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第86話

 花火は杉染台からは見えなかった。破裂音を聞きながら桜がいるかも知れないと思い浮かんだ場所に向かう。すでに境内は片付けが済み、銀灰は胡桃を仕事場に送りにいき、柘榴と杏は何か話し合っていた。極彩は暫く桜を放っておいたが風が出てきたために迎えにいくことにしたのだった。やはり桜は社の裏にある小山にいた。 「桜」  呼べば先程とは違いすぐに振り向いた。そして身を翻す。 「御主人。危ないですよ。もう暗いんですから」 「そうだ。戻ろう」  暗い中でも分かる白い顔が躊躇いがちに極彩が呼ぶまで見つめていた地面へ引き寄せられていく。不本意ながらも本意で殺めた者が埋められている。 「人を、殺しました」 「聞いた」 「焼かないことを条件にしたんです」  あの者は焼かずに埋められた。棺も宛がわれず。そのまま路上で死んだ犬猫のように土に埋めた。琵琶の木の下を選んだのも桜だった。駄菓子を一緒に放り、花も香も無く。 「二度焼かれるなんて嫌だ。…僕の我儘(エゴ)です。一度目は殺戮で、二度目は浄化。そんなの生きてる人たちの都合のいい解釈だ」  虫の鳴き声が聞こえる。星々が薄っすらと浮かぶ空に花火が響き渡る。 「御主人に救われた命で、自分で決めて、死なせたんです…後悔してはいませんか」 「わたしは、まったく」  暮れていく空は静かになり、それからまた爆発音が連発する。 「僕も不思議と後悔はありません。あの人にはもう意識も無かったからかな。あの人の声聞いてたら、分からないかもしれないです。夢を見ているみたいに、息を引き取ったんです」 「そう」  地面から目を放し、極彩のほうを向いて柔らかく笑う。 「…きちんと別れを告げられないっていうのは、夢も見られるけど、たまに残酷だなぁ」  ひっ、と小さく喉が鳴っていた。極彩は背を向ける。 「蚊に刺されるぞ」  桜は返事をしなかったが、小枝を踏む音で付いてきているのが分かった。鼻を啜っている。手の甲に微かに感じられた痛みに、叩く。ぺちり、ぺちりと音がする。鈴虫が弱く鳴いている。蝉の遅れた囀りが小山を抜けていた。 「夏が終わるな」  前よりも早く日が沈んでいく。気温も少しずつ下がっていた。風が運ぶ匂いも故郷と似ていた。 「………そうですね、夏が」  小山を下り、牛車乗り場まで桜は同行した。いつでも帰って来られるんだからな、と念を押し、牛車は動く。暫くしてから喧騒が遠く聞こえる不言通りを車窓から眺めた。明日は群青と祭りにいく。洗朱地区を爆風に消した者と。命じられたのだ。彼も。理解している。礼を返すだけだ。誘われたから、誘い直した。洗朱地区のことを忘れたわけではない。桜が死なせなければならなかった傷病者のことも。目の前で滅多刺しにされた師のことも。城に到着したことにも気付かず幾度か馭者に呼び掛けられる。紅の元に行く前に縹の部屋に寄ることにした。方向は正反対だった。人気(ひとけ)のない長い廊下を歩き、縹のいる部屋を目指したが、扉に近付けば聞こえる激しい咳に歩むことを止めてしまった。これから肌寒い季節が訪れる。あとどれだけ。足音を消し、扉の前に立った。咳嗽に怯んだ。後退って窓に背を打つ。扉を叩いて名乗るだけだ。しかしできそうになかった。顔が見られない。平静を装えない。口を開けば訊いてしまう。言ってしまう。結局苦しめるだけだ。喘鳴と、それから水の弾ける咳。頭の中が真っ白になって元来た道を走った。すでに他の職務に取り込み中の下回りをつかまえて、喚きに等しく縹の世話を頼んだが何を言ったのかは覚えていない。逃げ惑い、地下牢に駆け込むと、紫暗がいた。極彩の焦燥した様子に、びっくりした顔をする。 「お帰りなさいませ…」 「た、ただいま…ただ、いま…」  足元が覚束ない。荒く息を吐いて、眠っているにもかかわらず紅の小柄な身体を抱き締める。