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王子の目覚めと旅立ち 16

 青空が見える。それから顔を覗かせた幼馴染。セレンではない。王子だ。体を起こす。節々が痛んだ。がらがらと音を立てた瓦礫。手に当たる硬質の物を摘まみ上げると、天井を飾っていた華奢な金細工だった。 「…ちょっと待ってな。…レーラ?」  額に痛みが走り、おそるおそる触れてみる。出血はしていない。何が起きたのか経過を辿る。妙な夢を見た気がする。内容が思い出せないくせ現実の情報も何ひとつ集まらない。全く関係の無い事柄、人物が浮かんではあれではないこれではないと情報が取捨選択されていく。何があったのか。 「アルス?」  怪訝な顔をするレーラ。突然大量の記憶が流れ込む。レーラ。オール。ミーサ。ガーゴン。セレン。 「レーラ」  レーラの肩を掴む。衣類越しの人の感触。わずかに伝わる体温。 「何が起きたんだ?」  鋭い日差しが半壊した天井からアルスを照らす。 「オールは…?」  辺りを見回すがレーラと自分以外にはいない。 「レーラは何ともないのか」  レーラは首を傾げた。 「俺は無事だが…セレンが医務室に行った。知らない子を連れて」  レーラの手がアルスの頬を拭う。汚れていたらしい。天井から粉塵が降っている。 「え~っと、とりあえず来てほしい」  透過したオールの後ろ姿が脳裏を過る。どうなったのだろう。胃が重い。引き攣ったような感覚だ。口の中が渇く。礼拝堂からも近い医務室の扉が見えた。そしてその奥から聞こえる騒音と、セレンとミーサとは違う声。 「やめてくれないか!」  オールとよく似た声質の、だが違う少年の声。ドアノブを引く。暴れる青い髪の少年はそのままオールで間違いなかった。だが。セレンは困り果て、ミーサは苦笑して我関せずといった調子だった。 「…っ、何なんだ君たちは!」  声を荒げる姿はアルスの知るオールの中にない。オールはアルスやレーラの姿を見ると頭を抱えた。 「レーラだ。オール、詳しいことはなんとなく…“彼”を通して…」  レーラがオールの前に立つと、オールはわずかに表情を曇らせる。レーラは歯切れの悪い言葉で誤魔化した。「彼」が誰を指すのかも分からない。 「ふん。下々にわざわざ挨拶に来るなんて、殊勝な方ですね!」  レーラが貴い身分の者だという認識はあるらしい。 「王子、御挨拶遅れました。ミーサと申します」  レーラがミーサを向くと、ミーサは膝を着く。 「ああ。何となくだが、…“彼”を通して」  レーラの青と橙の瞳がオールに向きかけて、ミーサへ戻った。アルスに向けられる軽率そうな、だがどこか緊張している笑みが崩れ、畏まった様子が晒された。だが珍しそうにそれを見ていたアルスと目が合うと、またおどけたような笑みが戻る。 「帰っていいですか?」  オールが片目を覆う布を苛々とした様子で取り払う。アルスとセレンはその下の皮膚が治りきらない火傷のようになっていることは知っていた。開いていた目はオールが放つ魔力の光によく似ていた。オールは何も言わず取り払った布を畳む。 「オール、だめだ。帰るな。まだ待って」  アルスがオールの肩に触れると振り払われた。 「誰だ、君は」 「アルス。君は覚えてないかも知れないけど君の友達…」 「知らないな。僕は…、僕は…」  オールは言葉を詰まらせた。顔を顰めて、何か考えているようだった。記憶があったつもりで、ないらしい。 「オール、どうしちゃったの?」  セレンが訊ねる。 「俺を救うため、記憶を代価にしたみたいだな」  レーラがそう説明する。セレンは目を丸くしていた。 「家に帰してくださいよ!」  レーラに真っ直ぐ見つめられると、天敵に追い詰められた手負いの獣を彷彿させる威勢と怯え。ベッドの隅、壁際へ後退(あとずさ)る。 「貴方ほどの御仁が何故こんな薄汚いところに」 「すまないことをした」  レーラは深々と頭を下げる。 「おやめくださいよ!貴方ほどの御仁が軽々しく頭を下げるなど…!」  