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 彼女は複雑そうに、いくらか批難を多く含んだ眼差しを屋敷の主人へ向けた。 「セレン。俺は大丈夫だ。ミーサとスファーが治してくれた。痛みも今のところない」  セレンに触れようとする鰭をスファーが制した。彼女は離れていく破れた鰭膜と棘条を目にして悲痛な表情を浮かべる。屋敷の主人は啼泣していた。終いにはレーラに肉を渡すように懇願した。アルスやセレン、そしてミーサがその意味を解するよりはやくスファーが断ってしまう。レーラの顔は強張ったままで今にも了承しかねない危うい感じがあった。それでもなお、港町一の資産家は食い下がった。 「クリスタルの泉にある晶石水なら或いは。ですが確証はありません。淡い期待を抱かせることはよろしくないことのようですが、可能性のひとつとして。すでに試されているのなら話は放念ください」  スファーは淡々と答え、自力では歩けないレーラを軽々と肩に担いだ。包帯からその衣服に汚れが移ることも厭わず、車椅子の場所を訊ね彼を連れ去ってしまう。セレンはまだ動けずにそこに佇み、アルスは彼女を見守っていた。 「クリスタルの泉にこれから行くつもりなんです。まだ試していないというのなら、取ってきます」  老人は地に這いながらそんなものは存在しないと怒鳴った。それにはセレンも反応を示す。そんなものがあればすぐさま試したと主人は吐き捨てるように言った。 「存在しないって、どういうこと?」 「存在しないの?」  もう他に頼るものがないとばかりにアルスはミーサに視線を送る。 「” 晶石水、医者要らず”って言うくらいすからね。そんな夢に描いたようなものがあれば縋り付きたい人は山ほどいると思うすよ。医業も要らないし、まず間違いなく一財産築けるすね」  ミーサは言った。アルスの表情がみるみる曇っていく。 「ないの…?」 「地図にはあるんすよ。名前は違うんすけど。ただ今は、あるかどうかを確かめて足を止めてられないんすよ」 「…分かった」  彼は幼馴染を立ち上がらせ、支えるようにして屋敷を出た。ミーサもその後をついていく。外にはすでに車椅子に乗ったレーラとそれを押すスファーが待っていた。もうすぐ日が昇ってしまいそうだったが乗客たちでごった返す広場の一画で5人は固まり朝を待った。  眠りに就いたミーサへアルスは上着を掛けた。セレンも眠っていたためか目が冴え、彼と噴水を眺めていた。スファーはレーラの傍に付きっきりで、就寝していても小柄な姿の監視を怠らない。セレンはそれを気にした。またレーラのことに関して2人の関係に亀裂が入っている。スファーはやがて煌めいた浅葱色の瞳を迎えた。 「あの不審人物が、セレン殿に逢瀬の約束を取り付けるよう要求していました」 「え」  話しかけられた本人よりも先にアルスが声を上げた。 「不審人物って誰?」 「船で会った人?レーラの鱗を欲しがっていて…さっきも…」 「はい。ミーサ殿がクリスタルを借りたとかで」  アメジストは小さな寝姿を警戒した。 「だ、だめだよ!応じたりしたら!」 「うん。ただ、ミーサがお世話になったんだ?」 「はい。アルス殿の仰るとおり、応じることは勧められません。彼は盗賊です。交際するには相応しくありません」  セレンの首がゆっくりと傾げられる。アルスもいくらか戸惑った。 「盗賊だから、相応しくないの?」  彼女の問いをスファーは肯定した。 「城ではそう教えているはずです。賤民と付き合ってはなりません」 「…今日ね、関わる相手は選んだほうがいいって身を以って学んだ。でもこれだけは覚えておいて。レーラはこの国に住まう人のこと、みんな助けたいし仲良くしたいんだと思う。スファーはレーラのこと、大切だと思うけれど、そんな考えだときっと衝突して押し潰されちゃう。分かってあげて。わたしにも難しいことだけれど…」  紫水晶は彼女から目を逸らした。 「ミーサのことも…レーラのこと、考えてくれていると思うんだ。だから…」 「ミーサ殿はレーラ様を市井の人々と思い込んでいるみたいです。ボクはレーラ様を王位継承者として考えています。