4 / 4

四 週末、終わりのメロディー

 彼女と会うのは金曜日の夜と決まっているようだ。  普段と違う事を強いて挙げるならば、土砂降りの雨が降っていることくらいだろう。  傘もささずタクシーを探し、湿ったスーツで身体を冷やす。  今はこのくらいの冷気が丁度いい。  頭を冷やすのには少し、時間が必要だ。  送られたメッセージに従い、市内でもっとも大きい病院へと向かった。  入り口の扉で待っていたのは武骨なマスクを付けられた元シンガーソングライター。  出会うなり、頭を深く下げてくる。 「ごめんなさい」 「……」  なんて顔をすればいい。 「ごめんなさい。ずっと隠しているつもりだった。で……げほっでも、症状の悪化が思ったよりも全然早くて。うぐぅっ、あ……貴方にずっと、嘘をついていた」 「……」  隠しきれない嘘に意味なんてない。  謝られる道理なんて、ない。 「でも、誰にも言いたくなくて……!ごめんなさい。貴方にあんな事を伝えるつもりはなかった!だけど貴方なら、なんだか受け入れてくれるような気がして……。つい言ってはいけない言葉を、口にしてしまった」  伝えるつもりが無かったのは、知っている。  彼女が他人を頼ろうとしないのはこの数日で痛いほど、わかった。  そして、どうしようも無くなった末に……こんな再会を果たしたのだから。 「歩けますか」 「えぇ、喉以外は無事ですから」  そういってまた喉に力を込めている。  彼女は咳を留める仕草も隠せなくなっていた。  当たり前だ。  メッセージに掛かれた話が本当であれば。  ……彼女は数か月も経たずに、声を失うはずなのだから。 「なら、付いて来てきてくれますか」 「え?」 「自分は貴女の喉を治せませんが……貴女の不安を少しだけ、和らげることができるかもしれません」 「……」 「"助けてください"。そう言ったのは貴方じゃないですか」 「……」 「本間さん!!」  そう言って、彼女の腕を掴む。  怯えた瞳に向かって音を響かせる。 「これだけは先に伝えておきます」 「な、なんでしょうか」  分けられた壁に、穴を掘る。 「自分は――貴女の、ファンでした」  瞬間。  彼女の瞳からは一筋の水滴が流れ出る。 「ビルまで付いて来てください。貴女の為に、自分は……あのピアノを弾いてみせます」  彼女の顔が――武骨なマスクが顔めがけて飛び込んで来た。  両腕でそっと彼女を受け止める。 「ごめんなさい、ごめんなさい……!」 「……」  二つの体温と雨が熱を奪い合う。  自分の身体はようやくヒトの常温に戻っていく。  耳元で彼女が何かを呟いていたが、雨と咳がそれを邪魔した。  無言のまま続く数分間。  誰もいない病院の入り口で彼女の泣き声だけが、木霊した。  ……泣き声が収まる頃、二人でタクシー乗り場に向かっていった。 ***  いつものビルに到着し、例のピアノに腰を下ろす。  大柄な"ソレ"は自分の身体をどっしりと包み込んだ。  座り心地が、良い。  コホン、と一つ咳を吐き静かなフロアの中に小さな舞台を作り出す。  一人の奏者と一人の客。 「一曲弾くのが、限界ですね」  時刻は二十時を過ぎている。ビルの閉鎖する二十一時まで時間はそれほどない。  手短に前置きを終えて指を鍵盤に掛けた時。 「あの、なんて曲を弾くのですか」  マスク越しに客の声が届く。 「……」 「もしかして……」  答え辛そうしていると彼女が先に言おうとする。  それを阻止しようと急いで曲名を口にした。 「「土竜の如く(くすぶ)る君へ」」  結果、二人の声が重なった。 「やっぱり。私の勘は当たりますね」  そう言って、マスクを取り外す。  勘弁してくれ。その直感はアテにならないことを自分は知っている。 「その曲なら、私もご一緒していいでしょうか」 「……へ?」 「もう、歌っても歌わなくてもこの声はもうすぐ枯れてしまいます。だから……」 「……」  こうなると彼女は何を言っても聞かないのだろう。  