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「アルス?ぼうっとして、どうしたの?」  セレンが訊ねた。蒼褪めた顔でレーラもアルスを心配している。 「えっ?いや…」 「歓迎されましたね」  追い越しざまにスファーは意味深長なことを口にした。目の前はまるで夜中のように暗く、かといってまったく視界が利かないというほどでもなかった。影絵のような木々が青白い光で浮かび上がっている。朽ちた木道がその中へ伸び、まるで奥へ誘うようだった。その下は水で浸され、木の根元からはキノコのようにクリスタルがぽつぽつと生えて輝いている。 「足元気を付けるすよ。腐ってるっぽすから」  車椅子が先に進み、セレンも慎重な足取りで後を追った。まだぼんやりしているアルスにミーサはそう告げて彼が行くのを待っていた。木道を歩きながらアルスは水の中で群生している大小様々なクリスタルを眺めた。大きなものでは彼の背丈ほどもあった。それらが足元を照らし、朽ちた木の板を辿っていく。深い青を帯びた林を抜けるとスファーが大きく開けた場所に立っていた。広がる大きな泉の前で止まるその姿は黒い紙や布を切り取ったようでもあった。泉には人の大きさなど比にならないほどの巨大なクリスタルが沈むように佇んでいる。そしてもうひとつ、林の中にあれば大きいほうに部類するクリスタルも浸っていた。中に人影のようなものが見えた。団服が透けている。アルスたちには見覚えがあった。少し前ならばスファーが着ていたかも知れないものだった。しかしスファーはこれという注意を払うこともなく泉を見下ろしている。傍には車椅子が置かれている。誰も乗っていない。セレンは七星将のひとりが閉じ込められているクリスタルを気にしていた。最後列のミーサもやって来て、彼女もまた水晶の中に埋め込まれた少年然とした七星将を観察していた。 「クリスタル免疫不全が治るかもしれないよ」  スファーは同じ組織だった者の姿を微塵でさえ気にする様子もなくミーサへ泉に入るよう促した。 「…うん」  ミーサはクリスタルから目を逸らし、スファーへ頷きはするが水面を見下ろしたまま後退する。そしてアルスへぶつかった。 「ミーサちゃん?」 「なんでもないっすよ!行ってきま~す」  彼女は捲し立てるように言って振り返り、両腕を開くと背中から泉へ沈んだ。青白い光と紫雷のような光がミーサを包み、複雑に絡まる。一瞬で彼女の身体に紋様が浮かぶ。指先から透けていく。絵筆を水で洗った時に似ていた。四肢は弛緩し、力が入らなかった。魔力が融解していく。胸元で揺蕩うクリスタルが鼓動に合せて明滅した。溶けながら沈んでいく。横から焦げた袖ごと透けている腕を掴まれ、ミーサは首を軋ませながら伸びてきた腕を辿る。彼女を包む光がその腕の持主までをも渦を描いて巻き込んだ。彼の目が見開いた。ミーサは苦笑する。強く腕を引かれ泉から上げられる。その手を引っ掻いてしまった。泉水から離れると髪も服も瞬く間に乾いていた。紋様も消えている。彼女は仰向けになりながら顔面を手で覆った。肩を震わせ、笑っているらしかったがふと吃逆のような音を漏らした。光る粒子がまだその身を漂っている。 「ミーサ、ちゃん?」 「ごめんす、色々思い出しちゃって」  仰向けになり、ミーサは目元を腕で隠した。胸の上で借り物のクリスタルが発光する。それを摘まんだ。 「水の中に入ったら、反応しちゃって。情緒まで安定していないのかも、なんて」  剽軽に笑って彼女は起き上がった。セレンはその小柄な相手を抱擁する。そうして接触したセレンと近付いたアルスにもミーサを取り巻く煌めきが伸び、螺旋の中に巻き込んだ。戦火、矢を穿たれたまま運ばれてきた俯せの亡骸、遺品、渡された黒いリボン。セレンとアルスは顔を見合わせた。 「義勇軍、かな」  少し距離の空いているスファーにも届いているらしかった。セレンは肩で首肯を感じた。狭い背を撫で摩る。セレンの頬を黒いリボンが掠めた。 「ごめんす。落ち着いた。ありがとう」 「うん、よかった」  その背を最後に軽く叩いてからセレンは抱擁を解いた。アルスはミーサへ視線を送る。目が合うと照れ臭そうな笑みを返された。彼女は車椅子の近くに座り泉を見つめた。 