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第149話

――自分が誰の元に在るべきなのか考えてね。もう君を求める人はオレ以外にいないよ。愛してるんじゃなくて、憎んでるんだから。そこでよく考えてて。誰も君を救えないってことは誰も君を愛せないってことだ。もう、ね。オレのお人形になったら?意思なんてあるからいけないんだろ?オレの唾付いてるなんて知れたら誰も君を相手なんてしないし守れやしないんだよ。血生臭さが移っちゃったかな。ねぇ、君との子の名前、決めてるんだ。親から一字取ると大成しないらしいね。アホ臭い迷信だよ、全くさぁ。ちゃんと刻印しておかなきゃ、名前でね。間違ってもお前はオレと君から逃れられないってさ?気が向いたらオレの生まれた時の名前教えるよ、だって今の名前、浪号(ろうごう)だし。あの(ひと)たちも知らないんだよ。あ、浪号(ろうごう)って知ってる?死んだ後に呼ばれる名前。ホントは気安く呼んじゃいけないんだけどさ。でもほら、オレってもう川流れしないじゃん?二公子って生を享けたら、もうね…だから生まれたときの名前じゃないんだぁ。それでなんだっけ?オレたちの子の名前だ。女の子なら白藍(しらあい)。男の子なら白藍(びゃくらん)…なんてね、冗談きついよ。君との子なんて勘弁だな。とんだ裏切り者だよオレは。想像するだけで吐き気がする。この憎しみに形なんか要らない。それとも形にしようか。それなら頑張るけど、オレ。でも子は(かすがい)だなんていうけど君を奪い取るのは許さないな。愛の結晶?笑わせないでよ、憎しみそのものだ。俗物に触れないから子供は清らかで美しいものらしいね、弱くて無知で。河教ではそんな教えだよ。でも罪深いよ。一体オレの子として産まれるなんて前世でどんな悪いことをしたんだろう?雄黄が帰ってきてくれるかも知れないね。その機会は与えなきゃ。だって君は雄黄と強い結びつきがあるんだから、また君を殺しにきたっておかしくない。でもダメだよ、オレの憎しみのほうが強いんだから。いくら雄黄でもあげられないな、君のこと。それでも雄黄を産んでくれるかな…嫌だよ。あんな可哀想な子、二度と産ませない。白藍(しらあい)白藍(びゃくらん)も産まれないよ。  秋の空を背に喜怒哀楽を浮かべ語っていた。時が経つにつれ埋もれていた時間が露わになる。沈黙が恐ろしくなって話し続けた。2人だけの空間でもないというのに、言われたこと、されたことを思い出すがまま喋り続ける。口を止めたなら罵詈雑言を浴びせられるに違いなかった。しかし語脈も語法も合わずに勢いに任せた。尽きてしまえば静寂は間髪入れずに訪れる。桃花褐は無言を貫き、それが答えらしかった。関節が弾かれたように立ち上がる。手首の鈴が鳴った。 「ありがとう。色々とお世話になった。夫のこと、やっぱりいいから。さようなら」 「お?え?」  咄嗟に手首を捻られる。 「痛ッ」 「悪っり!」  大慌てで極彩を放し、手首を両手に挟まれる。すこしごついが柔らかな肉感で揉まれた。 「いきなりどうしたい?さよならってなんだよ?急用ですかい?」 「…てっきり、幻滅したのかと思って…」 「なんで?」  手首を摩りながら桃花褐は眉をわずかに寄せた。 「何も…言わないから…」 「何を言っていいか分からなかっただけでさ…俺が呑気に暮らしてる間に嬢ちゃんはそんな屈辱の日々を過ごしてたなんて…何言っても軽くなっちまうだろう。俺はもともとこんなで、きっとあんさんに響かないだろうし」  体温が移っていく。気持ち悪さに手を引っ込めた。きょとんとした垂れ目を直視出来なかった。 「聞いてくれてありがとう。