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粉挽き小屋 5
皆が、静まり返ってしまった。
どこから切り出していいのかわからないまま、時間が過ぎていく。部屋の中にある掛け時計の秒針が時を刻む音だけが、部屋に鳴り響いていた。
何とかしなければいけないのは、アントニオだけではない。ここまできたらルフィナの父さえも何とかして説得しなければならない。しかし、その自信があるものは一人たりともいなかった。
「不老が、必ずしも良いこととは限らないのにな」
クチャナが、そう言って寂しそうに笑った。彼女はあの、タワンティン・スーユの滅亡を乗り越えてきた。故郷が虐殺によって滅んでいくのを見てきた人間だ。そのつらさはいかほどであっただろう。
「とりあえず、急を要するのはアントニオのほうだ。彼の父親の夢も気になるが、むしろこの色恋沙汰で一番割を食っているのはマルコとルフィナだろうからね」
セインは、そう言うと、立ち上がってテーブルの上を片付け始めた。
輝はそれを手伝いながら、ふと、考えた。
アントニオは、少し輝に似ていた。自分に自信がないところが特に。そして、そこを突かれると強がってしまうところもよく似ていた。以前、アフリカで「おじさん」にも指摘されたが、輝は自分に嘘をついてまで相手に合わせては文句をいう癖がある。今思えばそれは卑怯な手なのだが、そういうことに今まで気が付かなかったのだ。アントニオも同じなのではないだろうか。
「森高」
ふと、町子を呼ぶ。彼女は呼ばれると片付けている手を止めて輝を見た。
「なに? 町子って呼んでって言ってるでしょ。これから英国のハイスクールなんだし」
「分かった。ごめん町子。ところでお前さ」
そう言って、輝は少し恥ずかし気にそっぽを向いた。町子にこれから吐くセリフに照れたからだ。
「俺がお前の恋人だったとして、俺に一生会えなくなるかもしれないくらいに両親が俺との間を引き裂こうとしていたら、どうする?」
そのセリフに、皆が手を止めた。特にマルコは、うつむいて床を見ていた。
すると、町子はみんなの反応をよそに、当たり前のように胸を張ってこう答えた。
「私の持てる全能力を使って、何としても会いに行く。捕まりそうになっても逃げまくる。それくらいの情熱、若い女が持っていなくてどうするの。当たり前のことじゃない」
「そうだよな」
そう言って、輝は胸をなでおろした。
「何者かの気配がここに近づいているのを感じるんだ。俺は、ルフィナさんだと思う」
「ルフィナが?」
驚いて目を丸くするマルコに、輝は頷いた。
「このパン屋の正面から五つ、裏側からひとつ。正面からくるとしたらおそらくアントニオさんかその妹さん、もしくはルフィナさんのお父さんだろうと思う。裏からくるのがルフィナさんだろうね。裏って言っても、裏口じゃない。たぶん、このパン屋の裏にある土手に生えている木、そこからだと思う」
そこまで細かく説明する輝に驚きながら、まだ気配を感じ取れていないセインとクチャナは輝の能力に驚愕した。まだ完全に覚醒していないにもかかわらず、自然とこんなことができてしまう。戻すものの能力とはいったいどのようなものなのだろうか。
しかしそれもつかの間、家の裏手で大きな音がしたので、輝を含む五人は走っていって誰が来たのか確かめた。
すると、そこには、きれいな金髪を腰まで伸ばした、素朴だが十分美しい女性が尻もちをついていた。彼女の顔の横には、小さい何かが飛んでいた。皆最初はそれを虫か何かだと思った。しかしそれは虫より大きく、人の形をしていた。女の子の形だ。その小さい女の子の背中からはトンボのような羽が生えていて、それを細かく羽ばたかせながら宙に浮いていた。
「大丈夫、ルフィナ?」
その、虫少女は、人間の言葉まで話して、ルフィナの心配までしていた。
「ルフィナ!」
木から落ちたのか、土手から落ちたのか、苦笑いをして虫少女のほうを向いたルフィナのもとに、マルコは駆け寄った。
