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久遠 12

*  黒い髪の少年は都立の教会で祈っていた。王都の乾燥した空気に荒れた頬とその皮膚の下に点々としたそばかす。祈る先にあるものは、小さな石だった。壁に大袈裟に張られた蜘蛛の巣を模したのではと思われた金細工とその中心に嵌め込まれている。不思議な雰囲気を持ったその石に飽きもせず、毎日少年は通っていた。医者という本業を捨て、王に見込まれ城で研究をしている父と2人で暮らしていた。ひっそりと。教会の帰りに通る商店街で生活用品や食材を買って、時折図書館に寄ることもあったが最近はあまりそうしなくなっていた。 「エヴァリー、遅くなってすまない」  母を早くに亡くていた。悲しい、寂しいという感情を知る前から。 「ご飯、出来てるから」  真っ暗な部屋は数本の蝋燭で明るくされていた。すでに夕食を済ませていた黒髪の少年・エヴァリーはテーブルに座って項垂れたままの父にパンと、野菜と肉をミルクと出汁で煮込んだスープの器を出す。エヴァリーが作ったものだ。 「すまないな、ありがとう」  城の敷地内ではあるが倉庫にも使われない粗末な小屋。王から与えられたものだった。そこがエヴァリーと父の家だった。村の子であれば時折村長や有力者の元で最低限の知識や技術を教わる。王都であればそれが王立教会で行われる。エヴァリーにはよく分からないことだったが、セルーティア家とは身分が低いらしい。それは公的には教育的援助をしないということを意味しているようだった。さらにセルーティアの家は優秀であっても城の近くにある高級住宅には住めないらしかった。いくら功績を残しても身分が低ければどこでも何でも誰であろうと扱いは同じだった。 「エヴァリー。学校に行きたくは、ないか」  もう寝ようと思ったところで父はそう言った。城の敷地内では専門的なことを学べる施設がある。平民でも通えない。良家ばかりが集まるその場所。 「何故」 「医者を継ぎたくはないか。…どう生きていくつもりだ?」  まだ10になったばかりだ。これからどう生きるのか、全く図は見えていない。 「無償でお前を学校へ通わせてくださるそうだ。もちろん医者の免許も取れる」  奴隷とそう変わらない待遇で働かされている父を毎日見ている。ある程度支援金を、ぎりぎりそれで食費が賄える程度の支援金だけだった、父が手に入れられたのは。身分の低さを覆そうと独学で手に入れた技量と知識。だが身分が覆ることはなかった。 「考えておくよ」  父の顔が強張った。エヴァリーはそう言ってベッドへ入った。  身分の低い者は王立教会は使えない。城からは離れた都立教会に通う。父はエヴァリーの信仰を嫌がった。父が医業を離れて行っている研究はクリスタルの分野だった。クリスタルは危険な物なのだと言って、いずれ人類はクリスタルに救われるのだという教えを嫌悪し、それを信じるエヴァリーにあまり良い顔をしなかった。ただの魔力を秘めた石に祈るのは奇怪に映るらしい。  教会の帰りに、少年に出会った。王都の果ての田園地帯に流れる澄んだ小川を彷彿させる髪が美しい。蹲り、何かを抱えていた。怪我をしているのだろうか。エヴァリーの気配に気付いた少年はエヴァリーと同い年か少し年上くらいのように思えた。良家だと一目見て分かる、エヴァリーの着ている物を幾つ掛けても届かないような値段の衣類。鮮やかな色味と凝った刺繍。その繊維を汚す液体。小さな犬の傷口だった。わずかな他人の魔力を感じる。低級の魔術で付けられた傷らしかった。気丈な顔でエヴァリーを見つめている。その子犬の守護者然として睨んでいるのか見上げているのかも分からない強気な双眸は冷たい色味の中で燦然としている。