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第111話

 下目蓋を弱く捲り、貧血であることには間違いなかったようだが納得できない様子で、それは駄々っ子にも似ていた。危機に迫るような桜の態度に極彩は滅法弱かった。 「御主人…僕はもう除名されて、桜って新しく名を貰ったんです。だから関係ないんです。もう何ひとつとして」  脈絡のない話をされ極彩は、戸惑いながらも相槌をうった。 「彼は、僕の血の繋がらない弟です。いいえ…弟ではありません。共に暮らしていないし…僕とはすれ違って養子になったんだし…」  桜が興奮していることだけは理解し、水を差すことなく聞いていた。今にも叫び出しそうな不安定さすら感じられた。彼は天藍から聞かされた理不尽な話をすでに知っているらしい。 「桜」  まさか熱が移ったのか。休めていないのか。罪悪感から極彩はただ聞いていた。 「僕には関係のないことだ…僕にはもう関係のないことだ…」 「…わたしには関係のあることだ。ただ、お前の古巣が疎ましいというのなら目を瞑る」  根が素直なためか、険しい顔を繕っても悲愴が滲んでいる。 「目を、瞑る…」 「過去と完全に決別は、もうどうやったって出来ないだろうけれど」 「あの人たちは、兄弟姉妹(きょうだい)です…同じ腹から生まれて、同じ釜の飯を食べて、狭い部屋で肩並べて寝て…同じ季節を過ごしてきたんです……でも他人なんです、もう他人で、僕がとやかく言えることじゃないんです……助け合って生きてきたのに、紙切れと印鑑ひとつで、簡単に縁なんて切れるんですよ」  それが桜の答えか。極彩は呟いた。分かった。それきり桜は口を利かなかった。そして極彩からも話を振らなかった。離れ家は玄関からすでに火薬の匂いが充満していたが割れたガラスによって勝手に換気がされていた。部屋に上がる前にこの襲撃事件は騒ぎとなった。火薬の匂いを嗅ぎつけられたものらしかった。本人が出てくることはなかったが、天藍の言付(ことづ)けで離れ家は一時的に閉められ、極彩の部屋は人通りの多い城の中心部へと移された。他の令嬢たちもいる居住区とは離れた場所で天藍の部屋から近かった。桜が付き添うことを案内した官吏は快く思っていなげな対応をしたが、天藍に報告することで片が付いた。引き摺っている点滴のことも訊ねられたが風邪をこじらせたのだと偽った。紫暗が見舞いに来て、その間は暇をしなかった。根掘り葉掘り訊かれることもなく、ただ雑談とそれから紅のこと様子を一言二言話した。蘇芳も珍しく姿を見せた。乾燥させた後に砂糖をまぶした果物の菓子を置いていった。そして彼は紫暗が置いていった菓子をいくつかつまみ、桜とも砕けた話をして帰っていった。彼は桜にも穏やかに接していたが、桜によると子沢山ではあったが男児は1人だけで彼は4年ほど前に軍務中の事故で死去したものらしかった。10代の後半だったらしく、桜が官吏の頃はよく世話になっていたという。蘇芳との会話でいくらか桜の緊張も解れていたようだった。 「すまない。ちょっと部屋を空ける」  静かになった新しい室内に極彩の声が響いた。 「ど、どちらに行くんです…?」  寝台から降り、点滴を外そうとしたが止められてしまう。幼い世話係が見舞いに来ないことにふと思い至った。顔くらいは出すはずだ。探しているが場所が分からないのか。誘拐でもされたのではないか。 「雄黄だ。知っているかな、新しい世話係なのだけれど」  桜は無言だった。眉間に皺を寄せ、真っ直ぐな目が極彩を射抜く。思い当たる人物を探っているのだと思われた。 「ちょっと探してくる。離れ家に行ってしまっていたら可哀想だ。それに危ない。彼だってわたしと関わったんだから…誘――」 「御主人」  桜は点滴を引っ掛ける、小型の車輪が生えた細い柱を持って部屋を出ようとする極彩を制した。 「今出歩くのは…。ひとりで出歩かないでください。視界だってまだ安定してないでしょう」  前方を塞ぐかたちで回り込まれた。部屋の全てが二重になり、歪んでは戻り、揺らいでいる。唇を尖らせ、拗ねた顔をされたのは認識できた。 「…き、きっと御主人に遠慮してるだけです。今は待ちましょう…色々なことが収束するまで…だめですか…?」  子犬だ。従うしかなくなってしまい、極彩は寝台へと戻る。 「だが彼なら、すぐに来てくれそうなものだが…」  しかし、冷たくあしらってしまったことが蘇った。眠っている間、桜は会っていないと言っていたが離れ家を訪れたのだろうか。雄黄は仕事だ。突き放されたからといって職務放棄はしないだろう。 「ご、御主人!」  その声は極彩自身にではないことは彼女にも分かっていたが何かに対して怒っているふうなところがあった。表情は読み取れなかった。何に対して怒っているのかがまるで分からなかったが、新しい世話係を気にすることが癪に障っているらしかった。疎外しているつもりではなかったのだと的外れな推測を口にする。 「ああ、すまない。別に桜、お前を責めてるわけじゃない。喧嘩別れをしてしまったままだったから…いや……喧嘩というよりもっと一方的なものなのだけれど…」 「そういうことじゃありませんよ………なんてこった」  桜は嘆きを込め呟く。部屋の隅にいることは分かっているがやはり視界が渦巻き、浮遊感は消えず、何かひとつを見ようとすると眩暈がするのだった。目の前に近寄る人影。肩に慎重に触れられ、背を支えながら倒される。逆らう気は起きなかった。布団が掛かり、点滴の紐も整えられる。 「もう寝てください、御主人…もう本当に。本当におかしくなっちゃいますよ」 「忙しかっただろう…悪かったな」 「い、いいえ……御主人がご無事で……まったく無事じゃないんですけど、こうしてまたいられるならそれより喜ばしいことはありませんよ」  言葉が過ぎたことに自覚はあるようで狼狽えている。寝台の横で忙しない足音がした。床が軋む。桜の匂いがふわりふわりと漂った。 「桜。無理だけはするなよ」  何かさらに言い添えようとしたがどれも気が利かなかった。素直な肯定の返事は投げやりな感じが含まれている。 「叔父上は、このことは…」 「もうすでに肩の傷のことからご存知です。極彩様が大変な状況にあるとおそらく真っ先に伝えられたのは縹様で、その時は僕も一緒でしたからね。今回のこともおそらくすぐ耳に入るでしょうし」  段々と語調が沈み、もう隠せないと諦めたらしく重苦しく息を吐く。看病人もまた情緒が安定していない。 「少し寝たらどうだ。わたしに付きっきりだったのだろう」 「…ですが…」 「わたしなら大丈夫だ。寝台、使うか」  起きようとするものの、肩が痺れ、枕へ後頭部を打った。桜が目を剥いたのは見え、そして二重になる。 「い、いいえ……さすがにそれは。誰か他に見張りの人が来た時に、お言葉に甘えさせていただきます」 「すぐに呼ぼう。お前が身体を壊したら困る。叔父上のことも…」  誰かしらが通行している。そういう位置に部屋はあった。窓もないため、そこからの侵入の(おそれ)もなかった。極彩が再び身を起こそうとするのを今度は看病人は助けたものの、渋い顔をしていた。その時に扉が叩かれた。呆れたような表情に警戒の色が浮かび、極彩を庇うように一歩扉へ近付いた。噂をすれば陰が差す。縹だった。苦労人は一気に安堵を見せ、極彩に意を問うことなく勝手に入室を許可した。 
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