18 / 22

17

*  ロレンツァは真っ白い建築物が多く、金の装飾が施され、街の隅々にある物が挿し色のような扱いになっていた。天気の良い朝は海の反射も手伝って眩しく、神々しい。建物と建物の間をゴンドラが通っていく。滑るような優雅さだ。川が入り組んだ作りなっているため、ゴンドラに乗らなくても移動は可能だが歩道スペースが狭く、回り道が必要で遠回りになってしまうようだった。街灯や旗が掲げられた柱、柵にまで意匠が凝っている。観光地の名に恥じない風景に一行は溜息を吐く。 「もうここまで発展してるんすね」  ミーサがぽつりと言った。レーラがオールの記憶の中で聞いたことを思い出す。つまらない漁村だったという。すでに面影はない。観光地・水の都としての歴史さえうかがえた。 「こっちです。ぼけっとしてないでくださいよ」  オールは自身の住んでいるところは覚えているようだった。 「すまない」  レーラがオールにぴしゃりと言われてすぐさまついていく。  ピートン医院と書かれた病院はこじんまりとしていた。休診中の看板が下げられているにもかかわらずオールは扉を叩く。奥から女性の声がした。 「今帰った」  ガラス戸の奥のレースカーテンが開かれる。レーラの髪よりも赤みの落ちた、熟れた柑橘のような髪色をした美しい少女が姿を現す。 「オール、おかえりなさいませ。…こんにちは。申し訳ありません、今日は診察は…」  柔らかい笑みを浮かべて可憐な少女はそう言った。 「オールの…友人です。ちょっとお話が」  オールが残した手記と同居人へ向けた一通の手紙。この少女はリック・ピートンというらしかった。リックは驚きながらも疑うことはなく、手紙を読みはじめる。よく見る大きさの紙1枚に収まった、短いものだった。院内に通される。 「なるほど、お話は分かりました。送り届けてくださったのですねよね。お手を煩わせてしまいました。…泊まってゆきますか?」 「あ、いいえ、とんでもないです」 「こちらでロレンツァの宿、予約しておきます。…オールはどうするの」  リックは備品の確認しているオールに訊ねる。 「知らないね」 「患部消毒用の薬草が足らないから買ってきてほしいのだけれど」  リックがオールにメモを渡す。オールは文句を言いながらすぐに出掛けていった。それは急に必要になったというよりはこの場から外れさせるためのものだったらしかった。 「彼は王都を追放された身です。大丈夫…でしたか。何も問題はありませんでしたか?」  眠気を誘う落ち着いた声だった。 「大丈夫でした。まぁ…その、オレたちもよく、その、経緯は分からないのですが…」  アルスの曖昧すぎるほど曖昧な言い方にミーサは苦笑する。だがリックは要領を得ていた。 「40年前ですね。彼はずっと眠っていたのですが…突然彼を起こす計画が上がりました。その際に必要だったんです、生身の人間の魔力が。そのためにたくさんの犠牲が出ました。追放はそのせいです。王都にいては混乱を招きますから」  リックは淡々と語る。 「起こそうとしたのは誰なのです」  セレンが訊ねる。 「城の方々です」 「追放したのは」  ミーサが訊ねる。 「城の方々ですね」  リックはその身勝手さに憤ることもなく淡々としていた。笑顔はあるが、それ以外がない。感じない。その点が強くオールに似ている。 「聞きたいことが山積みになってしまいましたよ」  ミーサがまだおさまらない苦笑を浮かべている。 「どうぞ…私の知っている限りはお答えします」 「あ、えっと、自分は以前、オールに世話になったミーサです…えっと、ミーサ・マグナリュ―」  リックの透き通ったパープルの眼差しが向くとミーサは赤面し、慌てて名乗る。偽名扱いされていた苗字だった。 「覚えております。お体の調子は?」 「良好です…!」  リックが慈愛に満ちた笑みを浮かべた。それは良かったです、と綺麗な声もついて。ミーサは左手を見せた。リックは一瞬、目を見開いた。 「どうしてオールは眠りについたんです」 「破壊されたのです」  事も無げにリックは即答した。リックの容姿からは想像できない物騒な単語。ミーサはなるほど、と呟いたきり口を閉ざす。アルスが誰に!と割って入った。レーラが城の者か、と問う。