その視線を気にすることもなくエヴァリーは指先に魔力を溜めた。何故この少年はただ傷付いた子犬を見ているだけなのか疑問が浮かぶ。見殺したいという理解し難い妙な癖を持っているのなら、慈しむように抱き上げるな、とエヴァリーは思いながら子犬に治癒術をかける。青白い光が子犬の傷口を塞いでいく。父から教わった、簡単な術だ。  会話はないまま、エヴァリーは去っていく。良家の息子に賤民が関わったとなれば、ことだ。 「きっと今より楽しくなる。どうせ教会と図書館を行き来して晩飯を作るだけの生活だろう」 その晩も父はエヴァリーに学校に行く気はないのかと話を切り出す。エヴァリーが断ることを恐れているらしかった。王からのご提案だからと。王の善意だからと。エヴァリーに父の後継を期待しているのだろう。医業を継ぐのも研究を継ぐのも、どちらの気にもなれなかった。社会的地位を築いてこの現状であった。割りに合わない。 「そこに信仰の自由はあるの」  父の立場が危うくなれば、エヴァリーの立場も危うくなる。情報は制限されていたが以前、広場で官僚1人の粗相で一家断絶をこの目で見た。教会の帰りだった。人混みの奥で聞いた悲鳴を今でも思い出せる。 「王は寛大でおいでだ」  エヴァリーが頷くのなら何とでも言う気なのだろう。信仰を形式だけのものだと信じて疑わない様子が見て取れる。 「お前が家にいられない分の支援金も出る。そうだ、何が欲しい?少し余裕がある。何か欲しいものがあるだろう?」  父から何となしに与えられたクリスタルのペンダントを握る。 「ないよ。でも学校には行くよ」  そう言うとやっと父は夕飯に手を付けた。トマトと豆のスープで小麦粉を練った固形物を茹でた物と蒸かした芋だった。   「神よ…」  教会でだけは表情が緩む。この空間だけは身分が関係なくなるのだ。良家の者より前列に座っても赦される。良家を優先せずとも赦される。 「身分とは何なのでしょうね…」  全ての物にあまり関心が湧かなかった。全て奪われてしまうのだ。そして満足するまで伸ばすことは出来ない。最初から分かっていて、求める気概を自分が持っているとは思えなかった。父は運が良かったのだ。クリスタルの助けを乞わずして、クリスタルに助けられている。 「非才の私では…」  親指ほどの石に声はない。それでもエヴァリーには満足だった。あれは見たことのない母なのかも知れないとすら思った。  入った学校はやはり良家や王族の遠縁ばかりであった。独学で文字の読み書き、魔術書の暗唱、有名著書の暗記をしたがそれで十分間に合ってしまった。成績は芳しく、素行態度も悪くはなかった。だが賤民というだけでエヴァリーに友人はいなかった。王が推したとなれば排他的に扱われることはなかったが腫物に変わりはなかった。     ひとつ分かったことは、思っていたよりも知的欲求は高かった。身分関係なく使用できる都立の図書館の蔵書を読み漁っていたが、それは暇潰しのつもりだった。 『賤民なら愛想を良くしろ』 『賤民が楽しそうにするな』  理不尽なことを言われたことがあったが、エヴァリーには、クリスタルの前以外で表情を緩めることがどうしても出来なかった。  14歳を迎える頃には医師免許をすでに得ていた。論文は書き終え、通学の意味を見出せなくなっていた。授業内容が拙く見えて仕方がなかった。唯一、突然導入された剣技の授業は苦手だった。決闘形式でエヴァリーが指名された時嫌でも気付かされてしまうのが、見世物にするためだったということだった。剣は重いと感じた。相手の剣を受けるたびに柄がエヴァリーの柔らかい掌の皮を削っていった。結局剣同士がぶつかった瞬間に電撃を走らせ決闘には勝ったが、判定は負けだった。 『ばかか君は。魔力を抑制された時にどう勝つつもりなんだ』  いつの間にか出来ていた観客と化した暇な学生たちを割って入ってきた者がいた。