「王都へ来たのはどうしてなの」  スファーは主人の沈んだ泉から目を離さずに問う。セレンたちもその質問に集中してしまう。 「遺品が、全然あの人のじゃなかったんす。国にとって、戦没者なんてそんな扱いだったから…」 「あのさ…オレ、あんまり歴史強くないんだけど、」  アルスが口を開くとほぼ同時に泉からレーラが姿を現した。傷ごと下半身は元に戻っている。自分の足で陸へと上がった。 「世話をかけた」  スファーはレーラの前で片膝を着くと辞儀をした。 「よしてくれ。ここまで、本当に苦労をかけた。ありがとう」  彼は傍に寄ってきた3人を順に見遣って、車椅子の近くに隠れているミーサのもとへ向かった。 「何ともないな?」 「おかげさまで」  彼女は逃げるように泉の水を汲むアルスのほうへ行ってしまう。 「あの屋敷の娘さん、治るといいけど」  空瓶を泉に沈めながらアルスは言った。 「量、足らないかな?バケツに汲む?」  セレンが訊ねた。横の幼馴染は水面から顔を上げる。波紋が彼の手と空瓶を歪めた。純白の毛並みを持つ馬が水上を歩いている。鳥に酷似した翼とクリスタルに似た光沢を持つ角のあるまだ若い馬だった。セレンは息を呑む。ミーサの首に下がったクリスタルがその不可思議な生物に向けて浮遊する。 「聖泉の天馬…?」  ミーサは呟いた。翼と角を持つ真っ白な馬は沈むことなくまるで陸のように水面を歩き、銀色の蹄は波を生んだ。 「ごめん。でもどうしても、ここの水を必要としてる人がいてさ。バケツ1杯分…空瓶1本分でいいから、もらっていってもいいかな」  白馬はアルスを円らな目で見た。それから鼻先をレーラへ向ける。鋭い角がクリスタルよりも深い色を帯びて光を放っていた。スファーはレーラの前に出て腕を掲げ、庇う姿勢に入った。 「敵意を感じます。お気を付けて」 「敵意?」  セレンは驚き、翼と角の生えた白馬とスファーを見比べる。アルスはただ一点、水面の上に浮く馬を捉えていた。 「大丈夫…レーラは悪い人じゃないよ」  銀色の蹄は水面を蹴り、レーラへ狙いを定めていた。アルスは天馬に話し掛ける。しかし霜柱のような睫毛に覆われたアーモンド形の目はレーラだけを映している。 「スファー、行かせてくれ」  彼はスファーの腕を除け、いつ翼馬が襲いかかるかも分からない緊張した場面の中でも無防備に近付こうとした。鋭利な角は突撃の準備が出来ているようだった。レーラは両腕を広げ、足の裏を泉に浸す。水の中に沈むことなく、彼は馬と同じように水面を歩いた。 「やめて、レーラ!危ないことしないで!」  セレンが叫んだ。天馬は大気を抉るように首を振った。剣や槍や弓、多種多様な武器がレーラの背後から現れ、泉に沈んでいく。 「レーラ様。危険です」 「一応書物には幻想生物図鑑には理論上狩猟可能ってありましたけど」  スファーとミーサが魔力を溜めはじめる。 「過激な真似はやめてくれ。敵意はない」 「ちょ、ちょっと!ちょっと待って!」  アルスも大慌てで泉へ踏む込んだ。白馬やレーラとは違い、彼は泉へと沈んだ。水の中を掻き、進んでいく。恐れることもなくレーラより距離を詰め、真っ白な毛並みに手を伸ばす。 「分かり合えるって、ね?」  馬のほうから下方にいるアルスの掌へ頭を擦り付けた。長い睫毛を伏せ、馬は(たてがみ)や首を撫でさせる。 「荒らしちゃってごめん。でも仲間が助かってすごく嬉しい。荒らしちゃったのは、ホント、ごめん」  人懐こい天馬の角はアルスの肌に刺さりそうになった途端、粒子と化して透けた。 「すぐに帰るから」  純白の翼が大きく伸び、アルスを包む。羽根が舞った。泉に沈む前に溶けていく。 「アルス…?」  セレンの疑うような声が響いた。ミーサは他の人たちの動向を確認してから大きな翼によって覆い隠され視界から消えたアルスに意識を定めた。 「アルスを返してくれ」 「アルス殿はこの泉に歓迎されています。歓迎されない者はこの森にすら入れません。晶石の泉の有無に関して諸説あるのはそのためです。今確証を得ました」 「ンでもそれが我々の耳に入ってくるということは…」  ミーサは繭のような両翼を睨む。スファーは首を振った。 「アルス殿は相当気に入られているようです」 「アルスを返してくれ!」  レーラはまた一歩近づいた。アルスの声は聞こえない。