9 / 22

8

*  蝋燭に火を灯し、オールは日記帳にペンでさらさらと文字の羅列を綴っていく。雑、且つ、乱暴な書体。殴り書き、走り書く。3日間もらって、自分の記憶してきたこと、一般常識、基本的な歴史、学んできたこと、アルスとセレンのこと、これから記憶を無くす自分への手紙を全て纏めなければならない。  特殊な方法というのは、オール自身、理解はしているものの経験はない。王位継承者という強い魔力を持った人間を制することが出来るとすれば、とても強い呪術だろう。それを払い除けるには身体中の魔力と付近に漂った魔力、補助的な魔法陣の力を借りるだけでは足らない。四肢を代償にするわけにも、肉体ごと代償にするわけにもいかず、オールは記憶を代償にすると決めた。もともとの家系的宿命は、王族のために命を賭すはずだったのだから。覚悟を決めるというよりは諦めにも近い。  字の読み書きは覚えていられるだろうか?話す(すべ)さえ忘れているかもしれない。アルス達に迷惑を残してしまうのなら、やはり肉体ごと支払った方がいいのだろうかという考えもあったが、後々彼等に気を遣わせてしまうだろうと考えるとやはり記憶を失ってしまう方が、他の誰でもない、自分が救われるのだ。  出会って長くはないけれど、自分を好意的に見てくれた。自身の過去のことを知らなかったとはいえ、個人的な会話を交わすだけで、満たされた思いがあった。 アルスとセレンについて書き留めながらオールはペンを止める。セレンの強張った表情がふと頭に浮かぶ。少し遠い記憶の渦の中から引っ張り出された患者。ペン先の当たる紙面にインクが広がっていく。頭の中でふと様々な情報が浮かび、繋がり、捨てられていく。 「レディンさんはセレンさん、か」  自然と口から漏れる。セレンと昔、会ったことがある。焦点の合わない瞳と何の音も発しない唇。オールが感じ、セレンが戸惑っている「違和感」の正体。ロレンツァの病院で留守番をしていた時に現われた女児。父親と思しき人に手を引かれていた。歩いているだけの小さな人形。まだ幼名を使っていたのだろうか。一般的に幼名は珍しいけれど、王都での身分や立場のある者には多い。それが、今のセレンだ。城の人々と親交があるのでは、セレンが幼名を使えるだけの立場だというのも納得できる。今はすでにセレンとの身長に大差がないが、当時のオールは、まだ幼かったセレンを抱きかかえて院内に連れていったものだ。あれは10年と少し前だろうか。不老の身であることを実感する。身長も声も変わらずに、肌の質感も、髪の青さも変わっていない。思い出したところで、セレンは覚えていないのかもしれない。そして何より、あの時のことを掘り起こすことに躊躇いが生まれた。自分の失言を自覚したから。人形同然だったあの少女が今、こうして笑い、話している。記憶を失う直前でも、それを思い出せただけでよかった。もともとは医者だったという自分の道がやっと照らされるような気がした。手を止めた自分に気付き、またすらすらとペンを走らせる。  3日間しかないのだ。寝ずにでも書き上げなければならない。  *  日が昇ると同時に王立教会の鐘が鳴る。城に隣接した、都立教会よりも規模は小さいが上に面積を伸ばし時間帯を告げる鐘がある。既に目覚めていたアルスは城の外へ出掛けていた。オールが懐かしいといっていたのはおそらくあのフードの者で間違いないという確信があった。会わせたいと思った。無職といっていたから手掛かりは少ないだろう。  降り注ぐ日差しが帽子の下から抜けた暗い赤髪を照らす。乾燥した気候だが時折儚げな優しい風が吹き抜ける。そこに混じった街の匂いごと体に浴びるのがアルスは好きだった。