41 / 41

幻獣の棲む場所 40

「その魔剣のほうが人魚の鱗より高額かも知れないすよ」  禍々しい空気を絡ませた短剣からセレンを離そうとミーサは彼女の腕を引っ張るが動じることはない。 「これは売らねぇよ」 「人に鱗寄越せっていうくせにすか」 「だっていっぱい生えてんだろ」  セレンは眼前にある剣を握った。ミーサは目を見開いた。 「こんな物向けられたって怖くないんだから!帰って!二度とレーラに近付かないで!」  フードの者は彼女の手から真っ白な刀身を抜いた。セレンの掌の皮膚が裂けるはずだった。ミーサは首から下がっている人工クリスタルの根付を手にする。フードの者はマントの奥から革製の手袋を出してミーサに制するような仕草をする。 「安心しろ。斬りたいものしか斬らねぇんだ」  手袋はセレンの金髪を撫で、ミーサの頭に手を置き、車椅子へ3歩ほどで近付いた。 「ちょっと!」  セレンの指の中に魔札が挟まれた。 「分かったよ!分かった。鱗は取らねぇって。でもなんか高そうな物くれよ」  フードの者は車椅子に手を置いて楽な姿勢をとると片手を2人へ伸ばし物品をせびりながら掌には炎を灯して部屋を照らした。 「嘘でしょ」  あまりの図々しさはただの冗談のようにも聞こえた。ミーサの呆れた声がまだ薄暗い部屋に滲みていく。その余韻が消えたか否かという時に船が大きく揺れた。急な角度を持って傾き、車椅子は低くなっていく壁際へ滑っていく。フードの者が咄嗟に支えた。セレンはベッドの柱へ掴まりミーサも背を低くして傾斜に耐える。しかしセレンはまだ不安定な足元であるにもかかわらずレーラの傍に近付いた。 「お仲間さんはいいのかよ?甲板に行ったんだろ?こんなに傾いちまって海に呑まれてねぇ?」  急な下り坂を辿るようにセレンの足は滑り、ミーサは彼女から目を離せなかった。低地にいるフードの者は挑発するように言った。セレンは高地になった部屋の扉を振り返る。するとフードの者は「ひぇ!」と情けない声を漏らした。 「鱗くらい何枚でもやる、俺を甲板へ連れて行け」  車椅子に座る鱗の持主は上体を起こし、フードの者へ力強く言った。 「駄目!何をされるか…」 「セレンはこの部屋にいてくれ。ミーサ、頼む」  ミーサは頷いた。勾配の中間にいるため崖といえるほどの斜面から車椅子を引き上げるのを手伝った。セレンはどうするか判断に迷っているらしかった。 「それならわたしも行く…!その人のことだってまだ信用でいないんだし…」 「だが…」 「はいはい、止まらねぇぞ。鱗もらうんだからな、オレは」  車椅子は急激な斜面を上りきり、部屋を出ていった。部屋は再び光源を失った。ミーサはまだ暗さに慣れない視界でベッドに掴まりながらセレンの元へ這う。 「わたしも、行く」 「そういうことなら」  ミーサもセレンを追った。甲板は近い船室だというのに大きな傾きによって着くまでに倍の時間を要した。すでにフードの者と車椅子は見当たらなかった。炎の山を登る時よりも脚が張った。甲板へ出ようとするセレンの肩を掴んで止める。海へ滑り落ちそうなほど傾斜が厳しく、揺れも激しかった。セレンの後からゆっくりと首を突き出し、外の様子を窺う。左右が上下と化し、方向感覚を失っていた。船がまた揺れ、船室の並ぶ通路からは悲鳴や怒号が聞こえた。傾きが少しずつ戻っていくが天井や壁が軋んだ。セレンはミーサが止める間もなく甲板へ走り出した。またいつ船が揺れ、傾くかも分からないというのに無防備に幼馴染を探しはじめる。間を置かず大きな揺れに襲われる。しかし今度のそれは上から叩きつけられるような上下の揺れだった。ミーサはセレンの腕を引き前進を阻み、周囲を警戒した。鱗に覆われ所々鰭の生えた巨大な蔦のように長い触手状の物体が船に乗っていた。 「待つっすよ、待つっす!」  断続的に船は上下に揺れた。下から上へ現れ、縫うような動きをして鱗に覆われた物が現れる。金属や木材の潰れる音がした。巨大な蛇の胴体に似たものは船に螺旋を描きながら巻き付いてる。セレンに被さり誰もいない小規模な船橋から砕け散った硝子片から庇う。 