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第34話

 洞窟内で爆炎が巻き起こる。祠に戻ってきている熱とはまた違う熱さだった。アルスは球状の障壁に守られていた。ひんやりとした冷気が止まらずに吹き出ていた汗を鎮めた。だがこの術者はすでに逃げたはずだった。後ろをちらと確認すれば尻餅をついて座り込むスファーが疲れた様子でアルスと彼の前方に手を掲げていた。背後には炎を纏った巨獣がいた。黒曜石のような角が橙色を映して揺らめいていた。 「石化は解除できました。でも本調子ではありません」  スファーは立ち上がり、アルスを穏やかな温もりが包み込む。切り傷や掠り傷、疲れが消えていく。 「ミーサ殿の冷気をコピーしましたが寒くはありませんか。ヒトの体温は分かりづらくて」 「うん。助かった…」  よかった、とスファーは呟いて後方を振り返る。そして眩しいほどに燦然と輝き、毛並みや筋肉の質感を持った獣と対した。 「彼等に知恵と炎の御加護を」  スファーの描いた円陣が強く光る。隙をみせる彼を狙ったヘインへアルスは割り込んで阻んだ。大きな金属の中に揺らめく火炎に目を眇める。眼帯に銀髪を逆立てた男は笑った。 「この山の自然を殺して楽しいか?」  獣が咆える。スファーは片膝をつき、(こうべ)を垂れていた。力をお貸しください、人の子をお守りください…と繰り返している。この場所を初めて訪れた時は聞こえた声が今は聞こえなかった。咆哮と唸り声ばかりが真っ赤に燃え上がる祠の中に轟く。 「効いちゃった?」  反応を示さないアルスの顔をヘインはフクロウのように首を動かして覗き込み、口角を上げた。 「草木も虫も、鳥も死ぬ。急激に戻っちまったクソ暑い気候に耐えられない村の奴等も。お前等が殺した。炎の山は緑いっぱいになる運命だったはずだ。自然はそれで喜んだはずだ?」  紅色の剣は大刃に圧され、靴底が滑らかな地表を滑る。 「この山は生けるものから淘汰されたんだよ!」  ヘインの刃が引かれ、紅色の剣から火花が散った。斧に似た武器が振りかぶられる。だが使い手ごと閃光に薙ぎ払われる。直後に凄まじい咆哮が熱風と共に空間を軋ませた。 「ヘインさん!」  戦闘不能に陥りディンの傍にいたリフィアが強かに全身を岩壁に打ち付けたヘインに駆け寄った。 「鎮まれ、鎮まれ、鎮まれ…鎮まれ炎霊」  スファーから放たれる一筋の魔力が筋骨隆々とした体躯と猛々しい角を生やす獣を縛り付けていた。魔獣が暴れる。地が震えた。 「ナメやがって!」  ヘインはリフィアを突き飛ばす。彼の前に呪文の書かれた円環が現れた。 「祠ごとぶっ潰してやるよ」  男は立ち上がる。ディンの手枷も効力を失い、彼は自身で両腕に絡まる魔力を引き千切った。 「アルス殿。みなさんと合流してください」 「いや、ここで引き留める」  首を振り、剣を構える。もう一度、心地良い冷気の中で穏やかな温もりに包まれる。スファーは分かりましたと返事をする。止めることもなかった。 「ヘインさんの召喚獣は厄介なので気を付けてください」  円環から鷹や獅子、馬ともいえない様々な獣の部位を組み合わせた四つ足のものが少しずつ形を成して現れる。 「リフィア、アイラ貸せ!」  ヘインは怒鳴った。リフィアは迷いをみせたが結局彼女の近くにも呪文の綴られた円環が浮かぶ。ディンは虚空を眺めて呆れた様子を示し、自由の身になったにもかかわらず岩壁に凭れてヘインとリフィアを目で追うだけだった。 アルスは戦意の増しているヘインと向かい合う。厄介な召喚獣まだ戦闘態勢に入っていない。柄を握り締める。