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第114話

 好色的だった。寝台に押し倒され、桜がいるということにまるで構うこともない。わずかに開いた胸元から包帯を確認される。加虐心を露わにした天藍に極彩は抵抗を忘れ、声も出せず、状況を呑み込むこともできなかった。 「二公子…!」  視界から消えた忠犬が吠える。 「誰の身体だと思ってるの」  柔和な顔は怒りに満ちていた。 「…っ」 「御主人の身体以外にあ、あ、あ、有り得ません。どうか、ごじ、ごじじ、御慈悲を…」  答えられないでいたが予想外に使用人が割って入った。怯えて震え、手を揉みしだいている。 「君が縹に連れられてここに来た時から彩ちゃん、君の身体はもう君のものじゃないんだよ。君は献上品なんだから……でもそれってつまらないでしょ」  負傷した肩を撫でられる。横暴なことを言いながらその手付きは慎重だった。 「大好(だぁいす)きな飼い主様に拾ってもらった命が惜しいなら、君も少しは利口にならないと、ね?」  天藍は部屋の隅へ振り返る。 「もう傷が付いているのに、これ以上どこにオレ以外の傷を付けるの」  冷たい指先が眉間に走る。薄い膜で塞がれた傷口をなぞられ、爪は立てられていないというのにぷつりと切れた感じがあった。情欲に輝きを増した眸に射される。白い指に色が付いていた。その顔もその指もやはり安定せず、緑を帯び、幾重にも揺れた。天藍は汚れた指を舐めた。血の味だ。一言感想を述べる。 「君がオレのところに来たなら、君に傷ができるたび、こうして舐め取ってあげるよ。毎日。消えるまで。痕が消えるまでずっと」 「ではわたくしも、その際には天藍様の傷を舐め上げます。同じ箇所(ばしょ)に同じだけ、揃いの傷を持ちましょう」  極彩は柔和な笑みを浮かべ、二公子の顔面の前で揃いの傷を描いた。 「素晴らしい提案だよ。とってもね。早く君の叔父上とも話をつけたいくらいだ」  俯く極彩の顎を掴み、仰がせると滴っていく血液に舌を伸ばした。頭を抱かれ、さらには開いた傷の形まで確かめる。生温かく湿った感触が眉間を這う。密着すると、白檀の匂いがした。 「血の味って嫌いだな」 ゆっくりと離れていく唇が赤く濡れていた。 「それは香木の匂いでは」 極彩は笑った。彼も笑っていた。乾いた音が頬を打った。部屋の隅にいる桜が息を詰める。 「いい関係を築きたいね」  吐き捨て、二公子は出て行く。桜はすっかり肝を潰していた。極彩は打たれたまま首の曲がった方向を保ち、何度か瞬くだけで固まっていた。狂ってますよ。呟きが静寂に沁みていく。息を整えながら主人に近付く。猛獣に刺激を与えないように触れる、そういった緊張が伴っていた。 「こんなことが、毎日続くとしたらどう思う」  瞼と口だけが動いた。気の毒な付添人はすぐに言葉にして返すことができなかった。 「ありがとう。わたしの身体はわたしのものだと、お前が言ってくれた」 「何を言ってるんです。当然のことなんですよ…当然のことじゃなきゃおかしいんです!その…宗教的解釈(しんこう)とか、そういうのはあるかも知れないですけど…」  まだ恐怖の中から脱出しきれていないようだったが自身の意見となると熱っぽく声を荒げた。 「誰であろうと…誰であろうと他者の身を傷付けていいはずがないんです…たとえ自分でさえも……それでも御主人は、仇討ちを良しとするんですか」 「仇討ちなど無いほうがいいに決まってる。どこかで連鎖を断ち切られねば極論、最後の2人まで殺し合いが続くかも知れない。でもそれは建前だ。良識、道徳、倫理。その中に留まれないこともある」  桜にはすでに見透かされているようだった。だが明言さえしなければ可能性や邪推の域だ。 「悲しいです」 「悲しいな」  (こうべ)を垂れていたが彼はそのうち離れ家から運んだ救急箱で傷口の処置をした。普段は使わない消毒液が沁みた。  点滴が外れて、視界が歪む頻度も下がっていた。(おぞ)ましい夢をみた。雄黄を殺してしまう夢だった。外野から殺せ殺せ、死ぬなと囃し立てられ、容赦なく幼い肉体に凶器を振りおろすのだった。汗ばんだ身体に反して悪寒がし、指先も爪先も冷えていた。暗い部屋には誰もいない。時間帯も分からなかった。暫く起きていたが、もう寝る気にもならなかった。看病人の不在を突いて、短期間の新たな部屋から出た。気付くと地下牢の前で、掌に残る妙な感覚を確かめに空咳と不自然な呼吸音が響く懲罰房に迷いもなく入っていった。蘇芳を見かけたというのに何も頼まれはしなかった。本当に何の用もなかった。分厚い毛布に押し潰されそうなほどに衰弱している三公子の首に求めるがまま両手を重ねた。肩が意に反した動きをした。鎮痛剤は効いてはいるが弱い痺れは残っている。少しずつ力を込めていく。珊瑚の意識は朦朧として嫌がる様子はあるものの大した抵抗にはなっていなかった。どちらの汗かも分からない。喉が潰れていく。掌が知っているのはこの感覚ではない。しかしやめられなかった。か細い呻きが鋭く響いた。手の甲を引っ掻かれる。だが児戯だった。少年の身体が波打つ。掠れた悲鳴が上がり、やっと両手を離した。短い間隔で酸素を取り込み、身を捩って嘔吐(えづ)く。何も吐き出しはしなかった。運び込まれている膳にも手を付けた形跡はなかった。かといって看病されているというわけでもないようだった。吐き気が治まったらしい白い首に痕があった。以前蘇芳に頼まれ持ち込んだ襟巻を掛けた。乱れた毛布も直す。さらに痕を濃くしたいという衝動に駆られた。両手が宙を掻く。 「大…兄上…?」  鉛玉でも握っているのかと疑うほどに腕を重く持ち上げた。本当に何か吐くような湿り気のある音が喉の辺りで轟いていた。行かないで。行かないで。大兄上。熱病に侵された少年はそんなようなことを言った。懇願に似た寝言を聞かなかった。部屋に帰った頃に桜と鉢合わせ、あれこれと訊かれ叱られた。清純な看護士に向けられる顔がなかった。彼の中の葛藤と不安をひとつ打ち砕けたところで、自身の(しこ)りが癌と化した。いつか三公子を殺してしまう。雄黄を追いやったのは自身だ。懺悔と不安が形を変え、飼い主と飼い犬になる。それは必ずしも主人と使用人に対応したものではなかった。  雄黄と対面できたのは事件から4日経った後だった。この段階で熱や痺れ、眩暈はほとんどなくなり、城へ呼ばれた医者からは飲み薬が与えられた。すでに離れ家の修繕が終わり、短期間寝泊まりした部屋から戻った。そして桜は杉染台へは帰らず、まだ城に残るらしかった。  極彩は天藍から指定された部屋までの廊下を歩いていた。途中で藤黄が門番をしているのだとすればどのような嫌味を喰らわされるのかと身構えたが結局その男はいなかった。地下牢に近い大部屋で縹の部屋同様に直射日光の入らない窓の配置で薄暗かった。広さの都合で扉は二ヵ所あった。極彩が開けた扉の先に天藍は背を向ける形で椅子に座っていた。それ以外は何も置かれていない殺風景な部屋だった。照明も点いていない。天藍は項垂れているように見えた。小さな鼻歌が聞こえる。
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