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 魔術で殺す感覚と叩き斬って殺すんじゃ違うんだ。遠い過去に聞いた言葉をミーサは沈黙の中で思い出していた。滝の裏の洞窟は明るかった。天井から湧水が落ち、地面は滑りやすい。 ――つらいですか  レーラの髪 がばさり、と音を立てる。突然きょろきょろと辺りを気にしはじめる。 「レーラ?」  セレンがレーラを振り返って首を傾げる。 ――周りが自分を責めているようで、仕方ないですか  透き通った女の声がする。だがアルスもセレンもミーサも気にしている様子はない。 ――皆の遠慮が怖いですか  レーラは拳を強く握りしめる。 「レーラ?大丈夫か?」  レーラの異変に気付いたアルスが足を止める。目の前は崖だ。波のない、光った水がある。数メートル斜め下に突き出た岩の柱4本が立っている。 「精霊サマ…いないのかな?」  アルスは精霊がどういったものなのか知らなかった。祠に来れば会えるものだと思っていた。 『ここにます』  突き出た岩の柱に囲まれた空間の水が巨大な球を作りはじめ、その表面から人の形を成していく。微妙な陰影と凹凸でそれが長い髪をした女性を模しているのだと分かる。だが透明な水の塊だ。 『貴方たちの目的は分かっています』  人の形をした水の塊は蠢いている。アルスはぼんやりと口を開けて見惚れていた。沈黙の中で女の声だけが残っている。だがそれは物理的なものではないらしい。 『試させていただきます。貴方たちの覚悟を』  ミーサが喧嘩っ早いな、とこぼしたのが聞こえた。これが人間でないもののやり方なのかもしれない。  蠢く水の槍を手にした女体を模した水の塊・ウンディーネがレーラへ襲いかかる。アルスがレーラを突き飛ばす。ばしゃ、と水を弾く音がした。アルスの胸は衝撃を受ける。 「アルスさん、大丈夫すか?」  ミーサがアルスに駆け寄る。セレンがレーラを助け起こしていた。 「本業っす」  ミーサの口調を真似てアルスが立ち上がった途端。ミーサの肩が突然重くなる。不意に半身にかかった重みにミーサはバランスを崩したがなんとか持ち堪える。アルスが立ち眩みを起こしてミーサの肩に咄嗟に手を掛けたらしかった。 『自ら盾になりましたか』   アルスとレーラに意識を逸らされていたセレンとミーサだったが、ウンディーネの姿がないことに気付く。 「アルス…?」  セレンが、まさかと言わんばかりにアルスを見ている。 「息、苦しい…っ」  ミーサの肩に掛かる重みが増す。 『精霊との契約は人知を越えます…人としての一線を越えることができますか?』  アルスに持たせたままの紅の剣が元の持ち主を襲う。 「ごめん、アルスさん!」  跳び退いてミーサはアルスに手を翳す。 「ちょっと寝てて!」  放った睡眠の術は躱された。レーラが矢を番えていたが、唇を噛んで弓を下ろす。ミーサは構わず再び魔力を掌に溜める。アルスの狙いがミーサに絞られ、レーラは再びアルスに弓を構えた。 「アルスさんの体に傷が付いてしまう…」  嘆きながらミーサは魔力を放つ。 『この程度の力で、契約を結ぼうなどと…?見縊られたものです』 「炎の術でアルスさんごと焼く手段は…だめだ、危険すぎる…」   ウンディーネに乗っ取られたアルスはミーサめがけて槍を突き付けた。足元の石が割れる。 「ごめんす」  寸前で除け、すれ違いざまアルスの靡く髪を引き掴む。片手に溜めた睡眠の術を至近距離から当てる。アルスの体は倒れそうになり、ミーサは咄嗟の判断で支えようとする。だが紅色の剣が腹を目掛けた。視界が遅くなる。切っ先を捉えているくせ、動けない。セレンが顔を背けたのだけが何となく分かった。アルスの足が地面を蹴る。アルスは受け身も取らず後方へ転倒した。 「ミーサちゃん、大丈夫っ!?」  アルスの声。ウンディーネの声ではない。 「アルス、大丈夫なのか!」  レーラが駆け寄った。アルスが起き上がろうとして地面に押さえ込まれる。ウンディーネの仕業かと思われたがミーサの技らしかった。 「アルスさん、ごめん、でも…」  ミーサは地面に屈み、掌を当てている。セレンとレーラは足から伝わる痺れに動けない。アルスの瞳の奥がぎらぎらとしている。アルスの体の上から女体の水が起き上がる。次はセレンを狙うらしかった。レーラは動きづらい腕をわずかに持ち上げる。