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*  ミーサはセレンが眠っているのを確認すると共有の休憩所へと出た。そこではスファーが日誌やその他雑誌を読んでいる。 「眠れないの?」  スファーは紙面から顔を上げた。 「うん、ちょっと、そうすね」  欠伸をしながらミーサはスファーから何人か分の距離を空けて座った。 「セレン殿から、この日の(もと)、この国の土の上に住まう者たちは身分に関係なく等しい存在なのだと教えていただいたの。ミーサ殿はこのシソウを持っていたの?」 「何て?」  半ば意地悪く、そしてこの者から発せられる言葉とは思えず訊き返す。相手は彼女の意図にも気付いた様子もなく、もう一度そっくりそのまま復唱した。 「考えたことないすね」 「それから…、仲間だと言っていただいたの……重いと思った」  ミーサは半乾きの髪を掻いた。紫水晶が彼女を捉える。 「セレンがどういう考えで言ったのかは分からないんすけど、仲間って響きは甘いように思えて、気が合うからとかただ何となくとかそういう理由で一緒にいられる繋がりじゃないと思うんすよね。ちゃんと役割と利が求められるんじゃないかって。ある程度埋め合わせられる利害関係が。だから重いと思うのも無理ないすよ。半分分かるっすから。七星将もそういうところじゃないんすか」 「作られた時から一緒に居る。なんでとか思ったことない。きっと分かるように作られてない。分かる必要ない」  彼女は首を倒すようにして自分を見ているスファーと向き合う。そして鼻で嗤った。 「七星将は強いからね」 「弱いかったら廃棄されるの」 「ま、(しがらみ)ってやつすね。自分を相手に見出したら、その重さを背負うために生きるんすよ。スファーさんの言葉を借りるなら、そういう思想を無意識に持ってる人もいるってことすね。滑稽に映る?」  アメジストは惑って揺れている。間を置いてから「分からない」と答えた。 「肩書きとか身分とかそういうのが真っ先に出てきちゃうこともあるっすけど、アルスさんがスファーさんの分もご飯買ったり、セレンがバケツの水絞るの代わったりするの、スファーさんのこと七星将とかいうものより、自分を投影した相手って認識してるからだと思うんすよ。仲間になるって重いことっす」  スファーは頭痛を堪えるように額を押さえた。眉が動き、美しい目が見開いた。 「でもボクはやっぱり七星将だから…レーラ様を国の主になる御方だという認識が薄い場合、排除します。誰であっても。ミーサ殿でも」  乾いた笑いを気にする様子もなくスファーはまだ不可解げに表情を歪めていた。  クリスタルの泉へ向け朝早くから出発した。レーラはミーサを呼んで車椅子の傍に寄らせると何か話していた。彼女は車輪から半歩下がって話を聞いていた。焦げた袖を頻りに直して軽率な印象を与える笑みを浮かべていた。アルスはそれを監視するように眺めてしまいセレンから肩を叩かれる。日が高くなる少し前にレーラの薬が切れ、もう話すこともできなくなっていた。 「少し休む?」  森が見えてきた頃にセレンはレーラに訊ねた。蒼褪めた顔が燃えるような色の髪から現れる。スファーは車椅子を止め鱗を濡らす。包帯の上から布を被せた。 「アルス殿」  スファーはレーラから離れ、アルスの元にやって来る。 「あの水は…どなたからです。井戸水ではありません」 「井戸水だけど…井戸の場所教えてくれた女の子が綺麗にしてくれたんだけどさ。まずかった…かな…?」 「いいえ」  最低限の返答だけもらい、アルスは車椅子へ戻っていく背中を見ていた。昨晩は折り合いの悪いミーサと話しているようだった。いつ間に入ろうかと思っていたが、ぶつかり合うような激しい論争や喧嘩に発展することはなく、むしろあまりにも無味無臭で落ち着いた話し声が部屋まで届き、怒声や物音で起きることもなくいつの間にか寝ていた。 「ミーサちゃん」 「アルスさん。どうしたんすか」 「昨日はよく眠れた?」 「まぁまぁすかね。広い宿も良いすけど、狭い宿のほうが落ち着くすね」  ミーサは意味ありげにスファーやレーラに目配せしてからまたアルスに直る。 「アルスさんは?」 