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 論文は却下された。証明も理屈も筋が通っていたはずだ。長期の研究の結果は別に意味で呆気なく終わった。それを都立教会にいるエヴァリーへ告げに来たゼノビウズは怒るでもなく落ち込むでもなく、いつも通りの不遜な態度というよりは目上の人に対したときのような落ち着きがあった。 「何故ですか」  酷な質問だと思った。ゼノビウズは教会の壁の上部に空いた窓から見える木なのか、それとも青空か、白い雲か、どこでもないところをじっと見つめていた。 「…秩序を乱すのだそうだ」  静かにそう答えた。表情筋が働いていない。不敵で自信に満ち、周りの悪評を全く気にせず堂々とした姿はそこにはない。ゼノビウズが横柄な態度でいる教会のいつもの席へただ脚を組み、体は石が嵌め込まれた壁から背けるようだった。エヴァリーからもあまり表情は見えなかった。 「秩序…?じゃあこのまま見過ごせということなんですね」 「知る術を持たないことを罪だとは言わないが、無知は罪だ。…だが凡人に毛が生えた程度の教師には分からん内容だった、ということだ」  怒り、喚き、嘆き狂うくらいのことはしそうなものだと思っていた。あまりの潔さにかえって心配になる。ゼノビウズはエヴァリーを肩越しに振り返った。 「論文を取り下げるのならば、特別研究班に加えると言われたよ」  平素なら高揚した様子で触れ回りそうな話だった。燃え尽きた男がそこにいるだけだった。 「君はどうする」 「私は…遠慮させていただきます。論文の取り下げるというのならこれという異論もございません」  ゼノビウズは少し黙った。嫌味のひとつやふたつ言われるのだろうかとエヴァリーは身構える。 「…そうか。君は医者になるのだったか。無駄な労力と時間を使わせた。すまない」  謝られるとは一切思っていなかった。感情の籠らない声がゼノビウズの声でゼノビウズでないことを言う。 「いいえ。有意義な時間でありました。…オールさんはやはり論文は取り下げるのですか」 「僕は論文を取り下げて特研に参加する…出世して…村を…」  ゼノビウズの語尾は掠れながら途切れた。 「ミミズクは何のために…」  震えだした、弱いくせ強い声をエヴァリーは気付かないふりをした。 「実験材料に名など付けなければよかった…!無事では済まないことなど分かっていたくせに…ッ」  拳が真っ白くなっている。 「…そうですね」  父は何と言うだろう。退学の話を切り出せないままだった。  秩序を乱すような、人工クリスタルの否定とその証明を記した論文の話はエヴァリーの父に届いていた。父はエヴァリーを叱責することはなかった。だがお前は利用されただけなのだと言っただけだった。彼はそういう者なのだと噂は研究班にまで届いているらしかった。 「これ以上、在学の意義が見出せないから、退学しようと思ってるんだ」  エヴァリーの父は意外なほどあっさりと、それがいいと言った。むしろいつだと。ただの承諾だけでなく、エヴァリーの退学に積極的なように思えた。王直属の医者の枠に空きが出たからそこに入ると良い、王から私から言っておこうと嬉々としていた。  僕は必ず出世するんだ!城に向かった時にゼノビウズの声がした。言い争いだろうか。地下は研究施設になっている。地下へ続く階段に配置された兵たちが動揺していた。エヴァリーはその研究施設を見たことはなかったが広いらしい。城の敷地の半分以上ほどあるらしかった。エヴァリーは地下へ繋がる階段の前を通って医務室へ向かう。一般兵が使う医務室は血生臭さが消えないまま壁や床、ベッドの繊維に匂いが染み付いているような気がする。魔物討伐に向かった者たちの治療を命じられたのだった。退学届を出せないまま月日が経っていく。急遽、治癒術研究班が附属したクラスと合流し、負傷兵たちの治療に当たった。同業者たちは気さくにエヴァリーに話し掛けた。エヴァリーの今までのクラスの扱いとは違った。何故、特別待遇クラスの首席であるにもかかわらず、準特別待遇と称されながらも実質底辺クラスであるここにいるのかと訊ねたりした。エヴァリーがゼノビウズの論文の協力者と知ると、彼等はゼノビウズを辛辣に評価した。そしてエヴァリーに利用されたのだと同情した。ゼノビウズとは違う道を選んだ。それについて衝突があったわけでもない。同じ道を一度志していた時もだ。  エヴァリーが担当した負傷兵の中に論文に記した反応をする者がいた。一昔前のまだ軽度な治癒術も広まっていない頃、村が3つ、4つほど疫病で消えた。腕を見た途端、その一般兵は慌てて首を振った。違うのだと。半狂乱に陥っていた。見つかれば処刑だろう。場合によっては同居している者もだ。最悪は近隣住民も隔離される。それだけでなく仮に同居人が放免されても不安を煽り病原体を王都に持ち込んだ噂が広がれば社会的に抹殺されるだろう。 