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青い薔薇 8

 輝は、よく知りもしない町の中を右へ、左へと走り続けていた。例の女性の手を握る力が強くなっていく。女性が声を上げた時には、輝はすでに町の中心部へ迷い込んでしまっていた。どこをどう行ったらいいかわからず、とりあえず、自分を探しに来ているかもしれない町子たちから隠れるように、町の裏路地に姿を隠した。 「誰もいないな」  裏路地に人がいないことを確認すると、輝は女性の手を離した。 「いったい何なの、あなた。いきなりこんなことをして」  女性は不機嫌そうに握られた手をさすった。輝は、それを見てどきりとした。逃げるのに必死になるあまり、この女性のことを何一つ考えていなかった。自分のことで精いっぱいだった。 「ごめん。こんなに強く引っ張るつもりはなかったんだ。だけど、どうしてもあの連中からは逃げたくて」  アフリカ人であるこの女性と普通に会話ができる、そのことにはもう驚かなくなった。戻すものとはこういうことなのだろう。英国で町子の祖父と会った時もそうだったのだから、もうそのことで驚くことはなくなっていた。  輝が謝る表情を見ると、女性は優しく笑って、肩をなでおろした。 「坊や、あなたの名前は?」  突然名前を聞かれたので、輝は驚いた。この人は怒ってはいないのだろうか。 「高橋輝です。あなたの名前も聞いてもいいですか?」  すると、女性は笑って答えた。 「もちろんよ。私はローズ。薔薇そのままの名前。シリンの名前は、媒体そのものの場合が多いのよ。私の友人のシリンにも何人かそういうのがいるわ。メリッサとか、ミシェルとか。あなた、『戻すもの』でしょ」  輝は、言い当てられて、どきりとした。自分の口からは言っていない。この女性は何者なのだろう。 「その顔は、どうしてって顔ね。シリンから見れば、『戻すもの』を感じることなんて簡単なことよ。それがたとえ、まだ覚醒しきってないとしてもね」 「覚醒しきってなくても、感じるんですか?」  ローズは、頷いた。 「特に私はね、そういう感性が強いのよ。だから月なんて、ギラギラに感じたわ。それで、アキラ、あなたのご用は何? 何もないのにあの場から逃げて、こんな人気のない場所に来るなんてことは、ないわよね」  ローズが真剣に聞いてきたので、輝も真剣に返した。これはただの逃亡じゃない。反抗でもない。ただ、自分の中ですべてのものを整理するためのものだ。 「俺は、まだ『戻すもの』といわれて日が浅い。町子と出会ってからもだ。みんながおかしくなって、事件を起こした。それだけでもパニクっているのに、いきなり英国に行かされて、そこで、俺が学校を退学したことになっていた。学校を退学して英国の有名校に入れるとか、俺の知らない場所で勝手に話を進めていた。俺には何の相談もなしだ! バイト先にも辞表、部活にも辞表、学校は退学だ。こんなの納得いくかよ!」 「それで、拗ねてこんなことをしたの? 私に話を聞いてほしかったの?」  少しがっかりしたような表情で、ローズが聞いてきた。壁に寄り掛かり、ひとつ、ため息をつく。 「そうじゃない」  輝は、そのローズの表情には目もくれずに話し続けた。 「あんたの薔薇を見たんだ。冷たいクリスタルの中の青い薔薇を。あれを見た時、なぜか、美しいとは思えなかった。どこか、悲しみと憤りを感じたんだ。だから、この薔薇の持ち主は救わなければならないと思った。俺のことを置いても、救わなきゃいけない何かがあると思ったんだ。あんたがあの薔薇の持ち主なら、俺はあんたを救いたい。それができたら、何か答えが見つかるんじゃないかって」  輝の話が終わると、ローズは壁から背中を離した。そして、輝のほうを見ると、腕組みをしてこう言った。 「さすがは『戻すもの』ね。うれしい限りよ。私を救ってくれるという意思は受け取った。ところで、腕っぷしのほうは、あなた、どうなのかしら?」 「腕っぷし?」  輝が返すか返さないか、その時だった。  上から人が降ってきた。何人ものジャンクたちだ。暗いのでわからなかった。いつのまにか、大勢の男たちに囲まれていた。 「こんな暗い場所に長い間いたら、こうなるわね」  ローズは、そう言って上から背中に右腕を回した。何かを取る仕草だ。  