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二 壁、掻き分ける腕

 次の金曜日は……結局、例の音楽コーナーがあるビルへ脚が向いた。  時間は二十一時に迫っており閉店間際のフロアはかなり寂しい。 「今日は来てくれたんですね」 「えぇ。先週本間さんが帰宅出来たのか心配でしたから」 「もうー……それなら月曜から来てくださってもいいのですよ。 私、金曜日と月曜日も基本はシフト入ってますから」  笑顔で返す彼女は先週とは別人のように明るい。ポーカーフェイスなのかそれともあの時話した内容を忘れているのか。  詳細が気になる所だが、自分の生活サイクルは中々の頑固者で彼女とは一週間に一度会うくらいで丁度良いと言って聞かない。 「月曜日はまぁ、気が向いたら行きますよ」 「ちゃんと来てくださいよ?このコーナーもいつ無くなるのか分からないですから」 「え」 「ちらっと小耳に挟みまして。去年からここのフロア全体が元気無くて……まぁ、だから若い子向けの場所も作ったみたいです」 「なるほど」  道理で、会社帰りの中年男性やOLばかりが集うこのビルに突如クレープ屋なんてものができたわけだ。  フロアの改装は手痛いがこの階そのものが寂れていくよりはよっぽどましだ。  否、あの大きな邪魔者がなければそもそも気にすることもなかったのだが。 「あのー……」 「あ、はい」  視線をフロアの中心から彼女へ移す。  瞬間、身体が固まった。  彼女は自分の顔を覗き込むように首を斜めに伸ばしている。あまり身長差がない為か、彼女の顔はあっという間に至近距離に潜り込んだ。  彼女の大きな瞳は自分の眼をまじまじと見つめていたようだ。 「村田さんってもしかして、ピアノ弾けたりします?」 「へ?んー、あぁ……えっと。それはどういう意味で」  どうしたもこうしたもない。  "はい"、もしくは"いいえ"のどちらかで答えれば良いはずなのに、詮索されたくないという気持ちが先走った。  頭の整理が追い付かない。  困惑した脳は来るはずもない先の展開に身構えた。  次にやってくる、呪われた言葉を連想してしまう。 「いえ、特に意味はないですよ……当たってたらいいなって。ただの勘です」 「はぁ」 「楽器を扱う方って他の方と違う目線で商品を見るのです。あの部品はどうかなー、みたいに。村田さんも今そんな眼をされていたので、もしかしたらって気になっただけです」 「自分があのデカブツを……品定めしていたと?」 「はい。その様に見えましたよ。ふふ、違ったらごめんなさい」  そんな馬鹿な。  彼女の勘は……合っているけど、間違っている。  あの楽器を見る自分の瞳が真剣であるはずがない。  もっと、淀んだ視線。  侮蔑を込めた、醜い瞳だ。 「……えぇ。やっていましたよ、昔ですけど」 「やっぱり」 「でも、もう何年も弾いてないですから。指は追いつきませんよ」 「え、そうなんですか?少し残念です。私――」 「……」  やめてくれ。  次の言葉は、なんとなくわかる。  客寄せの為にパンダになれというのだろう。  自由に使って下さいなんて紙をわざわざ天井から吊るしているのだから"アレ"の使用用途なんて分かっている。  フリースペースで行われる無償の演奏会は客を引き留めるのに有効なのかもしれない。  だが、そんな見知らぬ誰かの為にこの指を振るうなんて御免だ。不完全に焦げ付いた指先からは心地よい音なんて響かない。  自分の弾く曲にもう価値なんてない。  故に。  やめてくれ、と……言いかけた。 「私、村田さんの演奏を間近で聴いてみたいです……個人的に。生の音を聞くのが最近からっきしでして」 「……え」 「なんて、きっと嫌ですよね……ここ目立ちますし」 「い、いや……」  心と裏腹に、勝手に言葉が零れ落ちる。  否定したいフレーズは流れてこなかった。  