炎が水の塊を襲った。王族の魔力は高い。真偽は不明だが、民間伝承ではそういうことになっている。レーラは王族であるはずだが、実子ではないという噂がある。魔力を集めて形成した矢、軽度の召喚術の応用とはいえ武具を出現させる力。ミーサはレーラを見つめる。 『愚かな人間よ』  女体は小さくなり、水の球体と化す。 『同志を討たねばならなくなった時、貴方たちはどうなさるおつもりですか』  ミーサは地面から手を放し、濡れた掌を見つめる。不快感を露骨にした表情をしている。 「それは今ではないはずです」  セレンが言った。 『愚かな』 「愚かでも愚かじゃなくても割り切れないのが人の世なんすよ。勝った方が正しい、強いほうが正しいじゃなくて。それは自然の中でやってください」   ミーサはハンカチで手を拭いながら、慣れない術に擦り剥いている皮膚を見ながら言った。 「お願いします。このままじゃ…」 『このままでは国が滅びる?それとも貴方たちの身が、ですか』  ウンディーネはまた女体を形成し、4人の前に立ち塞がる。 『国を救う、その任を放り出しておきながら?』  レーラの体が光った。様々な形や種類の剣がレーラの周りに浮かぶ。刃先はウンディーネに向かっている。だがウンディーネを薙いだのはアルスだった。ミーサは古書で読んだ、妖剣を思い出す。振りかぶるたびに、聖泉水を振り撒くという。それによく似ていた。 「過去の話です」  女体だった水は地面に広がっている。 『貴方は王子の影…なるほど、王子を庇うわけです。なるほど。傷を負って、癒えないのですね』  アルスは肩で息をしていた。自身が何をしたのかも分からないまま。セレンがアルスの背に近寄り、衣服を握る。その手が震えていた。 「咎は受けるつもりですが、それは俺だけで十分です。今は、国を救いたいと思います」 『当て嵌まるのは彼女だけではなかったと…』  跪き俯くレーラの眉間が歪む。カラン、カラン、と洞窟に高い音が響く。レーラの周りに浮かぶ剣が地面に叩きつけられる。ミーサがどういうことだとばかりにレーラの背を見てしまった。 「逃亡を知らない生き物もまた愚か…ね…」  ミーサは独り言ちて横髪を耳に掛けた。 『嘘ではないのでしょう。分かりました。契約しましょう』  ウンディーネは光となって消えていく。レーラは暫く動かなかった。近くに落ちている手入れの行き届き煌めく剣を撫でている。小さな魚の意匠が施されている。武器としてよりかは、装飾品のように思える。 「レーラ殿…?」 「すまない。制御を誤って、全て出してしまった」  レーラが苦笑して、散らばる刀剣が消える。 「セレン、大丈夫?」  アルスがセレンに背を掴まれたまま訊ねる。セレンは小さく頷いた。 「ミーサちゃんは…お腹、大丈夫?」 「お腹空いてないっすけど」 「そうじゃなくて」  アルスは微かに笑みを浮かべて紅の剣を返す。セレンは力が抜けたようで屈んでしまう。スカートの裾が濡れた。ミーサはセレンを一瞥してからアルスを見つめる。 「どうした?」 「何ともないんすか」  アルスは、はははと笑ってミーサの頭にぽんと手を置いた。  元来た道を辿り、森を抜け平原へ戻る。ミーサはレーラの背を見ていた。ウンディーネの言っていたことが引っ掛かった。レーラの内心の問題であるのならそれまでの話だ。ウンディーネの話がセレンの話だったとはミーサは思っていなかったが王都に住んでいれば嫌でも耳にした。太陽神の子がその責務を放棄しようとしたと。随分前の話ではあったけれど。太陽神の子は珍しいがレーラのように唯一のものではなかった。城が選んだのがセレンだった。ミーサが聞いた話では、太陽神は身体中に紋様を刻んで生まれてくるということだった。それはすぐに消えてしまうものなのか、それとも衣服で隠れる部分にあるのか。ミーサの見た限りセレンにそういった紋様はない。古書の誇張表現かもしれない。 「ミーサ」  視線に気付いたのかレーラに呼ばれ、ミーサの心臓が跳ねる。 「ミーサが率先して戦ってくれて、助かった。ありがとうな…」 「あぁ、いいえ、とんでもないす。幼馴染相手ですし、やりづらいすよね」  レーラの眼差しにミーサは目を逸らしてしまった。 「すまないな、気を遣わせてしまって」 「あ、いや…」 「気になるのか。…ウンディーネが言っていたこと」  顔に出ていただろうか。興味はある。一度アルスの背を見た。