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第137話

「叔父貴、叔父貴って…」  桃花褐が叔父貴と呼ぶと、言い知れない妙な心地がした。ひとつの独占欲に似ていた。人懐こく無邪気に、そして素直に叔父を呼ぶ声音が、偽りであろうと姪よりも本物の甥という感じがした。 「名前覚えんの苦手なんでさ。悪かったんね。なんつったっけ、露草さん?」 「縹さん。わたしなんかよりずっと高貴な人だから、あまり失礼な態度、とらないでね………どういうお付き合いになるのかは知らないけれど」  頻りに会うこともないだろう。だがこの男は短い面会でも色濃く跡をつけていくのだった。 「ってことはめちゃくちゃ高貴な人ってわけね。初中後(しょっちゅう)会うわけじゃねェもんな。忘れないようにしときまさ。縹お兄さんね」 「あなたのお兄さんじゃない」  反射で噛み付いてしまう。訪問者は楽しげに笑った。 「おうおう。可愛い姪で羨ましいことこの上ねェや?…それで、元気ならいいんだけどよ。この前ちょっとあまり芳しくなかったみてェだったから。あの症状は…」 一目で確認した桜は目を見開いたまま固まっていた。ひどく顔色が悪い。極彩の視線の移動に桃花褐は気付いたらしかった。言葉を途切れさせる。 「ま、味良(あんじょ)う伝えておいてくれや」 「叔父上は大丈夫。心配してくれてありがとう」 「菫ン坊っちゃんも肌が荒れてんな。ちゃんと寝るこった」 「その子は桜」  ぺちりと柔らかく桜の頬を手の裏で叩くと桃花褐はもう帰るという具合に立ち上がった。「あぁそうだ桜だ桜、桜ン坊ちゃん」と悪怯(わるび)れもしない。 「誰もがあなたみたいに健康優良、質実剛健というわけにはいかないでしょう」 「確かに」  来訪者は満足そうに言って、座布団を拾い上げると隣の使用人が速やかに受け取った。 「ンじゃ帰るわ。楽しかったぜ、っと。また会いてェけど、あれか、もう人妻だもんな。また偶然にお祈りでもしまさぁ」  習慣なのか極彩の頭に大きな掌を乗せてから、「おっと悪ィ」と謝り、すぐに引っ込める。 「桜はここで待っていて。わたしが見送るから」  玄関先で桜へ言い置くと、桃花褐と共に外へ出る。外通路を逸れ、門へと向かう。 「引っ掻き回すこと言うけどよ、縹のお兄様のあれはまじで、大丈夫だと思ってるんですかい」  数歩、離れ家から進むと彼は訊ねた。軽い口調ではあるが普段漂わせている快活な色は失せている。秋の昼間の遠い空へ投げられた目が一度だけ極彩が首を振るのを認めるためだけに下げられた。 「花労咳(はなろうがい)だろ」  桃花褐は訊いた。病名であるらしいことだけは分かったが聞き慣れない単語だった。 「何も、知らない。病名も、症状も、把握してない」 「あれは花労咳の症状さね。花の模様の痣あったろ」 「花…労咳…」  復唱する。病名が明らかになったところで。この後はどうなるのだ。この男は知っているのだろうか。訊いてしまってもいいものか。逡巡する。 「まぁ、俺から言えるのは、近くに花は置かねェこったな。内臓に生えた花と反応しちまうからな」 「内臓に…花…」  背を叩かれる。気付くと門に着いていた。 「待って」 「俺ァどんなことがあろうと、真実を知るのが一番だと思ってんでさ。何も知れずにいるなんて、踊らされているだけだ…家族の事なら尚更だ。ずっと付いて回る。なんでなんでってな」  その口振りは縹の近い未来を暗示していた。明言されていないことだけが救いだった。どうにも湧いてしまう期待が、ついていかない感情を上手く甘やかしてくれている。 「わたしは、知りたくない…」  髪を掬い上げるように後頭部を乱雑に撫でられる。 「天の恵みに、感謝を」  紫雷教の挨拶を交わし、桃花褐は帰っていく。