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第136話

 桜の実父を除く一家が地下牢に送られたと聞いたのは縹からだった。普段と変わらない様子で、だがまだ捻挫は治らないらしく紋様の浮かぶ棒きれのような腕には包帯が巻かれていた。席を外すよう言われた桜が提示された時間が過ぎると離れ家に戻ってきて、それでも挙動不審に主人2人の様子を遠目に窺う。縹は姪が本当に紫雷教に入ったと知ると驚きは見せたものの落胆や失望はみせなかった。難しそうな表情になりはしたが、健闘を祈るよ、と言うだけで桜へ傍に来るよう話しかけると帰っていく。外通路を抜けていく痩せ細った姿を長くは目にしていられなかった。俯いてしまうと脇に立つ桜の影が動く。 「御主人?」  体調不良を疑われる。竹林で病人がひとり吐露したことの意味を彼ならば知っているのだろうか。 「何ともない。少し空けるよ」 「はい…」  歯切れの悪い返事だった。隈の浮かぶ目元もかさついた唇も、荒れた肌も、あまり健康的とはいえなかった。食生活か、睡眠不足か、心労か、もしくは季節によるものか。 「桜こそ、休んだらどうだ。布団を敷いてやる」 「僕は元気です」  桜がするように額に手の甲を当てた。体温の高低は何も分からなかった。 「分からないな。これで分かるのか」 「慣れです…それに、落ち着くでしょう。こうして、人肌に触れていると」  自信の無さそうな微笑を浮かべられる。額に当てたままの手を丁寧な仕草で取られ、返される。使用人として共に居るが、偽りの身分である主人自身より良家の子息という風情を所作に感じることがあった。 「疲れていても疲れていなくても、休んでいて。最近働かせすぎていたように思う」  極彩は叔父を見送るまま、地下牢へと向かった。三公子の刑罰の只中(ただなか)らしく鈍い打擲(ちょうちゃく)音や回数を数える声が懲罰房から聞こえていた。生々しく執行されている刑を横を通り、緊張感が増していった。目的の人物がいたのは紅の入っている独居房の少し手前だった。紅には何の枷も鎖も着けられていなかったが、彼等には首輪と繋がった木板の手枷が嵌められていた。天気がいいためにわずかに独居房ひとつひとつに壁上部を刳り貫くようにある細長い窓から明かりが入り、支障がないくらいの薄暗さだった。その中で彼等の不信感に満ちた目に晒される。  何をしに来たのです。  刺々しい、女の声だった。一室に7、8人が入れられていた。しっかりと感じ取れたのは不信感と敵意だった。事情を話し、自身の意見、方法、現在の状況を織り交ぜる。だが返されたのは予想に反した答えだった。  おそらく父は、しっかりと処されてくるよう申すはず。  長男らしき極彩よりもいくらか年上らしき雰囲気の青年がそう言った。恥じることなく。付け加えられる。下された罰は潔く受けよ、と申し付けられている、と更に添えられた。簡単に納得した。だから桜は腹を切った。話が通じる気配も期待もなかった。言葉は通じているが理解に及ばない。境遇と価値観、認識がまず大きく違った。  死にたくない!  窓の下の明かりが届かない暗がりで、声変わりしていないらしき少年が叫んだ。直後に女が厳しく叱責した。 「どなたが、わたしと縁組みしてくだされば可能性は十分に…」  お断りします。長男と思しき青年が言った。誇りを持って、死罪を賜ります。そう続くのだった。何の義理があって…。長女と思われる女が呟いた。桜の妹と思しき少女が今にも泣きそうな顔をして握っていた柵に添い崩れ落ちる。お帰り下さい。女が険を帯びて強く言った。  緋寒(ひかん)が生きているのだって、私たちには恥だというのに…  緋寒というのは桜がこの一家にいたときの名らしかった。