もしものことがあってからでは遅いです。もうこの国にはレーラ様しかいらせられません。その器から見ましても」 「じゃあレーラに付き従うのは…レーラが…王子だから…?」  セレンの声は固くなっていた。 「そういうふうに作られています。他の七星将の人々のことは分かりませんが」 「…そう」 「で、でも、スファーにはすごく助けてもらってて、ありがたいって思ってる。理由なんて人それぞれだしさ。ミーサちゃんとのことでぶつかり合っても…」  項垂れた幼馴染の背を摩ってアルスは冷めたことを言う相手へ身を乗り出した。 「決めたことなら心配してでも立てるのが仲間なら、ボクは仲間ではないのかも知れません。ただレーラ様が王子であり、王子としての任を全うするご意向を示すうちはお守りさせていただきます。レーラ様に害が及ぶようなことがない限りはミーサ殿に危害を加えるつもりはありません」 「オレはさ、ミーサちゃんがレーラについて、立場以上に大事なことを考えてくれて、そういう人が必要だと思ってたから側近になってくれたらいいものだと思ってた」  アルスの声は掠れていた。幼馴染や影なりに考えていたつもりだった。それが七星将のひとりからするととんだ思い違いらしい。 「…分かった。でもわたしはスファーのこと、仲間だって思ってる。仲間じゃないかも知れないだなんて思うことないんだから」  凍てついているアメジストが静かに揺れ、地面を泳いだ。躊躇いがちな小さな返事が聞こえる。セレンはミーサに掛けられた上着を肩まで覆えるよう直した。    朝日が昇り噴水広場は活気に溢れていた。ミーサも目が覚める。アルスとセレンはそれまで短い時間ながらも眠っていた。スファーは道具屋の開く時間に薬と包帯を買いに走った。アルスはミーサを連れ朝飯を調達しに出掛けた。それが互いに気を揉まない方法だった。間に入らねば見方の違いから諍いに発展してしまう。それを今までは認められずにいた。早朝のスファーの告白はもうそのことから目を逸らしていられないことをアルスたちへ実感させる。しかしミーサはそのようなことを気付く由(よし)もなく、上着を貸したことで薄着で夜を過ごした彼が体調を崩していないかの心配ばかりをしていた。青果店や精肉店、鮮魚店の並ぶ商業区画を抜けていく。開いたばかりの店で足を止め、背中にミーサがぶつかった。謝ってから商品棚の(ナシ)を手に取った。王都で見る物より色が濃く重みがある。 「梨すか?金色のリンゴ?」  横からミーサが覗き込んだ。 「梨だよ、梨。セレンが好きなんだ。買っていこ。ミーサちゃんは食べる?」 「うん、じゃあ食べるす」  店主に同じ物を3つ頼む。そして隣のリンゴを1つ加えた。 「アルスさん食べられないんすか」 「あんまり得意じゃないんだ」 「そうだったんすか。無難な味してるんで、意外す」  支払うアルスの横でミーサは紙袋を受け取った。だが店を出るとアルスがそれを持った。目的だったパンを求めて店を探した。まだ時間が早く開いていない店舗が目立った。 「昨日はごめんね」 「な、何がすか」  相手は訝るような目を向けた。 「オレが何も考えずに、あそこにお世話になろう、なんて言っちゃったからさ。レーラにも言いたいだけど、気にするからさ。大変だったでしょ。ごめんね。オレは寝てるだけだった」 「アルスさんが謝ることじゃないすよ。それ言うと、自分も軽率なところがありましたからね。責任感じるの、お互いナシにしましょ。重苦しいことっすけど」  ミーサは溜息を吐くように苦笑してからアルスを見上げた。彼も仕方なさそうに笑んだ。そして営業を始めているパン屋を見つける。ミーサはアルスから果物の入った紙袋を預かり、彼がパンを選ぶのを待っていた。店内は焼き立てのパンで香ばしく薫っていた。アルスはチーズパンとを4つとティンブレッドを4枚を買った。下半身が魚類と化した彼の幼馴染はミーサの持っていた金魚のエサか、このティンブレッドの柔らかな内相しか身体が受け付けなくなっていることを船で明かした。スファーはレーラの介護のことしか頭の中になく、食べるという習慣にも親しみがなかったようだが渡せば断らずに食べるようになった。