30 / 48

29

「ア~ルッスさん」  円形広場から伸びる大通り含めた5本の通りを塞ぐ人々が遠く見えた。近くからだった。視線を落とす。こっちっすね。今度は後ろからで振り返った。紙袋を抱え、頬を引き攣らせて笑みを貼り付けるミーサがいた。 「お疲れ様でございまっす。…もう大丈夫みたいっすね」  辺りを見回す。あの1頭だけだったようだ。 「これミーサちゃんの?」  アルスは短剣を見せながらふわりと柔らかく微笑み、ミーサは頭を振りながら項垂れる。 「戻りましょ…目立つとまずいんで」  怒ってはいないが呆れているらしかった。ミーサは先に宿へと戻ってしまった。アルスは何者かから渡された短剣を眺める。持ち主が現れない。置いていってしまうのも躊躇われた。高価なものだとすぐに分かった。持ち主はやはりすぐに出て来ず、宿の媼に預けておくことにした。大通りを避け小通りの人混みに入っていくミーサを追う。少しずつ広場に人が戻る。宿へ戻る直前でミーサが立ち止まり、アルスは小さな背中にぶつかった。 「アルスさん」 「ん?」 「レーラ殿の髪を染めるんす。だから…その分、場合によってはアルスさんが、」 「ああ、うん。それが役目だから」  七星将にはすでに顔が割れている。だがミーサの危険視の対象は七星将にではなかった。ミーサはアルスの返答が気に入らず、眉を顰めるがその顔をアルスに向けることはない。 「アルス!」  宿1階の食堂にいたセレンがアルスへ近付いた。乾いた音がアルスの頬を打つ。目の前だった。ミーサは、絶句する。 「ごめん」  アルスはセレンへ首を戻す。変わらない微笑。軋轢を恐れ、事勿れ主義なそれを見るたびミーサは二の句が継げなくなってしまう。セレンはどう思っているのだろう。 「反省して」 「待っててくれてありがと」  2人のやりとりを見上げてミーサはどうしていいか分からずにいた。セレンは険しい表情を緩める。その目が躊躇いがちにミーサに移るその前にミーサは両肩に手を置かれた。 「無事か」  中途半端に後ろへ首を曲げる。レーラだ。髪を結い、普段より簡素な格好をしている。 「短剣の持ち主、探してたっすよ」 「そうか。すまないな」  セレンとアルスの様子を見ながらミーサはレーラの顔も見なかった。 「髪、グリーンでいいすか」  紙袋から染粉の箱を出す。レーラは、任せると返して、部屋へと会談を上がっていく。 「ミーサは何ともない?」  セレンに顔を覗き込まれた。大丈夫っす、と先程のことは何も見ていなかった、気付かなかったとばかりに朗らかに答える。 「ごめんね」  ミーサは首を振る。 「ちょっと歩きにでもいかないすか」  戻ってきたばかりだが、居づらくなって散策に誘う。セレンは迷っていた。断られるなとミーサは思ったが意外にも、行こう、だった。 「ちょっと散歩行ってきます」  アルスに一言かけてミーサはセレンを連れ外に出る。いつもはセレンがミーサの手を繋いだが、今日はミーサがセレンの袖を摘まんだ。つい先ほどのことが嘘のようにモルティナは来た時と同じように活気づいている。セレンがミーサの指を擦り抜け少し先を歩いた。ごめんね。もう一度謝った。 「なんで謝るんすか」 「きちんと話しておくべきこと、話してないから」 「別に構わないっすけど。話したくないなら…話しづらいことってあるかも知れないし」  追いついたミーサの手と手を繋ぐ。セレンの手は冷たい。話そうとしているのがなかなか言葉にできないようだった。興味はあるがどうしてもというわけではない。 「話したくないわけじゃないの」  深い浅葱色の瞳が真っ直ぐ前を見つめる。ミーサは返事もせず、その目を見上げる。 「変に抽象的なものってあると思うんすよ。口にして具体的にすると、なんか自分の中で事実が変わっちゃいそうな」  何を言っているのか自分でもよく分からず、小さく唸る。補足や具体例を挙げようとして、思い浮かばない。セレンは難しい顔をするでもなく優しげだった。 「わたしに婚約者がいてね。七星将に狙われてたんだ」  広場まで行って、ベンチに座りセレンは話しはじめる。 「少し目の色が他の人たちとは違うから、凶兆なんだって」  風船を持った子供が目の前を横切った。フルーツとアイスとクリームにチョコレートのかかった小麦の膜に包まれた甘味を持った女性2人組が何か言いながら通り過ぎていく。