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 新しい研究議題を見つけ論文を作成している間もエヴァリーは教会に通い続けた。 「セルーティア、君には向上心がない」  端整な顔に浮かぶ隈。血色の悪い唇。青白い肌。瞳は虚ろだ。浅瀬を思わせた双眸は深く濁っていた。艶を失った緑を帯びた青の髪は枯れていく草に見えた。頼りなく背凭れに身を委ね、視線は天井を映しているが何を見ているというわけでもないようだ。痩せ細った体で足繁く教会へやって来たらしい。 「お久し振りです」  暫く見ていなかった。ゼノビウズの変わりようには一言も触れない。盗み聞いた会話の通りだった。活き活きとし、堂々とし、飄々としていた姿はない。 「何故、特研に加わらない…!どうして…!」  今にも気絶しそうな生気のない顔がエヴァリーを捕らえると突然そう喚いた。教会では静かにしなければならない。エヴァリーが特別研究班に加わろうとしないことが余程気に入らないらしい。 「オールさん、ここは教会です、お静かに」  エヴァリーは顔を顰める。ゼノビウズから与えられたクリスタルを握る。 「特研に…来い、…才の有る者は、…義務…」  ゼノビウズは途端に弱々しい声でそう言った。焦点の合わない濁った瞳から涙を流してそう言った。 「そうですね」  長くはないという。才有る者を失うのだ。実感はない。 「努力…、僕は……才能…セルーティア…」 「はい」 「出世…、権力を…持たねば…。セルーティア…ロレンツァを、」  ぼそりぼそりと誰に行っているのかも分からない方向を見つめて罅割れた唇が動く。 「復興させるんでしたよね」 「つまらない漁村…、セルーティア……僕はただ…」 「ええ」  息が苦しいのか包帯に覆われた手が胸に当てられる。怪我でもしたのか、それとも病からくる炎症かも知れない。 「信仰は…人を、殺す」  掠れた声で必死にゼノビウズは言葉を紡ぐ。だがどれもあまりに唐突で曖昧だ。 「セルーティア、…今度は特研で…特研で会うんだ、こんな辺鄙な、所ではなく…」  体が弱っても勝手さは変わらないようだ。苦しそうに息をしている。 「オールさん、このクリスタルは、どこで…」 「土産だ…母の…つまらん村に、置いてきた……非才の……――」  苦しそうに息継ぎをする。形見、と聞こえた。それをエヴァリーに渡したらしい。 「何故そんな大切なものを」 「信仰、心は…人を殺す…だが才の無い者は…弱いから、…頼らねばならない…」  この者は助からない。エヴァリーはまだ死に往く者を直接看たことがない。あのクリスタルの影響を受けた兵士がエヴァリー自身が与り知らぬところで“処分”されたくらいでしか。 「私は特研には行きません。…さようなら」  包帯で巻かれ、骨と皮だけになった指が見える掌に、ゼノビウズからもらったクリスタルを乗せた。ゼノビウズは何も言わなかった。  地下研究室に完成した論文を届けなければならなかった。帰りに呼び止められ、研究室に連れられた。ゼノビウズのクリスタルがまた手元に戻ってきた。形見だと言ってゼノビウズと同じ班であるはずの研究員に渡された。友人はエヴァリーしかいなかったらしい。エヴァリー自身、あの奇妙な関係を友人といえるかは分からなかった。ゼノビウズ自身も否定しただろう。だが彼の研究の協力者となれば友人だと思われたらしかった。そのクリスタルを預かって、ゼノビウズがどこまでの立場になったのか訊ねた。気まぐれだった。出世だ栄達だと言っていた男だった。だが出世というほどでもない立ち位置のまま死んだのだという。疲労が持病を悪化させたらしい。