だから、零す言葉を間違えた。  ……置く指を、間違えた。 「良いんですか?」  ミスタッチ一つで流れが全く違うものになってしまう。  会話は曲より繊細なのかもしれない。  "そんなことを言われるなんて思わなかった"。  嬉しい誤算を示す表現なんて音符にはない。  言葉を想った通りに紡げない。 「……」  瞳を輝かせる彼女を前に今更前言撤回できるほど、自分は図々しく無かった。 「暇があれば、良いですよ」 「本当ですか!やった」 「でも、自分はそれほど上手くないですよ。他のお客さんなら現役の方だっているかも」 「あー……うちのお店、あんまり若い方来ないので」  彼女はそういって視線を逸らし、前髪を掻き分ける。  言い草がからして年上に良い印象を持ってないようだ。 「私最近メンバーとも縁遠くなってて、同年代の方と話せてないんですよ。だから先週も……あぁ、ごめんなさい。無理ばかり押し付けてしまって」 「いえ、自分も上司の顔伺ってばかりですから」 「わかります、わかります。うちのリーダーさんも……あっ」  音楽コーナーに客が入ってくるのを見てハッとする。  そういえば、まだ彼女は勤務中で自分はただの客だった。  彼女も話の続きを漏らす訳に行かず、咄嗟に口に手を当てる。  一瞬だけ間をおいて、目が合うと互いにニヤリとしてしまった。 「すいません、この後時間あったりします?」  話の続きはまた飲み屋で。  そんな意味を込めて小声で彼女に聞いてみた。  彼女は口角を上げ、何度も小さく頷いた。 「三十分くらい経ったら、一階で待っててもらっていいですか」  自分も無言のまま頷いて、その場を離れた。  閉店間際のアナウンスが頭の上で響く。  イヤホンもせず早々とエスカレーターを下るのは初めてのことかもしれない。 *** 「お待たせしました」 「思ったより、早かったですね」 「それなら良かったです」  本間さんはビルが閉鎖する二十一時を過ぎてまもなく、裏口から顔を出した。右手に持っていたスマホをポケットにしまい、歩みを進める。  自然と足先は先週入店した飲み屋の方角を示した。 「今回は違うお店に向かいますか?」 「いえ、あそこでいいですよ。ここらで一番安いお店はあそこですから」 「わかりました」  二十一時半を過ぎる頃にはメニュー表を渡されていた。  金曜日ということもあって店内はかなり混雑している。  メニュー表に目を通すこともなく、店員には最初の注文だけ手短に伝えた。  前回と同じプラン、そして二人分のビールを頼み会話を続ける。  上司がどうとか、知り合いが昇進したとか、そういった何気ない世間話。  時に誰かの悪口を挟みつつ話題を続けていると三杯目のビールがテーブルに届いた。  すでに入店から半刻ほど経っている。  ……前回と比べて彼女はペースを抑えているようだった。 「今日は控えめですね」 「もうあんな情けない姿は見せませんよ」 「それはちょっと残念です」 「忘れてもいいですよ、あんなの」 「ははは」 「村田さんは結構強そうですよね」 「いや、そうでも……調子に乗るとたまに記憶が飛びますよ」 「へー意外です」 「気が付くと知らない駅にいたり。あと友人の家に転がり込んでた時もありますよ」 「そうなんですね。じゃあ……」 「はい」  そういって、彼女は少しだけ黙り込む。  唇に拳を当て考えるような素振りを見せてから、低い声で問いを投げた。 「先週の事って、どれくらい憶えています?」  彼女は顔を真直ぐこちらに向けて話す。  真剣な表情で聞かれたら冗談では返せない。  だけど、冗談で済ませたかった。  質問の内容をより正確に表現するなら"私の状況をどこまで知っていますか"といった具合だろうか。  そんなもの、ほんの一部しか知らない。  先週、彼女が零した未来の話。  端的だが……それでも伝わってきた、事の重大さ。 