「ミーサ?」 「平気っす」  ブリッジの横を曲がりセレンは何者かとぶつかった。フードの男の背中だった。彼の向く先にはアルスとスファーがいた。船首付近で武器を構えている。彼等の前には人魚がいた。雑貨屋で売られている貝殻の裏面のような不思議な色味をした光沢の長い髪と、浜辺に押し寄せてはまた沖へ吸われていく(さざなみ)を思わせるウェーブした毛が美しかった。誘うように動く魚類に酷似した下半身は、薄紅色や翠色そして深い青色へ角度を変えるたび異なる反射をした。しかし非常に長く、柵を壊し船から垂らされ海へ沈み、尾鰭は見えなかった。 「オレはごめんだぜ!あんなのに関わっちゃ命がいくつあっても足りませんや」  フードの男は身を翻してセレンとミーサの顔を順に見遣ると肩を竦めた。レーラが振り返る。緋色の髪が靡いてフードの男を捉えた。 「交渉決裂か」 「死んだら終わりだからな」  フードの男は革製の手袋を打ち鳴らした。 「確かに」  レーラは呟いて、鰭で車輪を押す。摩擦により鱗が数枚剥がれ、白い肉がみえた。ミーサはぎょっとして一歩出て立ち竦んだ。セレンがすぐに車椅子を押すと言ったが彼は狼狽した。忘れた頃にまた船が大きく揺れた。足の裏から伝わる船内の騒ぎと木材や金属の折れたり潰れたりする音が聞こえた。咆えるような女の声が響き、それはアルスとスファーの前に佇む人魚が髪を掻き乱しながら発しているものだった。  車椅子はセレンの手を離れ、しかしレーラの操作もなく車輪が回り、船首に引かれていった。スファーはそれを許さなかった。爆炎が人魚を包む。船体は再び小刻みに揺れた。ミーサが車椅子へ走り寄る。スファーはすばやく振り返り、ミーサへ腕を突き出す。彼女の足元から鋭利な岩が生え、行く手を遮った。ミーサは後退る。セレンはその身体を気遣わしげに柔らかく支えると車椅子の把手に両手を置いた。スファーはそれを認めると燃え盛る人魚へ直った。アルスの紅色の剣が止めを刺す。空間が(ひず)むように船が揺れ、巻き付いている巨大な蛇のようなものが緩んでいった。炎の中にいた人魚は形を変えていく。風の祠のある村で討った海蛇の怪物のように尖った頭部と鰭に似た構造を持つ角が3つほど連なっている。鳥類の嘴のような吻が大きく上下に開き、甲高い咆哮を上げる。翼を思わせる胸鰭を羽ばたかせ、長い上体を浮かせた。宙を揺蕩う髭が鞭になりアルスとスファーを薙ぎ払う。 「あれが…この揺れの正体なの?」 「そうらしい」  レーラはセレンに答えると、アルスとスファーを大声で呼び武器を下ろすよう言った。彼等は怪物の様子を窺いながら少しずつ撤退する。 「大丈夫だ。お前を攻撃したりしない」  車椅子から立ち上がりかけた。しかし尾になっている下半身では体重を支えきれず崩れ落ちそうになる。セレンが鰭を潜り腋から掬い上げる。怪物が激しく叫んだ。 「レーラ…」  彼女はわずかに眉根を寄せ、怪物と対峙するレーラを心配げに見つめた。彼は慎重に鰭と化した手で彼女の肩に触れ、離れるよう促した。 「お前の探している人は俺ではない。もう居ない。どこを探そうと、もう会えない。理解してくれ」  種上げの儀式の時と同じ洗練された雰囲気を醸し、レーラは近くの手摺で身を支えた。アルスとスファーが戻ってきて、スファーはすかさず滑り落ちかける半魚の身体を支える。 「この船を襲うのはやめてくれ。こんなことに意味はない」  怪物の、翼とそう大差ない胸鰭と(のぼり)を彷彿させる小さな背鰭や腹鰭がゆらゆらはためいている。風に扇がれているようにもみえた。訴えかけるレーラにその鷲や鷹に近い造形の魔物は静かな眼差しを注いでいた。時間が止まった感じがあった。ただ船内から混乱と紛糾(ふんきゅう)の音が聞こえた。潮風が彼等を撫でた。瞬間、魔物の長い上体が上甲板を払う。船橋や帆、手摺が壊れていく。アルスは粉塵の中、セレンとミーサを庇った。レーラとスファーの姿が消えている。彼は下げた剣を構えた。船に巻き付いていた大蛇の胴体が解かれ、一行の目の前にいる怪物は首を後ろへ引いた。そして甲板ごと頭突く。アルスの剣が受け止めた。