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第131話

「おかえり。うわ、すごいね、その服」  城に入ると天藍が真っ先に出迎えた。真っ白な喪服姿で麗らかに立っていた。新たな専属の世話係と他にも幾人か世話係を侍らせている。 「ただいま、帰りましてございます」  城を出ていかなければならなくなった時のような荒ぶった様子はなかった。深々と揖礼した。暫く許しをもらえず、天藍は極彩のすぐ近くをうろうろと回った。 「似合ってないな」 「すぐに脱ぎますので」  天藍はそれだけ言って話を終わらせた。粘着質な欲望がすっかり晴れている感じがあった。 「君等は待っていて。おいでよ。御弔(おとむら)いくらいしていって」  天藍は世話係たちに言って、極彩に手招きする。喪服の真っ白な裾が揺れ、眩しく照った。 「御弔い?」 「あの哀れな少年にさ」  哀れな少年。雄黄は亡くなったらしかった。遺体の置かれている部屋へと案内される。白い布の敷かれた台の上に白い布を被せられた小さな体が横たわっていた。頭上に置かれた膳の上に生米の入った茶碗と香楜阿(ここあ)の入った器があった。筆が置かれている。見たことがある。(せん)教のやり方だった。蓋をされている香炉と、抹香の器も置いてあったが膳からは下ろされていた。 「宗教にこだわりは」 「…特には…」 「河教のやり方は知ってる?」 「いいえ…」  天藍は椀から生米をわずかな量摘まむと、白い布に振りかけた。 「これでいい」  河教徒に倣い、極彩も椀から生米を摘まむと小さな身体へ振りかける。 「彼の宗派は知らないからさ。あのお(うち)に従ってもな。喪主はオレだったからね、河教でやらせてもらったよ」  天藍はじっと亡骸を見下ろしていた。そして顔に掛けられている布を捲る。肌は蝋のようだった。長い睫毛は伏せられ、元気に挨拶をしていた小さな唇は結ばれていた。腫瘍に塞がれていた片目は眼帯を当てられている。胸元には美しい柄の入った箸が一膳添えられている。 「来世で食いっ(ぱぐ)れないようにね、箸を持たせるんだよ。他の宗派だと、櫂杆(かいずく)代わりなんていうけど、どうだかな」  天藍は打ち覆いを捲るとそのまま、落ち着きなく極彩の背後を行ったり来たりしていた。極彩は香楜阿(ここあ)の入った器の前に置かれた筆を取り、液面に浸すと、色を失った唇に筆先を這わせた。口の端から垂れていくため、指で拭った。乾いた質感は確かに珍しくもない唇そのもので柔らかかった。この口から挨拶が飛び出してきていた。短い人生の、短い合間に。本当に蝋人形のようだった。目が離せず、いつまでも眺めてしまっていた。天藍はその間も一言も発さず。部屋の隅から隅を往復していた。両手を背に組み、一歩一歩爪先を確認しているように歩く姿は彼を実年齢よりも数十歳は老けさせて見せた。 「こうして生米を摘まんで振りかけるたびに、死後の世界を…考えてみたことはあるんだ。考えて…無駄だと思ったね。だって死後の世界がどれだけ素晴らしかろうと、ただ筏を漕ぐことに必死になっていようと、自分で死ぬ気なんてないからさ。都合のいい妄想をするとしたら…他者のためだ。結局他人事だよ、死者の空間があろうと、永遠の河があろうとなかろうとね」  語りはじめたが独り言にも思えた。 「知り得ないことをあれこれ妄想して、あたかも在るように思い込んで、刷り込まれて、前提に語っていく。考える力を持っちゃった人間の、幻想だね。付き合いきれるかな。分かっているんだよ、永遠の河があっただなんて言い出したやつが気の違った精神錯乱者だなんてことはね。きっと誰もが思ってるし、死んだら筏に乗ってるなんてばからしい。一体その筏は何で出来ていて、その河の水は一体何なのか誰も知ろうとしない。