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第105話

「ご厚情(こうじょう)痛み入ります」  険しさは消えたがまだ不承面を晒している男は1枚の紙を取り出した。 「顔面に傷のある、中肉中背の巻き毛、身形のいい若い女…くだらん」  書かれていることを読み上げ、無骨な手が紙を大きく破く。 「色街には暫く近寄らぬことです。厳戒態勢となりました。貴嬢はあまり好かぬことでしょうが皆、命を張っております。あまり周りを刺激しなさるな」 「先程読み上げられたものは何です」 「…事件現場から出てきた者の特徴で、重要参考人として現在捜索中です」  ばつが悪そうに藤黄はそう言った。彼は極彩の曇った表情に気付いているはずだった。 「わたしを突き出さないのですか」  鼻を鳴らし、くだらんと呟かれる。 「あの場は貴嬢のような者が容易に知り得、簡単に出入りできる場所ではない」  尖った双眸が室内を見回したのを極彩は見逃さなかった。突き出しはしないらしい。だがまだ疑念は抱かれているようだった。 「慎みます」 「分かっていただけるならよろしい。夜分に失礼いたした」  呆れとも安堵ともいえない溜息を聞かせ、藤黄は拱手して去っていく。またひとりになった極彩は、余った小切手を見つめた。紅に渡したはずの首飾りを売った金で人を買ってしまった。そしてその者がどうなったのか分からない。何もはっきりしなかった。疑念も抱かれている。翡翠さん。もう一度呟くが応答はない。  結局翡翠は現れなかった。胸が詰まる眠れない夜が明け、朝が訪れる。枕元に団栗(どんぐり)が置かれていた。 「おはようございます!そうだ、お手紙届いてます」  雄黄は気配も音もなく極彩の眠る布団の脇に小さく座っていた。 「ああ、おはよう」  幼い手が白い封を渡す。極彩は眉を顰めた。雄黄に礼を言いながら受け取った。誰から送られてきたものなのか見当がつかない。翡翠か。一夜にして悪事が露見し、役人から書面が送られたのか。世話係は開けないのかとばかりに極彩を見ている。裏表を確認したが宛名が無い。 「誰から受け取ったの」 「多分官吏の人の私的な使用人だと思います。極彩様に直接渡すよう頼まれたので事務の人は通してません」  寝起きであまり頭が冴えず、字や文に積極的になれずにいたが、中身に至らないよう封を切っていく。 「怪文書ですか?」  薄めの紙が1枚二つ折りにして入っていた。興味津々に雄黄は身を乗り出す。少し左に傾いた癖のある達筆が隙間なく紙面を埋め尽くしている。末尾にも宛名は書かれていない。何か期待している目を一瞥した。 「群青殿から」 「群青殿?確か今、お城から離れてるんでしたよね」  封に入れ直す。宛名をもう一度確認するがやはり記されていない。内容は主に夏祭りを途中放棄したことへの謝罪と、暫くこの地を離れるという報告、そして流行病に気を付けてほしいという社交辞令だった。直接会って話したかったらしいが不言通りでの流行病を危惧し、それも叶わないという部分までも丁寧に綴られていた。 「お返事、書くんですか」  極彩は輝く幼い顔を見て、無言のまま首を振る。雄黄は「えっ!」と声を上げた。紙が両断される。また雄黄はびっくりした。 「朝の支度をしよう」  極彩は細かくなった紙片をくず箱に捨てた。世話係は桜色の唇をぱくぱくさせた。 「群青殿と喧嘩したんですか…?」  おそるおそる訊いてはいけないと分かっているようでありながら訊かずにはいられないといった様子で怯えながら雄黄は訊ねた。 「そういうわけでもない」  納得した様子はなかったが雄黄も立ち上がり、朝の支度を手伝った。  明るい城内を歩いていると蘇芳が現れる。極彩の姿を捉えるとリスに似た目がさらに大きくなり亀の如き歩みを速めた。