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第100話

 風呂上りの銀灰は幾分緊張が解れたように思えた。湯気を漂わせながら浴場の感想を述べる。言葉を途切れさせてはならない、そういった切迫した勢いすらも感じられるほどだった。 「それで…」  だが言葉が詰まった。惑っている。迷いが滲んでいる。もとが素直な性分なのだろう。 「…行くっす」  両頬を快活に叩き、子犬染みていた双眸が尖る。その面構えが父親によく似ていた。しかしあの師とどう暮らしていたのか、何を話すのか、あまり想像がつかない。 「白梅ちゃん、親父と上手くやれてた?」  世話係に下がるように言うと廊下に出、後頭部に両手を当てて歩く後ろ姿を眺めていた。同じことを考えていたらしく、鋭さの消えた人懐こい顔が後方へ曲がる。 「どうしてそう思うの?」 「白梅ちゃんはおとなしいじゃん。親父よく喋るから。疲れるでしょ」 「銀灰くんは聞き役に徹してたの」  正解っす。弾けるように犬歯が現れる。 「わたしの知ってる月白師匠は、怒ってるんじゃないかってくらい静かで、黙り込んでて、こっちで会った時は同じ人だったのか…疑った」 「親父、静かになることあんだ」  そう言った銀灰が静かになった。 「親父は、子供みたいな人だった。夜中にフツー、寝てる子供起こすっすか?それでも流れ星が見えただの夜桜が綺麗だの雪が降っただのってさ。あの人は両親いなかったから、両親いないなりに自分の思う親父になったんだと思うんすよ。ちょっと他の人たちと見た目も言葉遣いも違うけど、やっぱり父親っていったら、あの親父っすわ。でも、新しく父さんができるから、もう言わないっすよ。最後っす」 「……わたしにも家族はいないし、それで悲しいとか寂しいとか羨ましいとか思ったことないけど…だから血の繋がりがどれだけ安心できて大切なのか分からないけど、たとえ肩書きだけでも、そこから中身を作っていきたい」  失ってからじゃねぇと言えねっすよ、こんなこと。銀灰は両腕を下ろし、足元を辿っていた。 縹の部屋に近付く前に、不言通りでされたように腕を差し出し行く先を阻んだ。耳を澄ませる。会話している様子はない。扉を叩く。名乗る前に入室の許可が厚めの木板を隔て曇って聞こえた。部屋には木椅子が置き放しになっていた。 「銀灰くんも一緒です」  机から向いた顔が苦笑に染まる。 「珍しい客人だね。お茶でいいかな。今出すよ」  銀灰は表情を失って室内を見回していた。極彩は少年を小突く。 「あ、はい!お気遣いなく」  縹が立ち上がる前に極彩は茶の用意を引き受ける。何十人もが雑魚寝できそうなほどに広い部屋だったが縹が使っている範囲は非常に狭く余った箇所は照明も点いていなかった。室内の隅にある水場で湯と粉末になった茶葉、そして湯呑を準備する。電子薬缶に水を入れていると、すまないね、と縹が言った。張り詰めた2人は背後にいる。極彩のたてる物音が場を支配していた。 「銀灰くん」  先に口を開いたのは縹だった。相手は血の繋がりはないが息子だというのに遠慮がちだ。 「お父上のことは本当に、」  重そうに立つ縹は深々と腰を曲げた。 「やめてください、縹サン」  淡い色味の髪が揺れる。突き放した日が蘇る。置かれていた木椅子に座っていた銀灰も立ち上がり、上体を伏せた不健康なほどの痩身に戸惑っていた。 「ボクの身勝手な計画に、利用した。申し訳ない」 「親父は親父なりの生き方をしたんす。誰かが謝ることじゃないんですって!縹サンは大丈夫なんすか」  極彩は粉末になった茶葉を湯呑に入れる。電気によって急激に水は温度を上げている。3人は再び静けさに身を浸す。 「何も…ボクは」 「最後まで背負うことになるのは縹サンだって、親父言ってたんす」  沸騰。湯呑に注がれ、粉末茶葉は溶け、熱湯は濁る。時が流れを止めたのかと思うほどの静寂だったが茶は白い渦を巻いた。 「ボクは何も背負ってなんていないよ」 「…それならいいんす。このことは、各々が各々の分だけ…それがいいんす」  骨と皮だけの手が銀灰の肩に、文字通り腫物に触るほど慎重に伸びた。 「ボクは君のお父上に言うことは何ひとつない。止めなかった。後悔はない。(そそのか)しさえした。ただ君からお父上を奪ってしまった。そのことは…そのことだけは」 「親父の人生っすから。似合わないんすよ、互いに足引っ張り合うの。親父の顔を立ててくれてありがとうっした」  縹は銀灰に触れず固まり、後退るように着席した。 「敵わないな」  茶を運ぶ。呟きが耳に届いた。 「それで!オレっちは、その、新しい父さんに挨拶しに来たんす。なんかその、白梅ちゃんに途中で会って」  内心肝を冷やしたが銀灰はどこで会ったのかは伏せ、経緯を話す。おそらく翡翠が報告してしまうのだろう。口止めする必要がある。 「そう、極彩を。ありがとう。ボクからも礼を言うよ。もう遅いけれど、泊まっていくのかい」  銀灰は首を振った。帰るっすと付け加える。 「馬車を呼ぼう。それくらいはさせてほしい。そうだ、夕餉も食べていきなさい」  厨房へ促され、銀灰は淹れたばかりの茶に慌てて口を付けて熱がった。  縹は重ねて礼を言い、呼んだ馬車に乗って銀灰は帰っていく。馬車が消えていくまで縹は見つめていた。 「ありがとう」 「はい?」  独り言か、誰に言ったのか分からなかった。何か言ったのかと確認のため訊き返す。 「銀灰くんを連れて来てくれて」 「いいえ。連れてきてくださったのは銀灰くんのほうですし、わたしは何も」 「それでも、彼ひとりだったらボクは………。蟠りがあって。彼のことが怖かったよ。踏ん切りがつかなかった。あんなにいい子なのにね。自分の息子にして、傍に置いておきたいくらいに」  極彩。静かに呼ばれ縹の様子を窺った。だが覗き込む前に頭の上に軽く固い掌が置かれ、乱雑に撫でられた。 「縹さん?」 「君はいつからそんなに可愛い子になったんだろう?」  揶揄(からか)い半分といった調子でそう言って縹は踵を返す。 「君もそろそろ。温かくして寝なさいな」  付き添うなという無言の要求を呑む。 「おやすみなさいませ」  決まりきった文句を口にして夜に紛れていく背を見ていた。離れ家に戻る。 「翡翠さん。色街のことをは黙っていて」  雨漏りのように団栗(どんぐり)がひとつ、目の前に落ちてくる。 「最低な女になります。最低で構いません」  唇を噛んで拾う。堅果(けんか)を握った。  そうだよ?正絹にでもなるつもりだったの?襤褸雑巾って一体誰のことだったんだろう?  雄黄が敷いて帰った布団を一瞥する。その下に巡り巡って帰ってきた短剣が眠っている。送り主は依然分からないまま。売り払ってでも今は目の前のことをこなしていくしかない。  忘れないでよ。あの剣が白いのは何のためだと思ってるの。  布団から目を逸らす。団栗が掌に弱く刺さる。着替えと乾布を持って浴場に向かう。
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