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第133話

 桜はまた首を振る。決めたんです、と強気に言った。 「叔父上の家を出たら、わたしはお前といられない。叔父上のことをよろしく頼むよ。わたしから解放されたほうが…」  極彩は言葉を止めた。何故気付かなかった。縹の思惑に。城と姻戚でないなら。仇討ちはどうなる。しかし問い詰められなかった。装うしかない。何も気付いていないと。それであの意地っ張りの余命が健やかになるなら。問うて、確かめ、もし謝られなどしたら。掴みかかって責めたてられたほうが数百倍もいい。 「御主人?」  使用人は茫然としている極彩の顔を覗き込む。 「お前は叔父上の傍に居て」  お前だけは。桜はまた不安の色を濃くした。どういう意味ですか。口にしてはいないが、訝しみ、怯えている。 「いや、違うな。お前だけが、叔父上に寄り添える…」  桜は頭をこてんと倒した。困ったような、不思議そうな顔をした。 「…縹様と同じことをいうんですね」  微かな動揺が滲む目に内心を探られているような気がして、少しずつ視界は下がっていく。 「あの人の気持ちを尊重するには、わたしの気持ちは邪魔だから…」  しかし隠し通すにはあの叔父ほどの強さは持てなかった。桜を窺うと、取り繕うように、しかし見守るような笑みを浮かべている。それが彼を大人びてみせていた。年齢を積み重ねて得たものというよりは様々な不条理と理不尽を潜り抜けてきた頼もしさだった。 「話し合ってみようとは思わないんですか」 「きっと決壊する。困らせる。叔父上だってどうにもしようのないことをきっと言って、訊いて、責める」 「それではいけませんか。互いに困らせ合って、それでも切れないのは家族かも知れませんよ」  談話による治療みたいだった。毅然とした態度に変わり、縋り付きそうになる。そして間を置かず瓦解した。 「わたしのことを置いて行かないで。1人にしないで。―なんて言ってどうするんだ?そんなこと、あの人が一番、そうしたに決まってる!意地っ張りで…自信家に見えて卑屈な人なんだから…わたしはあの人と真正面からは寄り添えない。せめてあの人の矜持くらいは…」  相槌を打たず、無言で幾度か頷くだけだった。 「結婚を急かしたのだって…わたしは、1人になりたくないわけじゃない。ただ、叔父上とだから1人になりたくないだけ…」 「縹様を信じられませんか」 「信じる?一体何を信じるんだ?あの病身を信じろって…?どうしたって!どうしたって、どうにもならないことはあるだろうが…」  桜の表情から笑みが消え、そこにはわずかな不快さえ過った。 「縹様は御主人を信じていても?」 「信じてるんだ!信じてしまう。もしかしたらな。けれど、冷静な部分が言うんだよ。無理だと。成り行きに任せた思い込みなど諦めに等しいじゃないか…」  医者先生は小さく俯いてしまった。 「お前に症状を訊いてしまいそうになる。本当を言うとな。けれど、いい、言うな、何も。聞きたくないのだ」  極彩は懸命に眉に力を入れ、固く目を閉じていた。ここで本心を晒すのは些か卑怯な感じがしたが、どうにも抑えが利かなかった。桜は口を開いたが、開き放しで、そのうち声も発さず結ばれてしまった。 「悔いは、残らないようにしてください」  それが全ての答えだった。どういうつもりで、どういう意図があるのかすらも根掘り葉掘り問うてしまいそうだった。 「分かった」  鼻の奥が沁みた。  紅の様子を見に行くと、すでにすやすやと寝息をたてていた。その姿を見て戻ることにしたが、帰り際になって懲罰房奥の独居房が連なる通路に明かりが灯っていたことに気付く。不埒な好奇心によって、燈火に飛び込む羽虫がごとく、その光へ方向を変えた。最後に会ったのは最奥の個室だった。ただ真っ直ぐ最奥の部屋へ足音も立てずに進んだ。訃報は入っていない。入っていないだけかも知れない。