持病があるとは初めて知ったが、ゼノビウズが言わなかったのだろう。弱味を見せるのが嫌だったというのはゼノビウズと関われば容易く想像がつく。時折話す回顧や愚痴が珍しかったのだ。 「心苦しいとは思うがめげず、これからも学友の分、勉学に励んでくれ」  形式的にエヴァリーの父が、父ではなくゼノビウズの上司としてそう言った。ひとつの憧れは達成していたのだとエヴァリーは首に下げられたクリスタルを握った。 「はい」  訃報に驚きはなかった。予想より長生きだと思ったくらいだ。むしろ完治したのでは、と思うこともあればエヴァリーが知らないだけで既に亡くなっていたのでは、と思うこともあった。彼がいなくなるという準備は出来ていた。そのため亡くなったのだという確定的な報せはすとんと胸に落ちた。しかし、いなくなったと断定された途端に胸がざわざわとした。耳鳴りがした。    論文を書き終え、後はそれがどう扱われるかだった。結果は分かっている。おそらくゼノビウズに協力した論文と同じ結果が来る。だがやらずにはいられなかった。誰かの目が通るならそれでいい。結果待ちの間は暇を持て余した。野暮用で医務室に向かうときだった。廊下を忙しなく走る音がする。口煩い大臣がいるため廊下は走るなというのが暗黙の了解になっていた。 「やめろ!触るな!」  聞き覚えのある声がした。だが幻聴に違いがなかった。故人の声だったから。いくつもの忙しない足音と震動。謁見の間のほうからだった。だが他人事だ。あまり関係のないことに首を突っ込むと、面倒なことになる。これから王を交えて特別研究班の最高機関とエヴァリーが提出した論文の会議があるらしい。逆鱗に触れてしまったのかも知れない。謁見の間に行くついでに医務室でいつのまにか捻挫していた手首に貼る布をもらっていた。治癒術で治してしまえばよかったが治癒術の魔力に免疫がついてしまうと大事な時に効かなくなってしまいそうな強迫観念があった。  いたぞ!捕まえろ!絶対に殺すな!  怒号が医務室の前を通った。察するに、罪人か何かの脱走らしい。興味も湧かずに処置をする。  謁見の間に続く廊下を歩いていると、足音が近付いてきた。 「やめろ!」  数人の兵と、さらにその奥に幾人もの兵がいる。その最前線を走る病衣に身を包んだ男。草花が咲き乱れる季節の雪解け水を思わせただろう、濁った眼。田園地帯の小川のせせらぎを思わせたであろう髪は艶を失っている。怒号、喧騒、物音。 「オールさん、なんで…」  大きく顔を歪ませたゼノビウズがエヴァリーを見つける。腕には枷が付けられ、細くなった足首が病衣の裾から覗く。作りの粗い病衣はぼろぼろに繊維が飛び出てひらひらと揺らめいている。大きな麻袋を引き裂いて袖を付け加えたようなそれは囚人服だ。ただ事ではない。ゼノビウズは死んだはずだ。 「助けろ、セルーティア!」  身の衰えよりも迫っているらしい危機に体は野生動物の如くしなやかに力強く動いている。ゼノビウズが謁見の間に向かおうとしたエヴァリーに救いを求め、突進するといわんばかりに走ってくる。  謁見の間の入口付近に構えた兵士が後ろから首の真横に槍を突き付けた。首の前で左右から肩の上に挿し込まれた槍。ゼノビウズの足が大勢を崩す。大きく見開かれた目は濁りを捨てわずかな期待を拾い上げたかのようだった。髪と同じく艶をなくしたやつれた頬。崩れ落ちていくゼノビウズの体。大きく開いた袖の奥から伸びる腕は焼け爛れている。皮膚の下に根を張り巡らせたような青い筋。一瞬で、人工クリスタルの影響を受けた兵士の腕を思い出す。それよりも随分と進行している。胸元を結晶化させたフクロウ。教会で胸を押さえていたゼノビウズ。頭の中に様々な光景が浮かぶ。  