天馬の尾が揺れる。滴る水のようにその尾は曖昧だった。彼はまた慎重な一歩を踏み出す。 「アルスを返せ」  両翼は暗赤色の髪の少年を解放した。一行に安堵が訪れたのも束の間、天馬の持つ先端は尖り、反り返った角がレーラめがけて突進した。スファーですら間に合わなかった。レーラの胸に突き刺さった箇所から青い光が溢れだす。 + 『ああいうふうになりたいんだ。彼は将来も約束されていて…ごめんな…』 『好きにしたらって言ってるでしょ!もう謝らないでっ!』   暗い桃色の髪の女が感情的な声を上げた。不精髭の男が首を竦めて怯える。  男女は一瞬にして消え、場面が変わった。青い芝に小規模な民家は白い柵で囲われ、花が咲いていた。長閑な昼下がりだったが、けたたましい叫びが響き渡っている。 『いやだ!死にたくない、どうして、母さっ…』  青年は閉められた扉に張り付き、後ろから伸びた複数の腕に捕まった。  そして晴れた空は雷雨へ変わる。その雲の流れも風の冷たさも、友人の死んだ日によく似ていた。妹分の生活が大きく変わり、よく知った幼馴染が大きな影に斬られる日。胸を圧迫されるような苦しさに襲われる。頭の中を激しく掻き回されるようだった。嵐の前の浮遊感にも似ている。  気付くとレーラは城の最上階にある自室にいた。明日は王位継承権を得るための儀礼がある。側近が来室を告げ、入る許可を出した。 『アルスにもやるのか』  緊張と不安と恐怖にレーラは窓の外ばかり眺めていた。ここのところ勉強にも身が入らなかった。側近の男は控えめに肯定する。物心つく前からこの側近の男は誰よりも傍にいた。埋められない立場の差はあれども、彼はレーラにとって父親や兄のような存在だった。相手もまた、時折レーラを年齢に見合わないような扱い方をした。そのためかこの側近の男にもレーラの緊張が伝わり、共有してしまっているようだった。  王と血の繋がりのないこの王子は、そのために背へ刻印をする必要があった。晶石水に浸した聖なる刃で王家の紋を呪術とともに彫り込む。薬も使えず、眠りの魔術も使えないと聞いてからは眠れなくなった。食事も受け付けない。 『たまに押し潰されそうになる』  言ってもどうにもならず、言うだけ相手の重荷になる弱音を身の内に留めていられなくなった。 『俺よりももっと…相応しい人がいるのではないかと。それを黙認して、俺がこの国を背負っていいのかと…』  側近の男は黙って聞いていた。窓から見下ろした王都は広かった。それが世界のすべてのように思えた。しかし実際は王都の他にまだ大きな街や町、村があるという。目にしたことはない。信じられなかった。窓から見える人々の暮らしより広大なものを背負わねばならない覚悟をつけられずにいる。側近は何も答えなかった。それが最もレーラの心地良い反応だと知っているようだった。  その日の夜、眠るふりをしていたところを起こされた。ただ一言、その側近は「逃げてしまいましょう」と言った。あまりにも簡単に口にした。レーラは訳が分からずにいた。側近の男はまだ「逃げましょう」と言った。考えるだけでも罪深い選択が目の前に突き付けられている。選ぶのは容易だった。父のような側近の手を握ってしまう。彼はまるで何でもないことのように笑った。その軽やかさに、窓から見下ろした市井の生活が数歩先にもう広がっているような気がした。幼少期から面倒を看ている側近と王子。護衛に不信感を抱かせず、2人で自室のある階を抜け出すまでは順調だった。身を顰めながら下の階に降りている時、ふと自分の影のことを思い出す。その者を置いていくことだけはできなかった。考えるだけでも息が詰まる。なかなか言い出せずにいた。警備の薄い北側塔から居館を抜け、地下通路へ繋がる階段に移る時、もう引き返せなくなるような気がしてレーラはやっと口にする。 『アルスは』 側近の男は血相を変えた。そしてレーラに先に行くよう言った。下水道から地下街に出、そこで後から合流すると説明をされる。別行動を取ろうとする側近の腕を掴み、一緒に行くことにこだわった。離れたらそこで足が竦んでもう進めないような気がした。この側近に腕を引かれて初めて、一歩が踏み出せたのだった。
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