刀身が折れたら所有者であるミーサに申し訳ないと他人事のように思った。レーラは上手く逃げられただろうか。ヘインの挙動を窺いながら思考は集中しなかった。祠の入口から複数の足音が聞こえ、負けたかも、と思った。 「すまない、アルス」 「アルスを置いてなんて行けない!」  赤い鱗に覆われた馬のような怪物がセレンを襲った。ミーサが前に立ち、ひひ…と笑って撃ち落とした。 「あっれ、セロトさんの姿が見当たりませんねぇ」  ディンがすっとぼけた調子で言った。 「クリスタルの森に回収しに行ったらいいネ…行方不明の子供はみんなあそこに行くんだからネ…」  ミーサは祠の炎の色とは異質な光を瞳から放ち、くくくと低く笑う。 「五星将でやっていくしかねぇってよ!クソが…!」 激昂したヘインは大太刀を振り回す。アルスはセレンたちのいるほうへ回り込んだ。ディンは外側に刃の付いた武器を携え、暴走気味な同輩を制し、一行へ対峙した。スファーによって拘束されている魔獣が雄叫びを上げ熱風が吹きすさぶ。アルスはヘインへ、レーラはディンへ走った。ミーサの爆撃から持ち直した赤い鱗の怪物へ魔符を構えるセレンに庇われながらミーサはクリスタルに包まれた両手を広げ、詠唱を始める。  再び戦闘は激しくなった。イフリートはスファーの捕縛の中で暴れ、先程までとは比べものにならないほどの地震に見舞われる。治まったかと思えば地響きととともに天井に大きな亀裂が入った。イフリートは猶も暴れ続ける。対話の必要性を感じ、レーラは一度ディンの戦圏輪を退け、転倒した場所が発火する。逃げるように走って、スファーの横に滑り込んだ。 「約束のとおり、貴方をお助けします。願わくばご契約を」 ――このヤまハ、もう持タぬ  背後を取ったディンをスファーが蹴り飛ばした。横揺れはすでに立っていられないほどで、的を外したミーサの術が岩壁に跳ね返りヘインを撃つ。 ――我輩ノ意志を、貴様らに託そウ…  天井が崩れ落ちる。洞窟内に燈っていた炎の色が薄らいでいったが、目の前は真っ赤に燃えた。 ――1000年後、マた会おうゾ、レーラ  地が割れる。足が浮いた。アルスに叫ばれ、服を掴まれた。強い力で引っ張られると、視界が閉ざされていく。 地鳴りと、轟音と静寂。 「レーラ」  目覚めない幼馴染を呼び掛けるセレンに手を置き、アルスも傍に屈んだ。ミーサはスファーによるクリスタルに覆われた腕の治療を受けていた。全景を見渡せるほど離れた先には崩落した炎の山があったが、それは堆積したなだらかな砂のようだった。特徴的だった塔のような尖鋭な土の柱は跡形もなく消え失せ、構成した土は円く盛り上がっているだけだった。 「レーラ…」  彼は胸に拳大の石を握り締めたまま眠っている。柔らかく彼女の声が響くがそれでも目蓋は動かない。指先ひとつも動かなかった。 「どうして…こんなことに…」 「おおよそ1000年です。元の状態に戻るまで。1000年後ならイフリートに会えます」  ミーサの治療を終え、スファーゆっくりとレーラの元へ寄っていった。 「驚きの事実だけど、人間は1000年も生きられないんだヨ」  かかか、とミーサが笑いながら言った。セレンは彼女に眉を顰める。 「それは残念なことです」  スファーは気の毒そうな表情をするとレーラの脇に跪き、一礼してから彼の腕をそっと取った。 「身体(しんたい)に異常は見受けられません。近場にどこか休める場所はありますか。案内を頼みます」  セレンを抱え上げた時と同じようにスファーは軽々とレーラを背負いアルスやセレンを見遣った。  炎の山・リンフォルから最寄りの村は騒然としていた。