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第35話

 倦怠感を覚えながら風の祠があるという岩場の近くの浜辺までセレンとミーサとともに訪れた。潮風に当たり、ミーサもいくらか怠そうでセレンに支えられながら浅瀬から上がってくる。 「2人とも大丈夫?」   魔力の混じった潮風がセレンの髪を撫で、光らせる。 「うん、大丈夫」  アルスは笑みを貼り付け、逆光するセレンに答えた。ミーサはその隣に座らされる。 「セレンは何ともないんスか」 「うん」  穏和で控えめな彼女が海を前にいくらかはしゃいでいるように見えた。砂を蹴って浜辺へと戻っていく姿を2人並んで眺めた。 「こうしてみると、平和なんスけど」  浜辺で屈み、丸みを帯びて白く曇ったガラスの破片や貝殻、珊瑚の死骸を拾うセレンを、ミーサは両手の指で作った枠に収めた。 「オレたち、王都でずっと暮らしてて、海とか近いのにそんな行ったことないんだ」  膝に両手をだらしなく引っ掛けていたアルスはぼんやりとセレンを見つめている。セレンは2人のほうへ振り向いて手を振った。 「手、振ってるっスよ」 「ミーサちゃんにだよ」  困ったように隣の少年は笑った。ミーサは「ふぅん」と言って手を振る彼女に数拍遅れて手を振り返す。 「こんなカタチでも、セレンと海に来られて嬉しいよ。ミーサちゃんが居るから尚更。レーラとスファーも来たらよかったのに」 「レーラ殿は自分の中の自分に対しての体裁ってものがあるんスよ、きっと。その辺は、自分よりもアルスさんたちのほうが付き合い長い分、自分が言えるコトじゃないんでしょうが」  ミーサは無造作に傍の砂を掴んだ。海で削られたガラス片が掌に残る。 「ミーサちゃん、レーラの教育係になったらいいじゃん」 「自分がレーラ殿の何を教育できるんスかね」 「気の置けない友人になれるよ。オレでもセレンにもなれないような」  魔力の風に包まれ、アルスは不調を逃がす溜息を吐く。この気候に慣れるため、風を浴びると言って朝から昼までこうして彼は浜辺に座っていた。様子を見に行くようレーラに頼まれたセレンがミーサを誘い、現在に至っている。 「戻ったらどうスか。このまま身体壊しても大変スよ。当方みたいに」 「笑えないよ、ミーサちゃん。少しずつ良くなってるから平気」  2人で水平線と波、セレンを臨む。彼女は何か拾ったらしくアルスたちのほうへ駆けてきた。 「綺麗な貝殻を見つけたの。後で紐を通して、ミーサにあげるね」 「本当っスか?嬉しいっスねぇ」  セレンはそう告げてまた波打ち際へ戻っていく。 「レーラ殿だって、セレンだって、アルスさんだってさ、19、17のまだ少年少女じゃないっスか」 「そんなこと言って、ミーサちゃんいくつなのさ」  互いに風によってじわじわと体力を奪われていく。 「少なくとも、19、17の青少年たちを子供扱いできる歳っスね」 「オールも本当の歳、教えてくれなかった。事情が事情か…」  他愛のない話をしていると浜辺に地元住民らしき若者や子供が現れはじめた。隣の少年がいくらか気を張ったことにミーサは気付いた。 「自分が19の頃なんて、自分のコトしか考えてなかったな」  ミーサの呟きとともにアルスが立ち上がった。若い男2人組が波打ち際で砂の城を作るセレンに言い寄っている。ミーサが立つ前に隣で砂が上がった。 「セレン、大丈夫?」 「うん。この村のことについて聞いていたの」  アルスは彼女に代わりこの土地について訊ねはじめる。彼はいくらか魔風に耐性がつきはじめているらしかった。ミーサはぼんやりと水平線と4人の姿を目に焼いて、青空に陰を映した。子供たちのはしゃぐ声、海鳥の囀り、波の音、朗らかな会話。潮風が運ぶ軽度の頭痛と倦怠感。麗らかな海辺と親しい会話、見守る相手は非日常だというのに日常として望めるものだった。訛りのある語調はロレンツァでも聞き覚えがあり、海に近い地域に広まっているのかも知れない。