部外者だ。クリスタルが時折反射させる曖昧な神秘的な色味の髪を煩わしげに掻き上げていた。 『申し訳、ありません』  教会で思い出していた。負けてしまった。それだけでなく叱責までされるのだ。研ぎ澄まされた刃が己が身に降りかかってくるのが見えた時、魔術を使わずにはいられなかった。掌に巻いた布の奥が熱を持って疼いている。治癒術をかける気にはならなかった。 「君がエヴァリー・セルーティアか」    クリスタルに答えを問おうとして開いた口が声を発することなく閉じた。唇が乾燥していた。 「僕の出世の邪魔になりそうだ」  後頭部で束ね、半分は下ろしている緑を帯びた青い髪の青年。時折クリスタルが指し示す光によく似ている。夜のクリスタルと同じ深い色の襟巻。冷えているが気丈な双眸。エヴァリーは振り返ったが聞き間違いかと思ってまたクリスタルに臨む。青年はその態度が気に入らないとばかりに鼻梁に皺を寄せた。賤民、親の七光り、首席、決闘を知らない未熟者。エヴァリーを快く思う者はいないように思えた。少なくともエヴァリーの前には現れなかった。その輩と同じ類か。無視して今日は帰ろうかと思った。クリスタルの前で辱められるのは耐えらない。ここは粗末な小屋よりも家なのだ。  青年が座っている会衆席と誰も座っていない会衆席の間の通路を通る。 「噂に聞く愛想のなさだな」  値踏みされている。エヴァリーはあからさまに顔を顰めた。語り合う友もいない。そこに振り撒く愛想などない。噂とは本人に直接言うものではないとエヴァリーは思った。 「ふん。オール・ゼノビウズだ。よろしく。君の2学年上だ」  鼻を鳴らしてオール・ゼノビウズと名乗る青年はエヴァリーに手を差し出す。学生を示す、制服ともいえた開いた袖の下に着ている薄手の衣類は艶やかな色味と装飾をしていた。良家の者だ。差し出された手を凝視する。体が動かない。何かの罠に嵌められる。はぁ、と大袈裟なほど大きく溜息を吐かれ、オール・ゼノビウズはエヴァリーの腕を取る。掌と掌が触れ合う。明日には、最悪今日この後の授業で理不尽なことが起こるのだ。 「鈍臭いな。まぁいいだろう」  ゼノビウズはまた、ふん、と鼻を鳴らす。エヴァリーは黙ったまま床に視線を這わせる。 「何か言ったらどうだ。甘い汁を吸いたいだけの無能が作った制度など気にせずな」 「あなたも、お祈りに…?」  顔を上げた。ゼノビウズは片眉を上げてエヴァリーを爪先から脳天まで品定めするように観察している。 「くだらない信仰心などないね」  教会の壁に飾られた小さな石。毎日それに向かい両手を合わせ、祈る。ゼノビウズは腕組みをしてエヴァリーから金細工に嵌め込まれた石を見る。 「それでは何故ここへ?」  久々に事務的なものでない会話を父以外と交わした気がした。気難しい性格のようだがゼノビウズはエヴァリーの問いにはきちんと答えた。 「僕の出世の邪魔になりそうか己の目で見定めに来ただけだ。ここには何の興味もない」 「それだけのために、ここまでいらっしゃったのですか?」  城の近くに建てられている学校から都立の教会までは距離がある。エヴァリーは昼に与えられる休みを潰して訪れていた。 「何を。君だって毎日飽きもせず、あの石に会いに来ているだろうが」 「毎日って」  気付かなかった。都立教会は常に開放されている。だが昼にはあまり人がいない。周りをあまり見ていなかった。 「…っそんなことは、どうだって…。否、出世の邪魔者を調べるためなら些末なことよ」  ゼノビウズはエヴァリーが首から下げたペンダントを突然掴む。 「信仰心があるのならこのような偽物など捨てよ。安い信仰でないならな」  ゼノビウズは夕日を閉じ込めたといっても過言ではない神秘的な色の石を差し出す。