考えてみたところで確かめようがない。罪深いな。案外彼こそ、筏になんて乗れてないんじゃないか。死後もまた溺れて、ずっと溺れているのかもね、自身の思想というやつに、肉体は滅んでも、今でもね。でもオレはね、生まれた時からだった。空は青く、雲は白いみたいに、もう疑うことなく…だから考えちゃうんだ。彼はいつ生まれ変わるのかな?明日、天気が晴れ、雨、曇り、雪、雷しかないみたいにね」  まるで正気の人間を装っている狂人のように彼は歩行を止めずに行ったり来たりしながら話し続ける。 「生まれ変われるなら、ひとつひとつの命に価値はないのでは」 「君は河教じゃないからね…羨ましいよ。こんな厄介な思想を持てずにいられることは。会えるのは今生だけさ。互いが互いの認識として」  反吐が出そうだった。公開処刑があったのはつい最近の話であったし。これからまた桜の一族を処断しようとしている。師を滅多刺しにするよう命令したのはどの口だ。 「では何故、今生の弟御を大事になさらない。今生で、貴方様に付き従わねばならない民を。何故、今生を共に暮らす者を簡単に…」 「…分からない。知りたいね、オレが。前世でオレに殺されたって人が、オレを殺しに来るのを待ってるんだよ。そうしたら、証明になるよ。たとえ狂人の戯言だって、信じるよ。筏の船旅宗教は本物だ、ってね。それで、来世に期待したら、いいじゃないか?オレを殺せる圧倒的暴力と権力を持ってさ」  天藍は極彩の隣へ来た。雄黄の頬に触れる仕草はひどく慎重だった。 「来世は両目とも揃い、来世は両親に愛されて、来世は断種なんてされずに、来世はいじめられることもなく、来世は殺人術なんて叩き込まれずに済む、そういう来世になってくれって、願っちゃうんだよ。もう頑張らなくていい。もう生まれてこなくていい。ただ…もう眠ってくれ。もう眠っているのに。でも雄黄、君が雄黄であるのは今のうちだけだから。来世で殺してしまったら、ごめんよ。その来世でオレを、殺しにきてくれ…でもきっと、またオレは…」  絹糸のような髪を除け、丸みを帯びた額を幾度も確かめる。血管と骨の浮いた腕が震えていた。 「理解する能が、わたくしにはございません…」  極彩は掠れた声で言った。天藍には聞こえていないらしかった。亡骸の額を撫で続け、白く照る髪を梳く。 「彩ちゃんは何も悪くない…分かってるんだ。でもね、どうも、感情が追い付かない」 「わたくしをお恨みになりますか」  天藍は目を閉じた。乾燥した手は小さな顔の形をなぞっている。 「恨む、か…」 「雄黄がわたくしを狙ったということは、やはりわたくしに問題があったのでしょう。ただ、わたくしは常盤地区の墓園で起こった、わたくしの下僕を巡る騒動についてまったく後悔はございません。仮にまたあの季節に戻されたとしても、同じことを致します」 「何度もこの子は死ぬわけだ…」  天藍の声も嗄れていた。空気は乾燥している。 「それでも」  極彩は少年の遺体から顔を背ける。 「なるほど。辞別の言葉を言わないから、そういう宗派なのかと思ったけど、それじゃあ確かに言えないや」  小さな暗殺者の顔が白布に隠された。互いに背を向け、二公子は両手を打ち鳴らした。 「帰ってきたばかりだったのに、ごめんね。明日には焼くつもりだったから、丁度良かった」  天藍へ礼をする。退室しようしたときに彼は口を開いた。 「君とはこれからも共に在りたいな」  返事もせずに部屋を出る。両手で顔を覆った。爪が皮膚に刺さる。上がりそうになる呻き声を堪えた。二公子はまだ部屋に残っている。  最も死者を尊ぶ弔い方は――  桃花褐の説明が雄黄の亡骸と重なった。
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