村に入ったところで住民の女性から炎の山が崩れたから行かないようにという旨の忠告を受け、背負われているレーラを認めると旅人の救護として適した宿を案内される。村中が忙しくなりそうであるため速やかに出て行くことを勧められた。 レーラは日が落ちる頃に目覚めた。放させようとしても手放さないほど固く胸に抱いた石に彼は戸惑い、真っ先に視界に入った爛々と赤く目を光らせるミーサに怯む。かかか、と乾いた笑いをこぼす彼女を真後ろに立っていたセレンは肩を抱いてベッドから遠ざける。一度レーラを振り返り、そのままミーサを連れて退室していった。 「ミーサちゃんの様子が変だって、気を揉んじゃって」  アルスは彼女等の背を見送るレーラに声を掛けた。 「何かあったのか」 「何も。で、具合はどうなの?」 「悪くない。苦労かけた」  アルスはよかった、と呟いてまだ握っている石を指した。 「それ、大事なもの?」  レーラは両手で包んで石を持ち直した。元はよくある石ころのような質感だったが、段々と真っ赤に色を変え今では炎をそのまま内部に閉じ込めたが如く、揺らめいては深い赤から緋、橙へと移りゆく。 「イフリートと、話した。多分夢じゃない」 「どんな?」 「この石がイフリートの本体らしい。また形を成すには1000年。長いな」  うん、と相槌を打った。 「石化の術の段階で、もう弱っていたみたいなんだ。精霊と祠は共に在るものなのだと…山が、戻っていく灼熱に耐えられなかった。あと1000年かけて徐々にここ一帯は暑さを取り戻すと思う」 「じゃあ、いきなり暑くなるわけじゃないんだ」  レーラは黙って頷いた。 「イフリートは、見てきたんだな。自身の放つ熱が疎まれていたことを。人々の信仰が消えつつあることに気付いていた…」  ふと七星将の眼帯の男が発した売り言葉がアルスの中に蘇った。草木が死に、虫も鳥も死ぬ。 「人間も自然の一部なら、その発展も受け入れると言っていた。たとえ他の自然を排除し、それが精霊であっても、必然の淘汰として…」  彼はまるで赤く揺らめく石と対話しているようだった。 「じゃあ裏を返せばさ、」 「人間たちが新たな自然に呑まれる時はそれも看過すると。契約はそれまでということらしい」  アルスも緋色に輝く石を見下ろした。 「新たな自然って何さ」 「さぁな。皆目見当もつかない」  レーラはベッドサイドに石を置いた。 「すまなかったな」 「何が?ここまで運んでくれたのはスファーだけど」  アルスは首を傾げた。謝られる心当たりがない。強いて挙げるなら、暫く眠っていたことだろうか。もしくはスファーの転送魔術の範囲外にいた彼を引き掴んだところか。 「逃げろと言ったくせに、セレンまで連れて戻ってきたことだ」  彼は自身の落度にはいつでも素直だった。包み隠さず幼馴染は白状する。彼なりの考えがあったとしても。 「全然気にしてなかった」  アルスは仰々しく肩を竦めた。腑に落ちげな眼差しをもらう。 「気にし過ぎだよ。むしろありがたかった。あんな急だったのに」 「アルスがありがたいなんて思うことじゃないはずだ」 「そうかな。レーラは自分の身を守ることだけ考えて」  レーラは眉間に皺を寄せ、反発しそうな空気を帯びたが短く同意を返した。 「よし」  ぱん、と掌を打ち合わせ、アルスは部屋から出て行った。宿入口の食堂で深く帽子を被り日報紙で顔を隠しているスファーの隣に座った。 「王子は目覚めましたね」 「ああ、小難しいのは相変わらずだけど元気そうでよかった。ありがとう」  スファーは日報をテーブルに置いた。表紙には大きくモルティナの逃亡犯のことが取り上げられていた。この村にはそう長く滞在できないだろう。