繁華街が裏通りか地下街に分岐する大通りで、手掛かりのひとつである無職ということを思い出す。繁華街にはいないと思った。酒の匂いが微かにしたという記憶を信じ、酒屋や賭場で賑わう裏通りを選ぶ。城付近に並ぶ高級住宅の立ち並ぶ王都上層部は閑静だ。だが城下町は裏路地でも喧騒が凄まじい。今日も怒号や歓喜の声が響く。来てみたはいいが、快活な雰囲気がどうしてもあのフードの者の姿や雰囲気に結びつかない。戻って、地下街の果てにある旧拘置所にいる情報屋に向かおうとしたところだった。 「アールスー!!」  木造建築の素朴な雰囲気のある酒屋は特にいつでも騒がしい。聞き覚えのある声で呼ばれてアルスは足を止めた。被っていた帽子を深く被り直す。民間運営の兵に時折職業や住所や名などを問われることがある。アルスは靴磨きの下働きと名乗っていた。勝手に城を抜け出すことを城の者たちが良く思っていない。報告されるのは困る。 「ジェオゴリさん、お久し振りです」  以前アルスが城を抜けて働いていた大工の組合の長だ。日に焼けた肌と少し痛んだ真っ黒な髪。同じ色をした髭で顔が半分隠れているが隆々とした筋肉は惜しげもなく晒されている。体格がよく、椅子が悲鳴を上げている。 「飲むか」  まだ口をつけていない運ばれてきたばかりのジョッキをアルスに差し出す。周りの弟子たちもアルスを歓迎した。白い泡を浮かべた琥珀色の液体が気泡を中にたくわえながらアルスをガラス越しに映す。 「いいえ、まだ時間も時間ですし」  ジェオゴリは円形の木製テーブルをいくつか並べて若い衆たちと話しているようだった。アルスが断るとジェオゴリはそのまま手にしたジョッキをあおる。甘味は一切なく苦味と少しの酸味しかないその液体がアルスは得意ではなかった。薄手のタオルを頭に巻き、肌を露出させた屈強そうな男たちが集まるそこは熱気がある。平均的な体格のアルスは、その隆々とした筋肉を持ち小柄でも威圧感のある風貌の者たちの中で浮いていた。 「ところでお前…こんな所で何してんだ?」  脇で若い衆に中堅の者が、こいついいトコのぼっちゃんなんだよ、と説明する声が聞こえた。ジェオゴリがガハガハと笑いながら問う。看護婦長が母なら、ジェオゴリはアルスにとって父だった。 「人を探してるんです」 「ほぉ、嫁探しってか。ここには御眼鏡に適うやつぁいねぇよ!」  そしてまたガハハと笑う。城でアルスがやれば、即指導となる笑い方だ。普段は雑だが仕事となれば寸分違わぬ繊細な作業を平然とこなす。 「違いますって」  どんなやつ?と中堅の、アルスが特に世話になった先輩に当たる者が訊いた。居心地の良い、温かいところではあったが城の者に見つかると辞めなければならなかった。この組合が潰されてしまうのは避けたかった。 「失業中みたいで…あまり手掛かりがなくて。顔も分からないんです」 「ワケありっぽいな。…まぁ、腕っ節のいいやつならここで雇うって伝えとけ!」  大きな笑い声が営業妨害だとばかりに酒屋に響く。無職とはいったが失業中かは定かでない。そしてあのフードの下に、腕っ節の良さがあるとは到底思えなかった。 「はい。ありがとうございます」  失業中。自分で言ったことが頭の中にこびりつく。 「アルス…その、なんだ。ヒマになったらまた来いや!」  ジェオゴリにだけはあらかじめ身分と立場の話をしてあった。他の者には良家の嫡男ということになっている。すでに種上げの儀式の失敗の話は聞いているのだろう。レーラの立場が危うくなればアルスの身も危うくなる。ジェオゴリの気遣いが嬉しい。ただ頷いた。ありがとうございます、と言えるか自信がなかった。 *  セレンは朝の鐘が鳴る前から城を出て、街に来ていた。  