは兄貴分って感じだものね」 「お?それは嬢ちゃんに頼られてるってことでいいんですかい?ま、まさかのお袋も俺より年下となると、自然そうなりまさ」  本当に寝てしまうらしい珊瑚が掛布を引っ張り、上手く覆えるように布を直しながら桃花褐の雑談へ耳を傾ける。 「そうなの。じゃあ家では何て呼んでいるの」 「名前にちゃん付け。小麦(こむぎ)くんより若ェぞ」 「小麦くん?」  突如出された人名らしき単語に極彩は予感めいた意識が消化できず、説明を求める。桃花褐は、あれ?と宙を見上げた。小麦くんっじゃねェっけ。垂れ目は鳩のごとく首をどっちつかず左右に揺らして珊瑚を見た。
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