それから隣にいるセレン。触れてはいけない内容だというのは雰囲気で分かる。ここで遠慮をすればもしかしたら機会はもうないだろう。 「覚えてないす」   何か言わねばと思っていた。どちらとも決められず曖昧に返せばレーラは苦笑する。 「数年前に逃げ出したことがある。王子という立場から」  レーラは簡潔にそう言った。 「え」 「皮肉な結果になったものだな」  ミーサは俯いた。 「いえ…」 「忙しいとは思うが、まだ次がある。協力を頼む」  森の外まで出て、ミーサがアルスにかけた術を気にしはじめ、近くの村でアルスを休ませたいと言い出して聞かなくなった。気にしなくてもいいのだとアルスはいうがミーサは譲らない。案の定、ミーサの肩に重みがかかる。身長差的に無意識に手を置いてしまうらしかった。 「アルス!」  セレンが悲鳴に似た声を上げる。レーラは青褪めた。 「アルス、大丈夫か」 「アルスさん!」  アルスは自力で起き上がろうとしないため、ミーサは重みに耐えきれず、ゆっくり屈む。セレンがアルスの顔を覗いた。寝息が聞こえる。 「遅効性…」  ミーサが呟く。 「どういうこと?」 「自分がかけた術、すぐには効かないんです」 「じゃあさっきかけたのが、今になって?」  ミーサは頷いた。レーラがアルスを背負い、ロレンツァへ戻ることになった。もう少しで夕暮れ時だった。真っ白い建築物がわずかに赤みを帯びている。  睡眠の術で眠っても肉体的な回復は然程ないらしい。体内で魔力を分解することに体力を消費してしまうらしかった。ミーサはピートン医院に連れて行くと言ってまたピートン医院を訪れることになった。  まだ診療時間だったらしい。 「あら、どうなさいました?」  リックが柔らかな笑みを浮かべて迎え入れる。経緯を話すとリックは慌てる様子もなく眠ったアルスを診察する。患者は今はいないようだった。リックは枕に新しいタオルを巻く。 「心配なさらずとも、大丈夫ですよ」   リックは朗らかだ。 「私が看ていますから、観光を楽しまれてはいかがですか?」  アルスに布団を掛けながらリックはそう言った。 「さすがに今、観光は出来ない」  レーラがリックの厚意に感謝しながらも苦笑しながらそう言った。 「…それなら…ごめんなさい、オールがおつかいに行ったきり、帰って来ないのです」  アルスに掛けた布団の上に滑らかな手を置いたまま、リックは言った。 「え、オールが」 「もう結構な時間が経つのですが…」  リックの表情は笑顔しかないらしく、笑顔以外は記憶を失う前のオールによく似た無表情だった。 「申し訳ないのですが、探しに行っていただけますか?前の道をこのまま東へ少し行ったところにある薬屋に行ったと思うのですが…」 「もちろん、行くに決まってます」 「お願いします」  リックが頭を下げる。 「アルスをよろしく頼む」  3人は医院を後にする。 「オールが…」  セレンが不安げに呟いた。 「あの性格だから、ガラの悪そうな人たちに絡まれてるとかじゃないすかね…」  観光地は朝も賑わっていたが夕暮れの少し前でもたくさんの人が行き交っている。王都とは規模が違い地理も全く異なっているため比較しようがなかったが密度でいえば遜色ない。ゴンドラの道となっている川を隔てたピートン医院の向かい側の店は花屋らしかった。川はゴンドラが余裕をもって対向できるだけの十分な広さが確保されているため、向かい側とはいえ少し遠くに見える。  ロレンツァは夜も輝くらしく、民家や店の明かりが灯ると真っ白な建築物の並ぶ風景を土台に全ての明かりが主役となった舞台さながらの優美さがあるらしかった。 「俺が路地裏を探す。2人は表の通りを頼む」  王子に観光地とはいえ路地裏を歩かせるわけにはいかないと思ったが、王子の姿を知る者がいないとも限らない以上、確率的には路地裏にいてもらったほうが良いのかも知れないとミーサは呑気に考えているとセレンに腕を引かれた。  リックが言っていたオールが向かったと思われる薬屋に話を聞いたが見ていないという。青く美しい髪に片目を覆っているか、覆っていない場合は火傷があるとなると特徴的な外見をしている。そして彼はこの店の常連であるらしかった。  「どこ行ったんすか、オール…」
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