ミーサはセレンの話を聞きながらモルティナの円形広場の暮らしを眺めていた。セレンが小さく首を振ったのが見えて、憂鬱そうな横顔へ意識が向いた。 「凶兆だから…わたしは知っててその人と婚約したんだ」  モルティナに日が沈んでいく。すぐに帰らないとアルスが心配するだろうなと思った。アルスはセレンを(はた)いたりはしないだろう。あくまでミーサの見立てだ。 「水の精霊が言ってたこと、覚えてる?」 「国を救う任を放り出して云々ってやつでしたっけ」  セレンは頷いた。温厚柔和だと思っていたアルスが憤慨したこと、その後レーラがそのことについて話したため強く印象に残っている。 「太陽神の子、やめられるって聞いてたから。わたしはね、だから…自分の責務を放り出したんだ」  ミーサは黙っていた。懐かしんでいる響きを持ち、セレンは話を続ける。 「結局その人は、死んじゃった」  レーラから聞かれていたことだ。 「アルスがその人のこと、間違って刺しちゃってね。そのまま2人一緒に刺されちゃった。アルスの治療は間に合ったんだけど、その人は死んじゃったんだ」  セレンが顔を上げ、ミーサもセレンを見た。どういう表情をしていいのか分からず、ただ無表情のまま。セレンはおかしそうに小さく笑みをこぼす。 「だからだと思う。アルスは負い目感じてわたしのこと守ろうとするんだ。今日だってそう。わたし1人置いて行っちゃうの…」 「それが、許せなかった?」  セレンは首を振る。 「自分だって立場のこと、大変なのに。アルスにはもう逃げられない役目があるのに。わたしにまで振り回されるのが」  素直に、腹を割って話し合うことで解決することなのか分からない。レーラには気を遣わせると言われていた。その時から何も気付かないふり見ないふり聞かないふりをする気でいた。言及することもなく、苦言を呈することもなく、ありのまま、だが気を回して。 「レーラもきっと呆れてると思うんだ。アルスは気疲れなんていうけど、神経質だからいっぱい気を遣ってくれてると思うんだ。分かってるけど、言えないの」 「自分は…出来る限り人との繋がりを絶って生きてきたんすよ。だから長く付き合いのある人たちのこと、なんとなく言葉が無くても通じ合える、分かり合える、理解し合えると思ってたんすけど、案外そうもいかないみたいすね」  黒いリボンが耳元ではためき、風が街を吹き抜ける。炎の精霊が復活すれば地理的にこの辺りも多少気温が上がるだろう。今は少し寒いくらいだった。 「ミーサは大丈夫?レーラと折り合い、悪くなってない?」  言われてみてレーラとのやりとりを反芻する。思い当たる節はないためミーサは悪くなってないっすよ、と言うがもしかするとレーラのほうがセレンに何か言ったのだろうかと勘繰ってしまう。 「レーラ殿良くしてくれるっすけど…?」 「それならいいのだけれど。何かあったら言ってね」 「うん」  モルティナの街を歩き回り、暗くなる前に宿へと戻った。地下街はあまり治安が良さそうではないことをミーサは王都の下町の暮らしの経験から嗅ぎとって偵察を断念した。 「もう怒ってないっすか?」 「もともと怒ってない」  宿に着く前に訊ねられ、セレンは苦笑した。頬を打たれたのはミーサなのではないはずだが、それでも俯いた頭に手を乗せる。 「びっくりさせたよね」 「まぁ、ちょっと…」  これくらいっすけど、と親指を人差し指で示す。行こう。手を引かれ2人は宿へと入る。レーラがまた寝てしまい、休憩所で茶を飲みながら雑誌を捲っているアルスを発見する。 「おかえり2人とも」 「ただいま」 「何か面白そうなものあった?」  セレンとアルスが話しはじめ、ミーサはちょっと横になると部屋へ戻った。  夜が更けてもモルティナの外は少し騒がしかった。眠れないほどではなかったが、アルスは部屋の外に出た。階段を上がってすぐの休憩スペースのソファに背を預ける。1階の受付前にある食堂は照明を暗く落として、音楽団が演奏していた。その音を聴いていた。セレンに掌に打たれた頬を撫で、そのまま脇のテーブルに頬杖をつく。後悔はない。短剣は宿の店主に預けた。雑誌は何となく目を通したがまだ読んでいない日報紙を広げた。 「眠れないのか」  顔を上げるとレーラが立っている。 