無言で頷く。  あぁ、そうか。  そうだった。  どうせ枯れてしまう花でも愛でたくなるのが人間だ。  時にはその輝きを閉じ込めたくて押し花(CD)なんてもの作る。  時には生け花(ライブ)として飾る事もある。  今自分が行うのは後者だろう。失われていく一瞬の輝きを少しでも広げたくて……こうして二つが寄り添うのだ。  だけど。  自分の直感が否、と答える。 「枯らせるだけにはしませんよ」  呟いて、鍵盤に指を置く。  同時に爪が研ぎ澄まされる。  互いに目を合わせて。  一瞬、呼吸を吸う音。  ……時の止まったコンクールは、演目を大幅に変更して開催された。  爪が鍵を叩く。  テロリ、テロリと独特の音が鼓膜を塞ぐ。  後を追って彼女のコーラスが、伸びていく。  少しずつ失われていく、歌声の寿命。  それを肌で感じながら爪は黙々と鍵を叩く。  この身は今、音を奏でる唯の獣。  土を必死に掘り進める……一匹の土竜。  ピアノを始めたのは何の為だ。  こんな終わりを迎える為か。  何もわからない。  しかし。  一つだけ、思い出す事があった。  始めはこれが好きだった。  感情を音にできるのが嬉しかった。  きっと……楽しかったんだ。  だけど、一度付いた火は周囲を狂わせた。  才能が親の眼を曇らせた。    感情は焦げ付き、色あせた。  これ以上、灰を作るべきでは無い。  そんな直感に従った。  結果、生み出されたのはホテルの死骸。  意味なんて無かった。  必死にもがいて……灰を作るだけ。  だけど。  (くすぶ)る心に歌声が響いた。 『掻き分ける土に意味はないと、悲しい顔を見せないで』 『貴方の爪は顔を隠すものなんかじゃない』 『掘り進めた流星を慈しむ』 『そんな優しいお月様が待っているから』  自分のような土竜たちがこの世にいくらいるのだろう。  一匹の土竜は一度歌声に救われた。  だから、今度は自分がこの曲で返すんだ。  貴女の歌声にきっと意味はあったのだから。  失われても、あの時の輝きは残ったまま。  この心に小さな種火を残してくれたのだから。  熱い、熱い。  指先が燃え盛る。  背中を、汗が駆け巡る。  歌声に火の手が上がる。  ピアノに熱が伝播する。  フロア一面に響く歌声は線香花火が見せる最期の輝き。  小さな舞台の外側でエキストラが火を囲う。  知ったことか。  この身は今……きっと、その意味を全うするのだから!  瞬間、フロアに響く警告音。  ジリリと叫ぶ、火災報知器。  戸惑うエキストラを差し置いて、演奏は続く。  イヤホンを耳に掛け警告音に蓋をする。  熱い、熱いんだ。  指先を突き破る熱量が腕を()がさんと(ほとばし)る。  額を汗が支配した。  感情が音になる。  音がフロアを染め上げる。  無垢なる白が……激しい赤へと燃え盛る。  ――直感が、当たった。  偶然は時に必然を装う。  今朝観た鮮明な悪夢は、今ここに再現された。  微睡(まどろ)みの中で何度も観た、焼けつく大きな建物。  まさかその中に自分がいたなんて、昨日まで考えもしなかった。  隣の客が送る視線は"続けろ"と念を押す。  当たり前だ。  曲はまだ終わっていない。  土竜はまだ、月と遭えていない。  照明が次々と立ち消える。  下の階からは煙が昇る。  フロアの隅で、壁が黒く()げ出した。  だが、まだだ。  彼女の最期を……この演奏を全うするまでは、この身は炎となり舞台を()がす。  一匹は、過去の執念を弔う為。  一人は、過去の栄光を弔う為。  巨大なビルを供物に、小さな儀式は佳境を迎える。  二度目のサビを終え……間奏に突入する。  外では消防車のサイレンが木霊する。  イヤホン越しに乱入する雑音を、ピアノの弦で弾き返す。  コンクールに邪魔者はいらない。  観客は彼女……一人きり。  今頃、エキストラは非常階段の下で次々と救出されているのだろう。  