会釈をして通り抜けようとしたが雄黄によって咄嗟に衣類を摘ままれる。柿を切り分けた小皿と襟巻らしき防寒具を持っていた。  毎度毎度申し訳ございません…どうか三公子にこちらと…こちらを…  同情を誘うような感じではあったが返事をするよりも先に差し出される。懇願ではなく(めい)に等しかった。 「分かりました」  柿の入った皿と保温性の高い布を受け取り蘇芳と別れる。雄黄は極彩と三公子想いの中年官吏を忙しなく見遣っていた。 「蘇芳様は三公子のことが好きなんですね」  斜め後ろを雛のように歩く雄黄を一瞥した。どこか(ふさ)ぎこんだ、妬むような色を帯びている気がした。腫瘍で阻まれた目と薄茶の瞳と視線が合う。すると花が綻ぶように軽やかに笑みを浮かべられた。気のせいらしかった。地下牢にまでついて来そうな世話係と向かい合う。屈んで目線を合わせる。 「ここで別れよう」  一緒に行かないのかと言わんばかりに栗を思わせる片目が潤んで瞬く。 「地下牢は寒いから。君が風邪でもひいたら、誰がわたしの看病をしてくれるんだ」 「…はい。ではまた後ほど伺いますね」  細く艶やかな毛を揺らし雄黄は興味を打ち砕かれた落胆を隠しきれていなかったが礼をして極彩が地下牢に入っていくまで明るい廊下で見送っていた。  珊瑚は懲罰房奥に設けられた床材付きの牢にいた。厚めの毛布を掛けられ、仰向けのまま動かない。息もしていなかった。本当に息をしていないのかと焦りながらも近付くと思い出したように息を吐き、そして咳をはじめる。蒼褪めたながらも赤みを差し、色を失った唇から白い渦が吐かれた。手の甲で頬や額、首に触れた。皮膚に伝わる熱は、体温にしては高い気がした。薄らと睫毛が上がったが、何かを映した様子もなく閉じられていく。嗄れた呻きが弱く上がった。 「柿です。お召し上がりください」  緑を帯びた白さの首を横に曲げさせる。鎖骨が浮き出た。痺れに近い衝動が脳天から駆け抜けていく。  ほら、やっちゃいなよ。  小皿を掴む。力強く陶器に指を減り込ませた。放すことのないように。両手が脆い骨を狙っている。へし折ろうとしている。  憎い人と同じ血だよ?嬉しいでしょう?  爪楊枝に柿の一切れを刺した。白い息を繰り返す口元へ運ぶ。乾いた粘膜に当たり、だが撥ね返される。食べようとしない。口を開く力も残っていないようだった。 「珊瑚様…お召し上がりください」  赤く火照った顔は歪む。口からでしか十分に呼吸が出来ないほど衰弱している。柿が呼吸を阻害し、蜜が薄皮を濡らしただけだった。歯が鳴りはじめ、冷や汗が浮かんでいる。空咳と発熱。丸薬を渡した主はそう説明した。医者に診せるべきだ。  本当に助けるの?嘘でしょ?  真っ白い発育途上の肉体を掬い上げようとした両腕が細い首に回った。少年を跨いで、身を曲げた。  紅を殺そうとしたのに? 男性によくある喉元の隆起を重なった親指が押しこもうとしている。汗ばんだ肌の感触が掌に刷り込まれていく。少年の小ぶりな鼻からか細い息が抜けた。両手が三公子の首を絞めていく。毛布の下から、まるで吊り下げられたような両腕が現れ抵抗した。甘納豆を思わせる薄い痣だらけの白樺然とした手が極彩の手首や手の甲をほぼ擽るのと同じくらいに引き掻いた。 死んじゃいなよ。それが彼にとっての一番の救済だと思わない? 「ぐ…ッう、う…」  力を込めた手が震える。白かった囚人の顔は熱とは違う赤みを持っている。首を逸らし、極彩にはさらに絞首しやすくなっていた。伸びた爪が極彩の皮膚を撫でる。薄い皮を浅く削りながら。  殺せ!殺せ!殺せ!あの娘は何をされた?あの襤褸雑巾は何をされた?思い出せ!
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