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第143話

「二公子のおっしゃっていたことですか」  断つ。 「そうだよ」  まだ出会ったばかりの頃に見せた偽悪的な眼差しが弱った姿に宿っていた。 「君の親戚になっている人たちはね、みんな死んでいるんだ。ボクの兄以外はね。だから君の父以外」  強く息を吐く音が抜けていく。 「ボクの家系はやっぱり城の官吏で、ボクも兄たちの例に漏れずに城に尽くすよう教育を受けた。ボクの父は、ある不正をしたんだ。許せなかった。協力した兄たちも。上部の秩序の乱れは死罪に値すると思っていたからね。ひとつの国家転覆になりかねないと考えていたんだよ、どれだけ規模は小さかろうと。だからまだボクは、隠蔽を許さなかった。世は清く正しくあってこそ美しく、上手く回るものだと本気で思っていたからね」  調子こそ穏やかだったが無味無臭で、肌には感じられない乾燥があった。 「一家は処断。母も姉も。ボクが家督を継いだよ。右も左も分からなかったけれど、皮肉にも父や兄たちの功績が幼い家長を守ってくれたりもしたね。ボクのすぐ上の兄は宗教の道に進んでいたから刑を免れて…、けれど家がそうなっているから、ボクにはなかったけれど家族の情ってやつかな、弟が心配で還俗(げんぞく)してくれたのだけれど。少し前に病気で死んでしまった」  他人の話をしているような口振りだった。 「別に、死刑になるほどの罪ではなかったよ。大事(おおごと)だったけれどね。ただ間違えたら罪のない民衆が処されていたかも知れない。ボクがね、言ったんだよ。死罪にすべきだと。発言権と下手な正義感を持ってしまった子供というのは恐ろしいね」  縹が視線を寄越す。目が合うと微笑まれる。まだ嫌味ったらしさがあった時と同じだというのに容貌は変わり果て、痛々しさだけが残る。洗朱地区で荒れた生活をしていた姿はもうない。 「それでも暫くは自分の過ちに気付かなかったよ。むしろ正しいことをしたとすら思っていた。兄がボクの不始末を石像に懺悔しているところを聞いてしまうまでは」  自嘲していた。極彩は何を言っていいのか分からなかった。 「そんな男が、今度は結婚を目前にしている女性に言い寄ったんだからお笑い(ぐさ)だろう。寝取りと言われても強ち間違いではないけれど、相手はきっぱりと断った。ボクはそういう女性に迫ろうとする寝取り野郎かもしれないけれど、寝取れてはいないんだ」  叔父は俯きがちに唇を歪ませたりしていた。そして咳をした。いつの間にか縹の膝や寝台、そして床に真っ赤な花弁が舞い、散っている。咳は止まらず、そのたび花弁が降り注ぐ。椅子から腰を上げるが制されてしまう。口元に当てた片手から白や黄の花弁が溢れた。生々しさも血生臭さもない。耽美な感じすら漂わせた目の前の出来事に見惚れていた。 「この際だから、すべて話してしまおう。ボクの病のことも」  以前聞いた咳嗽よりも早々に持ち直し、そう言った。極彩はびくりとした。その反応を柔らかく笑われる。 「花労咳というそうですね」 「そうだよ。よく知っているね」  驚くほどあっさりと認め、彼は吐き出した花弁を拾う。花労咳と名付けられている意味と馴染みのないその病名の由来を視覚で知ってしまう。 「とある人から、聞いたんです」 「君を迎えにいく時に同行してもらった彼かな」  すでに目星はついているようだった。極彩は首で(がえ)んずる。 「業病ってやつだね。人々から恨みを買ってしまったんだ…思い当たる節ならいくらでもある」 「そんな…」 「勧善懲悪の教えがあるところの宗教家なら知っていても不思議ではないか。彼にはえらく心配されたよ」  淡々としていた。舞った花弁を銀製の器に広い集める。 「花っていうのが面白いね。この身で献花になるというわけだ」 「…嫌です」  艶を失った薄い色の髪が揺れる。 「叔父上はわたしの叔父上です。叔父上の身は叔父上のもののはずです。何が業病だ…他の人たちの献花になんてさせません」 少し桜くんに似てきたね。