間奏が終わり、最後のサビに差し掛かる。  視線を隣の客に送る。  ――これが貴女の最期だ。  終末に、その声を轟かせてくれ。 『遠い遠い、地上へ出れば』 『ほら』 『優しい月が』 『待っていた』 「――ぁぁああああっあああぁ!」 「……!」  最期に、背筋も凍るアドリブが待っていた。  本来、この曲は終わりに向けて「あ」を消え入るように歌うのが特徴的だ。  だが彼女の歌声は、収まらない。  ……そうか。そうだったのか。今更になって気が付いた。  ――彼女は終わらせたくなかったのか。  歌を、続けたい。  そんな想いが叫びとなって流れ出る。  気持ちが、淀む。  だが。  これできっと良かったのだと自身に言い聞かせ。  最期の伴奏を何度も、何度も繰り返す。  彼女の肺と喉が事切れるまで、付き合おう。  煙が充満するフロアの中で彼女は一分近く、抗い続ける。  そして――張り裂けるときは一瞬だった。 「うぐっ」    くぐもった咳が聞こえると、血の塊が吐き出される。  ピアノから飛び出し、彼女に近寄る。  コンクールの演目は……これにて終了だ。 「本間さん!!」  その瞬間、非常口の扉がはじけ飛ぶ。 「おい!お前たち、何やっているんだ!!」  消防服を着た男たちが、舞台に割って入る。  カーテンコールに怒号が響く。 「大丈夫ですか!?煙を吸わない様に、早く……!」  見渡すと、周囲は一面の炎。煙でフロアの壁すら視認できない。気を抜いた隙に煙が肺を満たそうとする。 「げふっ……ほ、んまさっ!」  消防士が彼女を背負い、割れた窓から降りる用意に掛かる。離れていく彼女の身体に向けて腕を伸ばす。  だが、別の男がそれを許さない。 「ほら、貴方はこちらに!」 「待って……待ってくれ!彼女は……!自分は、彼女に謝らなければ!!」 「なら、きちんと生き伸びてからにしてください!」  自分の身体が男の背に乗り、宙に浮く。  それでも、今にも消えてしまいそうな彼女を放っておけない!  すれ違いざまに彼女の表情を確認する。  瞳は涙を、口からは血反吐を流しながら……それでも笑っていた。  そして、彼女の口が力なく揺れ動く。 「へ?」  ……世界の動きが制止する。  バチバチと()げるフロアの音を押し退けて、彼女の言葉だけが世界に残る。  小さく、一言。 「金賞モノの……演奏でした」  それだけが耳に届く。 「あぁっ、あ……あぁああ!!」  男に運ばれ、バラバラに分かれる土竜と彼女。  だけど……トンネルは繋がった。  ――あぁ……ああっ!  訳の分からぬ嗚咽が、自身の喉から溢れ出る。  深く窪んだ目隈を、巨大な滝が覆い隠す。  長く伸びた爪で、頭を激しく掻き毟る。  ――歓びとは、この感情なのか!!  ようやく訪れた、授賞式。  ……週末の夜。  土竜は、ついに月と出逢う。 ***  あの燃えるような――否、実際に燃えかけた夜を越えて優しい朝日がこの身を包む。  意識を取り戻してからというものの。  周囲の人間はめまぐるしく走り回り、見ているこちらが疲れてしまう。  詳細を告げた後、消防隊員にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。  厳しそうな隊員からは「命を何だと思っているのだ」等と睨まれるのだから肩身が狭い。オマケに放火魔の疑いを掛けられては気も抜けない。  タクシーの運転手やビルの店員からの証言が揃うまで事情聴取という面倒な未来が待っている。  ……三階のレストラン街が火元なのは焼け跡からも明白だというのに。  だが。  病室に横たわる自身の身体は風船の様に、軽い。  憑きものが取れた……そんな表現が似合うと我ながら思う。  病院のベッドで数日も寝れば、深い目隈はさっぱりと消え土気色の肌はハリを取り戻す。  血色の悪さは数日間、(ろく)に食事を取らなかった代償だ。  こんな歳にもなって栄養失調で倒れこむのは情けないと反省する。  