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 隣でアルスが眠っていた。レーラはふと視界に入ったベランダに人影が見え、驚く。欄干に人が座っていた。身構えながらカーテンを開け放つ。背を向けているが髪色や背格好で誰だか分かってしまう。 「ミーサ?」  ベランダへのガラス扉を開け、外へと出る。 「何している?」  真っ赤な双眸が振り向いた。レーラは言葉を失う。 「よぉ、王子サマ」  狭い欄干に跳び上がるように立ち、レーラを無遠慮に見下ろした。声がミーサではなかった。低くなっている。男の声だ。痛み止めの副作用は眠気と倦怠感だった。幻聴幻覚は含まれていなかったはずだ。聞き間違いかも知れない。 「ミーサ、だろう?危ないぞ」  無表情の真っ赤な瞳がレーラを上から観察しているように少しずつ動く。 「王子、旅はどうだ」 「ミーサ、様子が変だ。体調が悪いのか」  ミーサがレーラにはしないような挑発的で嫌味な微笑を浮かべる。だがレーラから視線を外した。 「レーラ?どうした?」  ベランダのカーテンが開かれる。意識が声の主のアルスへ移った直後ばさりと衣のはためく音がして、視界の端で何か落ちていった。欄干の上には誰もいない。 「アルス…すまない。起こしたか」 「ううん。大丈夫?」  レーラは首を振った。夢だと思った。 「寝呆けていたのかも知れない」  アルスはレーラを通り過ぎ欄干に近付く。レーラがどうした?と問うが、アルスは欄干の下を覗いた。 「結構高いから気を付けてね」 「さすがに落ちたりはしない」  アルスは雑に笑いかけてベッドに戻った。 「ごはん、テーブルの上にあるから。昨日食べてないでしょ」 「すまない」  レーラも部屋へ戻った。ベランダを閉める。見知ったミーサの瞳は赤くはなかった。 「レーラ」 「なんだ」 「無理するなよ」  ベッドの上で仰向けになり、少し首を持ち上げて真顔で言われる。そうだな、と返す。あまり深くは受け止めていなかった。 「アルスも…あまり…いや、無理をさせることになる」 「オレは大丈夫だよ。心配すんな」 「心配は…してないな。なんだかんだ器用にこなすだろう?」  レーラは処方された薬を口に放り込んだ。朝晩2錠ずつだった。 「信用してくれてるの?嬉しいな」  アルスは再びベッドへ身体を預けた。  朝日が射し込みアルスは二度寝から目を覚ます。身支度を整えてから食堂に向かった。レーラ、セレン、ミーサはすでに席に着いていた。 「おはようアルス」  セレンが手を振る。レーラは腕を組んで、テーブルに突っ伏すミーサを見ていた。 「おはよう。セレン。ミーサちゃん。レーラ」  3人ずつ様子を見ながら挨拶を交わす。レーラは隠したがベランダで危なげな場所に立っていたミーサは何事も無かったように挨拶を返した。 「脹脛の辺りとか筋肉痛じゃないっすか」 「ちょっとだけ」  ミーサは運ばれてきた水を飲みながら問う。レーラはミーサを険しい表情で眺めていた。会話は聞こえなかったが普段と異なったような雰囲気から、今はいつもどおりの剽軽さが窺える。 「アルス?座ったら」 「あ、うん」  セレンに隣の椅子を轢かれ、アルスは着席する。 「とりあえず、モルティナに向かうか?」 「そうね。わたしもそれがいいと思う」  セレンとレーラに眼差しで意見を求められ、アルスも同意した。話し合いはすぐに終わる。セレンとレーラは部屋に戻ったがアルスは少し町を見たいというミーサを呼び止める。 「ミーサちゃん、どう?よく眠れた?」 「かなり深く寝られたっすけど。どうかしたんすか。王都の意識調査的な?」  ミーサに訊ね返されアルスは誤魔化す。体調不良や神経衰弱とは思えない。 「何でもないよ、昨日歩き通しだったからさ。どこか痛んだり変だったらすぐに言ってね」 「はい。ああ、軽く脚が筋肉痛っすね」 「それは…何か冷やす物要る?」  要らないっす。ミーサは町へと出て行った。アルスは溜息を吐いて部屋へ戻る。レーラはベランダから遠くを望んでいた。 「肩はどう」 「もうすぐ傷が塞がる。大したものではない。塗られた薬品の解毒が難しかっただけで傷自体は小さい」  宿から貸し出されている衣類の下で包帯が見えた。アルスはミーサが立っていた欄干の下を見下ろす。