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 足音を殺して邸内を進んでいく。案内人のようになっている強盗行為も厭わない男は厨房らしき場所へ入っていった。暗い室内に赤く光る物が目に入りミーサは息を呑んだ。しかしそれは積み上げられたリンゴだった。調理器具は綺麗に片付けられ、洗われて間もないらしき食器には乾いた布が掛けられている。巨大魚の肉塊も、残骸も、小骨のひとつも見つからない。盗賊らしき男はひととおり中を調べてから「居ねぇな!」と能天気に言った。その言動が察するに彼の中ではすでに魚類の身体を持ったその人物は調理されているものと思っていたらしかった。アルスやセレンが聞けば激怒を通り越して気絶してしまうかも知れない。ミーサは引き攣った笑みを浮かべ広い玄関へ戻る。 「っかしいな。誰も警備がいねぇんだよ。こんな金持ちなのに。ちび助、おかしいと思わねぇ?」 「その道には明るくないんで分からないっすね。ま、もし自分が金持ちになったらもっと疑心暗鬼をこじらせて、警備だらけにするっすけど」 「おたくのところのえらく強い兄ちゃんは?」 「どっか行ったっすね」  外套の男は周囲を見回し最初の大胆さが嘘のように慎重な挙動へ変わった。老夫婦と娘の3人で住むには広すぎる屋敷は玄関に数多くの扉があったがどの部屋も寝静まっているのか物音ひとつしなかった。 「どっかってどこだよ」 「分かってたら答えてっすよ」  親しげに肘で小突かれミーサは噛み付くように答えた。その時建物の奥のほうで咆哮が聞こえた。麻布が急ごうとするミーサを制する。月明かりだけが青白く差し込む暗い中でも禍々しく輝いている白い短剣を手に彼は床を踏み締めるように歩いた。 「落ち着けよ、何見ても。冗談じゃ済まなくなってきた」 「今までの冗談だったんすか」  また雄叫びが聞こえた。翻る麻のマントを追う。長い廊下の果てにあるつきあたりの扉から光が漏れている。  ママ…ママ…  唸るような地の底を這う低い声が掠れている。それは聞いているだけで喉を傷めそうだった。盗賊らしき男は扉を蹴り破る。広い部屋には巨大なウツボがいた。深淵のような目が2人を見ている。鋭い牙が揃った口が上下に開き、扉めがけ突進した。白い剣にミーサは庇われる。  ママ…ママ…  ウツボは長い身体をくねらせまた喋った。 「剣を、下げてく…れ」  よく知った声もそこにあった。途切れ途切れの苦しげな調子でミーサと外套の男は一斉に振り向いた。老いた老婦人が倒れ、その傍にはスファーがいる。そしてさらに探していた者もまだ調理されずにそこに倒れいていた。しかし多数の怪我が目立つ。 「ミーサ殿、レーラ様の治療を。魔力源にはボクを使って」  スファーは老婦人に莫大な魔力を費やしていた。彼女は生命の危機に瀕するほどの大怪我で、レーラもまた同じような噛み傷を身体中に受けている。老婦人ほどではないが一刻も早い治療が必要だった。老婦人の治療を優先するようにこの自己犠牲的な男が命じたのだろう。彼も今すぐに治癒術を必要とする状態にもかかわらず何か手を施された形跡がない。スファーの魔力を使い傷を塞いでいく。巨大なウツボは「ママ…ママ…」と繰り返し唸った。外套の男は4人の前に立ち、ウツボを警戒している。 「一体何があったってんだ」 「…っ、」  ミーサは黙っているスファーの横顔を盗み見た。苦戦している感じがあった。強力な治癒の魔術を加減もなく使用すれば老婦人の体力が持たないだろう。繊細な調整に集中力を要しているらしい。 「巻き込まれて…噛まれた」  ミーサは最も大きな脇腹の傷を塞ぐとレーラは話しはじめた。ミーサもまた会話に参加している余裕はなかった。まだ脇腹の傷とそう大差ないものが反対側の肩と首の付け根にある。尾部の損傷はミーサにはもう治しきる自信がなかった。かといって半魚人など医者が看られるだろうか。 「どういう流れでそうなったんだよ!」  外套の男は意識のない老婦人を見下ろしていた。 「静かにして」  ミーサは感情的になって叫んだ。