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第134話

 出棺を見送る。真っ白で豪奢な透かし布に包まれた小さな棺だった。不言通りを南下し、それから焼かれるらしかった。官吏や下回りの殆どが駆り出され、また少し人の少ない城が久々に現れた。だが極彩は婚姻届を手に出掛けた。婿になる予定の若者を探しに色街の区画に入りかけたが、桃花褐から受けた忠告や煩わしい叱責を忘れることもできず、割増料金にはなったが牛車に乗って色街を抜けた。指定した場所で降りると、琵琶の音が微かに聞こえた。明るい茶髪の男が弦を掻き鳴らしている。話し掛けるのは躊躇われたが、牛車を待たせているために目の前に立った。婿候補は演奏を止める。 「狐さん。お取込み中ごめんなさい。婚姻届を出しにいきます。付いて来てくれますね」 「…うん…勿論…」  眠そうな目が呑気に瞬く。ベベン、と琵琶も返事をした。 「ねぇ…でも…本当に…ぼくでいいの…?」 「貴男でないといけません」  婿候補は琵琶を背負い。極彩の手へ自身の手を絡める。 「どこに…住もうか…?少しの間…困窮しちゃうけど…新しいお家…建てる…?」 「暮らしは今のままです。何も変わりません。娼妓と遊ぶのもどうぞ、ご勝手に」  婿候補は極彩の前に立ち、行く手を阻む。 「…この前は…ごめんね…?怒ってる…よね…?ごめんね…ちょっとだけ…試したくなっちゃって…」  婿候補を睨んで、脇を通る。牛車を待たせているのだ。婿候補は怯むこともなく極彩の腕に自身の腕を組んだ。 「合格だろうと不合格だろうと、貴男はわたしの夫になるんです。それは変わりません」  そう撥ねつけると、頬に布の感触があった。口元と鼻先を隠す布ごと口付けたものらしい。 「そういう強引なトコ…大好き…」  嫌悪の眼差しを送る。 「早く婚姻届を出して帰りましょう」 「ぼくのお嫁さんは…どこに暮らしているの…?」  牛車に乗り、色街を抜ける。闇競りの件から非常に拙い2人組である自覚はあった。車内でも婿候補は態々(わざわざ)同じ座面に腰を下ろし、手を握るのをやめなかった。御者が二公子による葬送があるため遠回りになると説明した。婿候補は不言通りのある方角を車窓から見ていた。 「誰か…亡くなったんだ…お城で…」 「流行病がまだ治まっていないようですからね」  まったく違うことを言い、隣に目配せする。婿候補は素知らぬ顔をしていた。 「二公子が…喪主…誰だろう…?」 「二公子の弟分みたいな人ですって。なんでも実の弟より可愛がっていたみたいです。“不慮の事故”で亡くなったらしいですよ」  婿候補が知るはずはない。だが責められている気になって、当人でありながら伝聞として話した。ただでさえ眠そうだというのに牛車の揺れが重なり今にも寝そうな婿になる予定の男は長い睫毛に囲われた目を大きくした。 「よく…知ってるね…お嫁さんは…物知りだ…」 「そういうわけでは…」  牛車が停まる。もたもたしている婿になる男の降車を急かし、割増料金を払う。狐は少し気にした様子だったが、役所というにはあまりにも目立たず景観に溶け込み過ぎている木造建築へ背を押した。寂れた事務所だった。それでも丸みを帯びた大きな花瓶とそこに挿された黄色と橙色を基調とした花束が場を彩ろうとしている。その脇で婚姻届を提出した。 「我が妻」  婿は畏まり、極彩の前に片膝を着いた。手の甲と恭しく指先で扱い、布越しに接吻した。 「永久(とわ)に貴女を愛します」  役所の真中だった。さらにまだ受付台の前だ。羞恥心を煽られ、手を引っ込める。 「帰りますよ。いいえ、貴男は貴男の家に。わたしはわたしの家に…」 「うん…でも、もう少しだけ…」  立ち上がりついでに抱き締められる。極彩はそのまま身を反転させると歩き、腕から抜けた。 「そういうことは、もっと人目のないところでするものでしょう」 「だって…お嫁さん…すぐ帰るでしょう…人目のないところで…もっと、続きも…ぼくは…したいけど…」  返事はしなかった。役所を出る。婿も遅れて付いて来た。 「わたしは貴男を利用するんです。あまり懐かないことですよ」  極彩は待つこともせず、役所前の道を歩く。3歩ほど後ろから婿は追ってきた。 「利用…されていたら…好きになっちゃ…いけないの?」 「…そうです」  ここで別れるつもりで立ち止まった。振り返ってからきっぱりと言った。 「そんなこと…ない。ぼく…お嫁さん…好きだもん…」 「ありがとうございます。嫌われているより事が円滑に運べそうで、気分が良いですよ」  頭に浮かんだ台詞を適当に読み上げる。背中に重みがかかり、纏わりつかれた。 「ぼく…ここで帰るから…でも…忘れないで。ぼく…お嫁さんのこと…大好き」 「ありがとうございます」  婿は自らの横顔を差し出し、指で頬を差す。布と素肌の境目くらいだった。「ここ」と言われる。接吻して欲しい。極彩は渋い態度をとったが、余計に横顔が近付くだけだった。唇を一度拭ってから、肌理(きめ)細かい頬に当てる。 「ありがと…じゃあ…また今度…あそこは危ないから…1人で来たら…いけないよ」  婿はそう言って去っていった。他に誰を同行させろというのだろう。寝ながら歩いていそうな後姿を見送る。結婚してしまったという実感はあまりなかった。何が変わるわけでもない。不言通りは葬送を終え、開放されていた。まだ長屋に住んでいた頃に大まかに説明されたことのある火葬場へ遅れながらも走った。葬送の参加は自重したがそれでもふと、行かねばならないような気がした。陽炎のような煙が見えた。季節外れの熱い風が空へ吹き上がり、雲を歪ませた。今、この瞬間、あの小さな身体が炎に包まれているのだ。立ち尽くす。他にも、火葬場に入れないのか、熱風を仰いでいる者が、アキアカネが飛んでいる奥にいた。大きな笠をかぶり、喪服でもない色味の失せた粗末な服装をしている。合掌しながらじっと動かない。険しい顔立ちが悲嘆に暮れている。貴人専属の世話係とは思えない、みすぼらしい風采だった。声を掛けられる状況でもなかったがかといって気拙さで立ち去るには、まだ空に消えていく少年との別れが惜しかった。彼を想うなら一刻も早く立ち去るべきだというのは理解しているというのに。 「極彩殿?」  逡巡しているうちに経年による嗄れた声に呼ばれた。深くかぶった笠を上げ、藤黄は近くまでやって来た。 「…お久し振りです」  話し掛けたはいいが、どうしていいか分からないといった様子で、まだ健やかさを十分に保っている老人は惑乱していた。 「流行病ですかね」  素っ恍けた質問を投げかけ、直後に悔いた。藤黄は威厳を失くし、悄々(しょうしょう)としていた。目の前に極彩がいることさえ把握しきれていない感じがあった。 「申し訳、ございませぬ…」  藤黄に話し掛けられなかった理由が降りかかる。 「()れど…孫を手放した身…我輩の口から何が申し上げられましょう…」  何も返せず、気の利いた言葉は浮かばない。浮かんだとしても全て無と帰すのだろう。畏まった礼をしてその場を去った。何度も唾を飲む。膝震えた。細く深く息を吐く。
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