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戻す者 3

 アメリカ合衆国に行く町子と輝には、シリウスが同行してくれることになった。ロンドンのヒースロー空港には、屋敷に住んでいる全員が送り出しに来てくれた。悪魔のせいであまりよく眠れなかったというカリムのほかは、いい顔をしていた。  英国から米国へのフライトは、日本から英国に来た時に比べるとはるかに短かった。それは、常にシリウスがそばにいて、町子や輝と話をしていてくれたからかもしれない。  アメリカに着くと、シリウスはまずニューヨークに連れて行ってくれた。そこからまた移動して郊外に出ると、何回か給油をして同じ車で他の州に着いた。行程は何日もかかったうえに、現地での食事に慣れていなかったので、なぜ飛行機を使わないのかとシリウスに聞いた。すると、こう答えが返ってきた。 「嫌な予感がするんだ。俺たちが乗れば飛行機は墜落する。他の乗客を巻き込まないためにも車を使うしかない」  その予感は当たるのか、輝がそう聞くと、シリウスは頷いた。 「俺の予感は、もはや予感じゃない。悪いほうも良いほうも大体当たる。まるで、射撃をしているように、ど真ん中に来るんだよ」  すると、そのシリウスの予感は的中した。  三人を乗せた車のタイヤが突然パンクして、コントロールを失った。シリウスはこのようなことに慣れているのか、舌打ちをして車をうまく路肩につけた。そこは、何もない平原で、かろうじて道だけは舗装されていたが、他は人の手が入っていなかった。砂漠とまではいかないが、乾いた土地だった。  どうして車のタイヤがパンクしたのか、原因を探るためにシリウスが外に出たその時だった。  町子が悲鳴を上げて、倒れた。  何が起きたのかわからない。そんな状況にシリウスと輝は戦慄した。 「何かがいる」  町子は、何かを見て気を失った。そんな気がした。  輝は、周りを見渡してタイヤのパンクの原因を作った主を探しているシリウスの手伝いをするために、車を降りた。すると、二人のほうに向かって、突然激しい砂嵐が吹いてきた。シリウスと輝は、車の陰に隠れてそれをやり過ごした。すると、砂嵐の中から誰かが歩いてくるのが見えた。 「なんだこれは?」 シリウスが、信じられないものを見る目でそれを見た。  なぜか懐かしい感じがする。しかし、底知れない悪意も感じる。純粋な悪意だ。  それがこちらにやってくる。足音も立てずにゆっくりと。この懐かしい感じは、彼の知る人間の中に確実にいるのに、悪意だけは心当たりがなかった。  そして、その人物は顔も見せないまま、立ち止まって、ふと何かを手にした。上着の内ポケットから何かを出しているようだ。町子を抱えたまま、輝がそれに目を奪われていると、シリウスが突然、輝たちを地面に押し倒した。  すると、何かの金属音がして、車のタンクからガソリンが漏れ出した。みると、そこには二センチほどの穴が開いていた。 「サイレンサー」  シリウスが、歯を食いしばった。 「こっちを殺す気だ」  シリウスはそう言って、自分の持っていた拳銃を構えた。 「こいつはかなりヤバい。輝、町子を連れて逃げろ」 「でも、シリウスさんは!」  そう言ってとどまろうとする輝を、シリウスが突き放した。輝は誰かに命を狙われた時、自分の身を守る手段がない。相手の力量を見た時、町子を抱えた輝を一人で守れる自信がシリウスにはなかった。  それを輝は悟った。自分には何の力もない。だから、せめてシリウスの足手まといにならないようにするしかない。そう思って、町子を連れて逃げた。  シリウスのいた場所から離れていくと、砂嵐の外に出た。何もなかったかのように静かな世界だった。だが、不思議なことに、シリウスも、三人のいた車も、砂嵐さえもそこに存在していない。何もない世界に輝はいた。  町子を抱いたまま、先程の平原にある一本の道にいた。