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 長いこと置いてからレーラは洗髪に促され浴室に向かった。異臭は部屋に残り、窓と扉を開け放ったままにしていた。ミーサは手を洗い終えてもまだ指先に泥が付いているような汚れ沁み込み、微かに匂いも残っていた。戻ってきたレーラの髪は綺麗に染まっていた。濡れたままの髪を縛らせ帽子を被せ、アルスにもキャスケットが渡された。 「目立たないように頼むっすよ」 「うん、ありがとう」  アルスはキャスケットを被り直し、レーラと共に宿から出て行く。 「どこ行くの?」 「地下街の偵察に行ってもらうっすよ」 「七星将の誰だか、目星はついているの?」  髪色と髪型がいつもと違うレーラになかなか慣れず、セレンとミーサが喋っている間アルスはちらちらと隣を気にした。 「山道の時にはいなかった人だよね?」 「ああ」  アルスが問うとレーラは頷いた。落ち着かない様子で何度もキャスケットを深く被っては、視界が悪くキャスケットのつばを上げ、また深く被るという忙しない挙動を繰り返しながらアルスはレーラと共にミーサの言っていた地下街へと向かう。治安は確かに良くなさそうだった。好戦的な視線が入り乱れ、すれ違うたびに品定めされている気がした。爪先から脳天までを観察されている。 「拘置所はもっと奥だな」  薄暗く目に痛い光が空間を照らす。王都の地下街と同じく地に座り、住みついている様子もあった。 「もう捕縛されてるのかな?あんなに強いのに?」 「ロレンツァで奴に会ったと言ったが…捕まっている様子も、追われている様子もなかったな」  あの時点ですでに処刑が決まっていたのかもしれない。とすれば逃亡中だったのだ。 「どんな人?…怖い?やっぱ」 「穏やかだったと思うが…比較的、な。すまない。俺もあまり七星将とは関わらないものだから」  正直に答えた。アルスの心の傷のことも気になったが、アルスにとってはセレンのことが気掛かりなのはレーラもよく分かっていることだった。 「いいんだ。よかった、でも。それなら」  何度もキャスケットを深く被っては視界が狭まり、無意識にキャスケットを上げながらアルスは言った。 「顔を見れば分かる」 「こんなこと言うのも変だけど、捕まってたらいいね」  拘置所は簡単に見ることができた。死刑囚同士の殺し合いで賭博が行われているらしい。柵越しに死刑囚たちを1人ひとり確認する。妙な気分に浸りながら死に向かう者たちを冷静に見ていく。柵の外から見ているのはアルスやレーラたちであるというのに、気分はむしろ囚人たちに観られているようだった。どの牢にもスファーと思われる白髪の男は見当たらなかった。 「捕まっていないのか…」  最奥まで辿り着いてしまった。戸惑うレーラの横でアルスはさっと身を翻す。レーラの前に腕を出した。  最近いるんだよな。死刑囚を解放しろって意識の高い連中が。 敵意を含んだ声にレーラも振り返る。 「まさか、違いますよ」  人の好さげな笑みを貼り付け、レーラの前に出した腕は宙に上げられたままだった。 怪しいな? 5,6人の男たちが2人を壁際へ追い込む。死刑囚たちは関心も持たず寒そうな石畳の床へ座り込んだまま柵の外を眺めていた。 「見学に来たんです。旅芸人で、旅をしていて」  アルスは笑みを崩さず嘘を並べた。本当か、と怪しげな男たちに問われ、爽やかにはい、と返事をした。 「そうだ、日報を見て来たんですけど、もうすぐ大きな催し物があるんですか?」  明後日にお偉い将軍の公開処刑があんだよ。  戦闘に立つ男が答えた。 「そうなんですか。見たかったな。でも明日には出発なんですよ…どんな人だか、知ってます?せめて本人に会えたらなぁ」  髪が…若ぇわりに白くて、まぁとにかく小奇麗な男だよ。あんな面白そうなもの見れねぇとは可哀想だ。教えてやりやしょうよ。ひそひそと男たちは話しはじめ、そのうちのひとりが、やつは闘技場の地下牢にいんだよと教えた。 「ここから遠いですか」  遠くはねぇけど、闘技場にエントリーしねぇと入れねぇ。 「なるほど、ありがとうございます。精一杯楽しみますね、モルティナ。ところでお礼にひとつ、剣舞でもどうですか。でもここだと…危ないですね。やめておきましょうか」  アルスは天井や壁を見てからにこりと笑う。男たちは、おおうと言って引き上げて行った。 「すごいな」 「本当。死刑囚を解放しろ、だなんて初めて浮かんだ考えだよ。すごい団体がいるんだね」  アルスは拘置所を出るつもりで出口を目指し歩きはじめる。レーラは渋い表情を一度浮かべてから振り払い、笑顔ながらも警戒した様子で先を歩くアルスを追った。 