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「何してるの?」  少女はアルスの問いには答えず、しかし自分から質問をした。 「水、探してるの。君はここの人?知らないかな、井戸のある場所」 「知ってるよ!よし、あたしが連れてったげる。来て」  手を繋がれ戸惑う間もなく少女に引かれる。探していたものはすぐ近くにあった。箱に指定された額の硬貨を入れ井戸水を汲む。 「ありがと。船で来たんだけどさ、色々あって。この町に泊まらなきゃならなくなたんだ」  少女は話を聞いていないようでアルスの手元を興味深そうに眺めていた。軽く中を濯いでからバケツに新たな水を汲む。飲み水にするには一手間必要なほど濁り、傷のある鱗を潤すにも不安の残る汚れが浮かんでいる。少し値が張るが飲料水を買ったほうが良かったかも知れない。 「汚いね」  少女はバケツを覗き込んだ。浄化する道具や()す道具は持っていない。 「う~ん、でも仕方ないよ。これは花にあげて飲み水屋さん探そうかな」 「ちょっと待ってて!あたしこういうの得意なんだ」  彼女は両手を合わせてからバケツの中に手を入れた。波紋を描き、青白く輝いた。押し返す水面がかろうじて見える。汚れた水はたちまち透き通る。浮遊物も光の粒子となって消えていった。 「魔術?」  その場合はスファーの説明からしてあの鱗に覆われた鰭のある身体には合わないかも知れなかった。 「ううん。あたしの体質っていうの?水、キレイにできんだ。強いて言うなら…速く走れるとか、高く飛べるとか、そういうカンジ。どう?尊敬した?」 「う、うん。友達っていうか、兄貴みたいなのがさ、今ちょっと、魔力みたいなのがダメで…だから魔術の水は多分ダメなんだ」 「へ~!あ、じゃあ晶石(しょうせき)の泉に来たらいいよ!大体なんでも治るよ。魔力ダメって免疫不全とかでしょ。暗い性格は治らないケド、大体、全部治る。頭の悪さは治らないケド。ね、ね、名前なんてゆうの?キミが来るなら大歓迎!」 「え…?ア、アルス。君は何ていうの?」  彼女を見た。腕を組まれているはずだった。前を塞ぐように顔を覗き込まれているはずだった。しかしその者の姿はなかった。町民たちの声が四方から聞こえてくる。バケツの中には澄んだ水が入っていた。アルスは辺りを見回すがやはり目立つ髪飾りを付け、透明な靴を鳴らす少女はいない。妙な気分を拭いきれないまま広場へ戻る。来た時よりも短い距離のような気がした。 「先にいただいています」  スファーが食事を始めていた。 「うん」  アルスはレーラの車椅子の傍にバケツを置いた。セレンに誘われ朝食を摂る。 「アルス殿…何者(どなた)かに会いましたか」 「えっ、うん。地元の子っぽい女の子に井戸の場所まで教えてもらったけど、なんで?」 「いいえ。特に意味はありません」  スファーは首を振った。その隣に腰を下ろす。 「その子は、クリスタルの泉のこと話してた。でも昨日の屋敷の人はそんなものないって。ミーサちゃんもちょっと懐疑的だった」  買った頃は熱かったチーズパンはもう冷めていた。セレンが横でリンゴを剥く。その奥でミーサは梨(ナシ)を齧っていた。 「常にあるというものではないようです。望んで信じた者だけに存在すると説く者も在れば、信じていなくとも実際にみたと主張する者も在ると著書には記してありました。信憑性についてはそう高くはないといえます」 「なんだか幽霊の話みたいね」  セレンが訊ねた。 「同じようなものかも知れません」 「さっきの子は…まるで住んでるみたいな言い方だったけど…」  隣のアメジストは足元を見つめていた。パンを食らう手が止まる。 「泉は奥にあります。その森の住人かも知れません。そもそも人が住めるような場所なのかは…ボクにも分かりません」  セレンの不安げな眼差しに気付く。 「分かった。オレなりに色々想像してみたけど、もうここまで来たら行ってみて、実際目にしないとだね」  スファーは固く頷いた。  港町を出て暫く歩いているうちにレーラにかけられた睡眠導入の術が解けた。彼の唇は噛み切った痕が目立ち、麻痺の薬が切れた凄絶さを物語っていた。ミーサはまったく様子を窺うような素振りもみせず、アルスは車椅子を押しながらそれを気にしてしまった。 「召し上がりますか」  スファーはティンブレッドの袋をレーラの前に翳す。緋色の髪は左右に揺れた。