ゼノビウズはその双眸とよく似た色味をしたエヴァリーのクリスタルのペンダントを嫌悪しているらしかった。色は違うが、同じものだ。天然石であるか人工石であるかの違いはあるが。受け取ろうとしないエヴァリーにまた腕を力づくで取り、握らせる。 「所持していたのなら必要な物なのではないのですか」  本物のクリスタルは燃え盛る炎のようにも見えたが寒い日が始まる前の季節の空のようにも見えた。本物ならばそれなりの値打ちもあるだろう。 「ふん。信仰心がない者が身に着けていてもな。ちょうどいいからくれてやる」 「…ありがとうございます…」 「礼など要らない。ただし僕の邪魔だけはするな!絶対にな!」  一方的に好き勝手言い、ゼノビウズは学校へと戻ったらしい。エヴァリーは本物と思しきクリスタルを眺める。クリスタル信仰の者が首から下げているものはこの国を滅ぼそうと落下してきたクリスタルの破片だ。最近は人工的に似た物の大量生産が成功したらしく広く普及している。だがこれは本物らしい。貴重な物のはずだ。それを渡されるほどあの者の邪魔をしているのだろうか。エヴァリーには自覚はなかった。  ゼノビウズに会うまでは知らなかったが、彼には悪評が付き纏っていた。校内の成績優秀者は片方は無愛想な賤民、片方は傲岸不遜の世間知らずなのだと教師は嘆き、嫌がらせとは微妙な線引きの理不尽な仕打ちが待っていた。貧民だ賤民だと侮られる日々。それだけでなく飽いてしまった授業内容にエヴァリーは父とは別の医業で生きようかと思いはじめていた。生きていく術は獲得した。割りに合わない給与でもこの暮らしよりは輝いて見える。 「相変わらずのシケた面だね。こっちまで陰気になる」  信仰心はないと切り捨てクリスタルまで渡したゼノビウズが教会でエヴァリーを呼び止めた。エヴァリーは絵でしか海を見たことがないが、朝日を浴びる海の浅瀬と題された絵とその目はよく似ていた。 「何か…ご用でしょうか」  学校ではゼノビウズの姿は見ない。さらに上級なクラスにいると噂で聞いた。ゼノビウズの名を知ると、耳にする悪評は殆どゼノビウズのもののようだった気がしてならない。平気で人を利用するのだそうだ。下心を隠すこともなく。あくまで噂だ。根も葉もない噂ならエヴァリーも他人事ではない。エヴァリーをよく知る友人もいないだけに、噂は拡大する一方だった。 「御用?あるね。セルーティア、僕の研究の助手になれ」  教会に相応しくない態度でクリスタルの壁を望む会衆席の長椅子に腰掛け、背凭れに両腕を広げ、脚を組んでいる。信仰心がないのがまるで分かった。 「ふん。どうせ今のクラスは暇だろう。教師たちも君を首席の座から引きずり下ろそうと必死さ。成績の改竄が行われるのも時間の問題だと思わないか?」  日に日に難しくなる内容はそのせいか、と思い当たる節があった。それはレベルに合せて難易度を徐々に上げているというものではなかった。 「ふん。僕とくれば、君も特別待遇クラスだ」  城の者たちが、国が、王が欲しがる人材になる。ゼノビウズはそういった方向を目指しているようだった。エヴァリーとは違った。生まれから良家のゼノビウズであればエヴァリーを得ずとも出世は容易いはずだ。 「私は出世には興味がありません。ただ父と王の意向に沿って通い続けているだけで」 「待ちなさい。才能を無駄にするな。才有る者には義務がある。クリスタル様しか項目のない君の真っ白な辞書に書き足しておくことだね」  ゼノビウズがまた鼻を鳴らし、嫌味な笑みを浮かべて捲し立てる。 「自分に才はありません。残念ですが、他の方をお探しになってください」 「ほぉ。では君を出し抜けない努力だけの輩は馬鹿をみるな。才の無い者は哀れだ」 「ですが才の有る者は義務を負うのでしょう」 「才の無い者を救うためにな」  ゼノビウズは淡々としている。 