魔力源はスファーだが、この者も上級の術を使っているだけに調節もされずに大きな魔力が体内に伝わってきている。その圧に悪寒と吐き気がした。気が散ってしまう。 「アルスたちには…言わないでく、れ」  破れた鰭膜(きまく)がミーサの手に触れた。応答するだけの余力もなく、注意力も散漫になる。唯一動かせる眉を顰めた。傷を塞ぐ丁度良い魔術でなければ不安定な半魚の身にそのまま固着し、元に戻らなくなってしまうかも知れない。特にスファーの底の抜けた供給力では加減が難しい。 「アルスたちにはいうな心配かけたくない」  折れた棘条(きょくじょう)が揺れている。お手上げだと言わんばかりにミーサは吠えた。レーラは彼女の小さな手に引っ掛けた鰭を下ろす。 「大丈夫かよ」  外套の男が奇声を上げた彼女に訊ねた。 「人工クリスタル持ってないすか」 「あるぜ。5倍返しな」  彼はミーサの返事も聞かずにクリスタルを差し出した。スファーの魔力源に干渉するのをやめ、渡されたクリスタルを握り込む。ろくに確認もしなかったが肌に馴染む感覚は人工クリスタルではなかった。5倍以上の価値がある本物だった。本物のクリスタルはミーサの意のままに魔力が掌に宿っていく。人の身であるレーラの上半身の大きな傷はみるみる塞がっていく。 「ミーサ殿」 「何すか」 「尾部は治さないで」 「スファーさんに任せていいんすか」  上級魔術師は否定した。 「じゃあどうするんすか」 「治療しない。そのお姿になられてから時間が経っているから…魔術使うの危険」  レーラは治ったばかりの首を曲げスファーの背中を呆然と凝視していた。ミーサは新たに見つけた頬の損傷も塞ごうとしたが躊躇いが生まれた。 「そりゃきっちぃだろ。麻酔薬なら持ってるぜ。打っとくか」  盗賊のような男はマントから針の付いた器具を取り出すと半魚人の脇に腰を下ろし、尾部に針を刺す。代わりにミーサが前に出て巨大なウツボを見張った。手際よく正体を明かさない不審人物は当布と包帯を用いて処置していく。 「お兄さん、医者か何か?」 ミーサはまだぼんやりとした調子だった。 「まぁな。バカ過ぎてなれなかったけど」  真偽は不明だったがその手付きは信憑性を高めた。 「お仲間さんにバレちまうと思うけどよ、仲間なんだろ?そりゃ心配もするだろうけど、仲間のすること、それなりに立ててやらねぇと。心配させとけって。でも決めたことならやれ。分かり合うってのは0か1かじゃねぇんだ。0から1なんだわ。それなら0.5とはいわねぇけどその半分くらいだけ分かってもらえ。仲間ってのはそういうこったろ」  その言い分は真っ直ぐで、彼の今までの振る舞いには似つかわしくなかった。何か理想や良心を重視してはどうにもならない事情があって盗賊になっているのだろうか。しかし彼に同情を抱く前にミーサは鱗を乞うたりセレンに花を挿したことを思い出し、いくらか渋い心持になる。 「俺は…そういうふうに、思えそうにない…」  巻かれたばかりの包帯は当布を越えてすぐに染まってしまう。麻酔が効いてきたようで痛みは鎮まっているようだが、幼馴染たちには見せられない有様になっていた。外套の男がいうものは飽くまでもミーサにとっては理想のひとつであり、皆がそれを念頭に置き、折り合えるかというと易いものではなさそうだ。 「レーラ様、この方は診療所に連れていく必要があります」  スファーは術を止めた。戦慄しながらレーラは老婦人を見る。涼しい表情の紫水晶はミーサを物言いたげに眺めてから、またレーラを一瞥した。まだ誘拐や放流を疑われているらしい。アルスたちが宿を探しに行くため噴水広場に2人で残留しなければならなかったときも小さな諍いがあった。 「診療所の者を呼ぶ方が良さそうです」 「オレが呼んでくるぜい」 「いや、待て」  レーラがまとまりかけた話を止める。その眼差しは巨大なウツボを一直線に捉えている。 「他人をこの部屋に入れたくないみたいだ」 「ではどうなさいます。レーラ様とこの者たちを一緒に居させるわけにはいきません」  外套の男は首を傾げた。フードが深く、やはり鼻先すらも見えなかった。 「ンじゃ分かった。