「……」 自分の無言が全てを物語る。 「やっぱり憶えてますよね」  (うつむ)き、テーブルの端から端へと滑る彼女の視線。 「誰にも話してはいません」 「分かりました。では……その、なるべくでいいので……忘れてください。全部」  言葉と共に掻き分けられた前髪。  彼女の額を隠す腕が二人の空間を分けてしまった。 「忘れるように……努めます」  そう零すと、彼女はゆっくりと頷いた。 「……」 「……」 「あ、じゃあそれは忘れる事として!えっと……あーそうだ、演奏だ演奏。 本当に自分でいいんですか?下手ですよ、自分」  永遠に続きそうな沈黙を力づくで追い払う。  忘れる為にはこうするしかないのだと、自身に言い聞かせる。 「構いませんよ。実はあのピアノ、まだ誰も弾いてくれなくて」  だけど、きっとあんな話……忘れたくても忘れられない。 「それは勿体無い。立派なやつなのに」 「お好きな時に、お好きな曲でいいので……弾いてあげてください」 「なら、きっと金曜日の夜とかになりますよ」 「ふふふ。別に月曜日に来てくださってもいいのに」 「月曜日はなんというか……月曜日ですから」 「まぁ、お気持ちはわかります」  こんなありふれた会話ではあの衝撃なんて薄れない。  不完全に焦げ付いた自分を支えてくれた歌声が枯れそうだなんて。  そんな悲しい話を、どうして忘れなきゃいけないんだ。 「来週でも、いいですか」 「あら。そこまで焦らなくてもいいですよ」 「善は急げって奴です」 「そう言ってもらえると嬉しいです。準備とかあればお手伝いしますよ」 「いえ、お構いなく」  彼女の状態を詳しくは、知らない。  ほんの触り程度しか伝えられてない。  それで納得しろだなんて、虫が良すぎる。  だから。  いつか、彼女の口から本音を聞き出してやる。  その為に自分ができる事を手あたり次第やってやる。  今まであのデカブツに執着していたのが少し、馬鹿らしくなってきた。 「村田さんって不思議ですね」 「へ?」 「ピアノが好きなのか嫌いなのか、よくわからない」 「……」 「うちの音楽コーナー、足早に通り過ぎていたの知ってますよ。しかもピアノから逃げるみたいに」 「あ、あぁ……」 「でもその割には意識し過ぎというか。時々すごく物欲しそうに見ていたのが、なんだか不思議でした」 「えぇと……そ、そうですか?」  彼女の勘、とやらはいつも半分当たって半分違う。  ならば彼女が話した症状だってどこで"間違い"に転ぶか分からない。  だから、早く。  本当は月曜日にでも始めたいくらいだ。  だけど大人の事情……もとい仕事とやらは自分から時間を奪ってしまう。  なので遅くても来週の金曜日には話の続きへ進まなくてはならないんだ。 「でも、弾いて下さるということはきっとピアノがお好きなんですよね」  ……。  いいや、違う。  彼女の勘なんて……予想なんてアテにはならない。  未来がどう転ぶかなんて、どう焼け落ちるかなんて今の自分には誰も教えてくれないのだから。 「そういえば何か弾く予定の曲とかあります?場合によってはうちにCDの在庫あるかも」 「……えーと」 「あぁ、すいません。まだ決まってないですよね」 「そうですね。まぁ当日のお楽しみ……という事で」 「分かりました。じゃあ楽しみにしてます」  口から出まかせ、だ。  もう、弾く曲は決まっている。 『土竜の如く(くすぶ)る君へ』。  彼女のメジャーデビューを支えたプロ入り初のファーストシングル。  ずっとずっと自分のイヤホンを震わせたあの曲を、今度は自分の指で打ち鳴らす。 「はい。本間さんには是非とも聴いてほしいです。下手なりに頑張ってみますから」  心の深い奥底で、灰が再び赤く染まる。
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