離れ家へ戻っても桜を直視できなかった。問い詰めるか、責め立てるかしてしまいそうだった。 「御主人…今の御仁は…」 「家出中に知り合った。すまなかったな。押しが強いだけで意地の悪い人ではないのだけれど」  顔も合わせずに答えた。一方で桜はぼけっとした表情で主人を見つめていた。 「また少し出るよ。彼の言うこととはまた別として、休むか…でなければ叔父上のことを頼む」 「はい…あの、先程御主人がいただいたお品物ですが、縹様はこういったものは…現段階では、召し上がれません」 「そうか。分かった。婿殿もいない。後で2人でいただこう」  返事も聞かず、桜を突き放す態度をやめられないまま外へと出た。八つ当たりだった。何故教えてくれないのだという不満と、聞くだけの精神力もない自身の不甲斐なさ。憤懣(ふんまん)遣る方ない。そのうち惨めさへと変わっていく。一体何から処理すればいいのか分からなかった。破裂しそうな頭を押さえて、中庭へ辿り着いた。花壇や盆栽を眺めていた。ヒメアカタテハが飛んでいた。白抜きのある夕焼けのような羽根を目で追った。中庭の端に置かれた噴水の音は気分をいくらか鎮めはしたが、場違いで趣を欠き、景観を壊していた。淡く甘い香りの中に屈みこむ。目の前の鉢植えにテントウムシがいた。  桜の同胞(きょうだい)はこのまま刑を迎える気なのだろうか。実父の教えに従うのがすべてというのなら口を挟めない。他人の生き方でしかない。大して情を寄せた家族でもない。むしろ桜ひとりが救われるのなら切り捨てたとしても構わないくらいだったではないか。 「ここにいたんだ」  朽葉かと思った。叱咤でもされるのだろうか。あの者こそ、大した関わりはなかったというのに強く揺さぶられてしまう。姿を探した。故人だということも忘れ。朽葉と同じ顔の青年が麗らかに立っていた。付き人は誰もいない。 「…小賢しい真似するじゃん」  揖礼する。やはり許しは下りなかった。 「来なよ」  頭の前で組まれた腕を引かれる。中庭からさらに奥まった庭園へと連れられた。椿の垣へと押し付けられる。 「痛い目みないと分からない?」  清く爽やかな容貌だが纏っているものは禍々しく陰気だ。暴力性に瞳が照る。本能的な恐怖が先走り、悲鳴を上げようとした。 「あ…ぅ」  乾いた手が極彩の口を覆う。 「この世にオレに逆らえる人が何人いると思ってるのかな。きっとこの光景を見たって、どんな宗教家だろうと教えを破ってオレを糾弾することなんてできっこない」  顔面の傷が疼く。暴れた。それを上回る力で押さえ込まれる。 「叔父上はどんなカオするかな?君を守ってくれると思う?それとも見ているだけかな、冷ややかにさ?あの使用人は?若いからなぁ、案外興奮しちゃうんじゃない?他に誰が君を守ってくれそう?」  口元覆いながら指が頬に刺さる。両頬を寄せられた。 「あの娘を脅すのも一興だなぁ、そういうのもオレは嫌いじゃない。あの片輪(かたわ)にしちゃった山窩(さんか)の子は?いいね、そういうのも楽しいだろうな」  唇を噛み締める。耐えがたい侮辱であることだけは分かったが、焦燥と緊張が深く彼女に意味を悟らせなかった。 「群青なんてオレが命じれば迷いなんてないだろうな。むしろ本望だったりしてね?ねぇ、君を守ってくれる人なんている?」  微笑みを浮かべたまま下卑た話をした。椿の葉が耳や項に当たり、枝が背を抱き竦める。胸元が大きく開かれ、男の片手が身体を這った。団栗の雨が2人に降り注ぎ、地面に転がる。極彩は隙を突いて逃げ出した。庭園の奥へ入っていく。進むしかなかった。冗談など微塵もない。捕まれば、本当に喰われる。
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