誰もいない。輝と町子以外誰もいない場所だった。  そこに、一人の人間が現れた。どこから現れたのは分からなかった。女性だった。背が高く、栗色の髪の女性だったが、顔に表情がない。その女が手のひらを上にして輝たちのほうへ腕を向けた。 「この世の理に反する存在、人間」  そう言って、女は笑った。女の手のひらの上には火の玉が現れ、それは女が笑いを高めるにつれて大きくなっていった。  これは危ない。  輝はそう思って、町子を見た。彼女は守らなければならない。あれがもし飛んできたらとんでもないことになる。輝は町子を抱いた。  すると、輝の中で何かがはじけた。町子を守りたい。輝は今、そう思った。この恐ろしい火の玉から、自分の身が焦げてもいいから彼女を守りたいと、そう思った。その瞬間に、輝は自分自身を理解した。  女の高笑いはまだ止まっていない。輝は、町子を地面にそっと横たえると、女の前に立ちはだかった。そして、自分の中に湧き上がってくる力を確認した。  それは、まぎれもなく、町子を守るための力だった。 「俺は、高橋輝。そして、戻す者」  自分の手のひらに湧き上がってくる力を確認して、輝は地面を蹴った。そして、高笑いをしている女の懐に飛び込むと、その手のひらの上に浮いている火の玉に触れた。  熱くはない。ただ、痛かった。だが、輝はためらわずにその火の玉に手を突っ込んだ。  すると、女は高笑いをやめた。火の玉は次第に小さくなっていき、ついには消えてなくなってしまった。 「戻す者!」  女はそう吐き捨てて、飛び退った。輝との距離がかなり開いた。その行動は、輝には到底追えないほど早かった。輝が女を追おうと駆けだすと、その女はすでに輝の間合いまで入り込んでいた。  そして、輝は、左腕に、けがを負った。  何が何だかわからないうちにけがを負っていた。それくらい、女が速かったのだ。輝の腕から鮮血がほとばしり、地面に落ちた。右腕でその傷を庇おうとすると、今度は輝の足を、女が救って転ばせた。地面に転倒した輝は、右手で左腕を庇うと、自分の目の前にいる女を見据えた。この女は恐ろしく強い。自分では敵わない。そう考えて死を覚悟した。  その時だった。  輝の目の前に、誰かが現れた。どこから現れたのかはわからない。だが、しっかりと地面に立ち、輝と町子を庇う格好で女との間に入った。 「ダメだ、危ない!」  輝が、その人影に向かって叫ぶと、その人影はさっと地面を蹴って跳んだ。女より確実に早い。輝はびっくりして口を開けた。この人は誰なのだろう。  その人影は男性だった。その男性は女より圧倒的に早かった。女の拳は封じられ、足は蹴飛ばされて、持っていた武器全てが使用できなくなった。逃げようとしたが回り込まれ、そのまま地面に寝かされると、蒸発して消えてしまった。  戻す者として覚醒した輝を圧倒した女をあっさりと倒した人物は、ゆっくりと輝のほうへ寄ってきた。輝は、この時、とても大きくて懐かしい、暖かいものが自分を包み込んでくるのを感じた。 「久しぶりだな、輝」  その男性は、そう言って、輝を見た。  輝は、その男性を確認して、全てを悟った。  そうだったのだ。輝が戻す者として覚醒したタイミング。それがすべてだったのだ。  輝は薄れゆく意識の中で、もう一度その男性を見た。深くきれいな瑠璃色の瞳、漆黒の髪、あの、青い薔薇のシリン、ローズの家で出会った何物かのシリン。  おじさんだった。  彼は、意識を失っていく輝の腕の止血をしてくれた。そして、町子とともに自分の乗ってきた車に乗せた。 「おじさん」  何かを言いかけた輝を、おじさんの手が遮った。そして、輝は、おじさんの言葉をしっかりと聞いてから、意識を失った。  おじさんは、輝に、こう言った。 「シリウスは無事だ。今ここに来る。よく頑張った、輝」
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