ジャンクのリーダーが、そのローズと輝をじわりじわりと囲んでゆく。 「こんなところに東洋人と女。どれだけの金を持っているかわからねえが、出してもらおうか」 「断るわ」  ジャンクのリーダーの言葉に、ローズは堂々とそう言い放って、後ろに回していた手を、ものすごい速さで戻した。その手には三本の青い薔薇が握られていた。ローズはそれを投げ放ち、ジャンクの部下のうち三人の足元に突き刺した。 「外したな、女。そんなしゃれた技で俺たちが倒せるもんか」  そういって、ジャンクのリーダーは、かかれ! と、号令を出した。すると一斉にジャンクたちが輝を襲ってきた。輝は、何とか最初に襲ってきた男の一撃をかわした。ローズはジャンクの攻撃をよけながら薔薇を飛ばしている。すると、ジャンクのリーダーがいったん、やめろ、と、声をかけた。 「何の真似だ、これは」  輝が態勢をもち直して周りを見ると、攻撃する態勢のまま固まって動けなくなっているジャンクたちの姿が見えた。 「まさか、あの薔薇」  輝は、こういうのを知っていた。だが、見たことはない。物理的に不可能だったからだ。ローズは息を切らせている。しかし、しっかりと地面に立っていた。 「影縫い」  息を切らせながら、ローズが言った。 「持続時間に限界はあるけど。さあ、逃げましょう、アキラ」  輝は頷いて、ローズに続いて裏路地の出口に向かった。しかし、しつこく輝たちを追ってくる追手がいた。最初に影縫いをした三人と、リーダーだった。 「ローズさん、薔薇は」  すると、ローズは首を振って答えた。 「そう何十本も持っているわけじゃないわ。無理よ」  無理、そう聞いて輝はハッとした。いま、自分はローズに頼り切ってしまっていて、自分では何一つできていない。身を挺してでも彼女を守るべきなのに。  輝は、立ち止まって、手を広げて、ジャンクたちの行く手をふさいだ。一緒に逃げていたローズは、悲鳴のようなものを上げて輝の名前を呼んだ。輝は、一言、逃げろと言ってローズの背を押した。  アフリカのこんなところに住んでいる屈強な男たちになど、敵うはずはない。しかし、男として、なにより、救って見せると言った手前、ここをどくわけにはいかなかった。輝は、迫りくるジャンクたちの姿にごくりと唾をのんだ。 「やる気か、東洋人」  向こうの気迫は十分だった。輝の足は恐怖でガタガタ言っている。震えているのだ。ローズはそれを見て、輝のほうに走り寄った。輝よりは、少しはこの男たちを知っている。その強さも、弱点も。背中から作り出すことのできる薔薇は、今日はあと一本しかない。動きを封じるならばリーダーを封じたほうがいいだろう。しかし、そのローズの手は封じられてしまった。入り口から来たジャンクが、背中に回す前にローズの手を握ってしまったからだ。逃げ道を完全にふさがれてまた囲まれてしまった二人。輝はまたしても後悔した。自分が無茶をしなければ、こんなことにはならなかったのに。ローズを巻き込んでまで、自分は何をしたかったのだろう。  輝は、そんな自分が嫌になった。  気が付いたら、ジャンクの中に入って暴れていた。殴ったりけったりして、彼らを翻弄していた。だが、その倍の力で、輝はやり返された。ローズは両腕を掴まれて捕らわれていた。彼らはジャンクだ。それなりの女性ならば売れば高い値が付くことくらい、分かっているだろう。地面に屈服させられ、輝は泣いた。自分のせいだ。すべて自分のせいだ。  だが、輝が泣いている時間はすぐに終わりを告げた。  ジャンクたちが、何か恐ろしいものを見た目で怯えだしたからだ。それは、まず、ローズを捕えていた男が何の前触れもなく倒れた時から始まった。次々とジャンクたちがなぎ倒されて、ローズは解放されて輝のもとへ走っていった。残っていたのはジャンクのリーダーだけだったが、彼の姿はどこにもなく、暗がりには輝とローズだけが残されていた。  だれかが、警察や移民のうちでも強い人を呼んでくれたのだろうか。ローズに助け起こされて、輝はホッとした。ホッとしたら、眠ってしまっていた。 「気を失ったか」  光の中から、だれかがやってきた。ローズは、輝を抱えたまま、その人物を見て目を丸くした。 「この感じ、ソラート? いいえ、あなたは」
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