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第144話

 朝餉を摂ると牛車に乗って桜は帰っていった。夜は眠れていたようだがまだ心労は絶えないだろう。揺れる牛車を見送り、城門を潜る。ふと目に入った庭園の入口に立ち止まった。明確なものはないが、ただ何か確認しなければならないようなことがある気がして惑った。悪夢でしかなかったのだ。二公子の態度は穏やかだった。手籠めにするような男のものではなかったはずだ。悪夢なのだ。一歩近付く。庭園の入口が開き、驚きに肩が跳ね、心臓が痛んだ。庭師が用具を担ぎ、背の高い垣根の脇を通っていく。 「あんた」  暫く振りに聞いたしっかりした声だった。後方へ身を翻す。蘇芳に連れられた珊瑚がわずかに不機嫌そうな顔を綻ばせる。跛行(はこう)し、危うげな歩き方で極彩のもとへやってくる。今にも転びそうだった。引き摺っている片脚が勢いについていけていない。その後を追う小太りな中年の官吏は早歩きも重労働のようだった。極彩からも寄っていく。珊瑚は足を縺れさせ、転倒しかけたがその身を抱き留める。付添人の、リスを彷彿させる目が飛び出しかけたが一瞬にして安堵し、そして躓いていた。 「()り」 「蘇芳殿はいかがです」  膝に手をつき、息を切らす官吏は極彩へ掌を掲げ意思表示した。 「何してんだ」 「いいえ、特には」  何も、と遅れて付け加える。突き飛ばすように離れた少年は少し背が伸びていた。病の中でも発育していたことにわずかな感動を覚える。目線が変わっていた。 「これから何かあるのか」  珊瑚から目を離し、上体を起こした蘇芳を一瞥する。 「ありません」 「ちょっと気分転換に庭園散歩するんだ。城だとうっせーからな。あんたも来いよ」  普段着に包まれた腕が極彩へ伸ばされる。蘇芳はきょとんと極彩を見ていた。目が合う。 「蘇芳殿は」  もちろん同行したいと考えておりますが…  珊瑚の背中へ目配せする。彼の意向を汲むらしい。本人が蘇芳を振り返ろうとした。 「ご一緒に。2人よりは3人のほうが」  心にもないことを言い、珊瑚が口を開く隙を与えなかった。2人になるのは拙かった。 「じゃあ行こうぜ、蘇芳。大変か」  大丈夫です、行きましょう。  肉付きのいい顔が汗と愛想笑いで照る。珊瑚はそれを確認すると、足首とというよりは膝を痛めているらしい引き摺り方で庭園へ歩いていく。極彩は遅れて続く蘇芳を待ちながらこのまま離れ家へ戻ろうかと思った。すみません、何分運動不足なもので。険しい表情をしていた極彩を誤解し蘇芳は謝った。そこで初めて自身の顔に気付く。もたもたしている2人へ珊瑚は焦れていた。庭園に入ろうとしたとこで、背後からこの場の誰でもない者が声を上げた。 「極彩様。二公子がお呼びです」  3人は一斉に振り返った。帯刀した二公子の世話係が音もなく接近している。 「取り込み中です」  極彩は簡潔に答えて珊瑚の不安定な身体を引っ張り、庭園に連れ込む。何をこの場所に求めていたのか忘れてしまった。蘇芳が門まで辿り着くのを待つ。身を縮め、心なしか浮くような速さで小太りな中年は距離を詰めた。 「なりません。第一に優先すべき事項です」 「いいえ」  一閃。瞬間的に珊瑚を庇った。顎に切っ先が当たっている。蘇芳は危機一髪といったところで首を反らせていた。 「二公子の世話係はみんな、武器に頼るの」  どことなく紫暗に似た顔立ちの若者を睨む。 「二公子がお呼びです」 「その前に剣を下ろせ」  三公子の白い手が白刃に触れた。蘇芳が(つぶ)らな目を剥く。身動きを取れることを思い出したらしく珊瑚を凶器から遠ざける。 「暫時(ざんじ)!暫時、暫時お待ち願いますぞ!」  