青白く汗ばんだ顔に食欲の色はまったくない。 「何も食べたくない」 「でも、ずっと何も食べていないんでしょう?」  セレンは車椅子を止めさせた。 「セレンたちも、少し休んでくれ。その時にいただこう」 「さっき出たばかりだから、随分と先になるよ」  アルスが口を挟んだ。レーラは喋るのもつらそうに「それで構わない」と返した。 「食べたくなったらいつでも言って」  幼馴染たちの気遣いにまた白い顔で返答しながらレーラはスファーとミーサの位置関係を確認していた。当の2人はまったく互いを気にした様子もなく、他の3人が、まるでそれが趣味であるかのように気を揉むだけだった。  半日以上歩き、日没前に近隣の村に着く。小さな宿だったが5人で2部屋を取るには広さも申し分なかった。普段なら共有の休憩所で日報を読んでいるミーサは部屋に籠りきりで室内に置かれていた胡散臭い史書を開いていた。セレンはその姿を数度なぞる。スファーとの関係の悪化は明白だった。それを正面から問えず、隣の部屋に誘ってみても柔らかく断られてしまう。そのためセレンだけでアルスたちのいる部屋へ顔を出した。水を絞る音ばかり聞こえた。アルスはタオルを濡らし、スファーはレーラの口にパンを運んでいる。 「代わるよ、アルス。少し休んで」 「ありがとう。ミーサちゃんがその気なら一緒に散歩でも行ってくる」 「うん。お願い」  彼等は場所を替え、アルスは隣の部屋からミーサを呼んだ。彼女は散歩に出ることを一度やんわりと断った。 「気分転換、しようよ。ね?ちょっとだけ」 「そんなにすか」 「うん。どうしても」  ミーサは露骨に表情を渋らせたが返事は意外にも合意だった。アルスはセレンたちに少し空けることを告げ外へ出る。 「あんまり自分から言いたい話題じゃないんすけど、スファーさんとのことっすか」  宿を出てすぐにミーサは散歩を楽しむ気など露ほどもみせずアルスの抱いていた本題に入った。 「あ…うん。そう、バレた?」 「それしかないっすよね」 「いやだな、ミーサちゃん。オレもっとミーサちゃんに興味あるよ?」  彼女は受け流すように肩を竦めた。 「それで何かあったのかなって。2人の仲がぎくしゃくしてるのは知ってる」 「自分は別に。ただ良かれと思ったことが裏目に出ちゃったんすよ。自分はレーラ殿を誘拐したっすけど、何も…いや、話すだけ言い訳っすね」 「言い訳でも弁明でも理由でもいいからさ、教えてよ。それで考えるし」  アルスは村を眺めて歩いた。ミーサも遅れながら歩いてきた。首には新たなクリスタルが下げられていた。 「あんまり、王とか王子とか、そういう認識ないんすよね。この地を()べる次の王はどんな人なんだろうって思わないこともなかったすけど、実際会ったらまだ19の生身のさ、…これ不敬罪?」 「ギリギリ大丈夫。それで?」 「王子だから、王子だから、王子だから。それも大切っすよ。ただ言葉は通じるし、怪我すれば血が出るし、何かあれば落ち込んでるみたいだし、困ってれば助けてくれる。それなりに一緒にいれば王子以外の側面だって見えてきちゃうすよ。分かってんす、相手は王子。何かあれば損失ですがね。自分も腫物に触るつもりで接してるんす、これでもね」  広場らしき場所に着き、アルスは大樹の下にあるベンチに座った。しかしミーサはアルスの肩を叩いて「毛虫が付くすよ」と言ってベンチから引き剥がす。 「腫物扱いだったのは意外だな」 「認識の問題すね。下手なことしたら打ち首すよ、そりゃね」 「孤独だな、レーラは」  ミーサは唇を尖らせた。何か気に障ることを言ったらしい。アルスは謝るか否か迷っていたがそのうちに袖を引っ張られ大樹の反対にあるベンチに連れて行かれた。 「正直なところ、スファーさんの対応のほうが正しいと思うんすよ、王子様に対してなら。気を遣わせてるのは分かってるんす。セレンにも、アルスさんにもレーラ殿にも。レーラ殿が戻れば、そのうち治まることすよ。そうなるまで自分、宿で待ってたほうがいいすか」  アルスはベンチに腰掛けたがミーサは座るという行為を忘れたように彼の前に立って話し続けた。 「ううん、来てよ。一緒に行こう。話してくれてありがとうね」 「アルスさんの頼みじゃね、断れないすよ」 「ウソだ~。ミーサちゃん、最初断ったじゃん」  彼女は飄々と笑って誤魔化した。 「レーラは不敬罪どうこうとかそんなこと、気にしないよ。相手がミーサちゃんなら尚更。