医務室で喚き散らすオールを咎めることは誰にも出来なかった。幸い医務室の使用者は誰もいない。看護士や看護婦長にも席を外してもらっていたらしい。 「…ロレンツァにはオレたちが送る」 「とりあえずガーゴンさんに話さないと。オレから話つけるからさ」  天敵を威嚇するような態度を取っておきながら、一変して置いて行かれた子どもと同じ空気を纏ってオールはアルスとレーラが退室していくのを見つめていた。 「オール。オールのこと教えてよ」  セレンが訊ねる。ミーサは黙ってそれを目にしながら医務室に置いてある日報を読んでいた。 「教えることなど何もないですね。強いて言うなら君のその目が嫌い」  オールは平然とそう言ってのけた。ミーサが書から顔を上げる。紫の目は災いの兆しだ。だが橙色の双眸は生まれた時、その喉を縊られる。人でないものの証なのだそうだ。最近の風習の変化した状態をミーサはよく知らずにいたがミーサが生まれた頃の王都とその近辺の風習はそうだった。 「そう…少ないものね」  ただセレンや八百屋のレッドのように両目が水色の者は少数ではあるが差別対象や駆除対象というのは聞いたことがない。オールの誹りは嫉妬や怨恨というよりは、劣等感や羨望に近いものだと滲んでいる。 「真っ直ぐな目は虫唾が走るんですよ。精々うまい話に騙されないことです」 「…真っ直ぐ?」  嫌いだというがオールはその両目をしっかりと捕らえた。 「昔いた気がするんですよ。愚直にその目を向けてきて、才は有るくせ利用されるだけ利用された隙だらけの男が」  眉根を寄せて、手癖のように胸の前を掴み、空を握って、衣服に触れる。 「オールの…友達?」 「よく覚えていませんね。…友達ではないのは、確かですが」 *  ガーゴンはわずかに顔面を歪めただけだった。よくぞご無事で、と言ってからアルスへ向き直る。 「私の言ったことに変更はない」 「分かりました。ただオールをロレンツァに送り届けてからです」 「好きになさい。私からは何も言うまい。出発はいつを予定している?渡す物があるのだが」  レーラは黙って2人の会話を聞いていた。 「明日には。オールの様子しだいではありますが」  そうか、とガーゴンが言うと、一度会話は落ち着いた。 「何か案件があるのか?」  アルスが不在の間代わっているのかも知れない。アルスに訊ねたがガーゴンがある程度端折って説明する。割って入ったアルスに、隠していても仕方あるまい、とガーゴンは冷静に諭す。 「それなら俺も行く」 「責任感のお強いあなたのことです。そうおっしゃると思っておりました」  アルスはガーゴンを睨む。だが受け流された。レーラはガーゴンを黙って見据えている。不祥事を過去に起こしたことを揶揄と捉えたのかも知れない。 「大臣、でも、危険を伴うとおっしゃったのは大臣では…」 「ここにいるよりは安心だろう」  刺客を放たれては敵わん、とガーゴンは明らかにした。レーラの心情を思い測る気はないらしい。 「王も、そうお望みだ。身を斬られる思いでそう私におっしゃった」  アルスは何も言えなくなって口を噤む。 「父によろしく言っておいてくれ」 「ご自分で挨拶なさらねば」 「もう息子ではなくなった!」  レーラは声を荒げて退室してしまう。 「どうしてレーラのこと、もう少しお考えになってくださらないのですか?」  レーラの神経を逆撫でするのが趣味なのだろうか。アルスは呆れたように苦言を呈す。 「残念ではある。だがこれが最善なのだ。王は父である前に王。1人の人間であるまえに唯一の王子であることを忘れられては困る。…今回ばかりは、と例外を作れば、また国は混沌になるのだ。分かるだろう」  ガーゴンらしい答えだ。相手に委ねる。立場を自覚せよ、己の立場を理解せよと。王位継承権を持つ唯一の存在と長らく広まっている。儀式を失敗したからといって、良家とはいえ突然選ばれた権利を持たない者に乱されるのは民ということか。ガーゴンのやり方が正しいのか否か、アルスには分からなかった。所詮は掌で踊るだけの人形であるべき役どころなのだから。