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 生憎の雨だった。だが予定に狂いはない。 「アルス?」  王都の要塞を見守る門兵と話すセレンがアルスに気付いた。そして兵との会話を切り上げアルスの元へ来る。雨の日はお互いに苦い思い出がある。 「婦長がね、門番さんに話をつけてくれたみたいなの。それで、パンまで焼いてくれたみたいで…」  セレンが片手を上げて袋を見せた。看護婦長は少し素直でない面がある。すぐに帰ってくるはずだが、看護婦長にとっては大きな旅に思えるらしい。  平民がよく使っている布の裏面に油を塗って華奢な金属の棒を通した簡素な雨具を差してアルスとセレンは王都を出た。全ての責務を放棄した気になる。セレンも同じだろうか。アルスは隣を横目で見る。元・太陽神の子。種上げの儀式が成功した時に、責務を全うしなければならない立場にあった。だが種上げの儀式は失敗した。だがそれもセレンには今、幼馴染という点以外を除いては関係がなくなっている。今はただの、少女だ。 「行こう」  振り向いた王都は大きい。守られている。この外は、魔物や賊が跋扈している。危険が沢山あるだろう。セレンをもう一度見る。本来ならば彼女の隣にいるべきは自身ではなかったとアルスは思った。雨が幻覚を見せる。だがこれが、現状だ。  歩く度に水溜りを踏む。王都から離れるにつれ、悪路になった。整備された足元に慣れていた。セレンのロングブーツを、アルスの脛から露出した脚を泥が汚す。西には山脈、東には海。その程度の地形しか把握していない。ただひたすらに南東を目指す。  半日歩くとロレンツァと王都の中間にある町へ辿り着いた。町の影が見えた途端、安堵にもう歩けないとすら思った。重い棒きれと化した脚を動かして町へと入る。レンガ造りの民家が並ぶ、小さな町だった。王都にこの町がどれだけ収まるだろうかと考えてしまう。  宿に辿り着く前に通り過ぎた教会は都立のものと比べるとあまりにも小さかった。とにかく2人は宿をとり、衣服を洗濯に預け、セレンは浴室に向かった。湿気と汗が不快だった。宿から借りた麻布の衣を羽織る。汚れた身でベッドに行くのも躊躇われ、背凭れを前に椅子に座る。体力に自信はあった。城にいる王直属の親衛隊の剣士から教えを乞うている。乞うている、というにはアルスの意思はそこにはなかった。平民以上の学術と剣術を得る。それがアルスが王都へ連れて来られた理由であり、存在意義だ。剣術を教わるうちに鍛えられた部分も痛み、情けない気分になる。明日もまた長く歩く。看護婦長以外の者には何も告げていない。王都の外に出るなど、立場上許されない。国家の援助がなければ、何も出来ないのか。 「空いたよ」  浴室の扉が開く。湯気を上げ、髪をタオルで拭いているセレンが出てきた。木綿の衣を着ている。宿で貸し出している物だ。レーラが儀式で身に着けていた衣に形状がよく似ている。 「足、痛いの?」  俯きがちだったアルスを心配したのだろう。セレンはアルスの足元を見つめて訊いた。 「大丈夫」 「そう…無理はしないでね」  セレンは並んだベッドの片方へ座り、髪を梳いている。アルスは浴室へ向かった。  アルスが浴室から出てきた頃にはセレンはすでに眠っていた。濡れた髪を適当に束ねた伸縮性に優れた髪紐を外し、ベッドに潜り込む。いつもならば城の者たちが扇風機に温風の魔術を当てて乾かした。アルスは魔術がほぼ使えなかった。城の者も教育課程で魔術の類は断念しているほどだ。枕が冷たくなり、心地は悪かったが、疲れが瞼を重くした。 「おやすみ、セレン」  雷の音がする。雨音が聴覚を支配し、身体は寒さに震えている。 大丈夫だよ。