ミーサは首から下げた人工クリスタルの根付を握り込む。しかし怪物は身を引き、次は首を捻りながらセレンを狙った。魔符が3人を囲い凌いだが、それは布石に過ぎなかった。胸鰭が船を上から叩きつける。逸早く気付いたミーサがセレンの前へ回り、脇腹に怪物の軟条(なんじょう)を受けたまま船の外、宙へ放られ海に沈む。 「あ、」  小さな水飛沫が上がった。 「ミーサ!」  セレンは壊れかけた柵まで走る。無防備な彼女の背中を警戒しながらアルスは攻撃の機会を窺う。魔物は高く鳴いた。船が揺さぶられる。床を蹴って斬りかかる。紅の刀身が燃えていた。鱗に刃が入っていく。怪物の上体がよろめいた。滑る体表を蹴って甲板に戻り体勢を整える。ちらと横目でセレンを確認する。彼女は下のデッキに通じる階段へと駆けて行った。アルスはまた跳んで剣を振りかぶる。刃先が明滅し、放電による音が鳴っていた。怪物を斬る。骨にまで電流の通る感じがあった。それが鱗と肉を断ち切る感触を麻痺させた。怪物は筋状になった雷を絡み付かせ海へ倒れていく。上手いこと先程までいたデッキに戻れず、ひとつ下の階の柵をかろうじて掴み、落水を免れる。 「アルス!」  セレンがすぐに彼の窮地に気付いて手を差し伸べる。彼女はアルスを引き上げるとまたミーサの落ちた地点から近い場所に戻った。 「あそこにスファーがいるの!」  彼女は叫んで指を差す。アルスはその指し示す先を追う。船体の小さな隆起した部分にスファーは片手で身を吊るしていた。 「スファー!」 「レーラ様は海の中にいます」 「それは、分かったから!上がって来られるか?」  アルスは一度深い青を秘めた海原を見遣った。 「わたし、小型船が出せないか訊いてくる」  セレンは大慌てで船内へ走って行った。 「アルス殿は怪我を負っていませんか」 「ああ。ありがとう、援護してくれてたんだろ」 「状況をお伝えしましたので、レーラ様を助けに向かいます」  アルスはぎょっとした。スファーは大したことも無さそうに手を放した。もう1人海へ落ちていく。アルスは叫んだ。水飛沫が上がった。  レーラは海の深くに沈んでいった。両腕と下半身に海水が集中する。鱗も鰭も海に適していないらしかった。ある程度の呼吸は出来たが、痛いくらいの水中にいるだけ息苦しさが増していく。魚類へ変貌した部位だけでなく海水が皮膚を痛め付ける。目の前を鮮やかな魚が泳いで横切っていった。捕まえるつもりはなかったが鰭を伸ばした。透明性のある薄膜が揺蕩う。それが自身の身体の一部だと彼はまだ信じられずにいた。船の陰の近くに大きな海蛇の気配があった。船を囲うように泳ぎながら、やがて迫りくる。逃げようにも鱗は海水を吸収し、半身と両腕は動かなかった。光から段々と遠くなっていく。奥底に進み、息もできなくなっていた。横から伸びてきたものに引っ張られたが鮫か鯱の類に思われた。簡単な術で追い払う。しかしそれで体力は尽きてしまった。陸で魔術を放つのとはまるきり要領も消費も違った。もう一度鰭を引かれ、抗うことは出来なかった。
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!

この小説を読んだ人におすすめの作品

高校2年生の富樫(とがし)慧(けい)は平凡な高校生活を送っていた…あの時までは…。
2
2
連載中/8話/19,014文字/51
2017年10月26日
その日、駅前商店街は巨大な――に襲われた……(短編コメディです)
2
連載中/1話/2,539文字/53
2017年10月31日
異世界に召喚された佐和子は黒歴史ノートを武器に、羞恥に悶えつつ日夜戦いを繰り広げるのだ!
完結済/7話/20,417文字/21
7月11日
失った記憶を取り戻すのは辛いこと?
連載中/8話/3,994文字/0
2019年2月3日
規則正しさと美少女、どちらを取りますか?
完結済/2話/1,986文字/0
2018年1月1日
一番古い記憶は、母親に首を絞められているものだった。
連載中/1話/10,229文字/0
2018年7月30日