ミーサちゃんなりの接し方で接してあげてほしいな。あの中で友達になれるのは…やっぱミーサちゃんだけだから」 「とんでもないすよ。そんなことしたらスファーさんに目ん玉抉られる」  ミーサは大仰な調子で言った。過激な冗談だろう。彼女の笑い声は段々と乾いていく。スファーはレーラに害を与えなければ危害を加えないと言っていた。それが嘘だとは思えなかった。 「さ、さ、アルスさん。気分転換になったっすか、こんなんで?」 「うん?うん。おかげさまで」  ミーサは駆け出して、「じゃあ帰るすよ」と言って彼を残し宿に戻っていった。遅れながらアルスも宿に戻る。口元からセレンの手巾を落としたレーラは痛みに耐えながらミーサのことを訊ねる。目を開くだけの余裕もないようだった。 「夕飯楽しみだって、それだけ」  気紛れな彼女の言いそうなことを捏造する。彼は柔らかく苦笑した。スファーは再び手巾を噛み傷のある口に入れた。 「ボクはミーサ殿の首を掻き切ろうとしました。おそらくその件です」 「え…スファーそんなことしたの?なんで?ミーサ、何したの?」  セレンが眉を顰めた。スファーは何の頓着もなく肯定する。 「あれ、目を抉られるかもとは聞いてたけど…?冗談じゃないの?」 「俺が不用心だったせいだ。責めないでくれ」 「盗賊紛いの者に手を借りるのはレーラ様の名誉に関わります。ですが考えを改めました。セレン殿、貴方の言うとおりです。盗賊であろうとなかろうと、この日の(もと)、この国の土の上で暮らしている以上、誰であろうと等しく、レーラ様の前では平等であるべきでした」  セレンはまだ表情を硬くしていた。スファーがいうと、いくらか曲解の影がある。 「俺が甘かった。セレン…許してくれ。自分の立場を…考えていなかった」  非難めいた彼女をレーラはすぐに宥めにかかった。彼に言われると黙るほかなかった。 「レーラ様に何ひとつ落度はございません。誤解なきよう」 「オレは!オレは、スファーの言い分も、ミーサちゃんの言い分も尊重したいんだけど…それって難しいことなのかな」  尖り始めた空気にアルスは割り入った。セレンは拗ねたような眼差しで3人を順に眺めた。 「難しいことだと思います」 「ひとつだけ教えてスファー。ミーサの首を掻き切ろうとしたっていうのは本気だったの」 「はい」  躊躇はなかった。水を絞りながら返答する。 「その後のことは…考えているのか」  レーラは苦しげに消え入るような声で訊ねた。 「いいえ。まずは危険因子の排除ですから」 「やめてくれ。彼女に何かあれば、…俺はおそらく王子としての自負さえ失うかも知れない。彼女は平民だ。本当は巻き込んでいい立場の人間じゃない」 「王とは、人民の屍の上を歩くものです。王の前ならば貴族でも平民でも賤民でも等しく」 「わたしはそんなつもりで言ったんじゃない!わたしは、貴族とか、平民とか、そういうのは関係ないって言ってるの!困ってる人なら貴族でも平民でも同じだって言ってるの!自分と価値観が違うからってたったひとつふたつのことで敵とか危険因子とか決めつけて首を切ろうっていうのがおかしいの…!」  セレンは叫んだ。アルスは感情的になった肩に触れた。スファーは黙々と水を絞る。 「ボクは迎合する答えを知っています。ですが七星将の考えとは合致しません」 「それでいいんだって」  アルスは踏み込みかねないセレンをスファーから引き寄せる。 「ごめん、大声出しちゃって」  謝る彼女をミーサのいる部屋に連れていく。ミーサはベランダからぼんやりと空を見上げていた。アルスはラタンチェアに幼馴染を座らせる。 「大丈夫?」 「びっくりしちゃって。スファーにはスファーなりの考えがあるんだもんね…」 「オレはさ、スファーはあんなふうに言ってるけど、本気じゃなかったと思うな。オレはね」  テーブルに置かれたしなやかな手が震えた。冷たく少し乾いた指先を握った。彼女はわずかに惑った。 「わたしだって、そう思いたいけれど…」 「だって七星将ってすごく強かった。憶測でしかないけど、もし本気だったなら、有無も言わせなかったと思うな。でもやっぱり心配だから、2人から目を離さないようにはするけど」 「…うん」  セレンの返事とともにミーサがベランダから戻ってくる音がした。アルスは陽気に夕飯の話を彼女に振った。
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