それが、ガーゴンが求めているであろうアルスの中のアルスの像だ。 「出発前にまた来ます」 *  オールと出会った町・ジェルジュに着いた頃には空は真っ暗だった。ガーゴンから預かった国の保証書。宿代や道具代など細々とした費用は城が負担してくれるらしい。それからミーサの召喚士としての仮免許証。組合登録番号が塗り潰してある。  2部屋とって男女で3人と2人に別れた。 「ここでオールと出会ったんだ」  セレンはミーサにオールとの出会いを話す。ミーサは物見遊山(ものみゆさん)の気分で種上げの儀式に何となく姿を現し教会から出た後は図書館や草花の生い茂る自然とボタニカルな庭園を思わせる自然街道をふらふらしていたらしい。自然街道と呼ばれるそこは巨大な怪鳥によって入口が壊され現在通行に規制がかかっている。 「ミーサはオールと知り合いなんだよね?」  話を振られ、ミーサは言葉に詰まった。 「昔やった病気の主治医なんすよ」 「そうなの?わたしも。だから驚いちゃった」  ミーサはセレンと見つめ合ってしまった。  深夜、眠れず部屋を出た。廊下の先にミーサの姿を見つけてレーラは声を掛けた。廊下の端にある窓辺に設けられた席で静かに茶を飲み、日報に目を通している。レーラに気付くとミーサは日報を片付ける。何が大きく取沙汰されているかなど見なくても分かる。 「礼がまだだった。ありがとう」 「へ?」  何の話か、とミーサは間の抜けた声を上げる。 「教会での一件だ」 「それでしたか。いいえ、お役に立てたなら幸いです」  ミーサは背に凭れてぐでんとしていた姿勢を正す。相手は、異類の身とはいえ王子だ。 「そう堅くならないでくれないか。今は王族でも平民でもない身だ」  ミーサはそうは言われても姿勢を崩す気にはなれなかった。 「それから広場での一件も。元・王族として、都を守ってくれたこと、感謝する」 「いいえ、えっと、あれはセレンとオールの力に依るところが大きいですから…(とど)めさしたのはアルスさんでしたし」  わはは、とミーサは愛想笑いを浮かべた。王子として扱うなと言われも、戸惑いが勝つ。 「…巻き込んでしまってすまない。平民で、まだ召喚士の資格も取っていなかったのだろう」 「あ~いや、大丈夫ですよ。…あー、レーラ殿は大丈夫ですか、体調のほうは」  レーラは頷いた。ミーサは自身の髪に指を通す。後頭部で纏めていた毛先が癖になりくるくると丸まっている。 「何してるんです、お2人とも。明日もお早いんですよね。とっとと寝たらどうなんです」  扉の開く音がしてオールがやって来た。 「すまない。うるさかったか」 「いいえ?別にうるさくはないです。陰気なほどお静かでしたよ」  オールは空いた席に座った。ミーサは苦笑いを浮かべている。 「言いますな」  やっと出た言葉はそれだけだった。 「ではオールの言うとおり自分は寝ます。レーラ殿、あまり無理をなさらないように」  ミーサは部屋に戻っていく。 「あの娘、好からぬ魔力が漂ってますね」  目で追うこともなくオールはそう言った。レーラは首を傾げる。相性の問題だろう。知り合いという話だったが。 「君の患者だろう」  オールの記憶の中に朧ろげに残っていたミーサの姿。 「患者のことなんていちいち覚えていられませんよ」  医者という自覚はあるらしい。言語と習慣や文化や知識、医者とロレンツァと同居人のことは消えていないらしい。 「そうか」 「ふん。お暗い性格なのは生まれつきでしょうが、前には進んでくださいよ」 「そうだな。それならまずは、きちんと寝ないとな」  オールは静かにそうですね、と言って部屋へ戻っていく。1人残されたレーラは廊下をぼんやりと見つめた。 「君は一体何者なんだ」  解放されたオールの記憶の一部が入り込んできていた。今とは似ていない容姿の少年が学友をクリスタルとして吸収してしまった光景。すぐに眠れそうにはなかったがレーラは部屋と戻った。
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