蘇芳は誰に言っているのか分からなかったが、その肉付きのいい短う腕の中で三公子が暴れる。極彩に再び切っ先は直っていた。 「剣を下げろ。二度と極彩にそんな物騒なモノ向けるなよ」 「これは二公子に報告させていただかねばならない事案です」  温厚な様しか見たことのない官吏が焦りながらも感情的な強い口調で言った。 「要らねーよ、蘇芳。お前が立場悪くすんだろーが」  天藍の世話係は主の弟とその付添人へは一切目もくれず極彩に剣先を向けたまま顔色ひとつ変えなかった。 「二公子がお呼びです」 「緊急性は高くなさそうなので、この後伺います。身はひとつです。申し訳ありません。…それともここで真っ二つになさいますか」  両腕を広げる。 「おい!」  冗談を言ってみるものの、外野に怒られる。 「行きましょう」  2人に言う。蘇芳は肝を潰し、その腕から珊瑚が出てくる。天藍の世話係は剣を収め、その場に立ったままだった。庭園の竹垣扉を閉める。 「ああいう妙な冗談やめろ」  不機嫌が貼り付いた少年の顔は曇っている。 「巻き込んでしまってすみませんでした」  蘇芳へ謝ると恐縮していた。庭園内部は白昼夢と違って見えた。跛行の少年を追い越して垣で造られた道を見回す。 「極彩?」  遅れてやって来るまだ幼さの微かに残る目が極彩を捉えた。 「震えてっけど、どうかしたのか」  冷たい手が手首を捕まえ、持ち上げた。 「いいえ。別に。これということは」  見せられた自身の手は確かに震えていた。兄とはあまり似ていない目を見ていられず、すぐさま逸らし、手も振り払ってしまった。 「極彩…」  呟きは聞こえた。しかし真正面から対せば何をするか分からなかった。片脚を引き摺る三公子と、まだ緊張の解けない中年官吏に合わせながら極彩は知らない分岐の果てにある四阿へ着いた。流水の装置があり、川の音が届いた。季節が季節ならば青々と茂り、草花が色付いていただろう。だが訪れたいとは思わなかった。その頃にはこの地、この国とすら。 壁に接した腰掛けに座り、引き摺った脚を座面に乗せる三公子の視線に刺されながらその傍に立つ。蘇芳は彼の隣で大きな溜息ばかり吐いていた。頭を動かしたのと同時に話し掛けられる。 「山吹には会ったのか」 「いいえ。まったく」 「…俺も……なぁ、極彩」  珊瑚は俯いた。後頭部を一瞥して視界から外した。 「なんですか」 「…許されないのは分かってる。でも、――」  紅が許すか否かは知らないところだった。答えようがない。今の紅にその判断が出来るのかも分からなかった。 「許す許さないでいえば、わたしも同じようなものですから」  兄弟の誰とも違う緩やかな波のある髪がふわりと揺れた。白い顔が極彩を見上げる。 「何したんだ?」 「何ということはなく。全てに於いて」  彼は腑に落ちない様子だった。蘇芳も自身の腿を摩りながら極彩を見ていた。 「蘇芳から聞いたやつか。新しい世話係が、刺客に巻き添え喰らったってやつ…」  話が随分と違っていた。 「蘇芳殿は、誰からどう聞いているんです」  蘇芳はおろおろしながら官吏の全体会議で聞いたことを話した。ある下回りが、城に住まう令嬢に慕情を抱き、逆恨みにまで発展した刺客に巻き込まれ意識不明の状態に陥り、その数日後に落命したということだった。葬儀になるまで誰かは明かされなかったがすぐに見当はついていたらしかった。刺客その人が下回りの中にいた、それどころか被害者本人であったということは明かされていないらしかった。そのほうが纏まりもよく収まりがいい。ただ不運な事故によって死んだという話であるなら。全てをここで話す必要もなかった。 「いいヤツだったもんな。可愛かったし」  珊瑚が口を開いた。
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