レーラが眉を顰める。 「どうした」 「いや。温泉あるんだってね。湯治とか行かない?」 「セレンを誘って行って来たらいいだろう。ミーサは散策だったか」  レーラの髪がそよ風に靡いて煌めいた。その先にある町は豊かに思えた。レーラの見ていた先にある菜園をアルスも眺めた。籠いっぱいに積まれたトマトに麻布が被せられていた。 「レーラは」 「気が向いたらだな」 「いつ気が向く?」 「さぁな。行って来い」  レーラは仕方なさそうに微笑を浮かべる。アルスはセレンを誘いにベランダを抜けて行った。少ししてセレンがベランダへやって来る。 「レーラはいいの?」 「傷が開くのも困るだろう」 「…そう。分かった。じゃあ行ってくるね」  セレンは不服そうだったが、アルスと共に温泉へと出掛けていった。窓際に設けられたラタン椅子に移り、空を眺めていた。暑い地方と思っていたが王都とあまり変わらない。うつらうつらと意識が遠退いたところで扉が叩かれる。ミーサっす、と砕けた声がした。 「どうぞ」  扉が開いてミーサが紙袋を抱えていた。首から人工クリスタルが下げられている。朝は付けていなかったような気がした。オールの記憶が流れ込み、人工クリスタルの危険性を解く青年の姿が脳裏を過る。 「ミーサ…どうした」 「さっき入口でセレンたちに会ったんす。温泉行くとかって。自分は入れないんすけど」 「そうか」  ミーサの視線が遠慮がちに負傷した肩を射す。気付かないふりをした。 「火山があるそうだな。炎の山とはまた別に」  ミーサを対面のラタン椅子に促す。 「そうっすね。またロレンツァとは違う温泉って感じなんでしょうけど」 「人工クリスタル、買ったのか」  他者の魔力を溜めておけば、魔術が苦手な者にも体質的に魔力が溜められない者にも魔力を供給できる。実用的に使わず鑑賞やお守り代わりにする者もいる。 「足手まといはほら、まずいじゃないすか」  ミーサは人工クリスタルを握る。身に着けているだけで、人工クリスタルは瘴気を放つ。魔力のある者や免疫のある者はそれを無毒化できるが、ミーサはそれが出来なかった。オールの患者の中にミーサがいた。だが会話までは記憶から飛んでいる。ただ光景だけが見えた。 「大丈夫なのか」 「大丈夫っすよ」  そうか、と口を開きかける。「大丈夫じゃねぇよ」と男の声がした。ミーサの瞳が真っ赤に染まっている。敵意のこもった目付きでレーラを睨み、ほくそ笑む。 「朝は邪魔が入っちまったぁ」  好戦的な態度でラタン椅子から跳ぶ。 「ミーサ…」 「ほっほ~ん。新しい居場所は良いようだな?」  レーラは立ち上がり、槍を呼び出す。光が掌に集まり、長い棒状を形成していく。ミーサの口から発せられる声に違和感を覚え、視覚と聴覚が合致しないままだった。新しい居場所とは何を指している。姿がミーサである以上、光が剥がれ落ち掌に残る槍を振り上げることはないだろう。 「王子サマ。ひとつ忠告だぁ。七星将狙うなんざやめときな」  ミーサは挑発するようにレーラへ指を向けた。 「ミーサ…!」  雷撃が飛ぶ。レーラの前に障壁が張られ、防がれる。 「やめろ。宿が壊れるだろう」 「王子サマが壊そうとしてんのはこの町だろうが。この町の安穏だろうが。暑ぃのが嫌なら引っ越せってか。それだけじゃない。山も川も。ここは変わった環境に適応したんだよ。それをまた元に戻す気か。よく考えろ」  魔力が尽きたと言っていたミーサの掌から再び魔術が繰り出され、レーラはさらに大きな障壁を張る。 「炎の精霊と契約するにはそうするしかない」 「ほ~ん。限定少数の犠牲を採る…いいんでないですかぁ?」  大仰に腕を広げる。掌に残った魔術が握り潰され、レーラも障壁を解いた。 「責任ある者は何をしても責任から逃れられない。逃げることは、出来るけどねぇ?ま、ワタクシは止めたぞ、と」  ミーサは踵を返す。人工クリスタルが燃え上がるように光っている。 「待て…、お前は一体何者だ?何故ミーサの格好をしている?ミーサなのか?」 「何故という問いにだけ答えてやるよ。こいつが…愚かだからさ」  鋭く瞳が光り、ミーサは膝から崩れ落ちる。レーラは慌てて傍に寄る。ミーサは床に手を着いて、顔を上げた。真っ赤な瞳はない。レーラを不思議そうに見ている。 「ミーサ?」 