何を買うつもりもなく、しかしじっとしていられなくて、商店街を歩いていた。八百屋が目に留まる。  レーラはどうにかなるだろうか。オールは何故あんなこと言ったのか。不安と疑問がセレンを放さない。  店の前に並ぶ果物を手にとった。梨だ。梨の色はセレンの亡くした人を連想させた。もっと深い色だったけれど、その人はこの果物を好んだ。買ってはすぐに丸齧りしていた。 「買うかい?おねえさん」  ふとセレンは顔を上げる。自分のことでないのなら、それでもどうということはない。爽やかに店番をしているらしい青年が笑う。セレンと同じ水色の瞳が細められている。あまりこの色味の人間はいない。どこか親近感が湧いた。 「じゃぁ、3つ買います」  弱ったとばかりに愛想笑いを浮かべた。 「3つで300ミラルドです!」  真っ白い袋に梨が3つ入れられる。セレンはポケットに入っていた小銭を青年に出した。 「もうひとつおまけね」  もうひとつ梨が袋に入っていく。白い歯を見せ店番の青年は袋を差し出した。 「ありがとう」 「ごひいきに」  少年から袋を受け取る。指先が触れあって、そばかすが浮かぶ青年の頬が赤く染まる。青年は慌てて大きく挨拶した。 「まいどありーっす」  セレンは店から去っていく。袋から微かな甘い匂いがした。小さくても確かな重量感がある。アルスとオールと看護婦長に。交友関係が狭いのだ。生まれついて、特別な身分だったから。会えば挨拶をして、雑談を交わす程度の友人はいる。けれど常にいるわけではなくて。城内に住まう高い身分の人々の娘や妹と話すことはあったけれど、彼女たちは自分たちの立場に誇りがある。安くないのだそうだ。自分とは違うのだと、セレンは理解し、そして遠ざけた。    「助けてくれー!!」  商店街の遠くで微かに声が聞こえた。男の声だ。 「…?」  セレンの向いている方向とは逆。振り向いたけれど、行き交う人々に異変はない。空耳ならそれでよいのだ。また歩き始める。 「助けてー!!」  また聞こえる。さきほどよりも鮮明に。女の高い声。複数人が、何かしらの被害に遭っている。今度は周りの人々にも聞こえたようで、ただでさえ騒がしい辺りはより騒がしくなる。梨を買った八百屋の青年が店から出ていくのが見えた。走りながら人混みを掻き分けて、悲鳴の方へ向かっていく。セレンは頭で考えるより先に足が動く。  商店街を最後まで行くと階段があり、街道がある。街を一周出来る要塞の壁に沿った螺旋状の街道だ。  王都は、王都を囲む門自体低い土地に建てられているものの、城に近付く度に土地が高くなる。城が王都外からよく見えるようにと城内から辺りが見えるように、そして城より高い建築物を建てられないように、それから洪水が起きても城の被害は少なくて済むようにだ。  街道まで走って緩やかながら長い階段を駆け上る。 「助けてくれ!」  夫婦だろうか、男女の2人が何かから怯えてセレンにそう叫んだ。その先にいるのは鳥の形をした黒く大きな怪物と、八百屋の青年。 「セレンさん!?」  八百屋の青年が振り向いた。彼が自分の名前を知っていることも気にならなかった。 「何が起こったの?」 「分かんねぇっす!ただこれは…」  ぼろ雑巾のような翼が大きく、巨大な嘴からは細く長い舌が出ている。門の頂上にまで続く長い街道の階段が壊れている。逢瀬で定番のそこに向かおうとした途中で襲撃に遭ったのだろうか。男女の2人組は腰を抜かしたようで上手くここから逃げることもできないようだ。 「魔物ね」 「はい」  大きな怪鳥を目の前にして、セレンは固唾を飲んだ。
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!