「ぐっすり」 「それならよかったっす。空腹と睡眠不足は気落ちの原因(もと)すから。アルスさんはどうすか?」  肩を竦め、そこか挑戦的なその態度は早く本題に入れと言わんばかりだった。アルスも苦笑を返す。 「話せた?」 「そっすね。気を遣わせたっす。結論は安定すね」  スファーたちはもう出発の用意を整えていた。ミーサが歩き出し、彼もそのことに気付いた。  目的地の入口は閉ざされていた。朽ちた木の看板がかろうじて用件を告げている。自ら人生を清算するために訪れる者が多いらしく、同じく腐りかけている別の立て看板には教訓めいたことが数条連ねられていた。ミーサはそれを熱心に読み、アルスはその横顔が強く焼き付いた。スファーは彼女の構わず車椅子を押し、セレンはいくらか躊躇しながら進んでいく。 「ミーサちゃん?どうしたの、大丈夫?」  呼ばれた当人は驚きながら肩を揺らしてアルスを見た。ほんの一瞬、日の光が彼女の瞳を真紅に染めた。 「ごめんなさいっす。クリスタルの泉っていうからちょっと意外で。慰霊の泉ってそういうことだったんすね」  進んでいく車椅子との間を保つためセレンが立ち止まっていた。アルスはミーサを気に掛けながらも幼馴染へ駆け出した。数歩分遅れてミーサも走り出す。森の中は鬱蒼としてまるきり日差しは届かなかった。セレンは周囲を頻りに気にして不安げな表情を浮かべている。 「大丈夫?セレン、寒い?」 「ううん。寒くはないけれど…何だかぞわぞわしちゃって」  両腕を抱く彼女に上着を貸そうとしたが、寒くはないらしかった。セレンは追いついたミーサの手を取ってスファーと車椅子の行った道を進む。人の出入りは看板で形式的に禁じられてはいたが、奥へと通じる道はまるで整備されているように草はなく均された土が程良く湿っていた。ミーサは強張っている手の持主を見上げた。セレンは唇を青くして顔色も森に入る前と比べると白くなっていた。すでに視界の先からスファーの後姿は消えている。一本道をひたすら歩き続ける。時折脇から掠れたような軋むような音がした。ミーサはクリスタルを握り締めた。アルスも物音のたびに警戒する。クリスタルの泉という呼称からは見当もつかない気味の悪さがあった。暫く進み続けると洞窟があり、その前でスファーは待っていた。這うような体勢でレーラはアルスたちを確認すると車椅子はまた動く。洞窟の周辺は密集した木々も疎らになりよく日が当たっていた。土もよく乾き、虫や鳥がいた。しかしわずかに朗らかなその先にある洞窟は長いようで塗り潰したような黒が口を開いていた。 「魔物とか、いないんだね」 「魔物は居ないみたいっす。ただ、」  セレンの言葉を受けてミーサは口を開いたが言い終らぬうちに上を見上げた。最後尾にいたアルスが彼女等の前に跳び出る。全身を襤褸布と見紛う外套で覆った男で、靡いた裾から痩せ細った腹が見えた。猿を思わせるしなやかな動きをしている。手には刃物があったが、その握り方は本当にただ握っているというだけで道具として扱う意図が感じられなかった。長く伸びた爪が握り込むことを邪魔している。 「人間…?」  眼光は鋭く、笑っているかのように開いた口からは牙が見えた。爪先だけで跳ねるように立ち、左右に踊る。しかし彼等の第一印象はまず人間だった。アルスは剣を納めてしまう。しかし奇妙な男は3人へ飛びかかった。セレンが札で壁を作ると同時に攻撃をしてきたその男は宙にいるうちに洞窟から放出された巨大な炎弾を背に喰らって地面へ叩きつけられる。アルスたちは近付くこともできず立ち竦む。洞窟の暗さに溶けていったスファーが引き返してくる。 「さっきのは…?」 「人狼(ひとおおかみ)と便宜上呼んでいます」  スファーはアルスたちを洞窟へ促した。純晶石を握っているミーサの指先に火が灯る。 「人狼って何?人なの?オオカミ?」 「魔物に憑りつかれた人です」 「どういうこと」 「初めて確認された個体が人を襲ったので人狼(ひとおおかみ)と呼ばれるようになりました。広義的にいえばあの港町の屋敷にいた令嬢もこの人狼と同じ部類です。ある条件下で人としての意識と理性を失い、いずれ肉体までもが変貌するのです。原因ははっきりしたことはまだ解明されいていませんが、波動の乱れによる凶暴化の可能性は否めません」  淡々と説明してスファーは進んでいく。