「どうしようか、行く?闘技場」 「セレンが泣くぞ。せめてきちんと話し合ったほうが、」 「でもそのスファーって人がいるみたいだし。セレンのことは心配だけど…」  レーラは眉間に浅く皺を寄せた。 「よせと言われるのが分かっているんだろう。危ない目に遭ってほしくないセレンの気持ちを軽んじるな」  アルスは今まで貼り付けていたものとはまた違う色の笑みを浮かべた。レーラはそういうの気にするよね、と小さく口にした。 「セレンも、オレがどういう立場にいるのか、分かっているよ。レーラにとってはいつでも可愛い妹なんだろうけど、さ」  レーラの意見はアルスの中では確かなものだが、それは私情であった。気持ちであって役目ではなかった。 「オレとセレン置いて、今は魔術も使えないミーサちゃんと行く?1人で行かせるわけないじゃん。オレもセレンも。多分ミーサちゃんだって」 「アルス?」  闘技場のほうへ行こうとするアルスの肩を掴み、向き合せる。アルスは口角を吊り上げてはいるが、目は笑っていなかった。 「レーラを危ない目に遭わせられない。だってそのためのオレでしょ?」  レーラの手から逃れて先に進もうとする。レーラは一度放してしまい、また追った。 「待て」 「今は七星将の1人にしか頼れないんでしょ。それなら仕方がないよ」  歯痒いんだ?賑やかな街の雑踏に紛れていく言葉。迷うほど王都のように混み合ってはいなかった。アルスはすいすいとレーラから逃げていく。坂道をのぼり、暫く平坦な石畳が続く。そこでアルスは待っていた。 「アルス」 「疲れた?」 「違う…随分と足を引っ張り合っている!」 「誰と誰が?」  レーラが答えないでいるために、アルスはまた緩やかな坂道を進んでいく。 「アルス」 「セレンが心配なのは分かってるし、分かったよ。それでミーサちゃんにめちゃめちゃ気を遣わせて、それもレーラは心苦しいのも分かってる。でも進むしかないんだって」  闘技場はまだ伸びる長い坂道の先にある。並ぶ民家には飽きるほど、可憐な花が咲き乱れる鉢植えが置かれていた。奇抜な条例がモルティナにはあったことをレーラはふと思い出す。景観にこだわりがあるらしかった。とはいえ、高地に造られた闘技場は景観を壊していた。アルスはその様相を見ることもなく入口へ向かっていく。 「本当に…」 「出場しなきゃ、会えないんでしょ」 「考えが甘い。闘技場だ。生きて出て来られると思ってるのか?」  アルスのどこかなげやりな態度にレーラは乱暴に腕を掴んだ。 「でも仕方なくないか…どうにかするよ」 「どうにかする?簡単に言うな」  レーラは空いた掌に魔力を溜めた。斯くなる上は手段を選ばないつもりでいた。 「今必要なのは誰?」  アルスのやはりなげやりな笑みを見るやいなや、胸へ魔力を当てた。口元は笑っているくせ睨み上げているような瞳が閉じていく。その体を受け止め、どう戻るかを思案したと同時に、地面が大きく揺れた。闘技場で騒いだり、威勢の良さを見せていた者たちが黙ったり、怯えを見せた。レーラの目の前の空間が歪みはじめる。探し求めていた人物がその歪みの中心から姿を現した。 「レーラ王子…」  悲しげな顔をレーラに向け、麻の衣を身に纏った青年スファー・メルクリウスは宙に浮かぶ。片足に枷が付けられていたがその先の鎖は砕かれていた。だがもう片方の脚には鉄球が嵌められていた。 「な…スファー…」 「僕は何も、逆らおうなどとは」  近付こうとするためレーラは手に剣を呼び出してしまう。スファーは七星将とは思えない弱々しい表情をして、止まった。囚人が逃げた!という声が城内に響き、それからすぐに、捕まえろ!という怒声が飛んだ。 「王子、…」 「来る、な…」  剣先をスファーへ向ける。怯えた視線にレーラは狼狽しながら、アルスを片手で支え後退る。捕まえろ!再度怒鳴られる。捕まえないでという眼差し。首が横に振られ、レーラは剣先を下ろせないまま距離をとった。 「王子…」  そいつは死刑囚だ!怒声が煩わしかった。剣を床へ落とす。金属が軋む高い音が鳴る。一度は安堵したスファーの双眸が鋭くレーラを見下ろした。 「すまない」  音を発さず謝る。床に大きな炎が渦巻いた。スファーの身を水が包み大した傷は受けないようだったが傷付いた顔を見せ、鉄球を引き摺りながら逃げていく。追おうにも、寝かせてしまったアルスを置いていくことが出来なかった。 「遅くない?」  5度目にセレンがミーサを無言で見た時、ミーサはそろそろ来るな、と思った。案の定、セレンは口を開く。 「そうっすね。