決まった物を決まった分量買って店を後にする。広場に戻るとぐったりしているレーラとその傍で寄り添うセレンがいた。まだスファーは戻ってきていないらしかった。セレンの手にはまた青い花が握られていた。困惑気味にアルスとミーサを見上げる。 「誰か来たの?」  アルスは訊ねた。彼女が昨晩髪に挿していた花とは明らかに形状が違う。花には疎かったがそのことだけは気付かずにいられなかった。 「…その、やっぱり怪しいからって断ったんだけれど…ミーサかスファーに言えば分かるって…」  セレンは布に包まれた器具を見せた。それは細く真っ直ぐな針が伸び、小刻みな目盛が記された筒と針の反対に押子が挿し込まれていた。セレンの手巾に柔らかく包まれている。 「あのふざけたお兄さんだ…やめとこ。スファーさんに怒られちゃう」  乾いた笑みを浮かべてミーサはレーラの車椅子から2人分ほど距離を空けて腰を下ろした。 「スファーさん、あのお兄さんのこと毛嫌いしてるみたいなんで」  そしてセレンの手の中に包まれたものから目を逸らした。セレンはレーラの殆ど白地も残さない包帯をやるせなく見つめる。朝食を摂れる様子でもなく彼女は布の中のものをしっかりと胸元に抱き込んでいた。少ししてからスファーが戻ってくる。ミーサは折り合いの悪い相手を認めただけで説明の一切をアルスたちに任せてしまった。意外にも薬品注入器の使用に積極性を見せ、唇を噛んで耐えるレーラの尾部に針を刺し、弱い術で眠らせた。包帯の交換をする頃にはセレンはもう目を背けていた。 「セレン、ミーサちゃんと先に朝ごはん食べてなよ。食べたくないのも分かるけど、何かしら入れておかないと」  暗い表情をしているセレンに声を掛け、ミーサのいるほうへ背を押す。 「アルス殿もどうぞこちらのことは気にせず召し上がっていてください」 「でも、そういうわけにも」 「アルス殿も何か口にしなければセレン殿が心配します…おそらく」  要領よくスファーは包帯を巻いていく。 「じゃあ水だけ替えてくる。もういいかな」  濁った水の入ったバケツをアルスは持ち上げた。 「はい。では…お願いします」 「終わったらちゃんと食べろよ。スファーのもあるから」 「はい。ありがとうございます」  アルスはバケツを持ってふたたび居住区に向かった。用水路に水を捨て井戸を探す。王都では水に困らなかった。モルティナやロレンツァでも水は望めばすぐに手に入った。しかし大きな街やその周辺でもない限りは、外部の人間は有料の井戸から水を汲む必要があった。目覚めていく町の中を隅々まで見回しながら歩いた。ふと人の気配がまったく、ひとつとして無いことに気付く。自分の足音だけが聞こえた。他の誰の影も足音もない。振り返る。やはり誰一人として視界には入らない。一本道をそのまま進んでいたつもりだったが迷った心地になる。噴水広場のある来た道の先は強烈な光を浴びたように白く塗り潰されていた。不気味な感じがした。早くセレンたちのもとに戻りたくなる。そのためには水を得なければならない。町の中心地を目指しまた歩きはじめる。王都では青果店の近くに公共の水道があった。しかしアルスはわずかな距離を進んだだけでまた足を止めた。靴音が聞こえたのだった。それはミーサの履くような平坦な靴裏のものではなく、セレンが履いているような踵が上がり地面に接する部分の少ない種類の靴だった。小気味良い音が近付いている。油断していた。紅色の剣は広場に置き放しにしていた。 「あれ?あれれ…?」  明るさのある女の声だった。まだ少女といった年頃でアルスたちとは同年代のように思えた。虹色の光沢を持つウェーブのかかった長く豊かな髪を片側の上半分で高く結い上げ、大きな髪飾りで留められている。スファーとは微妙な差異のある紫色の瞳が人懐こそうにアルスを下から覗き込んでいる。ガラス製らしき透けた靴を履いている。 「君は…?誰?何?」  目の前に立たれ、久々の再会といったような親しげな態度をとられるとアルスはそう訊かずにはいられなかった。
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