墓園で感じたのは同情だったというのに、見当違いだったのかも知れない。極彩は、分かりました、と呟いた。慟哭が彼等の奥で聞こえる。処断されたがっているのであれば止める必要もない。話が変わってくる。極彩は紅の入っている牢を一瞥してから踵を返した。結局は空回りだった。城までの階段の半分を上がっていく。三公子の懲罰はまだ続いていた。地下牢の出入口を潜ると天藍が立っていた。揖礼する。複雑な眼差しを真正面から受け止めた。揖礼を解く許しはもらえず、天藍は地下牢の階段を下っていった。世話係たちが葬列のようだった。手首の鈴が鳴る。桜に合せる顔がないまま離れ家へ戻る。彼は困惑した面持ちで三和土(たたき)から極彩を出迎え、室内へちらちらと目配せする。 「どうした?」  努めて平静を装って訊ねる。上擦った。猫撫で声のようになってしまい、咳払いで誤魔化した。 「御主人の“莫逆(ばくぎゃく)の友”を名乗る御仁がお見えになっているのですが…」 「莫逆の友?」  城の外に親しい友はいないはずだ。一瞬だったが銀灰が浮かぶ。しかしそれならば桜もそのような勿体ぶった言い回しはしない。訝しみと警戒心から桜を制し、室内を覗く。体格のいい男が座っていた。姿勢を崩し、寛いでいる。暑苦しい髪を後ろに束ね、櫛が入っているらしかったが痛んだ毛先は跳ねていた。服装も整えてある。粗末な恰好であれば豪放磊落といった印象を与えたが、準礼装では貴族でも持てないような品位や威厳があった。 「よっ!」 「…どうして…」  しかし口を開くと陽気さと落ち着きのなさが美丈夫の雰囲気を壊してしまう。よく日に焼けた手が挨拶した。 「桜、お茶をお願い」  来客をひとりにしておくことも出来なかったらしくまだ茶も出されていなかった。城の下回りたちがいる厨房へ桜を向かわせることに躊躇しながらも、客としてもてなす相手であるからには仕方なかった。 「茶なんていいって。ここ座れよ、坊ちゃん」  予定外の訪問者は自身の隣へ促す。桜は板挟みになりきょろきょろして忙しなかった。 「じゃあ、お言葉に甘えようか」  桜に桃花褐の隣へ座るように言い、極彩はその対面に座った。 「へへっ、他人行儀じゃなくてよかった。俺ァ桃花褐。坊ちゃんは?」 「桜と…申します」  面白い玩具を見つけた子供よろしく桃花褐の表情はさらに明るくなる。遊ばれている使用人は圧倒されていた。 「随分と可愛いウサギちゃん飼ってんだな」 「あなたとは話が合いそう」  冗談に長く付き合うつもりはなかった。軽く流す。 「いいなぁ、弟みたいだな。俺ン家の弟になんねぇ?」 「あまり揶揄わないでくれる」  涙目になっている桜に助け舟を出すと、桃花褐は白い歯を見せて笑った。 「おうおう、御主人様に怒られちまうな。そう妬きなさんな。嬢ちゃんにも…いや、さすがに人妻相手には悪ぃな」  どこまでが本気だったのか話の途中で真顔になった。桜の髪を雑に乱して戯れながら視線は極彩に注がれた。 「ひとつ務めを果たしたついでに寄らせてもらったんでさ。これな、祝儀、祝儀。()っても、御令嬢にそういうんは烏滸(おこ)がましいんでね、不言で一番美味いって噂の焼売(しゅうまい)買って来たんでさ。よかったら旦那と食ってくれや…あとほら、世話ンなったから叔父貴にも」  小奇麗な身形の桃花褐は紐でぶら下げた渋い色の紙に包まれている2つ重なった平べったい箱を差し出す。桜がびっくりした顔をする。 「いいえ、世話になったのは…」 「ああそうだ、そうだ。叔父貴は元気なんですかい?」  極彩の言葉を遮って桃花褐は訊ねた。
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