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第147話

 くすぐったさに肩が強張った。反射的に突っ撥ねてしまうが離れる前に腰へ腕を回され、群青の引き締まった素肌へ密着した。胸が痛くなるほど鼓動が速かった。薄荷の清涼感が仄かに漂い、温度感を狂わせる。 「痛くはしません…とはいっても、出来るだけ…」 「痛くて構わないから…務めを果たすだけなんだし…」  群青は狼狽えながら小さく謝った。息が濡れた耳にかかる。少し熱い手に腰部を支えられていなければおそらく床へ落ちている。 「ですが…」 「遊びなら断ってる。でも遊びじゃないから、わたしは、」 「分かりました」  目付きの変わった青年は極彩を放すと、投げ捨てられた黒衿のローブを雑に敷いた。その間に極彩は力が抜け、両膝を着いて座り込んでしまう。手を差し伸べられたが断ると、その人差し指がローブの上を差した。横たわれという指示らしかった。 「待って。妬けるなぁ、彩ちゃん。オレの時と大分態度が違うなぁ。もしかしてもう、群青のお手付きだった?山吹の婚約者だったくせに?」  肘掛の律動が再び聴覚に大きく刻まれた。止みはせずずっと鳴っていたが意識から逸れていたのだった。 「そんなはずなかったと思うけどな、あの時の様子からいって。そうでしょ、群青。だって君に彼女にそうするだけの甲斐性があるとは思えないしさ?でも或いはね…?君は予想外なことするからな、さっきみたい。で、本当のところはどうなのさ」  天藍は笑った。 「極彩様とは何もございません」 「…だろうね?でも、ちょこちょこ2人で外出してたんでしょ?あんな大きな夏祭りにも行ってて?手、出してないんだ?君の覚悟をナメてたよ。それとも意気地がないのかな。こと、色事に関しては、ね。君に娼館潜入はつらいものだったのかも知れないね。いいよ、続けて」  二公子は顎で階下の男女を煽り、いやらしく笑った。従うことしかできない傀儡(くぐつ)は黙々と横たわる極彩の肌に手を伸ばす。悪夢とは違った。ただの嫌がらせ半分面白半分の命令であることを理解していないのか、その気遣いとも生殺しともいえない彼の律儀な愛撫は私的な情事を匂わせた。気拙さにどこを見、何へ集中していいのか分からなかった。下着に手がかかった。その手を止めようとした。弱気な目と視線がかち合ってしまう。天藍の口振りからいうと初めてというわけでもなさそうだった。手首の鈴が鳴る。仕事を阻もうとする手を拾われる。手の甲に唇が近付く。 「触るな!」  叫びによって忠実な(しもべ)は動きを止める。 「おしまい」  座具から立ち上がり、大仰な溜息を吐きながら手叩きする。 「外仕事に励んで」  後ろへ転倒しながら座具に沈み、天藍は爛々とした瞳で衣類を正す半裸の男女を射した。 「オレと群青は種無し、彩ちゃんは石女。いいね、義兄弟みたい。邪魔者なんて要らないだろ?」  去り際に二公子はそう言った。腹を抱えて二度目の哄笑が室内に轟く。扉の脇に立っている世話係は無関心に男女を見比べ、礼もしなかった。広間を出ると群青は歩みが遅く、極彩との距離は開いていく。鬱屈が身の内に溜まり、一目散に離れ家と戻りたかったが群青の手前そういうわけにもいかなかった。 「極彩様」  薄暗さに目が慣れ、窓のない廊下を抜けると日の光りが入る通路が眩しかった。 「何」  後方を陰気に歩く青年を振り返る。 「…その、」 「お疲れ様でございました」  何か言いたげな憂いに満ちた蒼白な顔がさらに深く沈んでいた。聞く気はなかった。おそらくつまらないものだ。濡れた瞳が不安に揺らいでいた。今にも半狂乱になるのではないかと心配になるほどの精神的打撃を受けているらしかった。 「ひとりで帰れる?」  尋常な状態でないことは確かだった。