「才の有無については分かりません。自分にどのような才があるとおっしゃるのかも。ただゼノビウズさんとは根本的に考えが違うような気がします」 「オールだ。オールと呼べ。ゼノビウズ姓は正直好きじゃない」  ゼノビウズは帰ろうとするエヴァリーをなおも引き留めようとする。 「僕は君の説得を惜しまない。君の協力の向こうに栄達の道が見える」  ゼノビウズの真剣な眼差しは決闘と称した見世物で味わった、身に降りかかる刃に近いものがあった。そこに優越や哀れみ、揶揄はない。 「話だけならお聞きします」 「よろしい。気が変わるだろう」  ゼノビウズは気位が高いと聞いていた。賤しい身分の自分と歩いていて平気なのだろうかとエヴァリーは思った。  連れて来られたのは要塞の頂上だった。初めて来たところで、遠い空気の色にぼかされた山脈と果てしなく一直線伸びたに空と海との境界が見えた。その高揚をゼノビウズが気付いたか否かは定かではない。ゼノビウズはここへ来ることは慣れているようだった。何かを大空へ向けて呼ぶ。鳥が一羽飛んできた。ゼノビウズは人工クリスタルの危険性についての論文を書くらしい。すでに実験となるフクロウを購入し、手懐けたという。 「人語を解するまでには躾た」 ミミズクと名付けられたフクロウは首に小ぶりなクリスタルが下げられている。エヴァリーの持っていたクリスタルによく似たそれは人工クリスタルなのだろう。 「人口クリスタルには劣悪な物が多い。魔力を供給させるどころか暴発させ、人を人でなくさせると僕は仮説を立てている。おそらくはこういった動物もな」  ゼノビウズは機嫌が良いらしく飽きるまで持論を語った。全てを聞いてはいなかった。エヴァリーは実験材料というにはよく慣れたフクロウと戯れていた。 「悪いが彼には…僕の犠牲になってもらう。残念だが…」  フクロウの頭を撫でたゼノビウズは、本当に実験材料となる命に向けられている謝罪に感じられた。声音が低くなり、愉快そうだった表情に陰が射す。人語を理解するらしいが、この話も聞いているのだろうか。 「僕の生まれはロレンツァだ。寂れたところだよ。つまらない漁村だ。君、行ったことは?」  突然ゼノビウズがフクロウを撫でる手を止め、そう始めた。私的な会話のように思えた。エヴァリーは首を振る。 「この論文が終えられたら、おそらく長期休暇を与えられるだろう。通行証もな。馬の貸し出しも確か…出来たはずだ。地元が他にあるなら別だが、行ってみるといい。つまらない場所だが空気と飯は美味い」  ロレンツァは地図でしか見たことがない。王都から南東にある海沿いの小さな漁村だった。 「今はまぁ…少しひどいところなんだ。あそこが観光地にでもなれば…」  なんてな、とゼノビウズが笑った。初めてみた邪気のない笑顔。 「そのための出世ですか?」 「…ッ、出身地に報いたいなどと殊勝な心がけなんざ持ってないな。才有る者が才の無い者を助けるのは、当然だ」  ゼノビウズは自分が何を語ってしまったのか悟ったらしく突然顔を赤らめはじめる。 「少しひどいところというのはどういうことですか」 「つまらないと言ったのは、海と森ばかりで他にやることがないだけじゃあない。誰もが諦めている。小さな何の取り柄もない貧しい漁村の中で終わろうとしてる。僕はそれが我慢ならない」  ゼノビウズはあからさまに顔を顰めた。 「才が有るのに、ですか」  ロレンツァから出てきた学者は多い。そのことについて触れようか否か迷っていた。 「遺伝か、それとも食生活か頭の冴える者は多かった。人工クリスタルなどという禍々しいものを作ったのもあの村の者だったな」  ゼノビウズは自嘲する。だから同郷の出の己の手で始末せねばならないと続けた。 