「大丈夫です。ですがここでは…治療はできません」  軽度ながらも広範囲の火傷を診せに来た兵だった。だがどうにも様子がおかしいので他の部分も診察した。その軽度の火傷よりも、論文に記した人工クリスタルの影響のほうが深刻だった。  腕に血管以外の、根が張ったような筋が浮いている。クリスタルに寄生されている。却下された論文の内容に触れる以上、今後の行動は慎重にならなければならなかった。  特別研究員に回ったゼノビウズとエヴァリーが学校で会うことはなかった。ゼノビウズが教会に現れることももうなくなっていた。無意識にエヴァリーは首から下げたクリスタルを握る。 「神よ、クリスタルの神聖な導きと、御加護を…」  僕はね祈りになど中身は伴わないと思っている。研究中にゼノビウズが度々口にする私語、主張。祈りで救われるのならこのようなことはしなくていいのだと自ら実験台に選んだフクロウが人工クリスタルに浸食される様子を記録しながらゼノビウズはそう言った。 「祈りとは一種の治療です。己と向き合う精神の鏡です…そうですよね?」  必ず誰かが代価を払うのだ。ゼノビウズはそう言っていた。無才の者の代価を払うために有才は生まれたのだ、と。 『君のお父上は信仰心がないようだったが?』  意地の悪い半ば自棄になった調子でゼノビウズが訊いてきたことがあった。 『父を知っているのですか』  研究の手を止めず記録しながら問いを問いで返す。 『ふん。有名なお方だ。僕の目指すところに彼が主任の研究班があるのだからな』  わずかに手が止まった。一部がクリスタルと化したミミズクがまた動く首と目でエヴァリーを捕らえる。 『勘違いはするな。君に取り入ろうだの、彼の息子だから研究に誘ったなどという理由で協力を頼み込んだのだと思われるのは心外だ。僕の目は節穴じゃあない。親子で才を継ぐとは限らん』  それに、とゼノビウズは小さく続けた。実子とは限らない、と。 『実子ですよ、おそらくですが。何も言われておりません』 『ふん。そうだろうな』 『多分ですよ。嬰児の頃の記憶などありませんから』  他意はない。実際に疑念を抱いたことはない。ただ断定は出来ないというだけだ。 『生まれた季節も生まれた日のことも、結局自分で知ることは出来ん。教えられたことも嘘か真かも分からん。だがそれを信じるしかない。ある意味で親が最初に触れる宗教ともいえるな。くだらんことを言わせるな』  煩わしい、と雰囲気が告げる。養子を取ることは珍しいことではない。だがゼノビウズの中ではひとつの劣等感であるらしかった。 『御尤もです。ですから尚更です。信仰は父から教わったものではありませんから』 『息子の信仰の否定を証明する父親か』   ゼノビウズは一笑に付す。また沈黙の作業に戻った。ゼノビウズはエヴァリーの父の研究内容をエヴァリーより知っているらしかった。  終わったことを思い出して、ゼノビウズが鎮座していた席を一瞥した。出世へは近付けただろうか。  無許可というわけにもいかず、エヴァリーは地下研究施設に入る許可を取りゼノビウズを訊ねる。 「無才のくせに、僕の栄達の邪魔をするな!」  ただならない怒声に、密着率の高い扉を押す手が止まる。日を改めようと思った。同時に彼が撤回した論文の内容を掘り返すようなことに手を借すだろうか、と疑う。ゼノビウズの協力は諦めた。  治療法は導き出せた。算盤を弾くように。だがどうしても環境が揃えられない。件の兵には、疫病ではないこと、人工クリスタルを絶対に身に着けないことを告げ、治療をしているのだと安心感を与えるための栄養剤を投与し、進行度を診るだけの日々だった。人工クリスタルを外せば症状は止まるものだと思っていた。だが宿主を見つけたそれは内部から食らいつくそうと勢力を少しずつ広げている。ミミズクをそうしたように。かといって件の兵は信仰心が強いというわけでもないようだった。その兵は時折エヴァリーに世間話をした。実験に参加したらしい。ゼノビウズがいる班が募集したのだというらしい。健康体で出来ればある程度の体格がある体力的に男性が望ましいらしかった。特別給与が出るというので参加したのだと嬉々として語った。エヴァリーがそこを目指す学生だと思っていたらしい。件の負傷兵の診察は、魔物の討伐がどういうもので、どういうことがあって何を食べたのかの一方的な無駄話が最後だった。  人工クリスタルに汚染された患者はベッドから消えていた。調子は十分に良くなり火傷もきちんと完治している様子であるから帰したのだという。医務室は慌ただしい。理由を問う。室内の忙しさが目に入らないわけではなかった。責任者に廊下へ連れ出され、「君の目は節穴か、疫病の初期症状ではないか。ここには置いておけん」と叱責された。そしてくれぐれも内密に、と。ベッドのシーツや布団、その下のマット、周りを覆うカーテンだけでなく部屋中のカーテンが全てが剥がされ、ベッドの鉄柵だけが残っている。