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第117話

「俺は…3代目狐。あんさんは」  男は迷いを見せたがはっきりと名乗った。極彩はその名に男の顔を捉えた。 「…白梅(しらうめ)。…狐っていうの?」 「なんだよ、変か?」 「…婿さんが――婚約者が狐っていうみたいで…」  口にすると意図しない妙なむず痒さが湧き起こった。相手は豪放磊落な印象を残す笑い声を上げた。 「まさか俺か?」 「違う…」  この男に話すことではなかったが明け透けな男の雰囲気に呑まれた。 「でもまぁそりゃ奇遇なこった。そうか既婚者か。よかった、下手なこと言わなくて。フラれるところだった」 「まだ結婚はしてないから」 「ならまだ可能性があるってことワケかい?」  狐と名乗った男は冗談を飛ばした。 「そういうわけじゃないけど」  無視して進めばよかったものを、調子を崩され、つい話に付き合ってしまうのだった。 「ごめんなさい、急いでるから」 「待てって。娘っ子が1人歩いて無事で済む場所じゃねぇ。ここはひとつ、お兄さんが用心棒を買ってでてやろう。報酬は…」 「要らない」  狐を振り切り、進んだ。諦めたらしかった。久々の雑談は凝り固まっていた気を弾ませたのは事実で、わずかな名残惜しさも否めないでいた。 「まさかと思うけどよ、紫雷(しでん)教に用があるとかじゃないよな」  極彩の背丈に合わせ、姿勢を低くしたまま肩の横から顔を突き出して現れた。 「おたく何者?動きが素人(とーしろ)ってわけでもなかったし。かといって達者というわけでもなく?」  短剣に向かうはずの手は熱い掌に包まれている。この男こそ只者ではない。反射も随分と物騒だな、と耳元に息がかかった。 「別に…ちょっと散歩してただけだって…さっきも言ったでしょ…」 「この先には胡散臭い集まりしかないぜ。散歩で行くとこじゃねぇ。やめとけ」 「あなたには関係ない…」 「まぁ、百歩譲って遊び人の俺には関係ないとしよう。でもあるんだな。俺も紫雷教だから。どう、引いた?」  短剣を押さえているために後ろから抱き竦める形になっている体勢を解き、極彩の前方に回ると、どうぞ俺を見てくれとばかりに両手を広げた。 「引くも何も…よく分かってないから…」 「おっと?複婚に惹かれたクチ?それとも同性愛者?」 「どっちだっていいでしょ」  狐は、うん、と軽々と肯定した上で極彩を鼻先に指を突き付ける。 「分かった、同性愛者だな。歓迎するぜ。神はありのまま生きるよう其方を作りたもうた、だっけな」 「知らない」  逐一狐は絡み、まったく集会所までの距離は縮まらない。 「そうか、じゃあ本当にめっきり、俺に可能性は無いわけだな。残念。婿さんはそういうあれか」 「そこまで性別にこだわりはないけど…軟派な人は、可能性ないかもね」  突き放すように言うと狐はおどけ、落胆を大袈裟に表現した。脇をくぐり抜け先を歩くと慌てて追ってきた。 「待て待て、案内する。嬢ちゃん面白すぎて気に入っちゃった。それに重要参考人として指名手配されてる小娘1人で騒ぎになるでしょうが?脅すわけじゃねぇけど、若い娘でしかも野良、懸賞金付きなんて鴨が葱背負ってるようなもんですぜ」 「…脅してるの」 「まさか。事実ありのままを言ってる。それだけじゃない。人死んでるし、闇競りバレてるし、色街張り込まれて、みんな気が立ってんだ。敵に回しちまってるんだよ、ここいら一帯を」  極彩は俯いた。狐の粗末な衣類を小さく引っ張る。 「報酬は、ご飯でいい?」 「上等」  狐はよっし、と呟いて極彩の横を歩く。隣から観察するようにまじまじと見られるため掌で頬を押し、首を曲げさせる。抵抗せず狐は極彩の手に押されるまま顔を背けさせられる。 「あれ?