「君が誰に言おうが勝手だがおそらく誰も信じはしまい。知恵の回る子が多い分、あそこは最も養子の需要がある。あとは分かるだろう。寂れた漁村出身者がここで良家の息子を気取っている理由が」 「オールさんは養子というわけですか」  ゼノビウズは静かに頷いた。何故身の上話をはじめたのだろうか。真意が読めない。地元を観光地にしたい、村民の根性を叩き直したい、出世したい、それはどれも本心ではないような気がした。もっと深刻に向き合わなければならない事態のような。同郷の者の成功を覆す論文を提出するということだ。 「もったいぶる必要はないだろう。君は鈍臭いが頭は良い。いずれ分かるだろう。疫病だな」 「…疫病?」  捻くれた笑みを浮かべてゼノビウズはそう言った。心にもないだろうに、愉快だと主張しているような。 「僕はその原因を人工クリスタルだと踏んでる」  フクロウの胸元に下げられた小さな人口クリスタルをゼノビウズは優しく撫ぜた。 「確証はまだ得られていないと」 「だから君に協力を仰いだ。頭ごなしに人の意見を否定しない鈍臭さがありそうだったからな」 「は、はぁ…、なるほど」  返事に困った。若干の興味が湧いてしまった。まだ見ぬロレンツァという土地にも、人工クリスタルの影響についても。ゼノビウズに与えられたクリスタルを無意識に握る。 「まぁ、色よい返事を期待しているよ。有才は非才を助ける運命にある」  フクロウを片腕に乗せたゼノビウズはエヴァリーの真横を通って帰ろうとした。だが足を止める。 「身分は、本来はそういうものだ」  すれ違って数歩、表情は見えないが、飄々として相手を侮るゼノビウズから想像の出来ない落ち着きと真剣さの混じった声が聞こえた。  頼りにされたのは初めてだ。雑談に付き合わされたのも。まだ見ぬ土地に想いを馳せたのも。信仰の元を辿るのも悪くない。好成績を修める度に訊かれる、何か欲しい物はないかという問いにやっと答えが出せそうだった。  オールさん。学校の敷地で初めて自ら声を掛けた。ゼノビウズは庭にある小さな池で釣りをしていた。 「騒がしいやつだね。生まれを甘く見られるぞ」  開いたままの雑記帳に何かを記録するとその雑記帳を閉じた。 「今日は行かないのか」  都立教会へ。ゼノビウズは魚が釣れるようには設計されていない杜撰な釣り竿を脇に置いた。 「返事をせねばと思いまして」  父に買い与えられた、値の張る地図。観光地になるはずの小さな漁村を指でなぞる。どのようなところなのだろう。ゼノビウズの言葉は誇大表現の可能性もある。 「ふん。熱心な信仰を絶ってまでするような返事なのだろうな?」  まだ油断ならないという意が言外に含まれている。ゼノビウズは顔にかかった麗らかな髪を掻き上げる。 「協力いたします。オールさんの地元復興」 「勘違いしているな。まぁいいだろう。行き着くところは変わらん」 「でも、その、大丈夫なのですか。私は。」  言い淀む。続きを言えなくなってしまった。 「ふん。身分で選んでいると思われているのなら心外だ。僕の目は節穴じゃあない。有才無才の目は利くのでね。根本が覆るようなことを申すな」  エヴァリーは余計な心配をしたと思った。 「この論文を完成させ、直ちに新たなクリスタルの精製法を発案し一財産築く。いいな?何か望みは」  ゼノビウズの純粋な興味がエヴァリーに投げ掛けられた。エヴァリーはすぐに答えられなかった。まだ仕留めてもいない獲物の皮の値段を弾き出しているような虚しさがあったが同時に妙な昂揚感がある。 「観光地で暮らしたい、ですかね」 「ふん。よくもまぁそんなつまらん望みが思いつくものだ」  
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