オレがそのばあさん診療所連れていくわ。ンで、ちび助は5倍クリスタル返すじゃん。それで兄ちゃんは鱗2枚くらいくれよ」  レーラは鰭で適当な場所を差した。花弁のように緋色や黄金に煌めく鱗が床に散っている。 「交渉成立っと。ちび助、5倍返しはやっぱいいからあのお嬢ちゃんとデートの予約しておけや」  マントをはためかせ男は軽々と老婦人を抱えるとクリスタルを返す隙さえ与えずに部屋を飛び出ていった。ミーサはいくらか気を抜いていた。そして横から首を勢いよく掴まれる。 「何すかっ!」  アメジストが眼前に迫っている。見た目は細い腕だが特殊戦闘員のひとりだけあり、片腕で常人の両腕に匹敵する拘束力だった。片腕にはナイフを握り、ミーサは目を剥いた。苦しさに睨み上げてしまう。 「ミーサ!スファー…」  レーラは叫んだ。スファーは気に留める様子もなくミーサの前で刃物を光らせた。 「アルス殿とセレン殿を眠らせたのはミーサ殿なの?」 「違うすよ」 「あの者は賤民だよ。レーラ様の傍に易々と立っていい者ではないの。盗賊まがいの輩の手を借りて、レーラ様の名誉に瑕がついたらどうするの。そんなのは国賊だよ」 「何を言ってる!」  立てずにいるレーラはスファーを見上げて怒鳴った。その声に反応し、おとなしくしていた巨大なウツボは興奮したように唸り、身をのたうたせる。スファーは彼女を突き放し、巨大なウツボへ手を翳した。たちまち恐ろしい外観の生物は眠ってまう。 「スファー…」 「眠らせたただけです。ご命令は利きました。ですが、レーラ様のお命に次はありません。こういったご命令はこれきりです」  巨大なウツボにもミーサにも関心を失った元特殊戦闘員は扉に意識を向けた。乱暴な足音が近付いてくる。目覚めた家主が部屋へ飛び込んできた。スファーは腕を出し、折れて破れた鰭で這うレーラを庇う体勢になった。家主は床に沈む巨大なウツボを目にして両膝から崩れ、頭を抱えた。ミーサは渋い表情で辺りを見回すと部屋を出て行こうとしたが、新たに入ってくる者たちと鉢合わせる。アルスとセレンだった。2人は巨大なウツボにも驚いたようだったがレーラの姿に目を丸くした。 「何、どうなってるの?その怪我は何さ?」  アルスはレーラに駆け寄った。セレンはもう顔面を蒼白にして気を失いかけていた。彼女の耳の上にはまた紺色の質のいい生花が挿してあった。どうやら一目散に診療所に向かったわけではないらしかった。 「これはボクが集めた情報を総括した推察に過ぎませんが、この家の人々は人魚を食らうとどんな難病も治るという迷信を信じているようです」 「不老不死じゃないんすか」 「うん」  先程の軋轢が嘘のようにミーサとスファーは目を見あわせた。そして話を続ける。 「声を掛けてきたというのはおそらくそれが狙いかと。車椅子のご息女は日没までの姿です。では日没後の姿はというと、そこに居るものが、ご息女です」  スファーは視線で巨大なウツボを示す。 「魔力は感じましたが無害なので放っておりました。しかし老婦人がレーラ様を食わせようとしたところに間に合いませんでした。これが経緯です。守りきれず申し訳ございません」  スファーはアルスとセレンに淡々とした口調は崩さずに詫び、レーラの前に片膝をつく。セレンはまだ蒼褪めた顔でレーラの傍に寄り添い、アルスはミーサと目を合わせた。沈黙が流れ、家主は突然叫ぶと懐から出した銃をレーラへ向けた。それも一瞬のことで、殺気立ったスファーによって鈍く光る銃口は床へ転がる。とどめを刺しかねない様子にレーラは制止の声を上げた。 「事情があったんだ。深い事情が…スファーやミーサを巻き込んですまないとは思う…だが、責められない」  家主はまた大声を出して蹲った。だがその直後に顔を上げて妻のことを問うた。スファーが簡潔に説明する。 「この傷は…治せないの?」  セレンが問う。そのことについてもスファーが説明した。彼女の手が折れた鰭に伸び、しかし触れる前に思い留まる。
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