おかしそうに笑われる。それとも桜くんが君に似たのかな。話題を逸らされるみたいだった。どちらにせよ、いいことだ。穏やかな姿勢が憎くもなる。しかしその後には保護者の顔が鋭さを持つ。 「買ってしまった恨みを晴らせ、悼めと、その機会を与えられているんだ。死に際に清算できるなんてそうあることじゃない。ボクの喜びを、分かち合ってくれるね?」  突き付けられた言葉がすぐには受け容れられなかった。しかしたった一言偽るだけで彼が納得するのなら簡単なことだった。 「…分かりました」   ありがとう。小さな声だった。咳をして、花弁が散る。 「桜くんのもとへ戻っておやり」 「はい…でも、叔父上。わたしがまだ、何も…」  眉を下げ、彼は困ったように笑う。 「君が話すことで、思いもしない感情に囚われてしまうなら聞かないよ。その逆だというのなら聞くけれど」 「…すみません」  曖昧な答えしかできなかった。 「謝ることはないよ。すまなく思う必要もない。部屋まで送ろうか」 「いいえ。大丈夫です。失礼しました」  優しい叔父は手を振る。極彩は頭を下げ、退室した。離れ家に戻ると照明は点いていなかった。暗く静かな中で寝息が聞こえ、蹲るように桜は寝ていた。このまま寝かせておきたかったが夜中に眠れなくなるため電気を点けると微かに衣の擦れる音がした。泣き腫れた目元が露わになった。眉根が寄り、そして目覚める。這うように起き上がったため傍に座った。 「御主人…」  声は嗄れていた。浮腫んだ目蓋を擦ろうとして、極彩はその腕を掴んだ。 「わたしのことは気にするな」  赤くなった大きな目が再び潤む。 「御主人…」  血の繋がった家族を失った若者の頭を抱く。彼もおそるおそる主人へ縋った。嗚咽が漏れた。涙が床に落ちていく。高く呻き、容赦なく極彩の衣類を掴んだ。 「どうして…」  鳩尾(みぞおち)を頭突かれる。桜は胸と腕の中で暴れた。 「死んじゃった…もう会えない…」  混乱しながら彼は悲痛に叫ぶ。泣きじゃくりながら身を震わせる。確認されているようでもあった。だとしたらすべて肯定するしかなかった。彼等は死に、もう会えないのだと。 「なんで…なんで僕だけ…」 「すまない」  腹を切らせてやれず。言いはしなかった。だがそう含ませた。常盤地区の墓園で黙って切腹させておけば万事解決したのだろうか。だとしたら謝ることしかできなかった。決断はおそらく変わらない。そして時は戻せなかった。 「すまなかった。本当に申し訳なく思う」  桜は首を振った。違うんです、違うんです、と繰り返し、言葉にならない咆哮を上げる。桜は極彩を放すと、土下座に似た体勢で床を這った。気が狂いそうになった。どうにもならないことだった。いつか誰しもが迎えなければならないことをひとり一気に引き受け、分かち合うことも出来ずにいる哀れな生き残りを眺めていることしかできないのだった。頭を床に打ち付け、そのうち静かになった。もう起こす気もなかった。着ていた上着を掛ける。 「明日、帰るのはよせ。明後日になさい」  届いてはいないと思った。寝ているものだと思った。まだ眠りきれていない意識に命じたつもりで、言った。 「…明日帰ります。杉染台で僕のやれることをします」 冷静な態度で桜は平伏したような体勢のまま静かに答えた。杉染台は彼の第二の故郷でもあった。実家から捨てられた後の。それならば親しんだ地に帰したほうが少しは気も休まるだろう。低く掠れた声の意思は強い。 「絶対に無理だけはするなよ。さもないと連れ戻す」 「はい」 「わたしも近いうちに行くから」  杉染台で朝昼を過ごし、夜頃には時折縹の様子を看に来るのだろう。会おうと思えばすぐに会える。だがそうする必要はない。 「旦那さんのこと、放っておいたらいけませんよ」  鼻を啜りながら言われる。赤い目と寄った眉の必死に絞り出した言葉に極彩は苦笑する。 「言うようになったな」  後頭部を抱き寄せ、弱く頭突いた。
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