リックは静かに頷いた。わずかの間の沈黙だった。 「リック殿…ひとついいか?」 「はい」  レーラが突然切り出す。 「あなたはゼノビウズという家はご存知か」 「はい。まだここが漁村だった頃、経済的支援をしていた貴族と聞いております」  伝聞の語尾。レーラはそうか、とだけ返した。  レーラの問いを最後に医院を後にした。リックがオールを大切にしてくださってありがとうございます、と頭を下げる。一行はリックが予約したという宿に向かう。そこは豪華だった。水の都がよく見えるが観光気分にはなれなかった。1人1部屋を割り当てられる。ベランダに出ると潮風が吹き込み、洒落た建築物と水平線が見える。レーラは気分が落ち着かず部屋を出た。日当たりの良い廊下の端には昨日の宿と同じ椅子とテーブルがいくつかあり、寛ぐスペースが設けられていた。そこにいるミーサはやはり日報を広げていた。 「外に出なくていいのか」  ミーサは背を向けていた。振り返ってレーラに頭を軽く下げる。 「潮風、好きなんですけど体に障るんすよね」 「それは例の…体調不良か」 「あぁ。リックさん言ってたもんなぁ。あれはもうほとんど治ってんす」  ミーサは朗らかに答える。 「オールの記憶が入ってきた」  一瞬だけ固まるミーサの表情。そして誤魔化すように苦笑した。 「それじゃ色々大変ですね。記憶の混濁とか」  ミーサは日報を片付ける。 「迷う。彼の記憶を失わせてまで、俺は助かる必要があったのだろうかと…」  言うつもりのなかった言葉がするりと喉を通ってしまった。ミーサは黙って真っ白く映る曇りガラスの奥を見つめていた。 「儀式に失敗した俺は…一体何なのだ…」  留めたはずの言葉だった。言ってもどうにもならないことは知っている。相手が困るだけだ。やめろ、という気持ちに制御が利かない。 「オールの気持ちを考えろとかアルスさんやセレンがどんな想いしてたのかとか、そういうこと、自分は言うつもりないんすよ。本人にしかない葛藤ってあると思うんで」  レーラは俯いていた。ミーサは視線を曇りガラスに投げたままだった。 「ただレーラ殿が言う相手間違えてんなって思うのは、自分は職無しの平民だから、職に殉じようとか、そういう気概が全然無いんで。仕事があって、それ無しでは生きる意味がないとかいう心境に共感が…そうですね、湧かないというと言い過ぎではありますが…」  レーラは拳を握る。何を言っているのか、何を言いたいのか、何がしたいのかもぐちゃぐちゃになる。ぐるぐると胸の中で何かが渦を巻いて苦しくさせる。 「…すまない。どうかしていた」  だがこの現状を片付けなけれならない。落ち着かないが年下の少女に甘えているようなものだ。 「溜め込むのはよろしくないでしょう。幼馴染には言えないのなら、どうぞ」   ミーサはレーラのほうを見ることなく言った。崩れそうになる。レーラは頭を垂れる。以前同じようなことを言う者がいた。だが呆気なく死なせてしまったのだ。 「ありがとう」  レーラは部屋へ戻った。  夜が明けると宿を出て宿の前に停まっているゴンドラに乗る。弧を描く橋の下を通ると母親に抱かれた嬰児が小さな手を振っていた。エメラルドグリーンの穏やかな波と音に流されてロレンツァの出入口である大門へ向かう。視界の端を滑っていく白い壁とそこに這う蔦。潮風に強い草花。露店で売られている果物や野菜。香辛料と海の幸の香りが鼻腔を擽る。 「リックさんとオールって双子なのかな」  アルスがピートン医院の前をゴンドラが通り過ぎた時に口にした。 「似てたよね。リックさんは笑うけど」  セレンも不思議そうにその話に乗った。レーラは静かにゴンドラのシートに腰掛け、低姿勢で考え込んでいる様子だった。酔っているわけではないようで、ミーサは一瞥するとアルスとセレンの会話に混ざる。  この近くに水の祠があると言い出したのはレーラだった。地図が頭にそのまま焼き付いているらしい。アルスもそうしろと教育係から言われたが結局半分ほども覚えられていない。 「契約って判子もらうとかかな?」  精霊と契約を結び直して来いとは言われていたが具体的な内容は何ひとつ聞いていなかった。 「水の祠か…ウンディーネっすかね。なるほど、ロレンツァの環境はそういう…」  ミーサが納得して何度か頷く。  