海水浴をするような場所ではなかったが、ミーサは砂浜に寝転びたくなった。しかし平穏な一時は終わりを告げた。ざぶん、と質量のあるものが高いところから水面に落ちる音が聞こえた。視界の端の子供の集団が騒ぎはじめる。ミーサは眉を顰めながら凝り固まったような身体に力を入れて立ち上がった。セレンが悲鳴を上げ、アルスは海の中にいた。ミーサは訳も分からないまま、海へ入って行こうとするセレンの元へ走って引き留める。 「レーラが!」  指で差された地点よりもミーサはその上部にある崖を仰いだ。宿のベランダから見渡せる峠だ。セレンの口にした者が落ちたなら、身投げしか考えられないほど、その峠は緑が生い茂り空地と化していた。アルスは海を掻いて崖の下へ向かっている。セレンを掴みながらミーサは風から貯えた魔力で務めを果たそうとする仲間に術をかける。  人魚の亡霊だ!  傍にいた若者が呟いた。激しい耳鳴りに思わずミーサはその若者を睨んでしまう、  崖の近くで踊る女がいるんだよ!決まって足を滑らせて転落するんだ!  そしてその踊る女どこを探しても見当たらないのだという。セレンはミーサの腕を抜け、頭を抱えて屈み込んでしまう。子供たちは首を伸ばして海を眺めていた。崖の上が閃光を放ち、スファーと思しき者の人影があった。海の水が轟き、強力な突風が吹き抜けたみたいに飛沫を上げながら海水は道を拓いた。ミーサは息を呑んで人工クリスタルに手を掛けたがそこにはストラップさえも無かった。正常に戻っていた瞳に不穏な赤が灯る。 「水の精霊よ、我に力を。来たれ、来たれ、来たれ」  視界が緑がかる、耳鳴りがする。手足が震え、膝に力が入らない。血潮が魔力に変換されていく、足元から赤みの差した水晶が生えた。割り開かれた海水が大波となって水平線を隠す。黒ずんだ盛り上がりに若者たちは走った。子供たちも互いに腕を引き合って海とは反対方向へ走る。 「水の精霊よ、我に力を」  迫りくる津波へ力の入らない片腕を上げた。砂浜に血の雫が落ちた。鼻血だ。眼振によって焦点の合わない視界で御しきれない精霊の力を怪物と化した海へ放つ。躙り寄る濁水の壁の中に村ひとつ容易く呑み込めるだろう巨大な海蛇の陰が見えた。鋭い鰭が流れていく。 「水の精霊よ、我に力を。来たれ…来たれ…鎮まり給へ…海の聖獣…」  譫言のように繰り返す。魔力がミーサの意思を上回り、崩れかけたところをセレンに支えられる。 「ミーサ!」  アルスとレーラの姿が確認できず、震える腕は落ちかけていたが再び曇り始めている空へ掲げた。指先が虹色に照り、大波は渦巻く虚空に吸われていった。離れた場所にいるはずのスファーの治癒術に包まれ、ミーサは吐血した。セレンは半狂乱に陥りながらも小柄な仲間の背を摩る。峠を呑み、村をひとつ消してしまいそうな波から瀕死の彼女を庇った。  レーラは見つからなかった。タオルを被ったアルスは何度目になるかも分からない溜息を吐いた。傍には手当てされたミーサがその姿を見ながら仰向けに寝かされている。スファーは金魚鉢を抱え、扉の脇に佇んでいた。セレンはミーサの乗るベッドに失神同然に顔を伏せ、少しも動かなかった。静けさに浸りながら時間ばかりが過ぎていく。このまま石化してしまいそうだった。 「エサを買ってきます」  スファーの一言が沈黙を破る。ミーサは何の話だとばかりにゆっくり上体を起こし、金魚鉢を泳ぐ炎のような金魚を認めた。喋ろうとすると腹が鋭く痛んだ。 「ミーサ殿の薬も買ってきます」  金魚鉢を抱えながらスファーは小さな診療所の処置室から出て行った。 「セレンは明日、王都に帰ったらいい。馬車があるといいけど。ミーサちゃんは様子を看て、帰らせる」 「アルスは…どうするの」  顔を突っ伏し、嗄れた声は無機質な感じがあった。 「捜索隊が明日、出てくれるそうだから」 「王都に帰って、待っていろって言うの」  やはり彼女の声は無感動で掠れていた。