帰路の途中で高台から身を投げても自然な雰囲気を醸しだし、極彩は険しい表情で訊ねる。群青は力なく頷いたが信用ならない。 「牛車を呼ぼうか」 「帰れます…そうではなく…そうでは…」 「…お酒でも飲む?少しの間くらい忘れられるんじゃない」  じっと白く照る床を見下ろしていた。聞いていなそうだったが緩やかに首を横に振る。 「極彩様…少しだけお時間をください……お話に付き合ってはいただけませんか」 「別に構わないけれど。群青殿は二公子にまたあることないこと言われない?」  項垂れたまま動かなくなった。極彩の深い吐息にやっとわずかに顔を見せる。彼は怯えていた。 「申し訳ございません。短慮でした…ですが、大切なお話なんです」  突き放しでもしたらここで舌を噛み切り自害でもしかねない脅迫的な空気を帯びていた。後退する。近付くと、しがみつかれた。 「分かった。離れ家に行こうか」  彼は呆然としながらふらふら歩いた。しかし極彩を逃がさないという気概ばかりが強く手に乗り、腕を掴んでいる。 「群青殿…二公子に逆らうとこうなるの」  隣人が大きく躓き、腕を掴まれているため巻き添えを喰う。転倒はしなかったがそうなる前に腕を担ぐ。 「極彩様…」 「何と申し上げたらよいか…」 「落ち着いたら聞くから」  華奢ではあったが自身よりも背が高く、本人すら思うように力の入らない群青は重かった。通りかかった男性の下回りに群青を預け、離れ家に着くと框から引き上げる。世話がかかった。座布団を投げ捨てるように渡す。 「足崩していて構わないから。茶を淹れてくる」 「いいえ…」  座布団の横に座り、深々と土下座する。額全体を床に擦り付け、頭部だけで逆立ちしかねない勢いがあった。 「極彩様に飲ませたもののことですが」 「二公子が一気飲みしていたやつ?」 「はい…」  床に着いた指先が白くなっている。 「毒?即効性じゃないみたいだけれど」  群青も口に含んでいた。そしてその後のことを思い出し、ばつが悪くなる。無意識に口元を拭った。だが戦慄している真っ白な指に罪悪感が込み上がる。 「命に関わるものではなございません。ですが…」 「群青殿も少し飲んだでしょう」 「わたくしとは縁がないものです。あれは…子を成せなくなる薬なんです」  面を上げることはなかった。ほんの数秒の静かな時の流れだったが数分に感じられた。驚きは感じられなかった。だが退室間際の嘲笑が堅実な男の明言により輪郭を持ち始めた。 「…随分な大仕事だこと」  二公子は子を成せなくなる。その場に居合わせてしまった。そして躊躇いもなく天藍はそれを選んだ。信憑性に欠けた。信じたくなかったのかも知れない。群青は床に頭が減り込むほど首を下げ、事の重大さを告げている。子を持つ未来を思い描いてはいなかった。しかしそれが他者の手によって塗り潰されたとなると足元から地面が消え、倒れていくような気分になった。気の問題では済まず、ふらりと後ろへ倒れかける。今まで過ごした群青と過ごした日々のすべてが消え失せたみたいだった。一気に燃え上がるがそれでも目の前の姿勢が冷や水をかける。 「極彩様…」 「貴方は貴方を貫いて二公子の(めい)を全うした。だからそのこと自体には何も言わないけれど…」  群青はそういう生き方しか出来ないことは知っている。襤褸雑巾であり城の忠犬であることは何度も目にし、耳にし、感じたことだった。白刃を曝されたこともある。極彩もまた彼が邪魔になれば斬り捨てるつもりですらあったはずだ。毒薬を飲まされても仕方のない立場で、本来ならば処される身だったはずだ。 「…もう二度とその面を見せるな」  言葉は理性を跳ね除ける。群青は身動きひとつしなかった。手が震え、自ら部屋を出ることにした。開放された視覚に頭が冴えた。
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