幼い親友の声。姿は視界に映らない。レーラ?と問うと、背を軽く叩かれた。温かさが背と胸に現れる。レーラ?ともう一度問う。レーラではない。分かっている。彼はまた別の、元・親友だ。彼はどうなった?アルスの意識が勝手に記憶を集めていく。そしてパズルが完成に近付いていく。 「ッ…!」  パズルの完成を拒絶した身体は跳び起きた。嫌な汗だ。慣れない枕に、慣れないベッド、着なれない寝間着。だが原因はこれらではない。隣のベッドを見る。カーテンの狭間から零れる外の光りがセレンの髪を照らしていた。雨は上がっていた。  地に頭を着けて何度も口にした言葉が再び喉から込み上げた。だが飲み込む。もう一度眠れるとは思えなかった。だがまた日が昇ればすぐに体力勝負だ。まだ少し湿っている髪を束ねてから、アルスは外へ出た。店番は代わっていた。少し散歩すると言い置いて、町の中を歩く。レンガで足元を整備されて、悪路に順応しはじめた足には妙な感覚がした。雨が残す匂いがする。アルスが住む城の部屋よりも土地は低そうだが、見える星は王都より澄んでいる。 ドカッ  欠伸をしていると背後から突進される。バランスを崩したがすぐに持ちこたえた。だが頭はついてかなかった。城の教官が見たら、呆れるだろう。 「すみません…!」  謝罪の声と足音。風のように去っていく背中。青い髪が大きく揺れていた。曲がり角で姿が消えるまで見ていた。足音に気付かなかった。まだ意識が完全に起きていないのかもしれない。もう一度アルスは大きく欠伸をした。髪を結う油の香りが遅れてやってきた。アルスの髪が靡く。色味も明るさも質も違うが、他に近い髪色で同じ年代で似た色の瞳をした男がいなかったのだとガーゴンは幼いアルスに常々言っていた。だからしっかりしてもらわなければ困るのだと。お前で妥協するしかなかったのだ、という意味が言外に含まれていた。アルスに魔術の才が無いどころか素質もない知った時、失望と軽蔑を真っ先に見せたのは誰よりもガーゴンだった。思い出すと少し、胸が痛くなる。そういった時も看護婦長が励ましてくれたものだった。 「キャァアアアア!!!」  遠くから悲鳴が聞こえた。耳に響く甲高い声。眠っていた民家に明かりが灯る。ただごとではない。宿のある方向を向いた。セレンは眠っているだろうか。アルスは声がした方へ向かった。レンガの上の水溜りがパシャ、パシャと無遠慮に足を汚した。宿から借りた穿き物の裾が濡れた。 「むこうだ!!」 がやがやと町の人々声が小さく聞こえ出した。大通りにつながる十字路を遠く目にする。松明を持っている何十人かの人たちは暗闇の中のアルスに気付くはずもなく、十字路を横断していった。  住宅が並んでいるのは町の一部のようで、町は北と南に林があるようだ。アルス達が通ったのは、西方面からであったから、たいして気にも留めていなかった。木々は微かな風にも舞い踊り、ざわざわと不気味な雰囲気を醸し出す。  アルスは固唾を呑んで、林の中に踏み出した。 「あんちゃん、何してんだい!」  松明を持った中年の男が肩を掴む。不安を露わにした表情が炎で照らされる。 「悲鳴は、この森から聞こえたんですか?」  周りの人々の会話が聞こえる。森の中へ入ることへ躊躇いを感じているようだ。 「あ、ああ…バケモノがいるから、中に入るなとはいつも言っているんだがな…」  中年男は険しい顔をした。 「分かりました。オレがちょっと中を見てきます。誰の悲鳴かは分かっているんですか?」 「や、やめとけよあんちゃん!ただのバケモノじゃねぇ、凶暴だ!」 「お願いします!うちの娘を助けてください!」  止める中年の男の後ろから、今度は中年の女がアルスの腕を掴んだ。震える声だ。最後に見た看護婦長と重なった。 