短くなり跳ねた癖毛に鼻先を埋めた。 「極彩様…」 「ただいま紅。紅…」  左腕が極彩を拒絶した。自己嫌悪が増していく。ただ亡骸を前にしただけではないか。救うことも出来ず、死なせると決断したのは、そして実行したのは誰なのだ。あの扉を開き、咳き込み血を吐く男を目の当たりにしなければならないのは誰なのか。右腕と舌を奪われ、見ず知らずの女に好き勝手されているのは。 「極彩様」  紅を強く胸に抱き、紫暗を向く。戸惑った円い目が動いた。しかし極彩と目を合わせると表情が険しくなる。何を言われるのだろう。赤茶けた紅の髪に頬をすり寄せる。紅の左腕がさらに暴れる。 「もうあまり、城を離れないほうがいいのかも知れません」  抱擁の力が緩まり、紅は逃げだした。紫暗は言いづらそうに何度か唇を食む。 「なんで…?」 「二公子は極彩様が城を空けるのを訝しんでおられます。彼を赦したのも、おそらく極彩様を城へ留めておくための…」  小さな手の中の照明器具が揺れる。牢を照らす明かりも大きく揺れた。 「二公子はずっと恐ろしい人です」  周囲の確認もせず紫暗は口にした。極彩は目を見開く。 「きっと極彩様が大切に思われている…いいえ、極彩様の留めておくための彼を傷付けた三公子のことも許しませんし、近日中に自分には全く身に覚えのない異動願が受理されるでしょう。お気を付けください、極彩様」  紫暗は紅を抱き寄せている極彩にしがみつく。 「紫暗は大丈夫なの?」 「自分はどうとでもなります。城外に出なければ縹様の元に仕えることも出来ますから。でもまずは極彩様です。お気を付けください」  暴れ疲れて眠ってしまった紅の寝息が聞こえる。極彩は紫暗の真剣な目を見つめ、紫暗もまた呆然としている極彩の顔面を捉える。 「残りの日数、どうぞよろしくおねがいします」  極彩は何度も頷いた。紫暗がふと紅を一瞥する。まだ何か不穏なことがあるのか。 「紅は、どうなるの…?」 「紅殿が極彩様にとって不要と思われないようにしてください。けれど二公子の邪魔になるとも思わせないよう」  近寄った紫暗にしがみつく。小さな手が髪を撫でる。話声がうるさかったのか紅は唸った。腹に短剣を突き刺されたことを覚えているのか、紅は紫暗のほうに寄っていき、そこでまた丸くなる。触れようとした極彩の手を左手が打った。頭を振り、言葉にならない声を上げて嫌がるため紫暗に引き続き世話を頼み、そして今日はもう下がるように言い渡すと離れ家へ戻る。暗闇に慣れた目に城内の光は眩しかった。隠し事ばかりで、紫暗を遣うだけの立場ですらないこともまた極彩の中の不穏を煽った。だが貫かなければならない。壊れかけの吊り橋の真ん中にいるような気分だった。外通路に出るところで藤黄が現れる。 「極彩殿」  (うやうや)しい揖礼(ゆうれい)をされる。慇懃さにかえって侮蔑を見出してしまう。気怠さを覚えながら礼を返す。 「藤黄殿。どうなされました」 「御気分が優れませぬか。蒼褪めておいでだ」 「いいえ、別に」 「夏風邪が流行っておりますゆえ、貴嬢もお気を付けくだされ。若に伝染りでもしたら由々しき事態ですからな」  藤黄は観察するように極彩を見ていた。見下ろさないためにか揖礼のままじっと跪いている。紫暗から聞かされた話は生易しいもので、すでに藤黄の中では話が何歩も先に進んでいるらしかった。 「天藍様に藤黄殿を通して伝染りでもしたら大事(おおごと)ですからね。失礼させていただきます」  藤黄を置いて離れ家に入ると、玄関に荷物が届いていた。平たいが長さのある箱で、他にも小箱がある。藤黄かと思われたが、それならば天藍に関することで一方的なことを言うだろう。誰から送られてきたのかも分からず、差出人の書かれた票もない。不気味に思いながら避けて部屋に上がった。
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