消毒の匂いまみれになっている。大掃除という名目だったのは後から知った。初期症状であることと、混乱と不安を招くから疫病の話は漏らすなということらしい。  皆、活き活きとした様子で清掃活動に勤しんでいた。国のため、王のため命をかけて働き傷付いても待ち受けているものは。一般兵でもまるで塵のように扱われる。エヴァリーは自身の立場を顧みて、清掃に参加するでもなくその日は医務室を去った。教会に向かう。まだ治療が続くであろう兵まで医務室から消えていた。感染を危惧してだろう。あの兵の症状ならば感染はしないけれど。 「神よ…何故お救いくださらなかった…」  ここで懐疑的な言葉を吐いたのは初めてだった。毒されてしまったか。 「このまま進んでもいいものでしょうか」  頭を振る。疑ってどうするのだ。このようなことを言いにきたわけではない。 「無知は罪だな」  答えではない応えがよく知る声で返ってきた。エヴァリーは振り返す。相変わらず偉そうな態度と姿勢で会衆席に座るゼノビウズが肩を竦めた。 「お元気そうですね」 「これで分かっただろう。才の有る者は犠牲になり潰される。才の無いものは消費される、才の無い者にな。だから才の有る者は才の無い者の間に入り、己を犠牲にするしかない」 「今日は何の御用ですか」  ゼノビウズはわざわざここへ自論を呈しに来たのだろうか。 「人工クリスタルの影響を受けた兵士が運ばれてきたよ」  ゼノビウズの声が低くなった。口元は笑みを浮かべているが明るいものではない。沈んでいる時によくそうしている。実験の失敗をした時など。 「幾らこの僕に才が有っても助けられないやつはいる。しかもそれが才の無い者の所為であったなら余計やるせない」 「はい」  本題に入る気がないのなら、その間は適当に相槌を打つしかない。それを見越したのかゼノビウズは自嘲的な笑みを浮かべたままだった。 「息の根を止めろと言われた」  エヴァリーの興味がやっと向く。論文の撤回を求められたのだと言い渡された時と同じようにゼノビウズは顔をエヴァリーから逸らした。論文の否定を目の前でしろ、という意味合いの命令なのだとゼノビウズは解釈したらしかった。下っ端は嫌な役回りもこなさなきゃな、とその本音を隠す。 「他に負傷兵は運ばれませんでしたか」 「…やはり、か。死体袋が運ばれてきた。じゃあ、あれは…」  ゼノビウズの推測は確信を得たらしい。 「疫病に症状がよく似ていました」 「あぁ。…僕は、治せる見込みのある者を、…殺めたのだな」  大きく息を吐く音が聞こえる。静寂の中には響くほど大きく感じられた。 「処置が適格だった。君か」 「はい。疫病でないことは告げました。人工クリスタルを手放すことも。鎮痛剤を打つしか、医務室では…」  それから論文の作成時に試作した浸食を抑制する薬。公認されていない。だがそれを分かっていながら投与した。ゼノビウズは分かったらしい。論文を撤回するという話になってから備品は破棄したつもりだったが、エヴァリーは破棄しないでいた。 「何が出世だ。何が栄達の道だ。…汚れてしまった」 「続けてください、私も続けます」  ゼノビウズを教会に置いて、エヴァリーは提出し損ねた退学届を破った。  学びは奪われないという幼い頃からの父の教えは結局のところ戯言だった。いとも簡単に、撤回された論文の証明とは反して容易くそれが目の前で奪われた。だが医業に転向したところで王の擁護から抜け出せばあの兵士たちと同じく安定はない。良家の専属にでもならなければ身分の低い家の医者など頼りにされない。 「オール・ゼノビウズくんのことは諦めなさい。長くは持つまい」  聞くつもりのない会話が耳に入った。雨具を持って父を城へ迎えに行った日だ。昨晩の天気の推測を破り王都に雪が降ったのだ。  ゼノビウズは病に罹ったのかもしれないと思った。それが彼の天命か。エヴァリーは脳裏に初めて会った時のゼノビウズを焼き付ける。首から下がったクリスタルを握った。ゼノビウズは助からないらしい。話を終え出てきたエヴァリーの父は迎えに来た息子を見てぎょっとした。だがエヴァリーはすかさず、ちょうど今来たということを伝えた。 「学友とは上手くやっているか」  帰り道、エヴァリーは父の問いに答えなかった。雪が王都を静かにする。 「いやだな、学友なんてぼくにはいないよ」 「そうだったか。父は野暮な質問をしたな」  険しい父の顔が綻ぶ。眉間の皺は緩んでいるがくっきりと跡が残っている。 「でも学校は続けることにした」 「あんなに辞めたがっていただろう」 「医者になる前にやることを見つけたんだ」  わずかに積もった雪がなる。城を囲う木が、住居である小屋までを覆う木の枝から雪が落ちる音がした。だが盗み聞きした会話が耳に纏わりついて、雪の音には気付かなかった。
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