それだけで、十分だったから…ごめんなさい」 「謝るこたねェ。湿布貼ろうな」 「大したことない」 「いンや、俺の気が済まねェんでさ」  痛めた手をもう一度取られた。労わっているつもりらしく患部を揉まれものの痛みと熱が増すだけだった。 「浅緋(あさあけ)屋来たらいいや。酒の匂いとか大丈夫か」 「大丈夫…」  細い手首から両手を放し、桃花褐は不言通りの繁華街とは少し外れた道を進んだ。 「酒屋さん?」 「そ!飲食店。夜は歌ったり踊ったりできんでさ。でも今の時間帯はそんなうるさくねェはず」 「働いてるんだ」  無職とでも思ったんですかい、と苦笑される。 「宗教家だけじゃ食っていけませんや。今日日(きょうび)…いや常にかね。紫雷(うち)ってか、俺は食っていけてっけどそうじゃない奴等もいっぱいいるかんな。救済措置ってやつはねェと困るだろ。金は何より助けになんだからな。あれこそ身近なカミサマさね…っと今の聞かなかったことにろいや」  今までの話が嘘のように彼は鮮やかに笑う。浅緋屋にはすぐに着いた。薄暗い内装で細かく仕切られ、個室ごとに暖簾が掛かっていた。落ち着いた音楽が奏でられ、渋みのある匂いがこもっていた。無理矢理に個室を設けたせいで狭くなっている通路を縫い、奥へ入っていく。背の高い台が部屋の隅にまで伸び、座れば足が床に着かなそうな椅子の上で客が店主と語らっていた。敷地自体は狭かったが個室が途切れると広く感じられた。 「座ってろいや。救急箱持って来る」  店の奥へ行きながら何席か離れたところに座る若者へ、ナンパすんなよ、と冗談とも本気とも分からない調子で言い置いた。台の奥で酒類を注いでいる垢抜けた店員が見えた。極彩の前に黄みを帯びた白い液体が出される。あちらのお客様からです、と初老の店員が説明した。桃花褐が絡んでいった若者かららしかった。目が合ったため会釈した。甘い匂いのする牛乳だった。飲もうという気にはなれなかった。戻ってくる2、3分間が長かった。平台の鋼琴(ぴあの)の演奏は落ち着いたが、場の空気が肌に合わず不安になった。牛乳らしき飲み物を出されたこともさらにそれを助長した。厚意が苦しい。存在を知られず、薄暗さに溶けてしまいたかった。人目に晒されるのがつらくなる。そのまま帰りたくなった。 「ごめんなさい。こういうお店は初めてで。これで、桃花褐さんの好きなものを」  いくらか長台(カウンター)に残し、座面は狭いくせ脚の長い椅子から下りた。手首の鈴が鳴る。呼び止められているみたいだったが息の詰まる思いが浅緋屋から出ることを急かした。通行人は繁華街と比べると少なかったがそれでも動く人影に恐怖を感じた。息が深くなった。胸元に手を当てながら歩いた。群青に触れられた肌が疼いた。寒気がする。城に向かうしかない現状に惨めな気分になり、視界が滲んだ。腫れているらしき目元が張る。唇を何度か食んでは引き結び、唾を飲む。南方の空が恋しい。振り返ったら城にはもう帰れない予感がし、人波に従い、時には逆らいひたすら北へ足を動かす。城にはまだやることがある。自分を四季国が拒もうとも紅は返さなければならない。腿が重かった。涙を拭う。袖口は着ている分には柔らかかったが肌を擦るには固かった。飲食店の通りに入る前に老婆から鼈甲飴を渡された。牛車の割引券を差し出す子供もいた。憎い国だったはずだ。だが今は城に帰らなければならなかった。周りの人々が清らかな生き物に見えた。天藍と群青の手が触れた肌が熱を持つ。不快な汗で蒸した。城前の坂道までくると頭が痛くなった。
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