「いつも森には行くなと教えていたのに・・・っ」  アルスの腕を掴んだ女の肩を抱く町の人々に、アルスは見たことがない王都にはない温かさを覚える。 「助けてもらいてぇのは山々だがおめぇ…見ず知らずのあんちゃんにあんな危険なとこに…あんまりにも酷だ」 「いいえ、行ってきます。心遣い、ありがとうございます」  中年男の優しさを振り切って、アルスは森へ向かった。入口の両端の木と木で入らせないよう縄が括ってあったが、跨いでしまえばどうということはない。雨が降ったばかりだからなのか、涼しい木々と木々の間。少し歩いただけで、林の奥に灯りが見えた。アルスは駆け寄る。円形に近く茂みに覆われた木々の植えられていない場所だった。焚き火専用の場所なのだろうか。円形の中心となる部分に炎が灯っているのだ。アルスは茂みを跳び越え炎に目をやる。魔法でついた炎だというのを感じた。雨の湿気に負けないわけだ。さらに辺りを見回す。青い物体がアルスの視界に入る。焦点をその青に移す。人だ。よく見慣れたそれは、マネキンか死体か、はたまた人間か。青の物体へ近付いた。 「大丈夫か?」  近くで見る。青い、蒼い、碧い。どれで表現される色なのだろうか。美しい髪が炎に照らされている。顔を覗きこむ。綺麗な顔立ちだ。女とも男とも判断のつかない、中性的な顔立ちといえばいいのだろう。そして右目には眼帯。 「おい」  意識はないが息はある。アルスはこの意識のない人を抱え起こす。その時に初めてこの人が怪我をしている事に気付いた。どろりと手についたのは、液体である。赤く、少し茶色を帯びている気がする。アルスはその手を目の前に持って行く。脳裏にある光景が浮かんだ。思い出したくない光景。眩暈がして額を押さえた。どうにかその光景を振り払い、汚れていない方の手で、意識のない彼のポケットに手を突っ込んだ。布と布の間の感触の中で、別の何かが手にかざる。迷いはあった。しかし抜き取った。紙だ。それを確認してまた元あったポケットに戻しておく。  治癒術を持ち合わせていないアルスは彼をそのまま寝かせて置くと、さらに奥へ行こうと、この場を円形に覆う茂みを抜けた。少しまた歩いていると、足に何かが当たり、アルスは足元を見た。紺色の空気に、更に色を増した物体。ここからまだあの焚火は見えるけれど明かりは届かなかった。地に落ちている主な物として、石にしては非常に大きく足にぶつかった時の固さが殆ど感じられない。木にしては、柔らかすぎる。石同様に明らかに違うのだ。屈んで触れてみる。人の肌の感触だ。 「あの」  アルスは声を掛けた。返事は無い。 「大丈夫か?」  もう一度声を掛け、身体を揺らす。やはり返事はない。口元を見つけ、手を翳す。息があるのを確認すると同時にゴオォォォっと風が林の奥へ誘うように慟哭が消えた。反射的に顔を腕で覆う。 「…」  パキ、と小さく音がする。軽快なもので、まさかさっき聞こえた慟哭の主ではないだろう。 にゃぁ  薄汚れた白い子猫だ。アルスは子猫にゆっくり近寄っていく。 にゃー 「おいで。ねこさん、おいで」  ぎろりとした黄緑色の瞳がアルスに向けられる。  ゴォォォっとまた音がした。 「ねこさん!」  大きい風が再び吹いた。子猫に上に跳びかかる。中年の男がいっていた凶暴なバケモノだろうか。 「なんなんだ」  胸に収まった子猫を確認し、前方をゆっくりと見上げるとそこにいるのは、何か大きな物の陰。暗くてよく見えないものの、何か居るのが分かる。 にゃー  温かく少し生臭い仔猫を抱え、青い髪の人とすぐ近くで倒れている人の位置を確認した。
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