迎えに行くっすか」  宿を出て、地下街に通じる道へ行こうとしたところで人々の喧騒が聞こえた。 「何…?」  セレンの声が不安を煽る。死刑囚が逃げ出したぞ!その一言でモルティナの街に緊張が走った。 「…セレン!」  セレンの前に立ち、街の中心へ続く通りを見据える。 「だめ。ミーサ」  セレンもまたミーサの前に出て武器を構えた。 「え、セレン?」 「もし逃げたのが、例の七星将なら…」  セレンの言いかけたところで、人混みに避けられながら現れたのは白髪頭の若い男だった。だが着ている物でその正体がすぐに分かってしまった。セレンは手にした札を宙に撒く。揺蕩った札が、向かってくる白髪の男を斜めに狙い宙に留まった。 「あなたは」  白髪の男は道の真中に立つセレンを見て止まった。ミーサは知り合いなのかと2人を見遣った。若い男の視線がミーサにも移った。人懐こく笑みを溢し、拍子抜けする。重げな大きな鉄球をものともせず、ミーサへと突撃する。その瞬間を見計らい、無数の氷柱が男に降り注いだ。仕掛けたミーサにも冷気が届いた。だが全て弾かれていた。 「君、戦えないんだ?」  後方へ跳ぶミーサに白髪の男は問う。突破されたら逃走を許すことになるだろう。ここで撃破するしかないらしかった。首から下げたクリスタルを握る。 「やめなよ。君はクリスタルと相性が悪い」  煽られるようにしてミーサはクリスタルから供給した魔力で男をへ炎を散らした。だが男の身を突然現れた水が包み込んで鎮火してしまう。 「ミーサ、伏せて!」  白髪の男へ札が刺さったがそれも掻き消された。身を捩った男にまた巨大な氷柱を落としたがミーサの指先から腕がクリスタルに覆われていく。 「お可哀想に」  巨大な氷柱を躱し、身を翻してミーサに近寄るとその腕に術をかけた。暖かな感触がミーサのクリスタルに覆われた部分へ放たれ、クリスタルは溶けていく。 「え?なんで、」  ミーサは困惑した様子で威力の落ちた炎を男の足元から起こした。腕は掴まれたままで、クリスタル化をしかけた腕がまた治っていく。 「いけない。捨てたほうがいい」  白髪の男はそう言って、戸惑いながらまだ魔力を使おうとしているミーサの首に一撃弱く入った。目を瞑りそうになって、視界が赤く点滅する。呼び起こしてしまう。しかし、耳に届く雷鳴によってミーサの中の招かれざる客は意識の底へと帰っていく。ミーサの倒れる体重に従って共に転倒する男に強い光が落ちる。男の白い毛先の奥でそれを見た。仰向けに落ちて、背中を強く打ったが大したことではなかった。雷鳴の中に立つセレンの姿を斜め後ろから見上げる。ミーサの腕を掴んだまま、白髪の男は呻いて地面に伏した。 「セ…レン?」  ミーサは立ちつくしている姿をただ茫然と見ているだけだった。極めて小さな水滴が頬に触れた。雨が降りはじめる。起き上がれずに、セレンから目を離し、雨雲へと視線を移した。暫く無言のままそうしていた。セレンもずっとそうしていた。 「雨、降ってきたっすよ」  セレンに声をかければ、セレンは「うん?」といつもと変わらない佳麗な顔を見せる。 「雨、降ってきたっす」 「…うん。ミーサ」  セレンはミーサへ手を差し伸べ、引っ張り起こすと、一度ならず二度もクリスタルに覆われた腕を確認した。すでに回復を施されているが、ミーサの腕には紋様が浮かんでいた。セレンは柔らかく摩る。 「この人が、七星将っすね」  セレンの手から腕を引き抜く。優しく摩られた腕が火傷するように熱くなりミーサは話を逸らした。 「傷は大丈夫?」  しかしセレンは首を傾げて訊ねた。 「オールに診てもらったってやつ。薬飲んでるし、大したこと、本当にないんすよ」  セレンはミーサの顔を覗き込むようにしていた。水色の双眸から目を逸らさないようにじっと見つめていると、分かった、と言った。本格的に雨足が強まり、雷光が走る。 「この人、どうにかしないと」  床に伏す白髪の男を見下ろしていると、むくりと起き上がってミーサがたじろぎ、セレンに支えられる。 「僕に何か用?」  セレンと、まるで無傷な若い男を見てミーサは決断を迫られた。 「セレン、アルスさんとレーラ殿を待って。自分はこの人を逃げるから」  説明もせず、焦った様子でミーサは男の腕を掴んだ。 「ミーサ!」 「モルティナの外、どっか、隠れられそうなところにいるから」 「わ、分かった」  白髪の男はひとり慌てているミーサを見ていたが、抵抗することはなかった。ミーサは雨水が滴る前髪を掻き上げ、七星将を引っ張っていく。セレンは雨の中、幼馴染2人を待った。
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