炎の山の崩落で村中が気を取られている間に出て行くのがいいだろう。 「ミーサちゃんの腕の具合はどう?本人に訊くが一番なんだろうけどさ、多分はぐらかされちゃうから」 「大分いいですよ。ですが根幹のクリスタル免疫不全は治せないので、人工クリスタルを使えばまたああなります」  スファーは淡々と答えた。聞き慣れない単語を訊ねようとしたところで、宿の入口の奥に自警団が見えた。勢いあまり、椅子から立ち上がる。テーブルの上の日報紙を手に取り、背に隠した。 「部屋に戻ろう」 「はい」  スファーはわずかに不思議そうな目をくれた。 「急に部屋に戻りたくなったんだ」  彼はアルスの言葉にこくりと頷いて緩慢に席を立つ。部屋にはセレンとミーサが戻り、地図を広げていた。 「明日には風の精霊のところに行くがスファー、お前はどうする?」  すでに普段の調子を取り戻したらしきレーラが話を振った。 「…ロレンツァに戻ろうと思います」 「やめたほうがいいネ。観光地じゃ警備も整ってるヨ」  ひひっと笑って赤い双眸がスファーを射す。 「でも、友達が待っているので」 「あの大きなイカのことかネ?」 「はい」 「暫く様子をみてからっていうのはどう?立場が立場なんでしょう?」  セレンは訊ねた。スファーは迷いをみせる。 「すぐに決められないか。一晩考えて答えを出してほしい」 「はい。そうします」  レーラは頷いた。 「明日には出る…いいか」  幼馴染の瞳がスファーから隣のアルスに移った。 「うん」  地図を覗き込む。風の祠とロレンツァは正反対に位置していた。 「寝られないの?」  セレンは休憩スペースで帽子を被り、日報紙で顔を隠す新たな仲間に声をかけた。 「僕たちに睡眠は必要ありません」  帽子を直しながらスファーは言った。 「そうなの?」 「でもみなさんは、いっぱい魔術を浴びたので寝ないといけません」  彼は顔ごと目を逸らした。 「うん。そろそろ寝ないと」 「ミーサ殿はもう寝ましたね。王子はまだです」 「分かるの?」 「魔力で探知できます。でもアルス殿からは魔力が感じられないので分かりません」  セレンはスファーの隣に腰を下ろす。彼は慌ててまた帽子を直した。 「寝ないと夜ってどんな感じ?どんな感覚?」 「あまり任務や会議が舞い込まないし、街も暗くて騒いだ声が聞こえなくて、静かな感じがします。人間でもあると思います。朝から昼になるのと同じ感覚です。昼から夜になるのと…」 「じゃあ少し不思議な感覚だね。いつの間にか明るくなって、いつの間にか暗くなって」  スファーは頷いた。 「寝られない夜って昼間より長くない?慣れちゃったかな。何をして過ごすの?」 「本読んでます。生き物の本です。ロレンツァの魚図鑑とか…」 「じゃあミーサと一緒だ。図鑑眺めてるところは見たことないけれど」  スファーはぎこちなくまた帽子を直した。戸惑いがちに少女は微笑した。 「セレン殿は僕が怖くないんですか」 「…最初は怖かったけれど、わたしたちのために戦ってくれたし、ミーサのことも治してくれたし…わたしのこと抱えて登ってくれたでしょう?重かったでしょう?ありがとう。きちんとまだお礼言えてなかったよね」  スファーは帽子が落ちそうなほど首を振った。 「いいえ。お役に立てたなら幸いです」 「少し話したら、そろそろ眠くなってきた。おやす…また明日」  セレンは言いかけて、彼相手には随分一方的な挨拶だと気付くと言い改める。 「…また明日」  ぶっきらぼうにスファーも復唱する。すでに日付は変わっていた。
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