ロレンツァを出て緑の広がる平原にアルスは溜息を吐いた。水の祠は森に囲まれているらしい。その森がうっすらと遠くに見える。歩く度、3人の髪が大きく靡き風に遊ぶ。ミーサはそれらを少し眺めてから後を追う。王都では髪を切ることをあまり良しとしなかった。髪の加工になら寛容であったが、髪の長さは生活の余裕とされ、おそらく城の者ならばほとんど髪が長い。老いゆえの脱毛やそういった病気もあるが、それは地毛でなくても良かった。ミーサはそういった風習や文化が面倒で切ってしまったことがある。黒いリボンがはためく後頭部を撫でてからミーサは3人に合流した。  ロレンツァを囲む森は澄んでいた。小鳥の囀りが響く。水のせせらぎが微かに聞こえる。3人が進む後ろでミーサは忙しなく辺りを警戒し、きょろきょろと首を動かした。負の波動。魔物が暴走するかも知れない。ミーサはそれを懸念していた。レーラが目覚めて王都を包むそれは失せたが。  進んでいくと滝の音がした。滝の裏に洞窟の入り口が見えたが祠は滝というよりは流水を受ける広い泉の中に建っていた。勢いのよいはずの滝水が弱まって泉に広がっていく様は自然のようで不自然だった。滝壺というにはゆるやかだ。  近付くにつれ、滝の音が大きくなる。だが、ガァアアアアと長閑な森に似つかわしくない咆哮。4人の前に大きな陰が立ちはだかった。アルスには見覚えがあった。アルスとセレンはジェルジュという王都とロレンツァの中間地点にある町の森で見たことがある。4人は息を呑む。敵意に満ちた目。猛禽類の持つような鋭い爪。針のような毛が妖しく光っていた。ミーサは手に魔力を集める。光が集まり、棒状に形成されていく。アルスがセレンの前に立つ。丸腰だ。魔獣はもともと熊だったのだろう。丸い耳が見えた。ミーサの集めた光が少しずつ剥がれ落ち、そこには紅色の身をした剣がある。 「アルスさん、これ使って」  ミーサが投げるとアルスが頷いて受け取った。ミーサは掌を見つめる。魔力が使いやすくなっている。オールの魔力が足らなかったのだと思っていた。だからオールは記憶を失ったのだと。魔力が安定せず、オールの体は透けていた。だが。今は深く考えている暇はないらしい。熊の雄叫びが耳を劈く。  アルスはセレンを襲おうとしている魔物に斬りかかる。アルスの後方から矢が複数本飛んだ。魔術を纏った矢が魔物に降りかかる。身の丈ほどもある大きな弓は金細工と表現しても差し支えない芸術品だった。レーラによく似合う。弓の両端の末筈と本筈からは刃が伸びている。レーラはまた矢を番える。アルスの一撃目で魔物が大きな傷を負っていた。レーラは魔物の足元へ矢を射る。アルスが攻撃しない。セレンは手にしていた札を放る。アルスを守るようにアルスの前を囲むように札が並ぶ。 「アルス?」  レーラが弓を引く手を止めた。セレンが呼ぶ。アルスは振り返らない。ただ剣を強く握っている。あと一撃で魔物は息絶える。だがアルスは止めを刺そうとしない。 「どうした?」  レーラが問う。セレンはアルスを見、アルスは首を振った。ミーサは詠唱を止める。 「こいつ、もともとは生き物なんだよな」  雑談をしている場合ではない、だがその一言でミーサはアルスが止めを刺せないことを悟った。 「暴走した魔物を救う手立てはないんすよ。…勿論動物に戻す方法も、今の魔科学では…」 「うん」  アルスは分かっているのだとばかりに深く頷く。レーラが弓に矢を番える。その矢は魔術で形成されている。ミーサはそれを横目で見て、口を開きかける。それなら自分が… 「待って」  セレンがレーラを制する。アルスの周りを囲んでいた札が瀕死の魔物を狙うつもりなのか、角度をつけて斜めった。 「わたしがやる」  レーラが力なく弓を下げる。矢は消えていた。ミーサはセレンの背をただ見ている。セレンの札が魔物を襲う。魔物の巨体は大きく波打って、その身はきらきらと光る粒子となり空へ舞い上がる。 「…次からはちゃんとやるから」  最前線にいたアルスが振り返る。返り血を浴びていただがそれらも粒子となって空へ向かう。アルスの顔が光っていた。
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!