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第141話

 備蓄倉庫から借りてきた布団を桜は庭に干し、書を捲っていた。暫く前から城の外で無伴奏の合唱が聞こえていた。風月国でも四季国のものでもない言語で、祭囃子に似た風情があった。学術書を閉じる音がする。 「にぎやかか」  すっかり体調が戻り、日光を浴びていた極彩は少し間を空け定位置に座す桜へ問う。苦笑だけが返された。 「見に行ってみるのもいいかも知れない」  特にやることもなく、何となく興味を煽られた。祭りのような気分だった。だが彼は極彩を見つめるだけだった。 「もう大丈夫だから」 「分かりました。じゃあ、行きましょう」  祭礼にしては事前の告知はなかった。耳に入らなかっただけかも知れない。玄関を出て、合唱のもとへ辿り着く。城の門前に護送車が止まっていた。門から城までを老若男女問わず無数の人々が等間隔に2列に並び、さらにその列の間も広く開いていた。互いに向き合い、歌っている。広い花道を歩く者がいた。門から城へ悠々とある種の余裕と威厳を漂わせて一歩一歩踏み締めている。繊細ながらも芯のある鈴の音がその人物が持つ錫杖によって、地に足が着くたび大仰に鳴っていた。日の光によってただでさえ真っ白なローブが眩しいほどで、裾の後方は地に引き摺っていた。頭も統一された白い布で覆われ、ローブ同様に後方が背中まで垂れている。肩にはイネなどにみられるひげ根のような意匠の黒い透けた布を羽織っている。現実離れした光景と雰囲気に圧倒されていた。城の窓からは通り過ぎるついでに外を確認する下回りたちが見えた。荘厳な空気を放つ白いローブの者の対面から、正装の天藍が現れる。咄嗟に後退ってしまう。並んで立つ桜が極彩を二度見した。大丈夫。掠れた声はほとんど届かない。(つまず)いただけだと言い直す。互いに視線を交わして停止してしまったが極彩から断ち切って、再び崇高な趣へと吸い寄せられた。 白いローブの者と天藍が相対(あいたい)した。二公子のほうが得体の知れない者の前で片膝を着く。左手で拳を作ると右の掌に合せ、指を1本ずつ折りながら左の手の甲へ添えていく。白い衣装に身を纏った者は左右の肩と額に2本指を当て、唇に触れると空へ放る。紫雷(しでん)教の挨拶だった。極彩の手首の鈴が鳴ったことにも気付かなかった。圧巻されながら眺めた。天藍は立ち上がる。二者の対峙は異様な感じがあった。無伴奏合唱はやまなかったが、「伝令」の一言が緊張の充溢した場を切り裂いた。罪人8名の獄中死。伝令兵はそう告げていた。天藍は振り向き、報告を聞いてから対している者へ説明する。8人という数が何を意味しているのかすぐには思い当たらなかった。眩しいローブと、二公子の姿にぼんやりとしていた。少し遅れて大人数の罪人などすぐに見当がついた。白いローブの者が両端で合唱する人々を制した。一瞬にして静寂に包まれる。夏の蝉に似ていた。木枯らしにも似ていた。 「戻りましょう」  桜は力なく言った。 「そうだな」  鈴が鳴る。離れ家に着けば各々の定位置で、1人になっているに等しかった。書を捲る音がする。鼻を啜る音が混じっていた。 「明日、杉染台に戻ります」 「…分かった。ただし、しっかり身体だけは休めておけ」 「はい」  鼻を啜るのと同時の返事だった。 「少し、空けるよ」 「はい」  瓦解していた。行く場所はなかった。逃げ場と化している竹林に入り、時が過ぎるのを待つだけだった。石の前に座り、じっと空を見上げていた。そのうち、笑いが込み上がってきた。呆気なさに。何かを救える気になっていた傲りに。相手も救われたがっているという短慮さに。身の内に溜まったすべてを吐き出さんと高く叫んだ。  離れ家に戻ると玄関扉の脇で外通路から外れた場所に座っている男を見つけた。季節感のないかなりの薄着だった。上下で一体化している外衣を着ているようだが下半身だけで上部は垂らし、上半身は肌にぴたりと合わさった半袖の黒い肌着を晒していた。素行の悪そうな若者が不言通りの飲食店街でよくやっている座り方でじっと近付いてくる極彩を見ていた。 「よっ!」  能天気な第一声に何と反応していいか分からなかった。近くによると立ち上がった。 「どうして中に入らないの。今は、ありがたいけれど」 「…何となく?気ィ遣われるほどの相手でもねェから俺。ここで出てくんの待ってるほうが(しょう)に合うんでさ」  桃花褐は浮かない顔で極彩を見下ろしていた。両手を腰に当て、珍しく黙っている。 「大口叩いてこのザマだぃね。すまなかった」 「何の話?」 「…助けたいって言ってたろ。罪のない人たちをよ」  何故、桃花褐が謝るの分からなかった。 「あの人たちは、別にわたしの助けなんて必要としてなかった。わたしも…何か勘違いしてたんだと思う。謝るなら、わたしのほう」  桃花褐の目が悲痛な色を灯して極彩から逸らされた。 「…いいや。紫雷(しでん)教は、屈辱だったみたいなんでさ。最期に所望したのは、毒だそうで。無理矢理と、宗教的措置と銘打って、身柄を預かるべきじゃなかった。今更どうにもなりやしねェが、あんさんの所為じゃねェってことは、伝えておきまさ」 「…そう…」 「坊ちゃんはどうしてんだ」  離れ家を指し、桃花褐は問う。桜の話をこの男にしただろうか。下僕と表現していたつもりだった。ぼかしたところで、察しはつくだろう。 「今はひとりにしておきたくて」 「そうか。一応釈放の扱いだから葬儀はやるんだけどよ。紫雷教で引き取っちまってるから…分かるな」  首肯した。 「分骨できっけど、どうする?嬢ちゃんに聞いても仕方ねェな。坊ちゃんに話すか?」  極彩はゆるゆると首を振った。 「もう桜とは関係のない家だから」 「…そういうもんか?まぁ分かった。じゃあ、そういうことで」  桃花褐は事務的なことを伝え、静かになった。桃花褐との付き合いは短いが、彼ではないみたいだった。 「ありがとう。ごめんなさい。巻き込んでしまって」 「いいや。こういうことはある。巻き込まれただなんて思ってねェよ。腐りなさんな」  溶かされていく。声や言葉に。厚い掌は肩を叩かない。 「うん」 「何となく刷り込まれた正しさみてェな忖度と、実際そこに在る現実と、どうしても齟齬が出来ちまうことはザラにある。それを割り切っていけねェ善人ばかりが苦しんじまう――…って教えを説いたって、何も響きゃしねェわな」  桃花褐は鼻で嗤って帰っていった。広い背中をじっと見ていた。桜は何の刑が下ろうとも自ら飛び込まずともいい。あの家のやり方には従わせない。間違っていない。間違っていても構わない。陽気な男の小さくなっていく背が滲んでいく。滲んでいくだけだった。
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