ミーサは口を挟もうとしたが内臓が捻られるような鈍痛に息を詰めた。 「どうして…」  感情の籠っていなかった声が(ひしゃ)げる。ミーサは真横で歯軋りを聞く。重苦しい空気に潮風と過剰な魔力の消費に弱った身体がさらに押し潰されそうになる。スファーが帰ってくるまで続いた。スファーは金魚にエサをやり、ミーサの口へ薬瓶を傾けた。生薬の甘苦い匂いが室内に漂う。魔術による回復は負担がかかるため強力な治癒術を宛てにできなかった。 「宿に戻りましょう」  球形に近い水槽を大切に持ちながら、呑気な元・七星将は3人へ言った。アルスは呆然としままで、セレンはもう失神しているようだった。ミーサは意識があるものの声も出せず、歩ける状態でもなかった。赤い眼差しは緋色と黄金に照る鱗が自在に水中を泳ぐ様を観ていた。ドレスのような背鰭と尾鰭が揺蕩っている。  深夜になり、半裸で濡れたまま意識を手放したアルスと顔を伏せたまま動かないセレンに掛布を羽織らせ、ミーサは宿に戻ったスファーを追った。しかし目的の人物はそこにはいなかった。一騒動あった浜辺に降り、奥まった岩場を訪れる。真っ暗な最奥に風の祠がある。漣が響き、月が水面に光を与えている。金魚鉢を抱いている人物が白く浮かんでミーサを迎えた。紫色の瞳が猫のように場所を知らせた。赤い眼光とぶつかる。 「アルス殿とセレン殿はどうしたの」 「寝たか、気絶したかしてるんじゃないスか」  「みんなどうしたんだろう」  ミーサは首を傾げているスファーの腕の中の金魚を指で差した。 「たとえ2人が発狂しても、それが王子殿だなんて言わないことっスよ」  口にした途端、ミーサは吹き出し、次第に腹を抱えてげらげらと笑った。 「頭のおかしいヤツ認定されるか、不敬罪同然っスからね。最悪大喧嘩になるっスよ」 「風の精霊を倒せば、レーラ様は元のお姿に戻るかな」 「待て待て。下手を打てば一生そのままってこともあるっスよ。王位継承権第一位が金魚の国は流石に拙いっスよ、面白すぎて。腹捩れるっス」  ぎゃはぎゃはと腹の痛みと抑えきれないおかしさに身悶えているとスファーの纏う空気感が変わった。片腕で金魚鉢を持ち、片手はミーサに向けられる。 「ミーサ殿には悪いけど、国とレーラ様の侮辱が続くなら討ちます」 「お前の術マトモに喰らったらこのカラダじゃ消えるっスね」  赤い目の持主は腹を抱えてまた下劣に笑った。金魚は煌びやかに水の中を泳いでいる。 「お痛ましい姿っスよ、王子殿。この世で一番貴い金魚っスね!スファーさんのオトモダチにその高級魚、食わせてやりましょーよ」  ミーサは下卑た笑みとともに手を打ち鳴らす。 「黙れ!」 「ちゃんと守るコトっスよ。うっかり海に戻されないように。巨大な海蛇の化物がいるようっスし」  暗い視界を魔風が燦然と輝きながら吹き抜けた。水面にも反応し、その中で泳ぐ金魚の艶やかで爛々とした鱗はよく目にするような魚の類でないことを色濃く示した。 「案外、飼われた小魚生活のほうが楽なのかも知れないっスね」 「元に戻すよ。必ず」 「また苦しく抑圧的な生活に戻すワケっスか。鬼畜っスね。流石、腐っても七星将!」 「レーラ様は国に必要な御方だから」  ミーサは両手を後頭部に回して陰湿な笑みを浮かべた。金魚鉢に目を留めたままさらに笑い声を付け加える。 「すべての責任を取らせて、斬頭台に上げないとっスもんね」  大きな火の玉が砂浜を抉った。ミーサは躱したが、スファーの近付いてくる足音が眩しさに穴の開いた視界の外で聞こえる。球形のガラスの中に閉じ込められた金魚が暴れ、尾鰭が水面を叩き、その音は漣よりも近くに聞こえた。スファーの魔力が織り成す強い治癒術によって分解しきれない魔力が弱ったミーサを苛んだ。 「スファーさん?夜の海は危ないっすよ」  赤みの消えた目が金魚とスファーを訝しげに見つめた。
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