「ティーナもいっしょなのか」
マルコはそう言って、ティーナと呼ばれた虫少女を見た。
「当然よ。ルフィナとあたしは一心同体なの! 離れるなんてことないわ。あんたと違ってね!」
「そうか、でも、二人とも無事でよかった。さあ、中に入って」
そう言ってマルコが差し出した手を、ルフィナは取った。ここに集まっている人間たちをぐるりと見渡すと、すすめられるままにパン屋の中に入っていった。先程つなげたテーブルは健在だった。ルフィナを座らせると、皆も椅子の数を確認して席に着いた。
ルフィナはセインとクチャナの二人には面識があった。会ったことのない輝や町子とあいさつを交わすと、緊張していた体をほぐすように腕を組んでさすった。
「ごめんなさい、マルコ。どうしても私、あなたとは別れたくない。ここで追手が付いて、あなたに迷惑がかかるとわかっていても、私は家から逃げ出すことくらいしかできなかった」
すると、マルコは、テーブルの上で組まれたルフィナの震える手を優しく両手で包み込んだ。
「なんてことはないよ。迷惑だとも思っていない。むしろ、僕は幸せだと思うよ。君のような人に愛されて、そして愛することができて」
その二人のやり取りは、その場にいた人間に安らぎを与えた。ルフィナがマルコを思う気持ちに偽りはない。そして、いざとなったら行動を起こす勇気も持っている。
しかし、安心できる時間もそこそこに、また、輝の顔がこわばった。
「来る。五人だ」
そこにいた人間全員の表情がこわばった。クチャナとセインはゆっくりと席を立つと、窓から、パン屋の正面を見た。
「クチャナ、確認できるか?」
クチャナは目を凝らしてしばらくガラス越しに外を見ていると、セインの言葉に頷いた。
「確かに五人だ。しかし、老人の姿はないな。まだ距離はある。あの程度なら拳銃を持っていても私とセインで十分だろう」
クチャナはそう言って、セインとともに皆のいる場所へ戻った。
「ここは私たちに任せてほしい。外で交渉しているから、他の皆はルフィナを守りつつこのパン屋に隠れていてくれ」
クチャナはそう言うと、パン屋の奥にある調理室に目配せをした。
「あの中にある道具を少し借りるかもしれない。ちゃんと返すから、貸してほしい」
クチャナの提案に、マルコは頷いて応えた。
クチャナはセインに目配せをすると、頷きあって外に出ていった。輝は町子とともにルフィナを守る態勢に入った。
「ところで、ずっと疑問だったんだけど」
なるべくすべての窓から隠れるように背を低くして店の奥に隠れながら、輝は誰ともなく尋ねた。
「シリンや俺たちにしか見えないはずの、その、ティーナが、普通の人間であるマルコにも見えるのはなぜなんだ?」
「それ今聞く?」
町子が、あきれたように眉間にしわを寄せて応えた。
「ティーナやテンは、ペル・シリンって言ってね。普段普通の人間の中に姿を現さないだけなの。自分から姿を見せたいと思った相手になら見えるんだよ。分かった?」
輝は何も言わずに頷いた。町子は焦っていて、それが早口という形で出ていたからだ。
ティーナとルフィナは不安そうな顔をして周りを見渡していた。マルコも同じだ。不安だけがこの建物の中に広がっていく。こうなってしまったらもはや外に広がる、どこか懐かしい麦畑や舗装されていない道も、心躍らせるものではなくなってきてしまう。
外には丸腰のクチャナとセインがいた。例の五人はどのような人間たちなのだろう。待っている時間が長い。
しばらく無言で隠れていると、外で誰かの話し声がした。
「来たようだ」
輝が、小声で言った。覚醒もしていないのに自分の能力にこなれてきている。しかも動揺一つ見せない。一体どういうことなのか、町子は不思議に思った。
すると、輝が眉をひそめた。
「あれ、見落としたかな。近くはないけど、もうすぐもう一人来るみたいだ」
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