するってーとあんさん、同性愛者でしかも人妻ってことかい」 「まだ人妻じゃないし、同性愛者ともいってない」  狐は愉快そうだった。道を間違えると背後から両肩を押さえられ道を正される。 「昔よく遊んだ大きな犬を思い出す」 「おお、奇遇。俺も昔可愛がってた猫を思い出したね」  極彩は狐を睨む。狐は待っていましたとばかりにその眼差しを快く迎えた。ばつが悪くなり、咄嗟に目を逸らす。 「ところで嬢ちゃん、大丈夫か。肩凝ってんなら揉んでやろうか」 「結構」 「遠慮してんのか?肩以外は揉まないぜ」  触れられる。痛み止めは朝に飲んだ。まだ効いているが薬ごと置いてきてしまった。 「してない。触らないで」  声を荒げてしまうが、その手付きは揉むことはなく労わるような緩慢な手付きだった。狐を睨む。見抜かれている。片手が患部のある肩を撫で摩る。体温が高い。桜とも違う触れ方をする。 「やっぱただの若衆(わけぇし)にしちゃ、妙」  最終的には患部を軽く叩荒れた。そして再び顔面の前に指を突き付けられる。 「失礼な人。人のこと指で差して、個人のこと踏み込んできて。誰の身体でもそうやってべたべた触るの?」  接触した肩を払った。傷に響いて痺れた。肘までの間が張った感じが残る。 「そう怒りなさんな。悪かった。ごめんな。許してくれ。気拙(まず)い道中は勘弁だから。謝るよ。あんさん以外には触らないことにする」  両手を合わせて狐は眉を下げた。予想に反した素直さに極彩は唇を噛みかけた。加害者の心地になったが、最後の一言が余計だった。 「別にそこまでは怒ってないし、話通じてない」  退廃地区とそう変わらない物静かなだけでなく寂れた風情まで漂う繁忙前の色街を抜けていく。遠くで弦楽器の音が聞こえた。狐は暫く無言だった。極彩より歩幅はあるが調節しているらしく少し後ろを付いてくる。無意識に弦楽器の音を追っていた。以前は阻まれ、強制的に帰された場所だ。狐に会館はそっちじゃねぇぞと指摘された。 「あの楽器は何」 「楽器に詳しいナリに見えるかぁ?」 「見えない」  会話は瞬時に決着したと思われたが、狐は琵琶だな、と言った。妖しげな悲壮感を帯びた高さのくせ、低く淀んだ、しかし強く芯を持った音が耳に届く。奏者はすぐ近くにいる。崖のようになっている小道のすぐ下だ。切り崩され、生い茂った木々に囲まれ、枯葉の敷かれた空き地にいる。 「足元、気ぃ付けろよ」  目先の人物に気を取られていた。足元が滑り、狐の腕が極彩を制した。砂利で雑な坂道が作られていたが足場は非常に悪い。 「ありがとう」 「用心棒ですから」  少しずつ坂道を下りる。砂利が転がっていった。公園になりそうなほどの面積で、崖側に座って奏者は唄っていた。明るい茶髪と華奢な体躯。色白い手。口と鼻は布で覆われている。血の海に倒れていた若者と特徴はほぼ一致していた。 「知り合いなんですかい」 「…婿になる人かも」  極彩は走り寄った。琵琶の演奏は止まらない。若者は目の前の来た女に構うこともなく弦を弾く。音色は感情に語りかけ、遠くまでは届かず溶けていく。 「狐さん」 「なんだ?」 「あなたじゃない」  極彩は琵琶を奏でる若者に前のめりになった声を掛けた。狐が反応を示したが彼に用があるわけではなかった。紛らわしいな、と呟かれる。 「狐さん。傷の具合はどうですか」  琵琶の音が止まる。長い睫毛が動いた。紅色の化粧が施され、鼻と口元には布を垂らしていた。 「…貴女は…?」 「あなたを落札した者です」  おいおいまじか。外野が呟いた。極彩は婚姻届を広げる。若者は眠そうな目で紙面を眺めた。 「白梅と申します。出来るだけのことはします。中身は要りません」  深々と頭を下げる。
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