その感覚ゆえに睡眠の術も効かないレーラの呻き声が車輪の軋みや靴音の中に混じった。コウモリ一匹いない洞窟を抜けると日当たりのいい林へ出る。光る蝶が煌めいた鱗粉を撒いて飛んでいた。傍では小さな川が王都にある側溝のように道なりに流れ、せせらぐ音がした。アルスは周囲を見回しているうちに孤立した。長い幼馴染も、車椅子の親友も、飄々とした妹分も融通の利かない執事も。他の者たちを洞窟の中に置いて来てしまったのかも知れない。振り返ろうとした。しかしその途端、目元を冷たい手が覆った。 「だめだめ!振り向いたら帰れなくなっちゃうよ?」  溌剌とした声はセレンの淑やかなものでもミーサの気怠げなものでもなかった。しかし聞き覚えがある。手の主を探した。 「ア~ルス。待ってた」  井戸を案内した少女がそこにいた。アルスの腕にしなやかな腕を絡めて歩く。 「あれ?君は…」 「来てくれないのかと思ったよ~」  少女は八重歯を見せて笑った。 「他にも誰かいなかった?女の子2人組と、」 「知~らないっ」 「え?」  どちらから来たにせよ姿や声に気付くはずだ。アルスはまた振り返ろうとする。しかし少女は彼の腕を引いた。 「案内するね!」 「ちょっと!」 「こらっ!振り向かないの」  人懐こい少女は躊躇うアルスに構うことなく林の奥へ導いた。穏やかな日差しや心地良い湿度と染みわたるような音に包まれる。しかしふと少年の泣く声が聞こえ立ち止まる。緋色の髪を高い位置で結った、青と橙の瞳の少年だった。彼を知っている。数年前のレーラだった。見間違うはずもない。アルスは口を開けて見ていた。ぼんやりと城の風景まで見える。少年は何かを抱きかかえ、蹲りながら叫んでいる。もう泣く声は聞こえなかった。都立劇場で見た無声演劇に似ていた。 「ア~ルス!ホラ、まだまだ先!」  虹色に輝く白い髪を少女は陽気な調子でアルスの視界一面を占めた。今のアルスよりも若い年上の幼馴染の姿は消えている。 「あれ…?」 「どうしたの?」 「寝不足かも」  アルスは目を擦った。そうしている間にも歩かされる。今度は咽ぶような、唸るような声が聞こえた。暗い桃色の髪をした女が朝日の昇る崖の上に膝をつき、風を浴びていた。黒いリボンが揺らいでいる。それは後姿で、まだ断定的ではないが思い当たる人物がいた。彼女の名を口にする前に、また眼前に大きな紫色の瞳が迫る。 「こっち、こっち!」  アルスは開いたままの口を閉じることも忘れていた。ガラス製らしき透明度の高い細い踵の靴とは思えない軽い足取りで、不思議な少女は跳ねるように駆けていった。彼女に追いつき、また腕を引っ張られる。今度は男性の激しい拒絶の雄叫びが聞こえた。まったく見たこともない男で身形も少し変わっていた。背後から押さえ込まれ、口元に布を当てられると崩れ落ちていく。 「ど~したの?アルス、さっきから」  せせらぎが聞こえる。少女の瞳が近付く。よく見るとスファーよりも淡い色味で、左右でもわずかに赤みに差異のある紫色をしていた。 「うん、寝不足…かな」 「回復してあげよっか。特別だよ?」 「だ、大丈夫。それより」  みんなは。アルスの唇に彼女の細く長い指が当てられる。長い睫毛が弧を描いた。もう歩けない。足は動く。どこも痛みはない。疲れてもいない。 「もう進みたくない?疲れちゃった?行くの、やめる?」  アルスは少女の問いに苦笑した。 「行かないって選択(みち)、ある?」 「なくはないんじゃない?」  彼女が気を遣う。彼が気を回す。そうするとあの子が気を揉む。そしてあの人も追い込む。 「行くよ。それしかないじゃん」 「やった!」  少女は飛び跳ねて喜んだ。アルスは彼女の力のまま林を小川の流れに反して歩いた。金髪の少女が汚れた服で蹲っていた。雷雨の日だった。全部覚えている。黄金の双眸がふと脳裏を過ぎった。彼をみると梨を思い出す。 「ちゃんと進めて、いい子だね」  背が届かない手はアルスの暗赤色の前髪を撫でた。我に返る。そこに日の当たる朗らかな光景はなどなかった。
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