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第115話

「口煩いおっさんがいないっていうのはいいね。異性と2人きりになるときは、扉を開けておくことだなんて。助平(すけべ)親仁(おやじ)もここまでかって。オレも信用されてないな。まぁ、若い男の理性なんて案外そんなもんか。殊に色事ともなれば」  天藍は振り返ることもせず、陽気に捲し立てる。 「用件、オレ、何て言ってたっけ?忘れちゃってさ」  首だけ曲げて極彩を見る。逆光していた。 「雄黄に会わせていただけると…」 「違うな。もっと一方的なこと言った気がする。ところで、会ったらどうする?何をするつもりなのさ?」  纏う雰囲気は落ち着いていた。快活に振る舞いながらも内心の冷徹さ、淡泊さ、薄情ぶりを押し殺しているげな空気とはまた違う。ぎこちない。飾り付けの明朗さまでをも無理矢理に封じ込めようとしているような、ある種の演技の限界を覚えさせる違和感。 「決闘します」  彼は鼻で嗤った。 「血生臭いな、本当に。君といたら、オレの悪臭も誤魔化せる?」  天藍はまた窓に直った。もう済んだよ。彼は呟き、翻る。健やかな腕の中に小さな身体が収まっていた。肩に傾げられた頭部には大きく包帯が巻かれ、腫瘍のあった顔半分は当て布で覆われている。片目は開いていたが、眼球は動かず、床ばかりを凝視している。腕も足もぶらりと垂れ、目蓋の動きがなければ人形のようだった。 「生かさずとも殺さず。生きているけど、死んでしまった。あとは本当に、肉が死ぬのをまつだけ」  二公子に抱き上げられても雄黄はその腕に身を預けたきり、首も据わらなかった。自身で四肢どころか背も支える素振(そぶ)りがない。 「少し刺激が強かったかな。これが人の命を狙った者の、ひとつの末路だ」  座っていた椅子に小さな肉体を凭せ掛けたが、自重(じじゅう)を支えないために転落しそうになり再び天藍の両腕に戻る。 「理解したら帰っていいよ。君に会せたら、然るべき手続きに移るから」  赤子をあやすように天藍は、そうするには成長している雛を揺する。2人の輪郭が窓から入る光にぼやけた。 「ほら、帰るんだ。彩ちゃんと話すのは楽しいけど、今は気分じゃない」  雄黄と共に窓の外を見ていた。微かな歌声が耳に届く。 「すでに決着していた」  二公子は呟いた。帰りなよ。もう一度言われた。見ず知らずの後姿から目を離せなかった。どこからかも分からなくなっている白昼夢だ。 「人の生を終えても、君を殺そうとしてるんだよ」  虚しくないか。帰る気配のない極彩に天藍は呟いた。  君の匂いを覚えてるんだ。(めし)いても君を殺すために。  知らない青年が振り返る。生きてこそいるが動かない人物がその胸に頭を預けている。虚ろな目は壁を見ているのか、床を見ているのか、曖昧な場所から動かない。  君の匂いに歌うんだよ。殺意を隠すためにさ。  極彩にはもう届いていなかった。青年の言葉以外何も聞こえてはいなかった。  こんな暗殺者一家、全員処断したほういいよ。  虚しくないか。詠吟(えいぎん)しているのは青年のほうだ。  オレは弟を知らないからね。この子はオレの弟だよ。  青年は何の疑問も引っ掛かりもなく醸すことなくそう言ってのけた。雄黄の儚げな色合いの髪に青年は顔を埋める。  嬉しかったよ、とても。  青年は雄黄の生い立ちを語った。口煩い親父代わりの男に孫が生まれた時は嬉しかったこと。物心つかないうちに母親を早くに亡くした子供に深く同情したこと。片目の腫瘍のせいで虐げられているのが悲しかったこと。養子に出され離ればなれになった時は寂しかったこと。腫瘍が悪化し養子縁組を解かれた頃には断種手術されていたこと。久々の再会には大きな隔たりがあったこと。青年はぼそぼそと喋った。聞き手のことなど忘れ、懐古に耽ってさえいた。  決着はついてた。君の言うとおりだ。でもね、考えは改めないよ。こんな可哀想なことになるなら、あんな暗殺者一族は根絶やしにしなきゃいけない。牢から放り出せば皆が君を襲うよ。血を求めてるんだから。墓場でだって、どこでだって。  青年はそう括った。いつの間にか床に座り込んでいる。だがしっかりと弟分を抱き締めている。 「一族に罪があるというのなら、紅が殺されかけた件を弟御に代わって償っていただけるんですか。飛ぶことも出来ない小鳥を殺めた弟御の業の深い行いの罰を代わりに受けていただけるのですか。腹を切っていただけるのですか。臓物を引き摺り出して、首を斬られる覚悟を持っていただけるのですか。血縁という奴隷になっていただけるのですか。血縁者であるただそれだけのために贖っていただけるのですか。争えない血に逆らえず、囚人を辱め小動物を殺すというわけですか。その肉体を流れる血潮がすっかり弟御の代わりになれるというわけですか。それともあの病苦で息もまともにできない弟御は血筋の命令に従って、何者かの代わりに豚箱に暮らしているというわけですか」  極彩は視界で揺れた髪を掻き毟らんばかりに引っ張り、振り乱す。完治にまでまだ少し時間のかかる肩が痛んだ。 「出ていきなさい」  天藍は俯き、力の抜けている腕を上げた。関節にも力は入っておらず指先が丸まっている。どこを指しているのかも分からない。爪の先端は床を向いていた。得体の知れないものが乗り移った感じで、聞いたこともない声音だった。 「出ていけ!暫く帰ってくるな!」  絶叫が室内に木霊する。すぐさま廊下から扉が乱暴に開け放たれた。警備兵たちだった。極彩は部屋を後にした。地下牢に向かった。懲罰房の奥の個室に入ると、飲まれた形跡のない水差しの中身を熱病患者の顔に撒いた。屍のような少年はくしゃみのように呼吸をしだし、薄く目を開けた。唇から出る息は熱いくせ身体は冷たく火照った頬以外は全てが蒼白い。弱く痺れた手が首を掴む。もう片方の手もまた首を掴んだ。痕は残さない。おそらくここに来た者は気付いてしまっているはずだ。痣は付けない。手が震える。手加減は出来ないと手が訴えている。無抵抗な細い顎をこの者の兄にされたように掴む。翡翠から譲られた丸薬を3つ口内に放り込み、鋭い水差しの注ぎ口を咥えさせる。三公子は暴れた。誤嚥を防ぐために顔を横に曲げる。病人は嗽のように喉を鳴らし苦しみに喘ぎ、口から水が零れていく。極彩の手にかかった水は冷蔵庫そのものになっている部屋に置かれていたため、噛むように冷たかった。嚥下したのを見届けると地下から上がった。前方から鬱金色のローブがやってくる。引き攣った笑みを浮かべ、極彩を目指してきていた。裏庭へと誘導する。亀や鯉のいる溜池があり、喫煙所にもなっていた。鬱金色のローブが極彩に追いついた。首と左頬が焼け爛れている。最近できた傷だった。 「まったくこの城は病人か怪我人しかいないんですかねぇ」  そう言いながら胸元から三つ折りの紙を取り出し、極彩へ渡す。無言のまま受け取って中身を確認する。婚姻届だ。相手方の名は「狐」というらしい。
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