「あ…っれ。すみませんっす。う~ん?」 「ミーサは、ミーサだよな?」  ミーサはレーラを訝しむ。その顔にレーラが身を引いた。お疲れっすか。軽口を叩くが好戦的で挑発的な様子はない。 「ひとつ訊かせてほしい」 「答えられる範囲でなら…」 「ミーサは、炎の精霊の石化を解くことをどう思っている?」  心底面倒臭そうな顔をしたこともレーラは気付かないふりをした。正直に聞かせてほしいと添える。 「民衆の意向っすよね、多分。ああなってるの。難しいっすけど、放置しておいてもゆくゆくは国中が取り返しつかないことになるんでしょう?」 「そうか…そうだな。俺はどちらを選び取るべきなんだろうな」  部屋に戻りたがっているミーサの表情が軟化する。何か言おうとして口を開くが、また口を閉じた。異変を起こしたミーサが危惧したことはミーサも最初に指摘していた。民衆の意向と契約。尊重すべきはどちらか。一度決めたくせまた迷いが生じる。 「自然の在るべき姿を捻じ曲げているのは人間のほうっすから。これは信用ならない不安っすけど、その咎がいつか、国を襲うかも分からないんす。咎が何なのかも、自然を捻じ曲げることが悪いことなのかも、精霊がそこまでお偉いものなのかも…」  ミーサはそう言って部屋へと戻ってしまう。同じ姿で違うことを言う。アルスやセレンには問えなかった。混乱してしまう。2人には迷わず進んでほしい。開け放した窓から冷たい風が吹き、長い髪を揺らした。  次の朝で町を出た。静かな早朝だった。薄い灰色が空を覆う。レーラがミーサを気にするのをアルスはセレンと話しながら幾度か目にした。仲間に向けるにはわずかな刺々しさを帯びている。北東を目指し、昼過ぎには着いた。大きな街だった。処刑の街と呼ばれているにしては、華やかなな雰囲気だ。3階建ての家屋が並び、壁や扉、花壇や柵はパステルカラーで、公開処刑を娯楽とし、闘技場での賭博などを思わせない軽快で愛らしい風景だ。 「ここがモルティナ…?話で聞いているのより、なんかかわいくない?」  アルスが建物を眺め、レスターとの話を思い出す。はじめは物騒な街があるものだと思った。数歩進んで街に入ってからある案内看板を見るだけでも大規模な街であることが分かった。大広場が公開処刑場らしい。その先に闘技場がある。王都のように地下街もある。そこには拘置所と地下闘技場があるらしい。ミーサは看板に刺さったパンフレットを手に取る。 「闘技場が死刑囚とエントリーした猛者たち、地下闘技場が死刑囚と魔物とが戦うみたいっすね。なかなか猟奇的な娯楽があるようで」  パンフレットで大々的に宣伝している闘技場についての説明をミーサは読んでいた。 「すごいね…ここ…街並みと合わないなぁ…」 「とりあえず宿を探そう」  パンフレットに従い宿を探す。菓子屋と見紛う外装の宿が最も近く大通りに面していた。迷わないという点ですぐにそこに決まった。宿の店主の媼(おうな)から鍵を2つ預かる。セレンに片方を預け、アルスとレーラは部屋に入った。3階建ての2階だ。この部屋にもベランダがあり、窓際には小さなテーブルとラタン椅子が2脚ある。レーラは腰掛けた。 「まさかこんなことになるなんてね」  アルスが真っ先にベランダへ出て裏通りを見下ろす。大通りの建築物だけでなく、どこも白をベースにした淡いが鮮やかな色味をしている。 「七星将に自ら会いにいくことか。手段を選んでいられない。すまないな」 「うん。…あのさ」  アルスはモルティナの空を飛ぶカラスが飛んで行ったほうを見つめながら、少々重苦しそうに口を開く。 「レーラだって」   お互いに反対を向き視線を合わせる気も顔色を窺う気にもならなかった。 「あの件は傷付いてるでしょ」 「10年も前のことだ。忘れた」 「オレだけさ、傷付いてるって扱いはもうやめてくれ」  遠くから声が聞こえる。裏通りをプラカードを持った者たちがぞろぞろと歩き、他の通行人に道を開けさせている。何かの反対運動のようだった。 「オレなりにやるべきことは割り切ったつもりだし。心配してないなんて、嘘でしょ」  レーラは振り向いてアルスの後ろ姿を一度だけ見た。 「急にどうした」
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