確かに夕食の時間をピアノの演奏に割いていたのは……今考える相当アブナイ奴だ。  "コンクールを待つ獣"とは今生の別れであって欲しい。  幸い、肺の損傷は少なかった。消防隊員の迅速な対応があったからこそだ。感謝の念が絶えることは一生ないだろう。  後は……数日間、点滴と共に横たわれば晴れて日常生活が戻ってくる。  あの億劫な日々が待っている。  毎日、よく分からないプログラムをよく分からない誰かの為に組んで一体何の意味があるのやら……等と冗談交じりに考える。  ――きっと、意味は……。  隣のベッドには答えを知る女性が一人、横たわっている。  彼女に向けて視線を送る。  緊急搬送の為、一時的に男女混合となった病室。  そんなイレギュラーが自分にとっては都合がよい。 「ふふ。なんですか」  笑顔と共に……掠れた声が囁いた。小さな灯火が風に揺れる。 「なんでもないです」  そう。  特に、意味なんてない。 「不思議な人」  だけど。  意味の無い事が、こうして感情を……歓びを生み出すことだってあった。  コンクールの金賞記念品は、そんな有り触れた"当たり前"だった。  当たり前の事を自分は知らなかった。知ろうとしなかった。  だから……獣と同化した。  執念に囚われて。    ……そして、彼女を巻き込んだ。  だが、彼女は咎めようとはしない。彼女の表情は自分と同じく、柔らかい。固形燃料同然だった自身の心とは、大きく違う。  柔らかいベッドの上で、柔らかい視線を交わす。  その一瞬一瞬を、慈しむ。  彼女が月で、自分が土竜。  あの夜、共に紡いだ残響が互いの意識を離さない。  掻き分けた土に意味をもたらす存在を手放すわけが無いだろう。  しかし。  地表に出た土竜は新たな世界へ歩き出す。  彼女を巻き込んだ責任を果たす為。  ……全ては彼女の喉を、治す為。  執念から解放された土竜が今度は未来を睨みつける。  現代医学で成しえぬ結果。  それを電子機械で補えないか。  そんなプログラムを編み出せないか。  研ぎ澄まされた指先は再び鋭利な爪と化す。  これから叩くの鍵盤ではなく、キーボード。  なんだ、英語に変わっただけではないか。  土竜は独りで嗤いだす。  月がそれを見届ける。  遠い遠いお月様。  そうだ。  まだ、遠い。  貴女の歌声を取り戻す、その時まで。 「なんですか?」 「――待っていてください。いつか。  いつか、元の貴女を……"本間弓美"を迎えに参ります」 「分かりました。待っています。いつも。……いつまでも」  枯らせはしない。  (こが)しもしない。 ――綺麗な花を、いつか蘇らせる。  土竜は再び地中へ潜る。  優しい月が待っている。  直感が、告げる。  彼女が再び咲く時は……遠い遠い未来の先。  いつか、金曜日の夜に咲くのだろう――。  土竜は独りで嗤いだす。  月がそれを見届ける。  爪が、土を掻き分けた。  土埃が意味もなく……遠い空へ、昇って行った。
いいね!
いいね!
いいね!
いいね!
良い
エロい
萌えた
泣ける
ハラハラ
アツい

ともだちとシェアしよう!

この小説を読んだ人におすすめの作品

この世界での俺は最強だ──
連載中/1話/754文字/0
2018年1月31日
紹介文を読んでくれ。しっかり読んでくれ。彼の気分を感じてくれ。それから本文へ
連載中/1話/1,335文字/0
2018年2月10日
こんな会社就職したいですか?
完結済/4話/18,112文字/0
2018年2月17日
人生初デートを控える前日の夜。家にあるリンゴを手にした瞬間、ナカムラと出会った。
完結済/10話/19,989文字/0
2018年5月5日
金曜日の夜から始まる異世界転生
完結済/1話/5,842文字/0
2018年5月5日
和恵が会社を定時で終えた金曜日の夜アレックスと会う。
連載中/7話/7,549文字/0
2018年5月8日