「レーラはよく眠れた?」 「寝過ぎたな」 「それは良かった。もうすぐ寝るよ」  にこりと笑ってページを捲る。 「痛むか」 「何が?肩、痛む?」 「え、大丈夫すか」  レーラのはぐらかした返しは意図していなかった相手の声によって応答を失う。 「ミーサ…早く寝ろ」 「ショートスリーパーなんすよ」  雑誌がしまわれたラックを見て、日報紙が無いことを確認するとソファに座った。 「セレンは寝られてる?」 「寝られてますよ」  そう。読んでいた日報紙をミーサへ渡す。 「どうもっす。今日…地下街入口ちょっと見てきたんですけど、治安悪そうなんすよ。自分とセレンだけじゃ不安だったんで引き上げてきたんですけど、明日様子を見に行きたくて」 「うん、分かった」  地下の拘置所を見に行く。七星将が捕まっているかもしれない。せめて何か情報だけでも掴めたら。 「どんな感じなの?」 「王都の地下街よりも…明かりはあるんですけどなんか不穏なんすよ。ピリピリしてるっていうか」 「…セレンとレーラは残ったほうがいいかな」 「ミーサが残れ」  アルスは困惑しながら笑った。ミーサはアルスへ渋い顔を見せる。 「分かったっす。お頼みしまっす」  用はそのことについてだったのかミーサは日報紙を片付けて部屋へと戻る。レーラはその後ろ姿を振り向いて見ていた。 「アルス」 「なに?」 「……、早く休めよ」  言いたいことを言わない。アルスは口角を吊り上げて応答とした。  夜が明け、アルスは身支度を整える。隣のベッドにレーラの姿はない。部屋に微かに漂う異臭。廊下に出るとさらに強まっていく。薬草のような甘味を帯びつつ苦さのある腐卵臭に近い匂い。セレンとミーサが泊まっている隣室の扉が開け放たれている。前を通ると呼び掛けられ、悪いとは思ってもついでに中を覗いてしまった。ミーサがレーラの髪を染めると言っていた。手袋をつけたミーサが匂いの元と思われる泥のような液体を国中で最も美しいといわれるレーラの髪に塗りつけている。 「アルス、おはよう」  セレンが壁の死角から姿を現した。 「セレンおはよう。…すごい匂いだね」  煌めいていた緋色の毛が深夜の森のような暗いものへと覆われていく。 「アルスか」  ミーサに頭を固定されきちんとアルスのほうを向けないまま訊ねる。 「そう。おはよ。いい色だね。森林みたい」  魔物化した熊に襲われた夜を思い出す。櫛が目の前でまだ染まりきっていない毛束の上に滑り、泥に似た薬液を絡ませていく。 「そうか…そう言ってもらえるとありがたい」 「レーラ殿、もしかしてこの色嫌っした?他のだと少し刺激強いんすけど」 「いいや、森は俺も好きだ」  はぁ、そうっすか。訊いておきながらミーサは無関心に返し、毛を引っ張らないように丁寧に櫛を通していく。 「前は髪結いだったとか?」  アルスは問うてしまってから、職無しを強調していたミーサにはあまり触れていい話ではなかったことを思い出す。だが特に気に障った様子もない。 「まさか。…王都では髪結い屋に行くんですっけ。自分の出身王都じゃないんすよ。ド田舎もド田舎っすから髪結い屋なんてそうそうないっす。大体染粉買って自分で染めるんすよ」  髪結い屋は、髪を切ったり、髪を結んだり、染めたりする店だ。王都ではマッサージやネイルアート、フェイスメイクや特殊な衣装の着付けまでやっていた。ロレンツァやモルティナのような観光地や大きな街であればおそらくそういった髪結い屋も多いはずだ。染髪が広まったのも近年だった。それまでは髪を短くしたり染めたりなどは不孝とされていた。 「ミーサの出身地…?どんなところ?いつか行ってみたいな」 「なにもないっすよ」  からからと笑う。 「ミーサ」  レーラに呼ばれ手を止めた。 「アルスは、どうなる」 「七星将ならとにかく…顔が割れてなければアルスさんに向くでしょう。話はつけたっす。役目だから大丈夫だと」  レーラは暫く黙ってから、そうかと静かに言った。アルスの役目を呑まなければならない立場にいる。 「とはいってもそう長くは持たないっすから。段々と落ちてきます…死刑囚と王族が関わるのは、あまり…」  言いかけ、手を動かし、髪を包んで放置する。
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!