何故、という疑問が浮かぶ前にゼノビウズの両腕を留める枷が砕けた。魔術を通さないと噂のそれが、ガラスを砕くように割れた。ゼノビウズの胸が光る。床に倒れたゼノビウズが悶え苦しみはじめた。噛みしめた唇から血が床へ滴る。エヴァリーの体が咄嗟にゼノビウズへ向かった。首に触れた槍の先の冷たい感覚が一瞬した後、ばきばきっと音を立てて散る。エヴァリーの意思に反して、指先どころか掌が魔力を集め出す。首から下げたクリスタルが光を放って浮いている。蹲るゼノビウズに駆け寄った。追い付いた兵たちがゼノビウズを捕らえる。激痛に苛まれ、震える手がエヴァリーに伸ばされる。割れた爪からも血が滲んでいた。 「セルーティアアアアアア!!!!」  叫び。もう一度立ち上がりゼノビウズの体が兵士たちを振り切る。  緊張かそれとも掌の魔力が解放を望んでいるのかエヴァリーの腕が大きく波打つ。疼きと痺れを伴っていた。足を踏み出す。床に着いた瞬間に床に亀裂が走った。爆発音がする。真横の壁に大きな罅が入った。いくつもの足音が聞こえた。増援らしい。エヴァリーの背後の扉が軋む音。謁見の間の重厚な扉が金属もろとも瓦礫と化した。何かがおかしいと思った。今の感覚も、この城のやり方も。背筋が寒い。目の前で伸ばされた手から眼球が動かない。泥沼を歩いているような、全てが遅く感じる。細くなって爛れた手が兵士の中に埋もれていく様子もゆっくりだった。 「オールさん、」  伸ばした手が触れる。軋む音。降りかかる天井の塵。聴覚を奪う耳鳴り。閃光。 ――捕えろ! ――やめてくれ!私の息子だ!!!! ――実験は成功していたということか! ――あれは失敗作だと言っていたではないか! ――私の息子だああああああ!!!!  一瞬触れただけの指先は掴むことが出来ず、そのまま膝を着いて、エヴァリーは両手を床に着いていた。 流水のようだと思った髪は揺れることなく宙で制止する。兵たちの装備品が砕け散り、兵は鎧の下の平服よりわずかに上等な服装をぼろぼろにして床へ倒れている。エヴァリーが気付いたときに目にしたものは手を伸ばしたゼノビウズが結晶化した姿だった。言葉は出なかった。息をした。呼吸を忘れていた。音が無い。鼓膜が破れたのか。ただ高く心地よい音がした。粉々に、散り散りになっていく、お互い唯一の“学友”。呆然とその様を見ていた。前に書で読んだ極寒地域で目にする光景。様々な条件が偶然重なった上で極小の氷晶が日光に照らされると起こる美しい現象があるらしい。それはこれなのかも知れないと他人事のように思った。だがこれは氷晶より儚いくせ、消えようとはせず床に散らばっている。  才の有る者には義務がある。才の無い者は哀れだ。つまらない漁村。信仰は人を殺す。出世。  エヴァリーは結晶を光らせる空を見上げる。最上階まであと2階はある天井を打ち抜いて見える青空には雲ひとつない。 「エヴァリー!」  父の声に首を上げるとわずかに重いクリスタルに繋がる紐の重さが項に伝わる。 「エヴァリー逃げるんだ!」   父の焦った声。頭が働かない。煌めくクリスタルの欠片が目の前で網膜を刺激する。教会でよく見る、彼が石ころだと言った物と同じ物質だ。これが人工クリスタルか。 ――あれが朱くなれば成功だ!! ――何をしている!はやく回収しろ!  目の前を交差する槍。床に刃先が刺さった。肩と首の動きを封じられ、背中が重くなる。 「捕らえなさい」  知らない声だったが、落ち着いた雰囲気がそれが王であるのだと何となく分かった。やめてくれええええと叫ぶ男の声が耳触りで仕方が無かった。
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