あの段階では罪人として扱われているはずだ。それに、外からの話など制限された数日を送っていたではないか。 「よぉ」  以前とは違う部屋に珊瑚はいた。視界の外からの声に内心ひどく驚き、鼓動がひとつ跳んだ。彼は寝台で上体を起こしていた。 「お久し振りです」  懲罰という合法的な暴力の痕がまざまざと見て取れる。呼吸は正常で意識もはっきりしていた。 「久し振りってほどじゃないだろ」  胸元が乱れた白衣の奥は痣だらけだった。日の光に当たらないため白さを保たれた顔や頭には何の傷もないようだったが、首から下は厳しく打ち据えてあるらしく白衣は汚れていた。 「言っている意味が分かりません」  珊瑚は格子の奥で手招きする。腕を上げるのも一苦労のようで、痛みに顔を歪めた。仕草ひとつが兄に似ていた。極彩は独居房の簡易的な鍵を外し、中へと入る。崩れた裾から痣や傷だらけの細い脚が伸びている。 「もうすぐ、出られる」  声はまだ少し嗄れていた。極彩は話す少年の首を凝視していた。痕は消えている。 「もう、しないのか」  ふと覗き込まれた。被害者自身も当惑している。思わず後退ってしまった。 「…何の話です」  珊瑚はいやらしく笑う。自嘲を帯びている。 「あんたになら、いいと思ってる。ここを出たって、きっとまたやっちまう。…でもそんなことしたら、あんたの立場が悪くなるな」  喋っている途中で極彩の両手は細く白い首に巻き付いた。寝台に乗り上げる。互いの目が血走った。交わされている視線がぷつりと途切れた。魚のように三公子の口が動いていた。怪力が少年の身体を持ち上げていく。 「大兄上によろしくね。とってもお世話になったの」  極彩自身まるで予期していない出来事だった。思いも寄らなかった言葉が勝手に紡がれていく。両手の自由は利かず、本当に絞め殺してしまう勢いだった。刑罰の影響か、小刻みに痙攣している手が極彩の手の甲を握る。抵抗はやがて弱まり、添えられるだけになった。そしてそのまま手がぶらりと垂れ、真っ赤になった顔がかくりと上を向き、さらに首を曝した。色付いた唇から唾液が滴る。擦り切れた声が漏れている。 「珊瑚様…っ、お願い…蹴ってください…!」  骨が浮き出る手の甲を兄弟の誰にも似ていない毛先がくすぐった。 「蹴ってください…っ、でないと、本当に…っ」  無理な要求だった。聞こえていればまだいいほうなくらいで、珊瑚は動きを見せない。ただ喉が焼けるような音が抜けているだけだった。回し蹴りが極彩の横腹を打った。傷に当たり、寝台から転落した。珊瑚が寝台へ叩き付けられた音と衣擦れの音がした。荒々しい呼吸と咳など全く耳にも入らず、予想外の方向からの救助に目を瞠る。片腕のない小さな体躯が極彩を見下ろしていた。無表情のままそうして、漸く動きをみせる。舌を抜き取られ、言葉としては認識できなかったが唸り声で何か訴えた。珊瑚の前に立ち、残された腕で極彩から庇う。 「紅…」 「お、まえ…なんでっ…」  喉を押さえ息を焦る珊瑚までもが動揺していた。起き上がらない極彩に撓垂(しなだ)れ掛かると、感触を起こしたように彼女の胸を叩いた。 「ごめんね、紅。ごめんね」  抱き竦め、謝りながら宥める。後頭部の跳ねた毛先を何度も撫で付ける。 「ごめん、もうしないから。ごめん」  肩口に当てさせた額が左右に往復した。 「許してね、紅。許して…」  機嫌が悪いらしく短く呻いた。珊瑚の異様な眼差しにも気付かず、狭い背中を摩り続ける。仮に気付いたとしても意に介さなかった。ひたすらに許しを乞う。 「紅…ごめんね。不甲斐ないわたしを許して」  紅の頭が縦に振られ、それでもすぐには放せなかった。手を繋いで独居房へ送り届ける。去り際に「また来て」と言われたが返事のしようがなかった。まだ離れ家に連れ出せないことを歯痒く思いながら紅が寝付くまでそこにいた。
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